2016年、ニュースペーパー

2016年11月01日

ニュースペーパー2016年11月



TPPを批准させない!10.15 一万人行動
 10月15日に東京・芝公園で「TPPを批准させない!一万人行動」が開かれ、全国から8000人が参加しました。平和フォーラムなど270団体が賛同団体として結集し、臨時国会での環太平洋経済連携協定(TPP)の批准を止めようと決意を固めました。呼びかけ人を代表し、主婦連合会参与の山根香織さんは「TPPは、農業や食の安全を壊し、医薬品の高騰など問題だらけだ。暮らしを守るため声を上げよう」と訴えました。野党4党の代表からも「TPPは自由貿易ではなく、多国籍企業のための管理貿易体制を作るものだ。アメリカも批准していないものを、日本はどうして急ぐのか」(福島みずほ社民党副党首)などと、阻止に向けて国会内で闘う決意が表明されました。各地・各界からのリレートークも行われ、最後に「情報開示も十分な審議もないまま、TPP協定の批准を今国会で強行することは絶対に反対」と集会アピールを採択。集会後、参加者はのぼり旗やプラカードなどを手に「日本の農業、食の安全を守ろう!」「暮らしをこわすTPPはいらない!」などと、シュプレヒコールをしながら、デモ行進でアピールしました。(写真は気勢をあげる参加者)

インタビュー・シリーズ: 116
「核廃絶」へ向けて、たくさんの事を学びました
第19代高校生平和大使 布川仁美さん、原田桃子さんに聞く

 核兵器の廃絶と平和な世界の実現をめざす第19代高校生平和大使は、全国から選ばれた高校生22人で構成され、2016年8月13~20日の日程でスイスを訪問。ジュネーブの国連欧州本部への訪問では、開催中の軍縮会議本会議で「核なき世界」の実現を訴えるなど、国際的な認知度も高まっています。平和大使に選ばれた布川仁美さん(日本女子大学付属高校1年・東京選出)と原田桃子さん(横浜市立横浜商業高校2年・神奈川選出)の2人にインタビューをしました。

─高校生平和大使に応募したきっかけは何ですか。
布川仁美:まず、平和に関心を持ったきっかけは、小学6年生の夏に、学校と文部科学省の企画で「小笠原諸島に平和学習に行く」というのがありました。その時に、戦地でもあった小笠原の地を見て、話を聞いて、いろいろ話し合いをしました。「平和ってこういうものだ」と定義できるものでもないので、凄く漠然としたものだという印象をもったんです。でも、刺激を受けることは多くて。普段だったら、同級生か先生としか話が出来ないのに、上級生と話をすることがとても新鮮だったんです。その後、中学3年生で「選択校外授業」という総合学習みたいなものがあって、その時に「広島平和学習」を選択しました。それと、中学3年生で生徒会に入っていたんですが、そこでは「平和係」を担当していました。学校自体が「平和学習」に積極的に取り組んでいて、高校の中では「平和便り」なども発行するくらいです。そういった感じで、日常的に平和のことを考える環境にありました。その中でも、小笠原に行ったことが一番の「平和に興味を持ち始めた」きっかけで、小笠原の人たちのあたたかい心に触れられたことが、平和につながる一歩だと感じたのです。高校生になって、学校で「高校生平和大使の募集要項」を見て、瞬間的に「やりたい!」と思ったんです。学校の先生にも相談して、忙しい部活動に入っているけれど、「やりたいなら挑戦してみなさい」と母も応援してくれて、応募することにしました。
原田桃子:母のアメリカ人ホストファミリーとの交流で、核兵器保有国の人にも核廃絶をめざす人がいることを知り、この事を多くの人に伝えたいと強く思いました。また、戦後70周年の企画のテレビ番組で、タレントが被爆地を訪問する場面を見たことで、戦争の恐ろしさを知り、私が未来のためにできることはないだろうかと考えた結果、平和大使に応募しようと思いました。


