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ニュースペーパー2016年6月

2016年6月 1日

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明日を決めるのは私たち―
平和といのちと人権を!5.3憲法集会

 安倍晋三首相が自ら改憲を公言するなか、憲法破壊・人権破壊・生活破壊の安倍政権の暴走に歯止めをかけようと、5月3日に東京・江東区の有明防災公園で「明日を決めるのは私たち―平和といのちと人権を!5.3憲法集会」が開かれ、5万人が参加しました。昨年の横浜で開催された憲法集会に引き続き、平和フォーラムや「戦争をさせない1000人委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委」に参加する団体・個人による実行委員会が主催、戦争・原発・貧困・差別など幅広い課題でアピールしました。
 きたがわてつさん(シンガーソングライター)、古謝美佐子さん(沖縄民謡歌手)のコンサートからスタート。開会あいさつは「解釈で憲法9条壊すな!実行委員会」の高田健さん。従軍記者を経験した101歳のジャーナリストむのたけじさん、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の呼びかけ人の山口二郎・法政大学教授、菅原文太さんのお連れあいで「辺野古基金」共同代表の菅原文子さんや、市民連合の浅倉むつ子さん、高校生平和大使の白鳥亜美さんから力強いアピール、さらに野党4党の党首がそろって登壇し、安倍政権の下での憲法改正は認められないとして、夏の参議院選挙に向けて対決することを強調しました。最後に、戦争をさせない1000人委員会の福山真劫さん(平和フォーラム代表)が行動提起に立ち、「戦争法廃止を求める統一署名」が4月末の第一次集約で1200万筆を超えたことを報告、「さらに2000万をめざして署名を進め、国会や安倍首相に届けよう。また、6月5日には国会を包囲し、安倍政権を許さないとの声をとどろかそう」と訴えました。
(写真下・撮影:今井明)

インタビュー・シリーズ: 112
沖縄の女性たちとともに歩み続けて
「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表 高里鈴代さんに聞く


たかさと すずよ さん
 1940年台湾生まれ。東京都女性相談センターで電話相談員、那覇市婦人相談員を経て、1989年から2004年まで4期15年那覇市議会議員を務める。
 現在、「強姦救援センター・沖縄」代表。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表、「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク」沖縄代表。沖縄平和市民連絡会共同世話人。オール沖縄会議共同代表などで活躍。

―1972年に沖縄が本土に復帰したとき、高里さんは何をされていたのですか。
 復帰のときは東京にいました。沖縄にいる頃から基地周辺で働く女性たちのことを調べていましたので、復帰によって売春防止法が適用されて、その女性たちがどうなっていくかということが、とても気になっていました。
 復帰前の沖縄では、売春防止法が何度も立法院議会に上程されて、その度に審議未了で廃案になっていました。その間、あまりにも女性たちの状況がひどいということもあって、市川房枝さんを始め、女性運動のリーダーたちが沖縄に来ていました。矯風会の高橋喜久江さんが見えて、私は彼女の日程を作ったり、一緒に立法院議員たちに会ったり、戦前から売春問題に取り組んでいる女性たちに会ったり、そういう活動をしていました。
 1970年6月に売春防止法が立法院議会で成立しましたが、施行は1972年の復帰後という内容でした。この施行までの2年間の空白には、売防法の成立が必要だと言われながらできない、立法院議会のメンツと事情がありました。日本では1956年に売防法が成立していますから、復帰したら当然、日本の法律が適用されます。そういう受身の形で成立させたくない、立法院議会自らが意識して売防法を成立させたのだと示したいわけです。
 ところが施行を延ばすのにはふたつの理由がありました。ひとつは、もし法を施行したら、戦後からずっと続いている米兵の暴力が、また民間地域に戻るんじゃないかという恐怖が立法院議員の男性たちの中にあったことです。もうひとつは、売春を生業としている女性たちが日々稼いでいるドルが沖縄の経済の底を支えていたということです。7,000人とも言われていた女性たちの日々の稼ぎの総額が、パイナップル産業、サトウキビ産業を上回っていました。ひとりひとりの女性はみんな借金を抱えながら、社会全体ではこの女性たちがドルの最前列で稼いでいたわけです。
 また、売春を核に持ちながら、周辺には美容室、洋裁店、家具屋、食堂等々いろいろな産業が成り立っていましたが、売春が違法になることによって、そういう関連産業の灯が一斉に消えてしまうわけです。それへの不安、恐れですね。建前では自発的に売防法を成立させているけれども、敢えて施行を2年間ずらすということの中に、このような沖縄の実情がありました。
 当時の立法院議会の記録によると、売春防止法が成立したと同じ日に、米兵の暴力に対する抗議決議が採択されています。本島中部の高校1年の女子生徒が、米兵のレイプから逃れようとして、瀕死の重傷を負うという凶悪な刺傷事件がありました。その高校の生徒会長が山城博治さん(現・沖縄平和運動センター議長)で、この事件に抗議して、全校集会を開いています。

―復帰の前と後では、女性たちの置かれている状況、情勢は大きく変わったのでしょうか。
 売春防止法が施行されるまで、沖縄の女性たちは本当にひどい状態に置かれていました。借金のかたに拘束されて、さらにベトナム帰還兵のひどい暴力があって。学校の先生の給料が80ドルから100ドルの時代に、1回5ドルの売春料金で、毎日何人もの客をとっても借金がかさんで、平均2,000ドル、いちばん多い人で7,000ドルという借金を抱えさせられていたという現実がありました。日本で前借金を理由に女性の心身を拘束する強制管理売春が法律で禁止され、前借金も無効の最高裁判決も出ていました。復帰は1972年ですが、ベトナム戦争は75年まで続いています。女性への暴力は復帰後も続いているのです。

―女性の問題に関わり始めたのはいつ頃からですか。
 20代の頃から女性の人権問題、特に基地周辺の女性たちの問題に関心がありましたが、売防法制定に向けて、いろいろな人に話を聞いて回ったこともあって、その実態が気になっていました。東京にいる頃、1977年に美濃部都政のもとで、東京都婦人相談所を婦人相談センターへ改変して、女性問題の電話相談窓口が新設されたときに、その相談員の第1号になりました。もう一日中ベルが鳴りっぱなしで、全国から密室での暴力が電話を通して訴えられました。相談者の夫の職業も様々で、なかには大学教授、労働組合の委員長、牧師、そういう人たちもいました。その後、沖縄に帰って那覇市の婦人相談員をして、基地周辺で働いている女性たちの相談を受けながら、若年妊娠、子どもを抱えての離婚、夫の暴力、そういう相談も受けていました。この仕事は私の天職だと思っていました。

