2016年、ニュースペーパー

2016年08月01日

ニュースペーパー2016年8月



第19代高校生平和大使の結団式
 6月19日、広島市アステールプラザにおいて、第19代高校生平和大使の結団式が行われました(写真)。長崎にある高校生平和大使派遣委員会が中心となり、1998年より、被爆地の願いを世界に伝えるため、スイス・ジュネーブにある国連欧州本部に高校生平和大使を派遣しています。毎年応募者が増加する中、今年は15都道府県より22名が選出され、8月13日から20日まで欧州を訪問します。国連軍縮会議日本政府代表部への表敬訪問や、労働組合(UNI)本部、世界YWCAへの訪問交流、そして、国連軍縮局を訪問し、高校生一万人署名を提出して、核兵器廃絶のスピーチを行い、国連軍縮局長らと懇談をする予定です。今年も、外務省より「ユース非核特使」に委嘱されており、日本の若者を代表して、核兵器の廃絶と平和な世界の実現をうったえる姿は注目されています。

インタビュー・シリーズ: 114
一点共同を求め続けて
日本山妙法寺僧侶 武田 隆雄さんに聞く

たけだ たかお さん
 1952年、新潟県胎内市(当時は中条町)生まれ。72年に日本山妙法寺の僧侶となり「渡とせい世坊主にはならない」を座右の銘に今日に至る。宗教法人日本山妙法寺大だいさんが僧伽事務局員。日本山妙法寺東京渋谷道場主任。毎月発行の教団機関紙『天てんく鼓』の編集人。「平和をつくり出す宗教者ネット」「宗教者九条の和」事務局担当者。毎年3月1日のビキニデーに向けての東京~焼津、8月の原水禁世界大会に向けての東京~広島・長崎の平和行進に参加し、10月には沖縄の平和行進も毎年続けている。

―武田さんが平和運動に携わるきっかけはなんですか。
 もう40年以上も前のことになるのですが、成田空港反対闘争が非常にヒートアップしていた頃、私はまだ18歳だったのですが、空港反対で千葉県の現地に行きました。そうすると成田空港建設阻止行動のためにいろいろな人々が参加しているんです。その中にたまたま日本山妙法寺の方もいて、そこでご縁をいただいて、19歳で出家しました。仏教の教団で平和運動を行っているところは少ないものですから、そこで一緒にやっていければいいなという感じで、今日に至っております。

―日本山妙法寺についてご紹介ください。
 日本山妙法寺というのは、藤井日達山主(ふじいにちだつさんしゅ)が始めた仏教僧伽(さんが)注1で、墓地経営はしませんし、檀家も持たない、妻帯もしない教団です。戦後まもなく砂川闘争で、団扇太鼓を叩いて、社会党や労働組合の方がたと一緒に闘争をしました。このことで日本山妙法寺が世間に知られるきっかけになったんではないでしょうか。
 藤井山主をはじめ、日本山妙法寺のお坊さんが積極的に平和運動にかかわってきました。藤井山主のお考えというのは、「平和運動というのは統一してやらなければだめだ」という立場です。原水禁運動が分裂した後、平和行進も割れていたのですけれど、1977年にいわゆる再統一したんですね。私自身が平和行進に参加したのは1982年で、今日にいたるまで毎年、東京~広島間を通しで参加させてもらっています。当時、統一をめぐって、社会党・総評系、それから共産党系の原水協の人たちとも、何度かテーブルで話し合っていた、そういう時期です。その後、残念ながら再分裂ということになったわけで、日本山妙法寺独自で平和行進を歩こうということを決めました。どちらか一方というわけにもいかず、最終的には統一していけばよいという意欲はありましたが、今は独自で歩いたほうが良いだろうと考えました。ちょうどチェルノブイリ原発事故のあった1986年です。その時から今日まで東京~広島間を行進してきています。当時は3ヵ月くらいかけて歩いていたんですけれども、最近は戦争法があり、その前には新ガイドラインの問題で、国会前での運動というものがありまして、市民運動の人たちと一緒に座り込んだりする国会前の運動を重視するようになってきまして、ちょっと平和行進の期間は短くなっています。それでも市民との連携が広がっていますし、「平和をつくり出す宗教者ネット」や「宗教者九条の和」ができて、宗教者の活動も広がってきました。今日の総がかり行動も含めて、市民連合もできて選挙協力もできるという、ちょっと前であればとても考えられないことが、実現できていることは素晴らしいですね。

―戦前は意に沿わない宗教は弾圧などされてきましたが、日本山妙法寺はいかがだったのでしょう。
 私どもの師匠の藤井山主は、戦前・戦中は絶対天皇制で、主権は天皇にあったわけですから、天皇に対して諫める太鼓を打っていたのです。天皇が行くところで太鼓を叩いて、お題目を唱えて、天皇にお題目を唱えさせて立正安国の世をつくろうということを願っていたわけです。そうすると、藤井山主はじめ日本山妙法寺の一門は皆、警察によってたびたび検束されました。日蓮大聖人の国主諌暁(こくしゅかんぎょう)注2を実行いたしておりました。ただ基本的には、私たちは常に野にあって、いわゆる従軍僧にも加わっていなかった。中国大陸で布教もしていましたが、関東軍や現地の領事館に邪魔されていました。当時も、現在も常に民衆とともに歩んでいくというスタンスに変わりはありません。


航空自衛隊岐阜基地フェンス沿いを歩む日本山妙法寺の
平和行進(2016年7月2日・岐阜県各務原市)