布川仁美さん

─高校生平和大使に就任する前と後で、心境の変化などはありましたか。
布川:はっきり言って、全然選ばれるとは思っていませんでした。もし選ばれたなら、全力でやりたいという気持ちは持っていたんですが。でも、高校の3年生とか、実際に何らかの経験を積んだことある人が選ばれると思っていたんです。選考会から数日たって選ばれたと連絡が届いた時、本当にびっくりして、「やばい!やばい!」という興奮と驚きでした。でも、部活もやっていて、正直忙しい状態で、「どうしよう」という気持ちも入り混じりました。最初は、どんなことをするのかとか具体的なことは分からないまま応募している面もあり、どのくらい大変なのか分からなくて。選ばれた最初は、嬉しい気持ちの方が大きかったですね。実は今だから言えることなんですが、6月にあった広島研修の時、夜泣いていたんです。全国から選ばれた平和大使と一緒になって、そこで改めて、「想像していたもの」よりも責任感を感じたんです。周りの高校生が、みんなすごい人に感じてしまって。でも、思いを託してくれた人がたくさんいるんだと感じ、成長する機会をもらえたんだから、がんばらなくちゃいけないと思いました。
原田:核兵器廃絶を訴えていく中で、署名活動を何度も行いましたが、署名を断る人もかなりいたので、その時にメンタル面は強くなりました。しかし、あまりにも微々たる力しか持たないことを感じて、悔しさも強く感じるようになりました。


原田桃子さん

─平和大使として活動した中で、印象に残ったことはありますか。
布川:全部です。どの経験も大事なことでした。人の意見を聞いたりすることも、平和大使という立場でないと聞けなかったことだと思うので、全てが自分の中で新しいことで、どれも印象的でした。私の中での一番は、国際連合欧州本部に行った時のことです。責任の重圧を感じて広島で泣いた時のことを考えると、スイスでの活動を通して、私は本当に成長出来たと思いました。自分でも「一皮むけた」と感じられました。スイス(国際連合)に行ってスピーチをするっていうことが、一番不安であり、そして肝心な部分だと思っていたんです。だから、その部分を終えてほっとしたというか、やり遂げたというか。日本に帰ってきて、長崎で帰国報告会を終えた時に、逃げずに向き合えたなとすごく思えました。自分のスピーチ以外でも、会議を傍聴する場面で、他国の人のスピーチを聞けたことも印象的です。事実をきちんと知らないとダメなんだ、自分の考えだけでは視野が狭かったと思いました。もちろん平和大使の目標は「核兵器廃絶」が一番ですが、「平和」に対しては、本当にいろいろと出来ることがあると思います。だからこそ、事実をきちんと知らないとだめだなと思いました。周りをもっと見なくちゃいけないと、国連に行ったことで、いろんな事を学ぶことができました。
原田:特に印象的なのは、ベルン(スイスの首都)での署名活動です。他国の方にも多くの賛同をいただけて嬉しかったのですが、言語の壁を強く感じたので、これから多くの言語を学ぶモチベーションにつながりました。スイス滞在中に訪問したYWCAで求められた「女性の持つ強さと若者の持つ強さ」があることを知り、自分の限界を決めつけず、これから積極的にたくさん活動をしていきたいと思います。

─平和大使同士の交流はどんな感じでやっていますか。
布川:6月の広島の研修の時は、周り全員が自分よりもすごい人に見えて、私はまだまだだなと思いました。知らない人たちと一緒の行動は楽しみだけど不安でした。その後の、8月の長崎研修では、急にみんなと近づけた気がしました。心がつながったというか、話ができるようになりました。忙しさや頭いっぱいで余裕もなかった広島の時は、とにかく自分のことをがんばらなくちゃいけないと思っていたのですが、長崎では「みんなでがんばろう」に変わって、協力しようという気持ちが強くなりました。スイスにいる間も、本当にみんな仲良かったんです。補い合えること、助け合えることがわかったというか、「みんなでがんばろう」の度合いが増して、みんなでやらなきゃいけないと感じました。それと、長崎選出の人からは色々と勉強させてもらおうと思いました。署名活動もそうだし、進んでいろんな仕事が出来ていることに驚きでした。日本に帰ってきてからは、みんなでまた集まりたいとすごく思います。
原田:みんなととても仲良くなれました。今でもSNS等で話したり、近況を教えあったりしています。各地でバラバラに活動していても、全国に仲間がいることはとても心強いです。