―そういう運動の延長上で、那覇の市議会議員になられたのですか。
 女性運動のリーダーたちの間で、なぜ女性が政策決定の場にいないのか、女性たちは選挙のときに集票活動ばかりしているけれど、それだけでは女性に関する案件が実現しないから、なんとか女性議員を出そうという話になり、那覇市議の補欠選挙に私が推されました。一度は決意しましたが、その直後に県外からすさまじい売春から逃れてきた女性の相談があって、議員になっている場合じゃないと考え直し、補選の話を断りました。
 次の本選挙の時期に、以前にひどい売春から逃れてきた女性があまりにも悪質な業者を警察に訴えましたが、事件化するには客を特定しなければならなくて、手が出せない状態でした。不特定多数を相手にするのが売春ですから、その場所から離れてしまうと客を特定できません。ところが、その女性がたまたま子どもの受診で行った病院の医師が、客のひとりだったのです。その医師も彼女を覚えていたそうです。彼女は喜んで婦人保護施設に帰ってきて、施設の課長に「客を見つけました、病院の先生です!」と報告したら、課長が急に怒りだして、「そんないい加減なことを言うと名誉棄損で訴えられるぞ」と言ったそうです。彼女を支援していたはずの課長が、客が医者だと聞いただけで、彼女の言ったことを信じないんです。
 それでもその医師が警察に参考人として証言しました。ところが、警察から書類を受けた検事は、訴えた女性の小さい罪を引き合いに出して、やりがいのないケースだと判断して、保護施設の課長に訴えを取り下げるように指示し、課長もそれに従ってしまいました。
 それを聞いたときに、私は議員になる決心をしました。多くの女性を搾取している業者、法律を犯している業者の重罪をみようともしない男性たち、社会の意識が、伝統的に女性差別になっている社会の中では、どんなに一生懸命に婦人相談をやっていても、どんなに支援をして、女性たちを社会に送り出しても、結局はこんな結果になるんだ。そう思って、次の選挙には自から「私が出ます」と言いました。
 「女の幸せはみんなの幸せ」というスローガンで、女性の人権を中心に置いて、どこの政党にも属さないで選挙運動をしました。選挙に関することを女性たちで一から勉強しました。カンパや、手作り石けん、野菜の売上げとかで資金を集めて、事務局長、看板書き、受付等々、すべて女性でやりました。
 これまでの選挙では、女が燃えたら勝つとか言われて、男たちに煽られてきたけれど、実際は女は手足でしかなかったということを、選挙運動の中で実感しました。選挙に関する法律なんて見たこともなかったです。政策を作る場所にもいなかった。スケジュールがいろいろある、規則がある、そういうものを私たちは本当に知らなかったのです。


沖縄県庁前の集会(4月12日)前列右から照屋寛徳衆院議員、
稲嶺進・名護市長、伊波洋一・元宜野湾市長と高里さん
―翁長雄志県知事は辺野古新基地建設について明確に反対していますが、2013年1月にオスプレイ強行配備に反対する行動を日比谷野外音楽堂で開催しました。その頃から潮目が変わってきたような状況がありますね。
 その行動には私も参加していました。翁長さんがご自分の信条を語っていますが、教科書問題、基地問題、そして、いまの沖縄の状況について、やはりいろいろ思うところがあったんだと思います。一歩二歩と自ら踏み出してきているのを感じます。
 裁判で負けてもできることはたくさんあると知事は言っています。今回の島ぐるみ会議の訪米では米国最大の労働組合が辺野古支援を決議してくれました。日本政府と官僚が辺野古ありきという考えを変えなくても、沖縄県民全部を敵にしてまで辺野古に基地を造りたくはないんだと、アメリカ政府が考えるようになれば、また潮目が変わると思います。

―高里さんから本土の人に対して要望はありますか。
 今はでっちあげの情報による右翼の攻撃がひどくて、それが徐々に浸透しているのを感じます。辺野古の抗議行動には地元の人はいないとか、日当をもらって集まっているとか。あるコメンテーターが、運動を生業としている「プロ市民」という言葉をしきりに使っているのも聞きました。過酷な沖縄戦を体験した者、戦場を生き延びてきた方々の思いが基地反対の根底にあるのです。実際は辺野古に通うために、ガソリン代を節約しているとか、ガスを止めたという人までいます。
 沖縄タイムスが「間違いだらけの基地問題」というシリーズを掲載していますが、本土のみなさんには、日本全体の平和と安全のためと称して、沖縄への米軍基地の重圧が続いていることをぜひわかっていただきたいです。

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沖縄の闘いは、私たちの今の闘い-植民地沖縄の解消へ!
フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本泰成

沖縄の歴史(翁長知事の陳述書から)
 「沖縄には約500年に及ぶ琉球王国の時代がありました。その歴史の中で、万国津梁の精神、つまり、アジアの架け橋に、あるいは日本と中国、それから東南アジアの貿易の中心になるのだという精神をもって、何百年もやってまいりました」。
 翁長雄志沖縄県知事は、辺野古代執行訴訟の陳述書の中で、沖縄の歴史をひも解き、そう話しました。「1854年には独立国として琉球とアメリカ合衆国との間で琉米修好条約を結んでおります」として、明治新政府による「琉球処分」以前の独立国としての沖縄を語り、ウチナーグチの禁止や皇民化教育に触れながら、しかし、戦後は一方的に米軍の施政下に差し出され苦難の道を歩まされたこと、米軍との厳しい自治権獲得闘争を進める中で、ベトナム戦争時には嘉手納基地から爆撃のためにB29が飛び立っていく中で、「日本は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌していたのです」とその歴史を結んでいます。

「琉球処分」という植民地施策
 それぞれの方法論に若干の違いはあるにしろ、近代化を進める明治政府は、日清戦争後の1895年に台湾を併合し、日露戦争後の1910年に韓国を併合し、植民地支配を展開しました。土地調査事業と称する農地の収奪、創氏改名、日本語や日本式神社参拝の強制など文化の剥奪も進みました。
 北海道で先住民アイヌ民族が土地を収奪され歴史の底に押し込められたように、沖縄では、翁長知事が指摘しているとおり、1879年の武力的威圧を背景にした「琉球処分」によって琉球王国を滅亡させた後、日本本土への同化政策が進みます。方言札に象徴される標準語励行運動や、本土並みの御真影遥拝、教育勅語重視、沖縄独特の姓を変更する改姓運動、沖縄八社波上宮の官幣小社への併合など皇国史観に沿った神道の普及などです。
 そのような植民地政策とも言える方途は、沖縄県民の意識を皇民化への強い欲求と変えながら、本土においては沖縄への強い差別意識を醸成していきました。朝鮮半島への植民地支配と同様の状況が日本国内でつくり出されていった、そのことを、しっかりと捉えずには、今の沖縄を語ることは許されないと思います。