―市民との連携が広がっているなか、武田さんがみなさんに発信していきたい点はどういうことですか。
 ともかく、一点共同を強めるということです。今、国会前の運動でこれだけの受け皿ができて、藤井山主がご存命ならたいへんお喜びになったと思います。ものすごく統一にこだわった方で、当時の原水禁運動にしても、原水禁と原水協との共同を呼びかけしていた方でしたからね。残念ながら、原水禁運動は統一ができにくい状況が続いていますが、今日は総がかり行動を含めて、とにかく一点共同で、国会前の運動が続いています。これだけ強まるとは想像だにしていなかったんで、いろいろあるでしょうけれども、とにかく一緒にがんばっていけるように、私たちも細心の注意を払いながら、参加させていただいている状況です。そして宗教者の役割は、この共同を確固たるものにしていくということです。
 それからもうひとつ、宗教者、キリスト教や仏教者も新宗教も、「平和をつくり出す宗教者ネット」や「宗教者九条の和」などございますけれども、とにかく教会とかお寺のなかで祈るだけではなく、祈りを形に示していくことが大切だと思います。私たちが積極的に街頭に立って、その平和の祈りを行動で示していくことが大事だと思います。
 こうした共同の動きに障害となるのが、原理主義ですね。例えばイスラム教原理主義、キリスト教原理主義、仏教原理主義というのがやはり存在するのです。「自分が一番正しい」というところで対立が出てきます。日本山妙法寺は日蓮宗の系列なんですけれども、この日蓮宗というのは、日蓮大聖人が鎌倉幕府に対して『立正安国論』を唱えて、諫めていくというところから始まっているのです。先にできていた真言宗とか念仏宗などは、みんな権力と結びついていました。それに対して、お釈迦様の教えをちゃんと伝えていき、権力とは距離感を持って動いていかなくてはいけないという立場であったわけです。ただ日蓮宗も、四箇格言(しかかくげん)というものがあるために、他の宗教と仲良くできないという足かせになってしまっているところがある。他宗派でも抱えている問題を、それを各宗教者がどう克服していけるか。そういうものを克服して、宗教者も一点共同していかないといけません。
 克服の姿勢を示した宗教者の一例としては、1962年に日本宗教者平和協議会という組織がつくられたことは意義があります。藤井山主や京都の清水寺の大西良慶(おおにしりょうけい)さん、浅草寺の清水谷恭順(しみずだにきょうじゅん)さんとか、そういった名だたる人が浅草寺に集まって平和のために宗教者は協力し合おうということで、宗教者のグループをこしらえたんです。ちょうどおなじ時期にカトリックでも、第2回バチカン公会議というのがローマで行われ、諸宗教者が世界平和のために共同していかなくてはならないという方針が決められました。これ以降、私たちの平和行進でも、世界各地を歩いていますけれども、カトリック教会でお宿をいただいたりすることが出来るようになったのです。
 宗教者の一点共同というのは、進みにくい部分もありますが、それを何とか日本山妙法寺も克服して、宗教者が共同して、例えば国会前においても、様々な集会でも、共同した姿が見せられるように努力していかなくてはと思っています。

―労働組合も、戦争法や憲法の課題、原発や辺野古の問題など、国民的課題にきちんと向き合っていくことが重要なことであると思っています。
 そういう働きかけができるということは素晴らしいことです。「分裂すれば支配される」という格言があるでしょう。いま本当にそういう時期だと思います。そうした中で、平和フォーラムはよくやっておられます。福島原発事故以降、過去のいきさつを超えて、全労連の方々と一緒になって脱原発の大きな集会を組織された、あのお姿は感動的ですよね。労働組合は、平和運動はかくあるべきという姿を表しているのではないでしょうか。
 参議院議員選挙では、野党共闘ができたことは大きな成果ではないでしょうか。民進党の岡田さんにしても枝野さんにしても、よく決断していただいた。共産党の志位さんもよく決断してくれました。とにかく共同で、安倍政権を退陣に追い込まないと、私たちのいのちも人権も平和も保てないという危機感がありますからね。
 宗教者も大組織に安泰としてはいけないと思います。既成の宗教団体で、日本会議に入っているところが多いですが、やはり権力を諫める、批判していくことは大切ですし、各宗教の祖師のお考えでもあります。先の戦争の時も、出征兵士を積極的に送り込んだのが既成仏教教団ですからね。実際にもう戦争法が通っていますから。自衛隊員を派兵し、亡くなったときに靖国神社に祀るのかどうか。そんな、”悪夢”は想像したくありません。仏教者はがんばらないとだめですね。

 

インタビューを終えて
 インタビューは6月24日、掛川の道場で行われましたが、たいへん暑い1日で、ごちそうになった今年初ものの冷たいスイカが平和運動を語る武田さんとともに印象に残っています。今年の原水禁世界大会・広島大会でまたお会いできるのを楽しみにしています。
(勝島一博)

注1:僧伽(さんが)仏教で、出家修行者によって構成される僧侶の集団のこと。
注2:国主諌暁(こくしゅかんぎょう)諌暁は「諫め、諭す」ことを意味している。日蓮宗が鎌倉時代に起こされた当時、国主とは鎌倉幕府を示していた。

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怒りは限界を超えた! 沖縄からの報告
踏みにじられた側に立脚し、共に歩むことで、私たちの未来をつくっていこう
沖縄県議会議員・沖縄平和運動センター副議長 仲村 未央

参院選大勝!変わらぬ沖縄の民意
 参院選沖縄選挙区は「辺野古新基地建設阻止」を掲げた新人の伊波洋一さん(元宜野湾市長)の圧勝に終わった。現職の島尻安伊子・沖縄北方担当大臣との得票差は10万4,600票で、翁長雄志さんを大勝させた一昨年の県知事選挙以上の大差をつけた。
 安倍内閣を構成する閣僚の再選を県民有権者は阻んだ。これが安倍政権に対する沖縄県民の率直な「評価」であり、辺野古新基地建設を強行する政府への審判が明快に示されたと言える。
 仲井眞弘多・前知事は、民意に背を向けて辺野古埋立てを「承認」し、計り知れない不信と失望を県民の中に残したが、それに先立って選挙時の公約を反故にし、辺野古移設容認に転向していった県選出の衆参自民党国会議員5人の「裏切り」を県民は決して忘れていなかった。一昨年の衆院選では、全4区で自民党議員を倒し、今回の参院選では遂に一人残った島尻議員を敗退させた。
「私は反対運動は責任のない市民運動だと思っており、私たちは政治でここに対峙していく」「反対運動の声の大きさに恐れおののくことなく、毅然と冷静に物事を進めていかなくてはならない」などと公言、抗議の座り込みを続ける県民の前に警察と海上保安庁を早めに投入するよう促してきた島尻議員の態度は、政府方針と相容れない者を敵視し封殺する安倍政権の体質そのものだ。