─今後、高校生平和大使として、やりたいことは。
布川:もっとこの活動の知名度を上げるというか、東京に広めるために、情報を発信していきたいです。東京の署名活動も形が出来てきたので、もっと署名を集めやすくするためにも、その運営もがんばっていきます。具体的な将来の夢ではないですが、1人の人間として、いろんな事を学んで平和活動をして世界に貢献したいです。平和大使になって、スイスから帰国して、今は何でもできそうな気がします。最大限努力していきます。
原田:出会った方々との交流を断ちたくないので、平和大使になって以降出会った人たちには、広島や長崎に訪れてほしいと思っています。また、署名活動の場所に制限があるので、それをなくせるくらいに署名活動の規模を大きくしたり、基地の前で署名活動したりしたいです。平和大使全員でやりたいなと思うことは、日本の被害を知ることだけにとどまらず、日本によって被害を受けた人々とも交流をすることです。もっと視野を広げ、自分の発言を説得力あるものに変えていきたいです。

─来年、高校生平和大使は20周年という節目の年を迎えます。来年選出の大使に期待すること、反対に注意した方がよいと思うことはありますか。
布川:私は、広島で泣いた時、挫折しかけました。だから、来年の大使には、生半可な気持ちではなく、強い覚悟をもって、いろんな事を体験してほしいです。でも、突っ走るのではなく、平和大使同士で協力して、がんばってもらいたいです。
原田:20周年というだけでなく、活動の場が増えることに感謝して、様々な活動を自ら行うくらいであってほしいです。人の話に耳を傾けて、一筆一筆、署名をお願いすることの大切さに気づいてほしいんです。また、小学校や中学での署名活動を許可してもらえれば、平和大使の知名度も上がり、活動の幅も広がるのではないかと思います。

─最後に、一言お願いします。
布川:これからもっと自分を成長させて、皆さんに納得してもらえるように、いろんなところで貢献していきたいです。例えば、人に伝えたい自分の中の思いも大切なんだけど、ちゃんとそれが人に伝わっているかということも大事なことだと思います。そういう点も含めて、平和大使になって、たくさんの大事なことを学ばせてもらったので、これからにつながるようにがんばっていきます。
原田:本当に、たくさんのご支援ありがとうございました。すごくいい経験となりました。

インタビューを終えて
 学校、部活動、そして平和大使としての署名活動や講演活動などで忙しい二人に、インタビューの機会をいただきました。高校生らしい初々しさの中にも、一本芯の通った平和への熱い思いがひしひしと伝わって来ました。
(橋本麻由)

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2016年度版 防衛白書を読む
対話を基調とする安全保障へ転換を

 2016年度版の防衛白書が8月2日に閣議決定された。安全保障法制関連法(戦争法)が成立し、これまでの歴代政権が専守防衛としてきた自衛隊のあり方が、集団的自衛権の限定行使に踏み込み、米軍と一体化して海外展開をより一層広げることが可能となった。こうした日本の防衛政策の大転換後に、初めて出された防衛白書を読んでみる。

都合の悪いことは隠ぺい
 昨年度版の防衛白書では、戦争法制についての国会審議が継続しているにも関わらず、12ページにわたって同法案の概要を説明するなどして批判を浴びてきた。今年度版では、「第3章平和安全法制などの整備」とわざわざ章立てして20ページを費やし、法の概要説明を行っている。「与党のみならず、野党3党の賛成を得て、幅広い合意を形成した」と記述し、数の力に任せて強引な国会運営を行い、成立要件にも満たない強行「採決」をしておきながら、一切その経緯には触れないばかりか、80%にもなる反対の世論や、力強く進められた反対運動についても書かれてはいない。
 解説コラムで、法整備の必要性、諸外国の評価、憲法との関係、駆け付け警護、自衛隊員のリスクや戦争に巻き込まれる危険性など、私たちが懸念する問題について説明がなされているが、今までの政府答弁の域を全く出ていない。つまり、「法の成立後も丁寧に説明していく」という安倍晋三首相の「約束」とは裏腹に、政府にとって都合の悪いことはひた隠しにしている。
 昨年5月の沖縄での米軍属による女性暴行殺害遺棄事件に関しても、海兵隊撤退を求め、地位協定の抜本的改定を求める県民世論に関する言及はない。沖縄における犯罪防止に関する対策の柱として、「防犯パトロール体制の強化が実効的な対策」としているが、この防犯パトロールとして送り込まれた全国の防衛局の職員は、高江のヘリパッド建設に抗議する市民に対する警備に当たっている。こうした職務実態は無論記述はない。
 普天間基地の移設に関しても、「5年以内の運用停止」の定義が、中谷元・前防衛大臣によって再三変わっているが、その経緯と明確な定義が述べられることもない。「辺野古が唯一」と主張するばかりで、その根拠が示されてはいない。