オスプレイ配備反対集会で訴える翁長さん(当時は那覇市長)
(2013年1月27日、日比谷野外音楽堂)
100年変わらない差別(「人類館事件」から)
 沖縄からメッセージを伝え続けてきたフォークシンガーの佐渡山豊の歌に「人類館事件の歌」があります。
 「その場外余興のパピリオンの一角に/みすぼらしい茅葺の見世物小屋があって/ふとみればサーカスの調教師のような男が/「コイツらは琉球の貴婦人ナリ」などと/鞭でさしてえばっているんだ/そう数百万人がその小屋で見たもの/モノでなく動物でなく写真でなく人形でもなかった/その陳列された出し物に民衆は誰もが目を疑った/なんとそこには生身のニンゲンが展示されていたんだ/マレー人がいて・朝鮮人がいて・アイヌがいて/台湾人・インド人・そしてザンジバル人がいた/ジャワ人・トルコ人・アフリカ人/それから沖縄人が展示されたんだ/誰がつけたか/そのパピリオンの名は『人類館』」。
 琉球処分から24年後の1903年、大阪市で開催された第5回内国勧業博覧会。日本で最初に開催された万博とも言えるこの博覧会で、「学術人類館」という民間パビリオンにおいて、異人種とされた人々が生身で「展示」された事件を歌っています。植民地や発展途上にある民族に対する差別意識の象徴のような事件ですが、しかし、佐渡山豊の歌はこう続きます。
 「それを見た1人の沖縄人が新聞に投書した/「わが琉球民族は大和民族と同じなんだから/アイヌや朝鮮人なんぞとは一緒にするな」/と言い出したのだ/これには誰もが呆れ返ったはずだ/差別された者が同じ差別を受けるものを見下したのだ/差別する側につくことでぬけぬけと生き延びようとしたんだ/そこまで言わしめ駆り立てたものは一体何だったんだろうか」。
 ここには、殖産興業・富国強兵の日本近代の黎明期にあって、琉球民族から日本国民へと強制的に組み入れられ、強まっていく皇民化教育の中で歪められていく沖縄県民の屈折した思いが見て取れるのではないでしょうか。佐渡山豊は「そこまで言わしめ駆り立てたものは一体何だったんだろうか」と、沖縄県民の置かれていた状況に目を向けながら、最後に、「だが今日も何処かで同じようなことが起きていないとも言い切れないし/歴史は繰り返されるものだといわれるでしょう」と結び、まさに、100年後の沖縄の差別的状況を問題視しています。

意識されない沖縄における現在の明白な支配
 復帰40年を迎えた時の世論調査(2012年、朝日新聞社など)では、在日米軍基地の74%が沖縄に集中していることについて、「不平等」と考える者が全国では3割強にとどまりますが、沖縄県民では倍を超える約7割となっています。沖縄県民の半数がそれを差別と考えていますが、全国では3割弱にとどまっています。このことは、国民の差別意識ということのみに集約されるわけではなく、沖縄の米軍基地問題に対する「日本の軍事的抑止力として重要であり、基地の存在が基地交付金とともに沖縄経済を支えている」とする強圧的な日米両政府の姿勢と、沖縄の課題は沖縄のものとしか見ていないのではないかと思うほどの、全国紙の無関心がつくり出していることは明らかです。
 植民地支配というものが、搾取と暴虐の中で、支配する国の国民でありながら、理不尽にもその責務のみを問われるものであるとすれば、朝鮮民族と同様に琉球民族としての沖縄県民は、植民地支配の中にあったと言うべきであり、県民世論と米軍基地の乖離を見るならば、まさに今も植民地支配の中にあると考えるべきです。
 普天間基地が実は戦後すぐに米海兵隊の基地として成立したわけではなく、岐阜県や静岡県にあった海兵隊基地への周辺住民の抗議によって、米軍政下に組み入れられた沖縄に普天間飛行場を代替施設として移駐された事実は、そのことを象徴しています。

先住民族としての沖縄
 2008年以来、国連の人種差別撤廃委員会は、「琉球・沖縄の人々を先住民族として承認しない立場を遺憾に思う」「沖縄における軍事基地の不均衡な集中は、現代的形式の差別」などとして、たびたび沖縄の住民を「先住民族」と承認しその権利を確立するように日本政府に求めてきました。4月27日の衆院内閣委員会でこの問題をを取り上げた自民党の宮崎政久衆議院議員は、「誰も、沖縄県民が先住民族だと思っていない。民族分断工作と言ってもよい」と発言し、日本政府に放置しないよう対応を求めました。これに対して日本政府は「事実上の撤回を働きかける」との立場を表明しています。
 国連勧告は、「先住民族」として抑圧されてきた者の人権を保障し、その伝統的文化などに起因する様々な権利と財産を保障することにあります。独特で華麗な琉球の文化を、民族のアイデンティティーとして継承させる基盤をつくり、琉球王国であったが故に侵害されてきた県民の権利を復権することは重要であり、かつ沖縄の発展にとって揺るがすことのできない施策であると考えます。


名護市内を行進する東コースの平和行進参加者
(5月13日)
基地経済の虚実
 「米軍基地の存在は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因になっています」。翁長県知事は、前述の陳述書のなかで、数字を上げながらこのように断言しています。米軍基地関連収入は、本土復帰前の30%、復帰直後の15%から、今や約5%に過ぎないのが実態です。そして、沖縄の県民所得が全国最低であり、子どもの貧困率が全国平均を20ポイント以上も引き離して37%強と極めて高い数字になっていることが、翁長知事の主張を裏付けています。翁長知事は、特に強調される「沖縄振興費」が、実は他県と比べて突出しているわけではなく、米軍政下から復帰するまでは地方交付金も一切受け取ってこなかった事実も明らかにしています。
 戦前、鉄道が走っていた沖縄は、沖縄戦によって全てが灰燼に帰しました。その後、米軍政下に置かれた沖縄県では結局、鉄道の復活はありませんでした。軍政下において、またアジア・太平洋戦争の終結後も「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」とアジア地域での戦争が続いていく中において、基地機能の強化が図られ、鉄道に象徴されるように社会資本の復活は後回しにされてきたのです。
 基地及び基地中心の社会のあり方が、経済発展を阻害し、日本の高度経済成長から置いてきぼりにされ、中国や韓国のめざましい発展の中で、アジア貿易の中心になるとする琉球王国の時代からの精神は生かされませんでした。植民地支配というものがその地域の発展を阻害するものであることを真実とするならば、まさに沖縄は、米国と日本の植民地支配によって獲得すべき、いや獲得したであろう経済発展の多くを失ってきたのです。