県民大会でプラカードを掲げる子ども達
(6月19日・那覇市)

沖縄に基地を押し付けてきた戦後
 参院選の翌日、7月11日にはさっそく東村高江のオスプレイパッド建設作業が、座り込む住民の反対を押し切って強行に再開された。19日以降は警視庁などから500人規模の機動隊が投入されるという見通しだ。政府にとって、沖縄県民はもはや「弾圧」の対象でしかないのだろう。翁長知事は「参院選で民意が示された数時間後から、用意周到に作業を始めることそのものが、県知事としては容認しがたい」と強い憤りを発した。
 外からの視点の中には、今年5月に起きた米軍属女性暴行殺人事件に対する県民の怒りが決定打となり、伊波さんの圧勝につながったと見る向きもあるが、それだけではない。もちろん、繰り返される事件への怒りが尽きることはないが、それはとうに限界を超えている。
 1945年の終戦から今日までの県民の被害は、記録にあるだけでも、殺人75人、強姦321人、強姦殺人22人、交通死亡事故202人に上る。人間の尊厳を奪われ、不平等な取扱いの下、どれだけの犠牲者が泣き寝入りを強いられてきたことか。
 そして、この種の事件が起きれば起きるほど、米軍基地、なかでも海兵隊の受け入れを許容する地域など本土のどこにもなく、沖縄への基地の「固定化」は政治によっていっそう強固に塗り固められていく。「地理的戦略性」「抑止力」「中国脅威論」など、沖縄に海兵隊を置くべき理由が後付けであることは、県民の誰もが見抜いている。
 日米地位協定の改定を米側に提案するつもりもなく、主権国家として国民の命を守る能力もなく、解決策も示し得ない。ただ沖縄に基地を押し付けて戦後71年、復帰後44年が過ぎただけだ。
 折しも、伊勢志摩サミットで米大統領が来日したが、「辺野古が唯一の解決策」であることを重ねて誓約し、笑顔で握手を交わす日本国首相の振る舞いを見て、沖縄に対する最たる「差別」を読み取り、傷ついている県民の気持ちに気付く感性がこの国にあるだろうか。

私たちの周りにある「歪み」を正すところから
 事件を受けた6月19日の県民大会で登壇した21歳の若者・玉城愛さんは「安倍晋三さん、日本本土にお住まいの皆さん。今回の事件の第二の『加害者』はあなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民はばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください」と述べた。
 望むのはむろん、対立や分断ではない。踏みにじられた側、棄てられた側に立脚したときに見える「歪み」を正す方向へと共に歩きたいだけだ。それは何も沖縄にだけ映る景色、沖縄からだけ見える風景ではないはずである。私たちのたくましい連帯が、日本国憲法が唱える普遍的価値の追求に向かうことを信じている。
(なかむらみお)

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日本の空は未だに米軍の占領下?
法的根拠のない米軍機の施設・区域外訓練
オスプレイと飛行訓練に反対する東日本連絡会  星野 潔

 2012年5月、MV-22オスプレイの普天間基地配備を前に米軍が発表した「環境レビュー」には、日本各地に設定された6つのルートでオスプレイの「航法訓練」を行うことが明記されていた。実際、これらのルートなどで1980年代頃から米軍機は頻繁に低空飛行訓練を行っている。米軍機の低空飛行訓練は「敵」レーダーの探知を避けて攻撃するための戦闘訓練であり、墜落、騒音、木材運搬用ワイヤーロープの切断、養鶏や酪農への影響、ドクターヘリへの接近など市民生活に多くの被害をもたらしている。
 訓練ルートの存在は以前から知られていたが、米軍が公式に認めたのは2012年の「環境レビュー」が初めてだ。これらのルートはいずれも、日米地位協定第2条に基づいて米軍に提供された施設・区域ではない。日本の空は未だに米軍の占領下にある状態だ。

30年前は首相も安保条約違反と明言
 そもそも、地位協定に基く施設・区域の外で米軍が訓練することは許されるのか。
 外務省が1983年に作成した機密文書『日米地位協定の考え方増補版』は、「米軍の軍隊としての機能に属する活動は原則として施設・区域内で行われるべきことは当然である」、「そもそも地位協定により施設・区域が提供されているのは、一般に米軍の軍隊としての活動が場所的な制限なく我が国内において行われれば、我が国の社会秩序に大きな影響を与えることが予想されるので、このような活動が原則として一定の場所に限って行われるべきであるとの考え方に基づいていると考えられる」と述べ、施設・区域外活動を原則として否定している。
 しかし、現在の日本政府は、実弾射撃などを伴わない飛行訓練であれば、低空飛行訓練でさえも施設・区域外での実施は認められると主張している(2013年3月12日衆院予算委員会など)。安保条約で米軍駐留を認めているのだから、公共の安全に妥当な配慮を払えば、米軍駐留の目的達成のための施設・区域外訓練は許されるというのだ(2012年7月25日衆院外務委員会など)。
 だが、約30年以上前の政府の見解は、このようなものではなかった。国会会議録からは、1980年代初め頃までは米軍の施設・区域外訓練を、主に地位協定第5条に基づく「基地間移動」や「基地への出入り」と説明していたことが読み取れる(1979年5月29日衆院内閣委員会、1981年4月13日衆院安全保障特別委員会など)。
 施設・区域外訓練を安保条約違反と明言した首相答弁も存在する。1974年12月、山口県岩国市沖合の無人島で米海兵隊ヘリコプターが勝手に訓練を行い、山林火災が発生する事件があった。この事件は翌年2月25日の衆院予算委員会第二分科会と3月3日の衆院予算委員会で追及され、答弁に立った当時の三木武夫首相、宮澤喜一外務大臣、山崎外務省アメリカ局長はいずれも、日米合同委員会が決定した施設・区域外での米軍訓練は安保条約違反だと明言した。
 当時の政府答弁によれば、米国公使も「今後、このような訓練を一切行わないように必要かつ適切な措置をとる」と確言したという。米国も、施設・区域外訓練は安保条約違反との認識に異を唱えなかったのだ。