オスプレイの安全性もないがしろに
 オスプレイの配備についても、昨年度は、オスプレイの安全性について「国民の間で懸念が広がった」との記述が見られたが、今年度版では削除され、安全性と災害時などの有用性のみを強調している。「安全性の指標」とされる「事故率」に関する言及はない。
 オスプレイと低空飛行訓練に反対する東日本連絡会が防衛省との交渉を続けているが、その中で防衛省は「一般的に航空機は運用時間を経過するごとに事故率が低減していく」としていた。しかし運用時間が経過するごとに増え続ける事故率が明らかになると「事故率は安全性の一つの指標に過ぎない」とトーンダウン。安全性への懸念がより一層広がっているにも関わらず、その説明すらできない白書のあり方に疑問を感じざるを得ない。
 空軍仕様のCV-22オスプレイの横田配備に関しても、中谷・前防衛大臣が「夜間飛行訓練や低空飛行訓練を行う」と記者会見で述べていたが、これらに関する記述も一切ない。「地元の皆様のご理解とご協力が得られるよう、丁寧に誠意をもって対応していく」という一文がなんと空々しいことか。

説明責任を果たさない安倍政権
 日本はかつての冷戦体制の中で、専守防衛を旨としながらも、旧ソ連や中国など共産圏の防波堤として位置づけられていた。80年代に中曽根康弘・元首相が「列島不沈空母」と発言し物議をかもしたことが記憶に残る。現在においても、冷戦構造は崩壊したものの、北朝鮮の核開発、ミサイル開発や相次ぐ実射実験、そして中国の海洋進出により、東アジアの安全保障環境は良好ではない。しかし、その頃と現在とで、いかに安全保障環境の厳しさが増しているかどうか、その度合いを測ることは難しいし、有益ではない。
 現実の安全保障環境の中で、日本の安全保障政策とその方向性、中国や北朝鮮等との偶発的な軍事衝突を起こさないために具体的な協議など、あり方等が示されなければならない。しかしながら白書からは、そうした努力は見られない。
 中国との「海空連絡メカニズム」に関する経過報告が記載されているものの、日中の防衛交流・協力について、「今後も戦略的互恵関係構築の一環として、様々なレベル・分野における対話を通じて、日中間の信頼関係・相互理解の増進に努める」と、その方針は昨年度版と同様の記述に収まっている。安全保障政策が大転換したにも関わらず、である。
 白書を読んでわかることは、重大な説明責任を果たすべき安倍政権が、それには全く無自覚で、隠ぺいしたり、同語反復を繰り返したりするばかりということだ。
 私たちは、対話を基調とする安全保障へと大転換を成し遂げるための知恵と力量を、不断の取り組みの中から築き上げていくしかない。
(近藤賢)

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南スーダンの現状をJVC報告から考える
止まない武力抗争と極貧の避難生活
フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本 泰成