関心を寄せて、ともに闘い抜こう
 このように考えていくならば、沖縄は政治・経済・文化の全てのフィールドにおいて、素晴らしい発展の可能性を秘めていることが分かります。翁長知事が主張する「沖縄のアイデンティティー」が、必ずやそのことを明らかにしていくものと思います。
 オール沖縄の闘いが、辺野古新基地建設阻止の闘いが、その根幹をなすことは疑いがありません。そして、そのことが私たちの運動が求めてきた「日本国憲法の理念を実現する」ことにつながっていくに違いありません。
 私たちは、沖縄に無関心でいてはなりません。沖縄の運動に、思いに、どうつながっていくか、そのことを問うことなく平和運動は存在しないといっていいでしょう。無関心は、日米両政府、米軍による沖縄の植民地支配に手を貸すことであるといっても過言ではありません。日本国憲法が、戦前の侵略戦争と植民地支配の反省に立って存在するならば、沖縄の闘いは、まさに日本国憲法の理念を生かし、守り抜くことに違いありません。
(ふじもとやすなり)

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TPP協定の承認先送りへ
安倍政権に打撃 焦点は秋の臨時国会

 後半国会の最大の焦点と言われてきた環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と関連する11の一括法案について、政府・与党は通常国会での承認・成立を見送り、参議院議員選挙後の臨時国会に先送りされることが4月下旬に決まりました。国会会期を1ヵ月以上も残していましたが、政府は、熊本地震への対応などで十分な審議時間が取れないことを理由にあげています。しかし、現実的には、とても審議に耐えうるような体制ではないことが露呈したことにあります。
 安倍政権はオバマ米政権と組んで、TPPを強引に合意に導き、政権浮揚の糧にしようとしてきましたが、その目論見は大きく狂いました。今夏には参議院議員選挙が行われることから、選挙での大きな争点として、TPPの問題を追及していくことが重要になっています。

かたくなな「守秘義務」、お粗末な答弁
 「政府は、黒塗りの資料を出した後に、白旗を上げた」(福島伸享・民進党衆議院議員)と揶揄されるように、国会ではお粗末な審議が最初から続きました。まず、交渉の全容を知る甘利明前TPP担当大臣が1月に金銭スキャンダルで辞任し、その後も「病気」を理由に国会に来ないままとなっています。後任の石原伸晃大臣は「守秘義務契約」を盾に、交渉過程の情報公開をかたくなに拒んできました。その象徴が、「のり弁当」と称される、日米協議に関する報告文書が表題以外は全て黒塗りされた答弁書です。会議の時間や会場さえも明らかにされていません。日本がこれまで結んだ自由貿易協定(FTA)や世界貿易機関(WTO)の交渉でも、これほど内容が明らかにされないことはなく、TPPの異常さが際立っています。
 一方、衆院TPP特別委員会の西川公也委員長が書いたとされる「TPPの真実-壮大な交渉をまとめあげた男たち」という本には、交渉の内幕が描かれています。「守秘義務」があるとして国会でも明らかにされない内容が書かれているという矛盾は追及されるべきであり、そうした人物は特別委員会の委員長としてふさわしくないことは明らかです。臨時国会で審議を行う場合は、新たな委員長を選出してゼロから始めるべきです。

ノーベル経済学賞受賞者も批判、マスコミは報道せず
 3月に、安倍晋三首相の招きで来日した、ノーベル経済学賞受賞者で米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、首相官邸で安倍首相に「消費税引き上げをしないよう」と提言したことは大きく報道されました。同教授はTPPについては「悪い貿易協定だ。国際企業の最悪な利己性が強調される。日本が入れば、劣った二流の協定に縛られることになる」と、反対の意見を述べました。さらに、「米国にとってTPPの効果はほぼゼロと推計される」「あらゆる人々の犠牲のもとに、米国の一部の最富裕層と、世界各国のエリート層が恩恵を得るという状況が築き上げられてしまう」などとし、「米国議会で批准されることはないだろう」とも断言しています。
 しかし、TPPに関する部分は多くのマスコミでは報道されませんでした。スティグリッツ教授が主要に安倍首相に訴えたかったことは、消費税問題よりTPPにあったと言われていますが、それを大手マスコミがそろって報道しないというのは異常なことです。


政府が国会に提出した
TPP交渉に関する「黒塗り文書」
アメリカなどは批准の見通しが立たない
 日本でのTPP審議は秋以降となりましたが、他国では協定の承認や、関税法など関連する国内法の審議状況はどうなっているのでしょうか。民進党の篠原孝衆議院議員の調査によると、TPP交渉参加の12ヵ国中、これまでに協定を承認したのはマレーシアのみです。アメリカやカナダ、チリ、メキシコ、ペルーなどの多くの国では、まだ国会への提出の見通しさえ立っていません。国内法に至っては、日本以外の国はまだどこも国会に提出していません。日本の拙速さが際立っています。(5月10日現在)
 特にアメリカは、11月に大統領選挙を控えており、今夏までの承認の可能性はほぼなくなっています。次に想定されるのは、大統領選後から次期政権に移るまでの「レームダック・セッション(死に体会期)」と呼ばれる期間です。通常、この期間は重要事案を議会で取り扱うことはないとされていますが、次期大統領候補が軒並みTPPに反対であることから、「この時期に承認しなければ、TPPは再交渉となって、長期化する」との懸念から、審議が進められる可能性があります。
 こうしたことから、日米ともに、今秋がTPP審議の最大のヤマ場になろうとしています。参議院議員選挙で大きな争点にし、野党の勝利を勝ち取り、TPPを批准させないことが重要になっています。
(市村忠文)

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オバマ大統領広島訪問と日本の核政策再考

 米国オバマ大統領の広島訪問を機会に、これまで取り上げてきた日本の核政策・核燃料政策を巡る状況をまとめました。国際原子力機関(IAEA)の数え方で核兵器6000発分に相当する48トンものプルトニウムを保有しながら、年間8トンの分離能力を持つ六ヶ所再処理工場でさらにプルトニウムを取り出そうする日本の政策とオバマ大統領の政策の対立が浮かび上がってきます。