オスプレイ飛行問題で外務・防衛省と交渉
(5月26日・衆議院議員会館)

欠陥機オスプレイも各地で危険な訓練
 米軍ジェット機訓練の被害が深刻化した1960年代前半、飛鳥田一雄衆院議員(後の横浜市長)は、施設・区域外飛行訓練は地位協定違反だと繰り返し主張した。政府は、「米軍機の戦闘訓練、演習等の地域としましては、(中略)合同委員会の合意を得まして指定をする」、「その指定区域内において、戦闘訓練、演習をするという建前になっておる」、「すべてこの指定区域内において行われておる」(1962年4月25日衆院内閣委員会)、「米軍の訓練は一定の法的根拠が無ければできない」、米軍機は厚木基地への「出入り」はできるが「あの付近で訓練をやることは、(中略)使用条件違反になる」(1961年11月30日衆院内閣委員会)などと答弁した。政府も施設・区域外訓練を正当化することはできなかったのだ。
 だが、現在も米軍機の施設・区域外訓練は行われ、新たな被害を生んでいる。明確で有効な規制がなされているとは言いがたい。2017年に横田基地配備が計画されている米空軍特殊作戦機CV-22オスプレイも、各地で危険な訓練を行うことが懸念される。
「もし安保条約をもとにして、米軍が日本に駐留する権利があるのだから、その安保条約の目的を達成するために必要なことは何をやってもよろしいというのならば、この地位協定なんか要らないのじゃないですか」(1961年4月24日衆院内閣委員会)という飛鳥田の問いかけは、55年を経た現在の日本社会にも依然として突きつけられている。
(ほしのきよし)

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14年連続 家庭からの有害物質排出量の半分以上が「合成洗剤」!
2014年度PRTRデータが明らかにする水の汚染
きれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会 岩野 淳

 合成洗剤の主成分である界面活性剤の有害性については、1960年代から科学者による問題提起があり、草の根の消費者運動として合成洗剤追放運動が始まりました。そして皮膚障害に悩む給食労働者、水源の汚染に直面した水道労働者などとともに、1974年に「きれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会」が結成され現在に至っています。この間、合成洗剤追放全国集会が各県持ち回りで開催され、今年10月8日~9日に、第34回全国集会が金沢市で開かれます。

業界や官庁の抵抗で環境規制が遅れる
 1979年に滋賀県が「琵琶湖条例」を制定しました。ここで規制されたのは窒素・リンです。1980年代になり、神奈川県が「県方針原案」で合成洗剤の主成分であるLAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)を規制すると発表しました。当時すでに環境庁もLASの問題点は認識しており、それを先取りしたようです。しかしそれは石油連盟や合成洗剤業界、通産省などの動きで頓挫しました。
 国が化学物質として合成洗剤の有害性を法的に明記したのは1999年制定の「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」(化管法)が初めてです。この法律をもとにできた「有害化学物質排出・移動登録制度」(PRTR)の対象となる第1種指定化学物質(人の健康や生態系に有害なおそれのある化学物質で環境中に広く継続的に存在)として、現在、LASおよびAE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)など9種類の合成界面活性剤が指定されています。

全体のワースト10にも合成洗剤の成分!
 その2014年度のデータが2016年3月20日に環境省・経済産業省より公表されました。それによると家庭から排出される有害物質(下水経由を含まず)は、国によりデータが公表されるようになった2001年以来14年連続でLAS、AE等の合成洗剤成分が50%以上を占めています(上の円グラフ・環境省HPより)。当初は陰イオン系のLASの方が多量でしたが、最近は非イオン系のAEの方が多い傾向です。
 有害な合成洗剤は全国の全ての化学物質の排出量(工場からの届出と国による推計の合計:家庭からの排出量は国による推計値)にも大きな影響を与えています。ワースト上位10物質の第4位にAE、第7位にLASが入っています。年度によっては若干の順位の変動はありますが、合成洗剤の成分が上位を占めるという傾向は基本的には毎年変わっていません。このように、水環境汚染の大きな原因物質が合成洗剤なのです。

データを有効利用、放射性物質をPRTR対象に
 PRTR制度は、化学物質の情報を市民・事業者・行政が共有し、協力して問題への積極的な取り組みを行う制度です。事業者には「化学物質管理指針」により自主的に有害化学物質の減量・代替を求めています。「合成洗剤」をやめて「石けん」を上手に少しだけ使うことは、まさに法の主旨です。
 PRTRデータは地方自治体も公表しています。ぜひ、地元の自治体から説明を受け、化学物質を少なくする取り組みに有効利用しましょう。
 また、放射性物質はこれまでの法律上の不備から、まだPRTRの対象にはなっていません。福島第一原発事故を教訓に、放射性物質をPRTRの対象とする運動を地域から強めましょう。
(いわのあつし)

●「第34回合成洗剤追放全国集会」
日時:10月9日(土)13:30~9日(日)13:00
会場:金沢市「石川県文教会館」、「金沢市文化ホール」
内容:講演「脱原発と水環境」(小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教)、特別報告「河北潟の生物と水環境」(高橋久・河北潟湖沼研究所理事長)、分科会(「入門講座」「化学物質問題」「水循環」「金沢市内の水に関わるフィールドワーク」、総括集会、交流会(第1日目夜、参加費5000円)
参加費:1000円、他に資料代1000円
参加申込:9月9日までに全国集会実行委員会に申込む
(電話:03-3816-4132、FAX:03-3818-1430)

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被爆71周年原水爆禁止世界大会の課題
「核」のもたらした悲劇と事実を伝えて