「駆けつけ警護」の持つ危険性
 「レベル4」─外務省の海外安全ホームページの南スーダンの危険情報です。7月8日の政府軍(キール大統領派:ディンカ族)と、反政府軍(マシャル副大統領派:ヌエル族)の軍事衝突以来、日本人の国外退避勧告および新たな渡航の禁止を外務省は求めています。
 南スーダンは近年、「失敗国家(国家機能を喪失し、内戦や政治の腐敗などによって国民に適切な行政サービスを提供できない国家)」の順位をソマリアと争って来ました。アフリカ諸国の中にあって豊富な石油埋蔵量を誇るも、政治的・部族的対立の中で、国民は戦乱の脅威と極貧の生活を余儀なくされてきました。
 2011年7月9日の南スーダン独立に伴って、その安定と発展のために「国際連合南スーダン共和国ミッション」(UNMISS)が設立され、日本の自衛隊は、同年11月に司令部要員を、12年1月から施設部隊等を順次派遣してきました。安倍晋三首相は、今後は安全保障関連法(国際平和支援法)に基づいて、駆け付け警護や宿営地の共同防衛など新任務を付与し派遣を継続するとしています。
 稲田朋美防衛相は、10月8日に南スーダン首都ジュバを訪問し、陸上自衛隊部隊の活動や現地の治安状況を視察し、部隊宿営地で「南スーダンの平和と安定に貢献しており、活動には大きな意義がある」と訓示し、ジュバでは戦闘が起こる可能性は低いとの認識を示しています。しかし、稲田防衛相が滞在している間にも、ジュバにおいては戦闘行為が発生し犠牲者が出ていると報告されています。
 現在の自衛隊の宿営地はジュバの空港近くで、戦闘地域やその近くのUNMISSの宿営地からは遠いところにあります。駆け付け警護や共同防衛となれば、より戦闘地域に近づかざる得ないことは明白であり、隊員のリスクは増大することは目に見えています。
 日本国際ボランティアセンター(JVC)南スーダン担当スタッフの今井高樹さんの帰国報告会では、7月8日からの政府・反政府軍の衝突の際には、戦闘地のジェベリンクルージュに近いUNMISSのキャンプ地では、戦闘に巻き込まれた中国兵が2人死亡したことが報告されました。政府軍兵士などの国連職員やNGOスタッフへのレイプ事件も報告されています。派遣の前提となる「PKO五原則」にも抵触する事態であることは容易に想像できます。今井さんは「駆け付け警護といっても戦闘の相手が何者であるかの判断も難しく、現在ジュバを制圧している政府軍との関係も微妙となり、またNGOの中立性も損なうことになりかねません」と指摘しています。


グンボ地区での今井高樹さん
(前列右端・JVC提供)

平和憲法の下で武器を使用しない支援を
 戦闘地からナイル川を越えたグンボ地区の教会には、新たに281世帯(主に女性と子ども)が避難してきていること、避難民の多くがその日の食料に困っていることなど、私たちが知り得ない南スーダンの現状があります。インフレ率が600%、治安の悪化と住む家を追われた中で、仕事もない状況に多くの人々が追い込まれています。
 首都を離れた地方の治安は最悪で、逃れてきた避難民の「突然、軍隊に襲撃され、銃の乱射と砲火の中で、鶏のように子どもたちが殺される」という言葉に象徴されるように、略奪と虐殺が繰り返されているようです。「政府・反政府軍だけではなく、様々な少数民族グループが対立を深めている状況があるのではないか」「人々の和解と社会の復興には、長い時間がかかる」と、今井さんは南スーダンの現状に懸念を示しています。
 国連は、今後4000人のPKO部隊の増派を決めていますが、今井さんはその効果は疑問としています。現在、首都を制圧しているのは政府軍ですが、南スーダン政府はPKO部隊の増派に反対しています。また、国外に逃れた反政府軍のマシャル副大統領は、継続した武力闘争を指示しており、武力衝突が起こる可能性は否定できません。どの勢力がどのように対立し衝突するかも判断のつかない状況に入りつつあるようです。
 国内160万、国外100万人の避難民がいて、南部では何万もの新たな避難民が生まれている中、今井さんは「短期の支援はニーズが高い」としながらも、「職業訓練や教育、インフラの復興など、長期的に様々なニーズがある。何をどうするかは、しっかりと考えなくてはならない」とも話しています。南スーダンの住民の日本に対するイメージは、自衛隊ではなくODAであると今井さんは言います。水不足の現地では、水が高くて買えない人々も多く、給水施設を切望しています。また、橋梁工事などの事業への期待や、行政機能が完全に麻痺している中で、その構築への支援も重要と言えるでしょう。
 日本も他国と同様に武力を持っての支援か、平和憲法の下、武器を持たない支援を行うのか、大きな岐路に立たされています。
(ふじもとやすなり)

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前進した加工食品の原料原産地表示の検討
食品表示を考える市民ネットワーク 事務局長 西分 千秋