プラハ演説─核兵器の役割縮小と核物質の管理・最小化
2009年4月プラハでのオバマ大統領演説
 「国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求める」とともに、「管理が不十分な核物質が世界各地に存在すること」の問題を指摘し、「世界中の脆弱(ぜいじゃく)な核物質を4年以内に」十分な保安体制の下に置く必要を唱え、「核セキュリティー(保安)に関する国際サミットを今後1年以内に開催」すると宣言(2010年から1年おきにワシントンDC、ソウル、ハーグで開かれてきた同サミットの最終会が3月31日~4月1日にワシントンDCで開催)。
2012年3月第2回サミットで訪れた韓国での演説
 「分離済みプルトニウムのような我々がテロリストの手に渡らぬようにしようと試みているまさにその物質を大量に増やし続けることは、絶対にしてはならない」。
2014年3月ハーグでのサミットにおける日米共同声明
 「2009年4月5日にチェコ共和国プラハのフラチャニ広場で行われたオバマ大統領の演説を想起し」「共通の目標である核テロの阻止に向けて・・・核セキュリティを強化し更なる協力を進めるとの決意を再確認」し、東海村の高速炉臨界実験装置(FCA)にある331キログラムのプルトニウムを米国に送る計画を発表。両国は「高濃縮ウラン(HEU)とプルトニウムの最小化のために何ができるかを各国に検討するよう奨励」。
2016年4月1日ワシントンDCでのサミットにおける日米共同声明
 FCAから全てのHEUびプルトニウム燃料の撤去を完了したことを表明し再度「分離プルトニウムの保有量を最小化する我々の互いの目標」に沿うものであり、「権限のない者や犯罪者,テロリストらによるそのような物質の入手を防ぐことに貢献する」と表明

カントリーマン発言─再処理には経済性も合理性もない
3月17日上院外交委員会公聴会でトーマス・カントリーマン米国務次官補(国際安全保障・不拡散担当)証言
 使用済み燃料再処理計画は、経済性も合理性もなく、核拡散防止の観点から「すべての国がプルトニウム再処理の事業から撤退してくれれば、非常に嬉しい」。(米韓原子力協力協定の交渉過程で韓国が日本と同じ再処理の権利を与えよと主張し、また、中国が民生用再処理の導入を検討していることについて)「東アジアの主要国の間には競争があって、それは私の考えでは非合理的レベルにまで至っている」「本質的な経済性という問題があり、米国とアジアのパートナー諸国が問題になっている経済面および核不拡散面の問題について共通の理解を持つことが重要だ──日本との原子力協力協定の更新について決定をする前に」。
4月21日「戦略・国際問題センター(CSIS)での発言
(その後のオンライン記者会見(3月28日)で日本の核燃料政策を「承認するとか反対するとかというのは米国の役割ではない」と述べたこととの関係について)二つは「完全に矛盾のないものだ」。「私がさらに言ったことは日本だけでなく、米国の他のパートナーにも当てはまる。すなわち、プルトニウム分離に携わろうとする国は、米国とだけでなく、その国の人々とも、そのような選択に関連する経済性、核不拡散、国の安全保障などの問題について完全かつ透明な話し合いをしなければならない、ということだ」。(以下は日本政府の反応)
3月18日菅義偉官房長官
米国政府から日本政府に懸念を伝えられたことは「全くない」
3月24日岸田文雄外務大臣
衆議院本会議でカントリーマン国務次官補の「発言については、一般論として民生用再処理に関する米国政府の従来の見解を述べたものと認識」。
5月11日
電力市場の自由化で原発保有電力会社が倒産しても使用済み燃料の再処理ができるよう発生段階で再処理費用を再処理主体に払いこませておくための認可法人「使用済燃料再処理機構」新設法案が成立。
5月15日
原子力規制委員会が運転主体の見直しを勧告した高速増殖原型炉「もんじゅ」について「政府、もんじゅ存続を表明へ」との報道。

参考:2015年7月の広島・長崎訪問要請
2015年7月10日
 米国の「憂慮する科学者同盟(UCS)」ほか著名な団体代表および個人(計12名)がオバマ大統領に対し、広島・長崎原爆記念日に両地を訪れるよう呼びかける。「米国の核兵器の唯一の役割(目的)は米国及びその同盟国に対する核攻撃の抑止にあると宣言すること」、「1000~1100発のレベルに米国の配備戦略核の数を独自に削減すること」などの発表を要請。
7月13日
 原水禁と原子力資料情報室は、UCSの要請を支持するとの書簡を大統領に送付し。日本の団体として、唯一の役割(目的)政策等に反対しないように日本政府に要請すると約束すると共に、大統領に対して、「プルトニウム及び高濃縮ウランをこれ以上蓄積しないように世界各国に呼びかけること」などを要請。(生物・化学兵器及び通常兵器による攻撃を抑止するために、これらによる攻撃に対して米国が核兵器で報復する可能性を示すことによって威嚇して欲しいというのが1982年以来、日本政府が表明してきた立場。核兵器の唯一の役割は核攻撃を抑止することだとの政策を米国がとると、日本の安全保障に不安を感じた日本が核武装するのではないかとの懸念が米国側にある)
(田窪雅文:「核情報」主宰)

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市民検討委員会が独自に提言書を発表
「もんじゅ」は廃炉にすべきである
原子力資料情報室 松久保 肇

「存続」前提の政府の検討会に対抗
 原子力規制委員会(規制委)は2015年11月、文科省に対して、高速増殖原型炉「もんじゅ」を所有する日本原子力研究開発機構(JAEA)が「もんじゅ」の出力運転を安全に行なう資質がないとして以下の勧告を行ない、半年を目処に回答するよう求めた。
 (1)JAEAに代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること、(2)それが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと。
 文科省はこれをうけて、12月に「『もんじゅ』の在り方に関する検討会」(座長:有馬朗人・元文相)を設置したが、検討会での議論は「もんじゅ存続ありき」の議論となっていた。
 そこで、2016年1月、原水爆禁止日本国民会議と原子力発電に反対する福井県民会議の委託を受けて、「『もんじゅ』に関する市民検討委員会」(委員長:伴英幸・原子力資料情報室共同代表、特別委員:小林圭二・元京都大学原子炉実験所講師、委員:福武公子・原発被害救済千葉県弁護団長、旧もんじゅ訴訟弁護団事務局長、田窪雅文・ウェブサイト「核情報」主宰、筒井哲郎・プラント技術者の会、原子力市民委員会委員、西尾漠・原子力資料情報室共同代表)が組織された。委員会は2月以降、討議を重ね、5月9日に提言および提言を支える8つの各論からなる提言書を発表した。ここでは、提言の概要を報告する。(提言書の全文はhttp://www.cnic.jp/6982