「平和と民主主義」の危機にどう対抗するか
 侵略戦争と植民地支配によって、アジア・太平洋の諸国民に多くの被害を与えた日本は、その反省から「日本国憲法」を圧倒的賛意をもって受け入れ、平和と民主主義、基本的人権を手に入れました。
 しかし安倍政権の登場により立憲主義が否定され、戦後日本社会の柱である日本国憲法の平和と民主主義が最大の危機を迎えています。安倍政権は、先の参議院選挙で、憲法改正(悪)に必要な3分の2の議席を獲得し、まさに改憲に向けて動き出そうとしています。さらに安倍政権の暴走は、原発再稼働や沖縄・辺野古への米軍新基地建設など、民意を無視し強行されています。今年の原水禁世界大会は、このような暴挙が進む中で開かれ、私たちがどのように対抗していくべきかが問われています。大会でも「憲法・沖縄・平和を考える」分科会などで、そのことを取り上げます。

核兵器廃絶とプルトニウム削減を求めて
 核保有国に核軍縮を促進させる場である昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、合意文書すら採択できずに幕を閉じ、核軍縮は大きく停滞をしました。核保有国は既得権にこだわり、核兵器非保有国との乖離は鮮明になっています。
 一方、今年5月27日、オバマ米大統領は現職として初めて広島市を訪れました。自ら原爆投下による死者を悼むためにここにやってきたと話し、「このような破壊をもたらすような核兵器保有を減らし、この死の道具が狂信的な人たちに渡らないようにしなくてはなりません」と世界に訴えました。しかし、米国の原爆投下の責任や核兵器廃絶への具体的なとりくみに触れることはありませんでした。世界最大の核兵器保有国の現職大統領が、被爆地に立ち、停滞する核軍縮の動きに新たな変化を与えることができる好機だっただけに、具体的な行動を被爆者の前で約束しできなかったことは残念でした。
 大会では、米国が続けている核の近代化の中止や核実験の全面禁止、現在も続く即時警戒態勢の解除、核兵器の先制不使用(消極的安全保障)、また、核セキュリティーサミットでオバマ大統領が主張してきた分離プルトニウムの削減などの具体的課題に対して、国際会議や分科会で提起し議論します。

原発の再稼働問題とフクシマを忘れるな
 愛媛県の四国電力・伊方原発の再稼働が大会直前とも言われ、阻止にむけた運動の強化が求められています。原発の再稼働に際して原子力規制委員会の田中俊一委員長は、基準の適合性を審査しただけだとし、「安全とは申し上げない」などと責任を回避しています。
 一方で、福井地裁、大津地裁など高浜原発の運転差し止めが下されるなど、司法の場では原発再稼働の危険性を認めています。それでも安倍政権や電力会社は、民意を無視し、無責任な状態で再稼働が強行されていることに大きな問題があります。また、各地で頻発する地震は、第2、第3のフクシマを引き起こす危険性があります。各地の再稼働の動きとともに、地震、防災、避難などの問題点を明らかにしていきます。
 また、福島原発事故からも5年の月日がたち、故郷を奪われ、見知らぬ土地で健康上の不安を抱え苦しい生活を余儀なくされる避難者が数多くいることを忘れてはなりません。しかし、月日の経過とともに報道も少なくなり、避難者や被災地の実態、放射能と汚染水を出し続け、未だ収束していない福島第一原発事故の実態は忘れられようとしています。この現実に、私たちは大きな失望と脅威を覚えます。広島と長崎がそうであるように、福島もまた私たちは決して忘れてはなりません。その記憶が道義的責任を呼び起こすように、二度と核兵器の惨劇を、原発事故の惨事を起こさせないために、「核」のもたらした悲劇とその事実をしっかり伝えていきます。


昨年の大会では「原水禁結成50周年記念シンポ」も開催
(2015年8月6日・広島市)

ヒバクシャの援護・連帯の強化を
 戦後70年を超え、ヒロシマ・ナガサキの被爆者は高齢化し、残された課題の解決が急がれています。日本政府がいまだ侵略戦争の責任を認めず、戦後補償の責任を果たそうとしない中、被爆者の援護をいまだ国家補償として取り組んでいないところに問題があります。社会保障的援護の域を出ないところに、原爆症認定や在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世などの様々な問題がつながっています。それぞれの抱える問題について理解を深め、運動の展望を考えます。
 今年は、核被害者の海外ゲストとして、チェルノブイリ原発事故の被害者、韓国の在外被爆者などを招聘し、その実相を明らかにしていきます。それらの経験を学び、福島原発事故に活かす道筋を探ります。
(井上年弘)
【詳細は原水禁ホームページをご覧下さい】

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タヒチ モルロア核実験50周年記念の催し
秋葉前広島市長らヒバクシャの連帯訴え
埼玉大学経済学部講師(通訳兼コーディネイター)真下 俊樹


パペーテ市の核実験被害記念碑前で行われた
モルロア核実験50周年記念集会で、住民投票の実施を訴える
「193の会」会長のオーギュスト神父
(撮影:振津かつみ)

 2016年は、福島原発事故5周年、チェルノブイリ30周年の年ですが、同時にビキニ環礁での米核実験開始(46年7月)から70周年、モルロアでの仏核実験開始(66年7月)から50周年の年でもあります。仏領ポリネシアのタヒチではこの50周年を記念して、6~7月、様ざまな催しが行われました。これに原水爆禁止日本国民会議から、前広島市長で広島県原水禁代表委員の秋葉忠利さんと、医師で世界各地の核被害者支援を続けてきた振津かつみさん、そして真下が参加しました。

被曝労働者と強まる放射能への不安
 フランスは66~96年の30年間に仏領ポリネシアのモルロア、ファンガタウファ両環礁で計193回の核実験を行いました。米英ソが「部分的核実験禁止条約」(63年調印)により比較的早期に大気圏核実験を中止したのに対して、フランスは仏領ポリネシアで74年まで計46回の大気圏核実験を続けました。
 核実験場では、土木工事や放射能のサンプリング、洗浄など実験場の様々な下働きの労働力として、約5000人のポリネシア人が雇用され、防護服に身を包んだフランス人関係者の隣で、線量計もなくTシャツ・短パン姿で埃まみれで働いたといいます。周辺の島々はもとより、約1200km離れたタヒチ島まで高濃度の放射性降下物が降ったことはフランス政府も認めています。白血病やガンなどで亡くなったり、今も苦しむ人が多数います。子どもたちへの健康影響も不安の種です。モルロア環礁の地盤は137回の地下核実験でボロボロの状態で、大規模な崩落が起き、大量の放射能が海に流れ出す恐れがあります。