限定的な表示義務 刺身の盛り合わせに産地無し
 日本は、カロリーベースで食料自給率が40%前後にまで落ち込んだ結果、命の糧である食料を他国からの輸入に過度に依存しています。日本の食卓に大量かつ安価に流入する外国産の食品と原料は、一般的にトレーサビリティ(追跡可能性)の確認が難しく、そのほとんどの情報は消費者に明らかにされていません。こうした背景の下、農産物の残留農薬事故や加工食品の毒物混入事件、産地偽装、汚染されたミニマムアクセス米が食用に不正規流通された事件など、食の安全・安心を揺るがす事件・事故が後を絶ちません。多くの消費者が加工食品の原料のトレーサビリティ確立と、それに基づく原料原産地表示を求めています。
 原料原産地表示は、食品の安全性そのものを示す情報ではありませんが、それを知ることによって、消費者が安全性に関して判断し、選択購入するための大切な情報の一つです。2009年4月に「米トレーサビリティ法(米穀等の取引情報記録と産地情報の伝達法)」が成立し、米とその加工品にトレーサビリティと原産地表示を義務付けました。この法の附則及び附帯決議には、加工食品全般のトレーサビリティと原料原産地表示の義務化の検討が掲げられました。
 1990年代後半、ウメの生産地が中国でありながら、梅干しに加工する工程を和歌山で行っていたという理由で、「紀州産の梅干し」として出荷していたことが問題になったことがあります。このような消費者の誤認を防ぐため、「農林物資の規格化等に関する法律」(JAS法)の下に、2001年に漬物やうなぎの蒲焼など8品目を対象に原料原産地表示の義務付けが始まりました。しかし、14年経った現在も22食品群4品目にしか表示義務化は拡がっていません。
 その原因は、表示義務の対象となるのが、(1)原産地に由来する原料の品質の差異が加工食品としての品質に大きく反映されると一般的に認識されている品目、(2)製品の原材料のうち、単一の農畜水産物の重量の割合が50%以上である商品という要件を満たすものとなっているためです。
 この2つの要件により、輸入原料を使っていても表示されないケースがあります。例えば、スーパーなどで見かけるカット野菜。生鮮品は単品なら原産地表示の義務はありますが、複数のカット野菜の詰め合わせになると加工品扱いとなり、表示ルールが変わります。国産レタス60%、輸入キャベツ40%の場合は「レタス(国産)、キャベツ」ですが、輸入レタス40%、輸入キャベツ30%、輸入タマネギ30%の場合は、いずれの野菜も重量の割合が50%未満のため表示する必要はありません。刺身は単品には表示は必要ですが、盛り合わせは表示義務がないなど、不思議な事例が多数あり不明確な表示制度となっています。

全ての加工食品が対象に 事業者寄りの例外規定も
 今年10月5日の「加工食品の原料原産地表示制度に関する検討会」(消費者庁と農林水産省共催)に出された制度案では、原則「全ての加工食品について、重量割合上位1位の原料の原産地を義務表示の対象とする」となっています。例えば、ロースハムの場合は「原材料名:豚肉ロース肉(アメリカ)、還元水あめ、大豆たん白、食塩、乳たん白…」となります。冠表示といわれる、エビピラフのエビなど、重量比で1位ではなくても製品の特色を示すものについても、原産地表示を普及するとなっています。
 ただし、国別の表示が難しい場合には、事業者の実行可能性を踏まえて例外規定が考えられています。複数国の原料を使用する可能性がある場合は、切替産地を列挙する方法として、例えば「原材料名:大豆(アメリカ又はカナダ)」や「(アメリカ又はカナダ又は国産)」が可能となります。
 また、複数国の原料を使用する場合は「大くくり表示」として、輸入等と表示する方法もあります。例えば、国産を含まない場合は「原材料名:大豆(輸入)」、国産を含む場合は「原材料名:大豆(輸入、国産)」も可能です。
 さらに、「消費者の誤認を防止」「消費者は産地情報の入手に当たって、容器包装の表示を参考にしている場合が多いため、容器包装への表示により行う。補足的にインターネット等による詳細な情報開示を行う。事業者は自主的な情報開示に努める」などとあります。

全ての外食・中食も義務化を
 これまで私達は「食品のトレーサビリティに基づき、原則全ての加工食品の表示を義務化し、加えてすべての外食・中食についても原則義務化する。中小零細企業については、段階的な実施方策や支援策を考慮する配慮が必要」と求めてきましたので、ある程度は実現に近づいたと考えています。
 原料原産地表示検討会では、11月中を目途に「取りまとめ」が行われ、その後、例外規定の基準等が作られ、「内閣府令の改正」としてまとめられ、パブリックコメントの募集が行われてから実施ということになります。
 しかし、上記のように、事業者の実行可能な方策として例外規定が設けられようとしており、実施したら、原則的な国別表示より、例外表示のほうが多かったというようなことが無いように、例外規定の基準作りについても引き続き注目していく必要があります。
(にしぶんちあき)