「もんじゅ」視察後に記者会見をする市民検討委メンバー
(3月30日・敦賀市)
研究炉にしても危険性は変わらない
 委員会がおこなった提言は、(1)「もんじゅ」の新たな主体はありえない。ありえない主体探しに無駄な時間をかけるべきではない、(2)「もんじゅ」は廃炉にすべきの2点である。提言(1)では、規制委の勧告でも指摘されているように、繰り返されてきたJAEAの安全軽視を振り返り、「安全を優先しない、できない」組織体質を確認。その上で、文科省の検討会が「もんじゅ」の存続ありきで検討されていること、新しい運営主体探しについても問題が多いことを指摘した。
 そして、検討会の議論に先立って、JAEA以外にもんじゅを運転できる主体はないとする「もんじゅ」存続・推進論者の発言を引き、JAEAに代われる主体がありえないことを指摘。さらに、JAEAの「もんじゅ」の運転部門と研究開発部門を分離する案についても、看板の掛け替えに過ぎず、分離された新主体は規制委の審査を合格できないとした。つまり、「もんじゅ」の新主体はありえないのである。
 提言(2)について、「もんじゅ」の高速炉という特性と、水や空気にふれると激しく反応する液体ナトリウムを冷却材として使う特性から生まれる、本来的に持つ危険性と、長期停止が続いた結果、材料や機器が劣化し、また設計にたずさわった人員の多くがリタイアした結果、事故時に適切な対応がとれないという問題を確認している。こうした危険性は「もんじゅ」から発電能力を切り離し、研究炉にしたところで変わることはない。
 当初「もんじゅ」は新しい燃料を生み出しながら発電する「夢の原子炉」=「高速増殖炉」であると喧伝されてきたが、その夢が遠のく中で、放射性廃棄物の量や有害度を減らす「ごみ焼却炉」=「高速炉」という、技術的・経済的に実現の見込みのない新たな役割を付されようとしている点についても釘を刺している。

国際的な理解を得られない再処理
 加えて、日本が47.8トン保有するプルトニウムの問題についても指摘した。プルトニウムは核兵器利用可能物質であり、大量保有は国際社会に核不拡散・核セキュリティ上の懸念を増大させている。これまで日本は、高速増殖炉の燃料だとしてプルトニウムを使用済み燃料から取り出す再処理をおこなってきた。しかし、高速増殖炉の実現可能性がなくなると、今度は放射性廃棄物の減容化・有害度低減のために、再処理が必要といわれ、いずれにしてもプルトニウム保有量を増やす方向に進もうとしている。しかしこのような政策は国際的な理解を得ることはできない。さらに、「もんじゅ」はこれまでも会計検査院や事業仕分けなどで、そのあり方を厳しく問われてきたことを確認し、廃炉にするよりほかに選択肢がないと結論づけた。
 5月20日、文科省の検討会は報告書案を発表したが、懸念した通り小手先の見直しにすぎない内容だった。市民検討委員会では提言発表後、文科省や規制委をはじめとした関係省庁に提言書を送り、5月末までの回答を要求した。加えて検討会の報告書が確定した後に、政府に対して意見交換の場を設定するよう要求する予定だ。
(まつくぼはじめ)

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「新もんじゅ訴訟」に全国からの支援を 12月に提訴 廃炉への重要な手段
原子力発電に反対する福井県民会議 事務局長 宮下 正一

原子力規制委の勧告が訴訟の出発点
 高速増殖炉もんじゅは、1970年4月に福井県敦賀市白木地区を建設予定地として選定し、同年に敦賀市と福井県の内諾を得て地質などの調査が開始されました。その後、83年5月27日に中曽根康弘総理大臣(当時)によって、「もんじゅ」の設置許可処分が下されました。85年から本体工事が着手され、94年4月5日、午前10時1分に臨界に達しました。しかし、そのわずか8ヵ月後の12月8日にナトリウム漏えい事故が発生したのです。
 それまでも福井県民は、20万人を超える署名や、9300人が結集した第2次公開ヒヤリング阻止闘争など、歴史に残る反対運動を続けて、高速増殖炉「もんじゅ」の危険性を訴え続けてきた結果、起こった事故ですから怒り心頭に達したのです。
 「もんじゅ訴訟」は、83年9月25日に44人の原告団により始まりました。2003年1月27日には、名古屋高等裁判所金沢支部が、もんじゅの設置許可処分が無効である判決を下しました。もんじゅの建設に反対する住民ならびに全国の仲間は、大いに喜びました。しかし、05年5月30日に最高裁判所が、設置許可は違法ではないとの逆転判決を下しました。
 今回の訴訟は、原発の反対運動を強く進めている河合弘之弁護士や海渡雄一弁護士などが積極的に働きかけ、もんじゅの地元にある「原子力発電に反対する福井県民会議」が一緒に闘うことを決めたものです。85年のナトリウム漏えい事故以来、数々の問題が発生し、止まっているもんじゅの維持管理も出来ない原子力研究開発機構に、原子力規制委員会もたまらず出した「勧告」(2015年11月、詳細は8ページ参照)がこの訴訟の出発点です。


「もんじゅ」抗議集会(2008年12月12日・敦賀市)
わずか1週間で105名が原告に
 2015年11月20日に福井県民会議に相談が持ちかけられたことにより、県民会議の常任幹事会での協議の結果、一緒に訴訟を闘うことを決めました。12月13日、敦賀市内において河合弁護士と甫守一樹弁護士が参加する中、原告募集の説明会を開催しました。もんじゅより250キロの範囲を対象に原告の呼びかけをしたところ、僅か1週間ほどで105名の方が、この呼びかけに応じて下さいました。
 12月8日には、福井と東京において記者会見を行い、「新もんじゅ訴訟」を行うことを発表しました。そして、12月25日、大変風が強く寒い中、東京地方裁判所の正門前に集まった原告と弁護人などが入廷前に集会を行い、もんじゅの廃炉を強く訴えるとともに、この訴訟の勝利を誓い合いました。
 私は東京地方裁判所に入るのは初めてでした。原告団席は、法廷の弁護人がいる場所の横や後ろにあり、そこに座りましたが、落ち着かず、そわそわして過ごしました。3人の裁判官が入廷する時は、全員起立して迎えます。意見陳述は、2人の原告と海渡弁護士の3人が行いました。いずれの方ももんじゅの内容をよく把握され、裁判長に訴えるような口調で話されたことは、忘れることが出来ません。
 ただし、裁判はテレビや映画のように華々しく行われるものでなく、全く事務的に進められることにその期待を裏切られた感がします。今回の担当する裁判長は、人の良さそうな方で、河合弁護士や海渡弁護士の言うことに丁寧に答えてくれていると感じたのは、私だけではなかったと思います。