タヒチ島マタイエア村での核実験被害をめぐる討論会で、
モルロアでの体験を話す元労働者(撮影:振津かつみ)

核実験被害を認めることから新たな一歩
 フランス政府は長い間、核実験の被害を一切否定していましたが、被害者の長年の運動の結果、2010年に「仏核実験被害者の認知と補償に関する法律」(モラン法)が成立。被害の存在を初めて認めました。しかし、施行6年後の現在、1043件の補償申請に対して、補償が認められたのはわずか20人、うちポリネシア人は7人にとどまっています。タヒチ到着当日、日本からの参加者一行は、まずエドゥアール・フリッチ仏領ポリネシア大統領を表敬訪問しました。保守系の大統領ですが、「NGOなどの調査で、核実験の被害の存在が明らかになった。今後、円卓会議をつくってどう対策を取って行くかを決めたい」と発言し、流れが変わったことを印象付けました。
 7月1日に行われたポリネシア経済社会文化協議会(CESC:公的諮問機関)の会議でもこの変化は感じられ、ポリネシアの政府、議会、CESC、NGO、教会各派が、これまでの対立を乗り越えて、被害の補償・修復をどう進めて行くかに議論が集中しました。

若い世代が運動を継承
 被害者の高齢化に伴い、運動をどう次世代につなげていくかは、ポリネシアでも大きな課題です。この面では、若い世代が「193の会」(193回の核実験に由来)を結成し、核実験に対する意見を問う住民投票の実施を政府に請願する署名運動が盛り上がりを見せています。千人以上を集めた50周年記念集会では、各地の村で討論会を開いて集めた署名数が4万5千人(ポリネシア有権者の4分の1)を超えたことが発表され、満場の拍手を浴びました。
 秋葉前広島市長は、日本で被爆者援護法が制定された経緯を説明し、「日本のヒバクシャもポリネシアのヒバクシャも同じ苦しみから運動を起こし、同じ道をたどっている」と、ヒバクシャの連帯と粘り強い運動の必要を訴え、孤立感にとらわれがちな現地の人たちを勇気づけました。また、医師の振津さんは、日本の被爆者手帳を例に、全ての核実験被害者に無料の健診と医療、生活支援を行うなど、包括的な被害者補償制度の必要性を述べました。
(ましもとしき)

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核の先制不使用政策に反対する日本

 米国またはその同盟国が核攻撃を受けた場合にしか核兵器を使わない、つまり、先には核を使わないとの「先制不使用政策」の宣言を米国が検討中と伝えられています。核の役割は核攻撃を受ければ核で報復するぞと脅しを掛けることにより核攻撃を抑止することに限るとの政策宣言です。日本政府がこの宣言に反対しているとの報道がありました。外務省は2009年のオバマ政権の核態勢の見直しの際には、海上配備用の核付きトマホークを廃棄しないよう働きかけました。岡田克也外相(当時)が、そのようなことがあったとしてもそれは自分の政策ではないとする書簡を国務・国防両長官に送り同兵器の廃棄の実現に結びつきました。書簡で先制不使用政策について積極的に議論しようと呼びかけた岡田外相も外務省の政策を変えることはできませんでした。以下は、筆者が原水禁の国際会議を中心的に組織していた1999年に海外ゲストらに宛てて送った参加要請書簡の日本語版の抜粋です。

1999年原水禁先制不使用問題国際会議趣旨説明
 ……1995年、NPT再検討・延長会議に関連した催しに参加するためにニューヨークを訪れた原水禁の代表らが日本代表部を訪れた際、日本はなぜ先制不使用宣言をするよう米国に呼びかけられないのかとの質問をしたのに対し、「安全保障というのは、核の問題だけでなく、いろいろあるから、そのようなことはできない」との答えが返ってきた。その際は時間がなく、「いろいろある」ということの意味を聞けないで終わってしまったが、要するに核攻撃以外の攻撃の可能性に対しても、核による報復のオプションを残しておくことが日本の安全保障にとって必要だということのようだ。
 元大統領特別代表(軍縮担当)のトーマス・グレアムは、米国が先制不使用宣言をすると、自らの安全が保障されなくなったと感じた日独が核武装するのではとの懸念がワシントンにあり、それが米国の先制不使用宣言に向けた動きの障害になっていると述べている。彼は、1997年8月末に日本を訪れた際、同年に原水禁大会に参加したアラン・クランストン元上院議員の薦めで、原水禁に接触してきた。……我々は[独訪問予定のグレアムに]原水禁国際会議に出席したドイツのオリバー・マイヤーに連絡して会合を設定してもらうことを勧めた。……
 1998年夏、[現在米憂慮する科学者同盟(UCS)の]スティーブン・ヤングが原水禁大会に来た際、彼は、8月5日に広島で開かれたパネル討論において、事前に外務省筋から得ていた情報を下に、日本が「新アジェンダ連合」の宣言に参加しなかったのは、つぎの3つの理由によると理解しているがどうかと、外務省の軍備管理軍縮課の森野泰成主席事務官に問いかけた。
 [そのうちの一つ]「先制不使用を要求する項目が気に入らなかった」[という理由について]森野氏は、これを確認した上で、つぎのように述べた。「先制不使用を約束してしまった場合、核の抑止力の効果がかなり薄れてしまう。日本の安全を守れるのだろうかという懸念を強く持っている。……アメリカと日本が先制不使用を約束したとしても、ほかの国が本当に先制不使用を守ってくれるのだろうかという問題がある」。
 (残念ながら、この討論では、他の国が先制不使用の約束を守らなかった場合には、先制不使用宣言の下でも、米国による核報復の可能性は残されているということは指摘されなかった。そもそも、核抑止の議論を信じるなら、これで十分なはずである)[ところが、日本の政策は、例えば]北朝鮮が、ミサイル(通常の弾頭であれ、化学兵器・生物兵器の弾頭であれ)で日本に攻撃をかければ、米国が核報復をするかもしれないと、思わせておきたいということだ。……
 先制使用のオプションを支持する方針を決めたのはいつかという質問に対して外務省は、1975年8月6日の三木・フォード会談の日米共同新聞発表が先制使用のオプション支持の公式なものだとしている。ところが、その第4項には日米両首脳は、「米国の核抑止力は、日本の安全に対し重要な寄与を行うものであることを認識した。これに関連して、大統領は、総理大臣に対し核兵力であれ通常兵力であれ、日本への武力攻撃があった場合、米国は日本を防衛するという相互協力及び安全保障条約に基づく誓約を引き続き守る旨確言した」とあるだけ……だが、政府は、82年6月25日の予算委員会において、この下りに関し、「核の抑止力がわが国に対する核攻撃に局限されるものではないという趣旨と私どもは理解しております」と述べている。83年、84年にも、同様の説明を国会で行っている。
 また、外務省は、日本の立場は、……「いまだに核などの大量破壊兵器を含む多大な軍事力が存在している現実の国際社会では、なんら検証方途のない先制不使用の考え方に依存して、わが国の安全保障に十全を期すことは困難であると考える」という。……
 日本が先制不使用宣言を支持するか、あるいは少なくともそれを真剣に考えるようにならなければ、日本が核廃絶に向けて積極的な行動をとることは期待できないだろう。非核地帯についても同じことが言える。北朝鮮の核以外の攻撃を防ぐのに核使用のオプションを残すことを望んでいる限り、朝鮮半島(+日本)に核保有国が核攻撃をかけないことを条約(議定書)によって約束する非核地帯の設置に日本が賛成するはずがない。
 [1999年の]会議で、先制不使用のセッションを設けるのは、NATOでの議論を参考にして、これらの問題についての議論を深め、運動内部やマスコミ、一般国民、政治家(保守を含む)の間での関心を高めるためである。