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もんじゅ廃炉を機に核燃料サイクルから撤退を!
原子力資料情報室 共同代表 伴 英幸

 政府の「もんじゅ」廃炉の方針が示された。これによって50年以上にわたって維持されてきた原子力政策が大きく転換しようとしている。政府は核燃料サイクル政策の継続を模索しているが、それに未来はない。いまこそ再処理を廃止し、原発からの撤退の方向を決める時だ。

設備と組織が劣化し、事故が続出した原子炉
 「もんじゅ」はプルトニウムを燃料にして発電し、消費した以上のプルトニウムを新たに作り出すように設計された「高速増殖炉」と呼ばれる原子炉の原型炉である。これは、開発できれば電力供給はこれだけでまかなえる「夢の原子炉」と呼ばれていた。しかし、試験運転中の1995年に冷却材のナトリウムが配管から漏れて火災になる大事故を起こした。初発電から4ヵ月ほど後のことだ。15年後に試験を再開したが、燃料交換を中継する装置を原子炉内へ落下させる事故をおこしてしまった。95年の事故の後には安全総点検を実施して、設計図面などすべてチェックしたはずだったが、2つの事故とも東芝㈱の初歩的な設計ミスによるものだった。
 高速中性子による核分裂は、高速炉であれ増殖炉であれ、制御が技術的に難しく、暴走爆発事故の危険がある。さらに、ナトリウムが漏洩すると火災に至ることから漏洩対策など、克服すべき課題が多い。経済的優位さもないことから、開発先進国は撤退していき、商業レベルで実用化できている国はない。
 「もんじゅ」の長期にわたる停止によって組織も劣化していった。2012年には1万点におよぶ機器の点検漏れが発覚した。13年には保安措置命令ならびに保安規定変更命令が出されるに至ったが、それでも組織劣化は改善されず、15年には3千点におよぶ機器の重要度分類ミスが発覚し、安全の根幹に関わる極めて深刻な組織的欠陥があることが露呈した。ついに、同年11月13日に原子力規制委員会が「もんじゅ」を所管する文部科学省に、(1)機構に代わって「もんじゅ」の出力運転を安全に行う者を具体的に特定すること、(2)それが困難なら「もんじゅ」という発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すことの「勧告」を行った。
 勧告を受けた文科省は、有馬朗人・元文部科学大臣を座長とする「もんじゅの在り方に関する検討会」を設置して、新たな運営主体探しを進め、再開への道を探った。これに対抗して、私たちは「もんじゅに関する市民検討会」を設置して、機構に代わる新たな主体はなく、「もんじゅ」を廃炉にすべきことを提言した。


もんじゅを廃炉に!全国集会
(2015年12月5日・福井市)

破綻した高速炉開発 原子力政策の大転換を
 新主体探しが難航するなか、今年9月21日に原子力関係閣僚会議が「もんじゅ」について「廃炉を含め抜本的な見直しを行う」方向を政治的に決定した。同会議は同時に「核燃料サイクルを推進」と「高速炉の研究開発に取り組む」方針も決めた。高速炉開発の方針は経済産業省を中心に、文科省や日本原子力研究開発機構、電気事業者および民間メーカーで構成された高速炉開発会議で審議されている。この第1回会合で経産省は、高速炉開発の第一の意義を「高レベル放射性廃棄物の一層の減容化・有害度低減」に置いている。これがごまかしであることは「もんじゅに関する市民検討委員会」で明瞭に示した。
 第二の意義は資源の有効利用という、使い古した言葉の羅列である。経産省の描く当面の高速炉開発は、実験炉「常陽」(文科省所管)の再開もあるが、むしろ中心はフランスの実証炉開発(ASTRID)への協力である。同実証炉開発は2025年完成をめざしているが、すでに基本設計の遅れや資金不足が指摘されおり、先行き不透明である。
 この60年間、原子力政策は資源小国を理由に国産増殖炉の開発を政策目標としてきた。この政策が破綻した意味は大きい。高速炉は言って見ればプルトニウムを消費する原子炉である。使用済み燃料中にある1%にも満たないプルトニウムを使用する程度だから、有効利用というにはほど遠い。発電炉なら、莫大な費用を投入して高速炉開発するには効果が余りに少なく、開発の必要性も意味もない。
 仮にフランスで開発に成功して成果が出たとしても、福島原発事故を経験した日本では高速炉建設に合意する自治体はなく、費用の無駄遣いに他ならない。
 経産省がこれまで進めてきた再処理・プルサーマル路線は、たとえコスト高でも、その先の高速増殖炉開発の実用化があるから意味があると主張されてきた。高速増殖炉開発が放棄されたことで、こうした主張の根拠も失われた。経産省は電力自由化に抗して、再処理をいっそう手厚い保護で維持しようとしているが、この意義も「もんじゅ」廃炉で足元から崩れ去ったと言える。「もんじゅ」廃炉を機に、核燃料サイクル政策から、そして原発政策から撤退するべきだ。
(ばんひでゆき)