予断を許さない裁判の行方
 今回の口頭陳述で争点になったのは次の点です。
(1)被告側から出された250キロまでの範囲の原告について、および提訴理由などについて。
(2)第2回陳述以降の日程について。
(3)原子力研究開発機構が、この裁判に参加したいと申し出てきたこと。
 (1)については、河合弁護士により、本論と同時に審議すべきとの申し立てを裁判長が聞き入れてくれました。私たちが危惧していた入り口論による「門前払い」は退けられました。
 (2)については、弁護人より5月の開催を申し入れましたが、被告側は準備が出来ないと6月末の開催を強く主張。かなりの時間を使ってそのやり取りが行われましたが、裁判長が5月30日に第2回を行い、第3回を6月29日とすることを決定しました。
 (3)については、弁護団側から参加させないように申し入れましたが、裁判所の判断で参加が許可されてしまいました。これらの事により、第3回目以降の口頭陳述は、予断を許さない状況になっています。
 文科省により設置された「『もんじゅ』の在り方に関する検討会」は、予想した通りあいまいな報告しか出せないものとなりそうなことから、この裁判がもんじゅの行方を決める大きな手段となります。全国の皆さんのご協力を得ながら、もんじゅを廃炉に追い込むためにこれからもがんばります。
(みやしたまさいち)

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《投稿コーナー》 のりこえねっと、ただいま爆走中。
「のりこえねっと」 共同代表 辛 淑玉


ヘイトデモに抗議する辛さん
すさまじい差別、在日への暴力
 4月17日、岡山で行われたヘイトデモに抗議した在日の女性が暴行を受けた。レイシストはその女性を狙っていたのだ。在特会(在日特権を許さない市民の会)の桜井誠はツイッターで「拉致被害者を取り戻せと訴えるデモにヘイトだ、差別だと因縁をつけて来る」とコメントしたが、そこで行われていたのは差別扇動であり、在日への暴力だった。
 4月14日から始まった熊本・大分連鎖大地震は、震度7というすさまじい揺れと破壊をもたらし、この原稿を書いている今も揺れが収まらない。この未曾有の大災害の中で流されたのが、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」というデマだ。これが凄まじい勢いで拡散された。この言葉は、関東大震災(1923年)で虐殺者たちが味わった快楽の記憶を呼び起こしている。彼らは、まだ殺し足りないのだろう。そして、当時も今も、朝鮮人には何をしても大した問題にはならないと学習している。
 彼らは、在日を装ったなりすましアカウントを作っては、「震災おめでとうございます」「日本人全員死ね」「被災者どもをミンチにしてくれ」といったツイートを連発した。そして、今度はそれに呼応するかのように「関東大震災では不逞鮮人が放火、婦女暴行しまくっていた!!」と当時のデマ記事を掲載したり、「熊本の方々へ。皆様のご無事をお祈り申し上げます。地勢的にも近いので、韓国人火事場泥棒団が大挙して熊本に向かっている可能性があります。余震も続いている中、精神的にも体力的にも厳しい状況ですが、韓国人窃盗団、強姦団の二次被害にお気を付けください」「熊本地震の被災地で在日韓国人が略奪を計画してるぞ!」「粛々と拡散しよう、朝鮮人の屑っぷりを」「日本も自警団を結成して不逞移民をたたき出す活動をしているブルガリアを見習って、日本に巣食う敵国人を叩き出そう!ブルガリアを見習おう!ブルガリア万歳!」「韓国人を見たら泥棒と思え」などと、自作自演のツイート合戦を行っている。
 今回の被災地は余剰労働力がない地域で、ここにいる外国籍住民、とりわけ旧植民地出身者は、地域に定着している者ばかりだ。大災害に遭遇した上に流言飛語が飛び交う。まるで悪夢だ。殺人予告も後を絶たない。「俺は日本人を殺してでも朝鮮人を一掃したい。つまり朝鮮人を擁護する者は殺す」といった発言が山のように流れてくる。咎められると、ネタを本気にする方がおかしいと、批判する者をあざ笑う。こうやって、みんなでチョーセンを弄くって楽しくストレスの発散をし、いざ悲劇が起きればさっさと逃げるのだ。
 そうやって、過去も、現在も、卑怯を生き続けている。在日の知人の多くは沈黙を強いられ、じっと耐えていればやがてこの嵐は過ぎ去って普通の生活に戻れると思い込もうとしている。パニック障害などの心の病を発症する者もいれば、過剰適応のあげく、ヘイトデモに自ら参加してしまう者もいる。

反ヘイトの活動に支持が拡がる
 「のりこえねっと」は、2013年9月に設立を宣言し、14年から反ヘイトの活動を開始した国際ネットワークだ。現場でのカウンター、弁護団などを次々と立ち上げ、のりこえねっとテレビの放送は毎回3000、多いときは2万、3万という人が見てくれている。支持者は確実に増えている。
 ヘイトデモの総数は、把握されているものだけでも千件以上。しかし、いまや大都市ではヘイト側を凌駕するカウンターが集まり、地方都市でも攻防が始まっている。
 ヘイトデモの特徴は、デモをしながら参加者が「笑っている」ことだ。差別は彼らの娯楽なのだ。それにも飽き足らない彼らは、公の場で差別扇動をしたいがために、地方自治体の選挙に出馬し始めた。彼らが落選はしても1千票以上を獲得している現実を見れば、私たちは差別者社会の中で生きていると言えるだろう。大衆が敵になる。人間性が崩壊するほどの恐怖がそこにはある。
 日本におけるヘイト集団と警察の癒着はすでに常態化していて、目の前でヘイトが暴力をふるっても警官は見て見ぬふり、それどころか抗議する市民の側が警官から押し倒されたり、首を締められたりしてきた。しかし、それももう終りだ。私たちは国家公安委員長を公の場で謝罪させた。つまり、ヘイトはめでたく「反日認定」されたのだ。今度は、政権の庇護下で差別を楽しんできた者たちが裁かれる番だ。「のりこえねっと」は、いまこれを読んでくれている人たちのバックアップを支えに、闘いの最前線を爆走している。どうか、その手を放さず、闘わせて欲しい。
(しんすご)