先制不使用問題についてhttp://kakujoho.net/npt/をご覧いただき、原水禁運動の伝統に従った更なる活動を展開されることを期待します。
(田窪雅文:「核情報」主宰)

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《投稿コーナー》
「熊本地震」義援金ありがとうございました
人命軽視、企業の利益最優先の安倍政権に改めて怒り
くまもと21・労組会議 事務局次長  恒松 茂記


使用できなくなった労働会館と崩れた壁

事務所の移転を余儀なくされた大地震
 このたびの「熊本地震」による被災に対し、全国の多くの皆様から義援金の支援を賜りまして、まことにありがとうございました。「くまもと21・労組会議」が入居していた熊本県労働会館も被災して使用不能となり、新たな場所への移転を余儀なくされました。その作業がようやく一段落し、通常の業務に戻りつつあります。
 この間、皆様には大変なご心配とご迷惑をおかけしました。皆様の支援に心より感謝申し上げます。
 地震が発生した4月14日以降、現在までに震度1以上の地震が1800回を超え、これまで死者49人、関連死20人、行方不明1人、負傷者1816人、住宅倒壊148460棟が確認され、5千人を超える人たちが避難生活・車上生活を続けています(6月末現在)。被災地現場では、全国から労働組合を含め、連日多数のボランティアによる復興に向けた作業が続けられています。ただ地震発生後2ヶ月半が経過しましたが、今でも震度4の余震が発生するなど予断を許さない状況にあります。
 今回の地震は、これまでも発生の確率が高いと言われていた布田川、日奈久断層が連動し合ったものですが、大分方面への揺れの延伸には確認されていなかった断層も動いたように報じられています。また、震度5以上が19回発生し、そのうち震度7の揺れが2度発生したことも特異な地震であったと言われています。

原発停止をしない九州電力
 震源が10Km程度という、比較的浅い直下型の地震でしたが、熊本に原発が立地していなかったことが何よりの救いでした。地震動は阪神・淡路大震災を凌ぐ1580ガルに達し、九州電力が川内原発で想定している620ガルの2.5倍を記録しました。九州をはじめ、国内には至るところに確認の有無を問わず活断層が走っており、稼働中の川内原発の周辺にも多数の活断層が確認されています。それでも九州電力は原発の稼働を停止しませんでした。人の命を軽視し、企業の利益を最優先する企業、それを後押しする安倍政権に改めて怒りを覚えました。
 また、今回の地震で原発事故に対する避難計画が全く実行できないことが実証されました。新幹線が脱線し、高速道路や橋が破壊され、空港さえ一部損壊し、土砂崩れや路面崩落により道路が寸断され集落が孤立するという現実が衝撃的でした。自治体が作成した高速道路、新幹線、路線バス、自家用車などを利用した机上の避難計画では全く機能しないことが明らかになりました。併せて指定した避難施設さえ被災している現実があります。
 このような状況下で原発が被災したならば、放射能による地獄絵図のような状況が想像されます。これを解消するためには、まさに私たちが主張する脱原発しかないというのが実感でした。

「緊急事態条項」の憲法盛り込みに利用か
 今ひとつは、「熊本地震」が、国が非常措置を取るための「緊急事態条項」を憲法に盛り込むことに利用されないかという問題です。自民党は、東日本大震災後の2012年に作成した憲法改正草案では、この規定を盛り込み、緊急事態を宣言する条件のひとつに「地震等による大規模な自然災害」も挙げています。
 首相が緊急事態を宣言すれば、内閣の権限で政令を制定でき、国民は国の指示に従わなければならないことになり、その乱用により独裁への道に繋がります。集団的自衛権行使などの軍事面での悪用を隠しながら、国民受けする自衛隊の地震災害救援活動を例に挙げることで推進に利用される危惧が高まっています。
 これらのことを阻止するためには、私達の平和・人権・環境の課題解消に向けた運動を前進させることが重要です。そのために、私たち「くまもと21・労組会議」も全国の皆様とともに闘っていくことを約束し、今回の「熊本地震」による被災に対する支援のお礼に代えさせていただきます。
(つねまつしげき)

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各地の1000人委員会の活動から
保守系も含め思想・信条を越えて協力
戦争をさせない1000人委員会・いちかわ 井上 庄二


女性の参加が目立つデモ(6月12日・市川市内)

 「戦争をさせない1000人委員会・いちかわ」は、「九条の会市川」、「安保法制に反対する県議(3人)・市議(14人)の会」と力を合わせて、2015年9月6日に「安全保障法案の廃案を求める9・6市川市民集会」を開催した。この集会には「安保法案廃案」の一点でのみ賛同する市民550人が参加し、集会後は市川駅までデモ行進をした。同駅でのリレートークで市民に安保法制廃案を訴え、多くの市民が安保法制廃案を求めていることが明らかにされた。
 2016年6月12日にも、同じ三団体を中心に実行委員会方式で、「安保法案廃止」を掲げて集会を開催し、前回を上回る750人が参加した。集会後のデモ行進は市川駅コースと本八幡駅コースとに分けて行われ、両駅頭でのリレートークやコールでは市民が次々とマイクを握ってアピールした。
 この二つの集会で特徴的なことは、①保守系も含めて県議と市議(6月12日の集会では15人)が文字どおり思想・信条を越えて協力できたこと、②ともすれば背を向けがちな、戦争をさせない1000人委員会と九条の会とが議員団を軸にして協力できたこと、③集会成功のためには、この集会への賛同人を募ることが市民の間に拡げることになるとの認識に立って賛同人募集の活動を続けたことがあげられる。なお、賛同人は9月6日の集会では705人・37団体、6月12日の集会では985人・57団体となり、「集会アピール」の裏面にすべての賛同人・団体の名前を掲載した。
 「戦争をさせない1000人委員会・いちかわ」では、2ヶ月に1回の世話人会や講師を招いての学習会、「3の日行動」や「19日行動」、「国会前行動」等に取り組んできたが、とりわけ「戦争法廃止を求める統一署名運動」を軸とした運動が会員の団結を強め、市民の共感を呼び、集会成功の要因になったと思われる。
 しかし、何よりも「安保法制廃止」に多くの市民が共感したことが最大の要因であることは間違いない。これからも取り組みを続けていく決意だ。
(いのうえしょうじ)

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〔本の紹介〕
「安倍流改憲にNOを!」
樋口陽一・山口二郎編 岩波書店 2015年7月刊

 昨年夏に出た本だが、衆参で改憲発議ができる議席数を「改憲勢力」が確保し、その動きから目が離せない現在、取り上げるべきと思う。改憲についての総論に加え「戦後レジームからの脱却」「緊急事態条項」「女性」「沖縄」等、安倍政治のポイントが取り上げられている。
 安保法制が憲法違反であることが明らかにもかかわらず、逆にそれを正当化する改憲を求める主張が行われている中で、特に安全保障の観点から検討する「軍事優先の安全保障政策の不毛『抑止力の強化』で低下する日本の安全」(遠藤誠治)は、安保法成立前に書かれたものであるが、一読をお勧めしたい。
 安全保障をめぐる立場を「日米安保基軸」「戦後レジームからの脱却」「護憲」そして「米国」の4つに類型し、安倍政権が「日米安保基軸」と「戦後レジームからの脱却」という異なる発想の、矛盾を孕んだ協力によって成り立っているものとみる。米国の衰退と中国の台頭、北朝鮮の核開発による不安定な状態の中、米国を東アジアにひきつけ、軍事含めて補佐する方向性は共有している。しかし前大戦や戦後の歴史評価など「戦後レジームからの脱却」と「日米安保基軸」、そして「米国」の価値の異なりは、無視し得るものではない。
 中国、韓国等との全面対決を避ける「米国」「日米安保基軸」と「戦後レジームからの脱却」との摩擦が表面化することもある。そして南沙問題など中国の強硬な態度に不安を持ち、米国と協力した軍事的対決は望まないが、平和的解決手段を見いだせないという多くの市民にどう理解を求めるのか。
 安倍政権の軍事偏重の安全保障政策に対し、「護憲派」は専守防衛を維持するだけでなく、周辺諸国との「信頼醸成」を進めなければならない。その基盤として、現憲法下で70年間平和を守ってきた実績を活かすべきである。そのためには「日米安保基軸」との対話が重要ではないかと問いかけている。
 今年、米大統領選が行われ、米国の衰退にどう対処するのか、格差の拡大による社会の弱体化にどう対処するのかがテーマになっている。「想定外」の社会主義者サンダース候補が大きな支持を集めたように、今後大きな変化が予測される。安全保障政策も俎上に上がるであろう。この変化する「米国」を含めた「日米安保基軸」と「護憲」の対話が行われるかが、今後の課題だと思う。
(菊地敬嗣)

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核のキーワード図鑑


そして戦争する国に

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新スタッフの紹介
「次は見えないが当たり前」を前提に 菊地 敬嗣

 この4月から平和フォーラムの事務局スタッフになりました。最近数年間、毎年夏の原水禁世界大会の海外ゲスト対応を担当してきました。原水禁運動に最初に関わったのは、1992年で、その年の秋にドイツ・ベルリンで開催された「第2回核被害者世界大会」の担当スタッフで2年程でした。約20年という時間差は大きく、いろいろ新たな部分を知りながら、がんばろうと思っています。
 その20年間、個人的にフィリピンと交流を続けてきました。今年6月就任したドゥテルテ新大統領は、日本では「フィリピンのトランプ」とメディアで揶揄されましたが、紹介する本がGoogleやアマゾンで見当たらないなど、関心は高くないようです。南部ミンダナオ島ダバオ市長として、治安の確立などを、人権軽視と指摘される強権的手法で行ってきた一方、共産党との内戦を終わらせ、労働相、農地改革相に共産党の影響が強い労組、農民組合の出身者を任命し、保守派から左翼、イスラム勢力等を幅広く内包する政治をめざしているように見えます。
 中国との南沙紛争、対テロ戦のための米軍駐留など、アメリカにとってフィリピンは重要な国ですが、これまでの親米政権とは違う動きが出てくる可能性があります。
 このように、「次は見えないが当たり前」を前提に、仕事に励もうと思っています。
(きくちたかし)

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