「のりこえねっと」公式サイトhttp://www.norikoenet.org/

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各地の1000人委員会の活動から
参院選で問われる野党共闘の真価
戦争への道を許さない!ながさき1001人委員会 坂本 浩


戦争法に反対する集会
(2015年7月5日 長崎市公会堂前広場)
 長崎県平和運動センターは、2014年4月末、長崎大学元学長で被爆者の土山秀夫さんや元長崎市長の本島等さん(故人)、原水禁国民会議の川野浩一議長などを呼びかけ人に「戦争への道を許さない!ながさき1001人委員会」の発足集会を長崎市と佐世保市で開き、評論家の佐高信さんが「安倍政権10の大罪」と題して講演しました。
 その後、集団的自衛権の行使を容認する動きに対して5月に5・3憲法記念日集会や街頭シール投票、6月には「集団的自衛権の行使容認にNO!戦争への道を許さない!ながさき集会」を開催。7月1日の閣議決定に際しては、前日と当日、約500人が参加して緊急集会を開きました。
 昨年は、「戦争させない全国署名」を組織内で広げる他、3月からは街頭行動も実施、戦争法案の閣議決定に際しては「1001人委員会」に加えて憲法改悪阻止長崎県共同センターと共催で抗議集会を開くとともに、衆議院の審議の山場となった7月には、同じ共催で4回にわたって街頭集会を開きました。また、全国一斉行動の8月30日には県内3ヵ所で集会を開催し、1,000人以上が参加しました。参議院での山場には、これまでの2団体に加えて、若者グループ「N-DOVE」も参加して、約800人が連日のように長崎市内の繁華街で集会を開いて強行採決に抗議の声をあげました。
 一方、弁護士を中心とした市民団体も発足し、青井美帆さん(憲法学者・2月)、伊藤真さん(弁護士・5月)などを講師に招いた講演会も開くなど、様々なグループが取り組みを展開。民主・社民・共産の地方議員有志による街頭行動も実施されましたが、県議会で全国初の「戦争法案の早期成立を求める意見書」が、自民・公明会派などの賛成で可決されてしまいました。
 しかし、「1001人委員会」を中心とした総がかり的な行動が2000万統一署名のスタート集会や、「ながさき市民連合」発足へとつながり、今夏の参院選長崎選挙区での野党共闘実現につながったといえます。5月20日には山口二郎さん(法大教授)やシールズのメンバー、長崎選挙区の予定候補・西岡秀子さんによるクロストークが開かれました。いよいよ参院選本番へむけて、野党共闘の真価が問われることになります。
(さかもとひろし)

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〔本の紹介〕
「沖縄自立の経済学」
屋嘉 宗彦著 七つ森書館 2016年刊

 帝国書院が作った高校教科書「新現代社会」に「政府が基地の存続とひきかえに、ばくだいな振興資金を沖縄県に支出している」「アメリカ軍がいることで、地元経済がうるおっている」などという記述がありました。こうした事実誤認部分は書き換えられたものの、修正内容にも問題が残り、「とうてい高校教科書とは認められない」(琉球新報社説)と、沖縄では教科書会社と文部科学省への批判が起こっています。
 こうした誤解や曲解が未だに続く現実を前に、沖縄では「独立」をも含む「経済的自立」が問われ続けています。沖縄出身で、法政大学の「沖縄文化研究所」の所長を務めた屋嘉宗彦さんは自著「沖縄自立の経済学」で、「沖縄の日本からの経済的自立は可能か」を検討しています。
 まず、経済活動に占める県・市町村の財政の比重が40%超で異常に高い(日本の平均は25%)うえに、その県の財政の7割以上は国からの財政移転に依存している「沖縄経済の実態」を分析。次に「重化学工業中心につくられてきた日本の産業構造」を説き起こし、その影響を受けながら、沖縄で復帰後に数次の振興開発計画が立てられたものの、大企業・重化学工業の誘致が失敗する中で、「住民と一体となって考え、実行する姿勢が欠けていた」と厳しい反省を迫っています。
 そうした中、沖縄では民間先行で「観光・レジャー産業」が経済を牽引してきました。昨年の観光客数は793万人で、復帰当初と比べると14倍以上。すでに77年からは軍用地料など軍関係の受取よりも観光・リゾート産業の収入が上回り、その後は急速に差を広げています。
 こうした実情を踏まえ、沖縄経済の方向として、第一に「自給をめざす」として、第一次産業や生活の基礎的な製造業の振興と「島産品愛用運動」を提唱。さらに、観光面では、自然や歴史文化を背景とした人間の交流に重きを置くなど、住民が意識的に努力しなければならないと提言しています。こうした議論があまり為されていないことから、本書の意義は大きいものがあります。ただ、過重な米軍基地の存在が沖縄経済の阻害要因となっている点にあまり触れられておらず、今後の論考が待たれます。
(市村忠文)

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核のキーワード図鑑


核が平和をもたらせた......!?

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原水禁がオバマ大統領の広島訪問にあたり要請
核廃絶への具体的行動を!

 オバマ大統領がサミット来日時、広島を訪問する。現職大統領の初めての被爆地訪問は、「核なき世界」を実現する意思を改めて表明するためとされている。被爆の実相を直視し、核兵器廃絶実現に向けて、具体的な行動を示す場とすべきである。
 被爆者に会い体験を聞き、被爆の実相を学び、核兵器の非人道性をアメリカ国民に伝えるべきである。国同士の関係だけで、被爆者に会わないことは許されない。
 2015年NPT再検討会議で合意文章が出なかったように、核廃絶への動きは停滞し、核についての平等性への疑念が強まっている。米ロの更なる核軍縮、核兵器近代化の中止、核弾頭の実戦配備の停止、集団安全保障における核兵器の役割の否定、「国連オープンエンド作業部会」に参加し核兵器廃絶条約について交渉を開始する等、具体的な行動が求められている。
 プルトニウムを増やさないために、再処理計画すべてを断念し、核燃料サイクルの確立を止めるという世界全体の合意を、日本を含めて例外なく確立すべきである。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器の廃棄と核開発プログラムの撤廃について、敵視政策をとるのではなく、平和的に米朝交渉や六か国協議による解決を図り、恒常的な東アジアの平和と安定を築くことが求められている。

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