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託送料で総括原価方式継続
原発の廃炉費用を消費者に負担転嫁

 電力の小売り自由化が4月から始まって半年。使う側から電気を選ぼうと、もとの電力会社から新電力に切り替えることに決めた消費者も少なくないと思われます。実際にはスマートメーターへの付け替えが進んでいなかったり、再生可能エネルギー中心の電力に切り替えたくても地域によっては選択肢が無かったりで、まだこれからに期待する向きも多いでしょう。それでも、使う電気を選ぶことで、原発によらない社会を選択しようと考える消費者の意義は高く、その市場規模自体も8兆円と大きなものがあります。

消費者の権利を踏みにじる経産省
 ところが、託送料という形で、原発の廃炉費用を新電力にも負担させようという案が、経済産業省から9月に出て来ました。たとえ消費者が自然エネルギーの電力を選んでも、原発のコストやリスクがもれなく付いて来るという、消費者の選択権を無視する重大な変更ですが、経産省内部の「水面下」で進められています。総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会のもと「電力システム改革貫徹のための政策小委員会」の第一回会合が9月27日に開かれ、年内に中間とりまとめというスピードで方向性が決められます。
 福島第一原発の廃炉・賠償費用、他の原発の廃炉費用あわせて8.3兆円を送電費用である託送料から取って、広く一般消費者に負担転嫁するというもの。政府の想定では、家族3人の標準家庭で月額数十円から200円程度の負担増だと言われています。
 原発事故の賠償費用については、すでに原子力損害賠償・廃炉等支援機構(原賠機構)という仕組みを作って、本来責任のある東電の救済に国費を注入していて、当初5兆円の上限は今や9兆円にもなっています。また、原発をもつ電力会社は、「一般負担金」として原賠機構に納付している費用を電気料金の中に既に入れており、廃炉費用についても会計制度の見直しを昨年行い、電気料金の原価に入れる道筋をつけています。
 段階的に進められている電力システム改革の第3段階の送配電部門の法的分離後も残る託送料金の総括原価方式を悪用し、一切の責任を転嫁、既得権を保護しようと言うことにしか見えません。経産省や電事連は原発の発電コストは安いと主張し、国策のエネルギー基本計画に盛り込んで推進しながら、一方で原発を持つ電力会社が費用を負担できないと、国費や他の新電力の消費者にまで負担させるこの方式は、まるで戦前の「国家無答責」が、原子力ムラでは今でも続けられているかのようです。「電力システム改革貫徹」とは名ばかり、「電力システム改革骨抜き」「既得権保護貫徹」ではないでしょうか?
 原発の費用を託送料金に、という争点は、2004年の使用済燃料再処理等引当金の議論でも出て来たものです。ちょうどその頃、経産省内で核燃料再処理のバックエンド費用19兆円のツケをどうするか、という文書も出回る中、託送料から回収する方式を電事連が提案しましたが、(当時の)新電力が猛反対して実現しませんでした。この再処理等引当金は、今年「再処理等拠出金法」で変えられて、電力会社からこの10月3日に発足した「使用済燃料再処理機構」に拠出され、たとえ電力会社が破綻しても再処理が継続される体制がとられています。今回復活した、託送料金に原発のコストを乗せる議論がこのまま進むようなことがあれば、いずれ再処理など核燃料サイクルのコストも託送料金で、という話が出てこないとも限りません。
 今回の議論からは、新電力の反発があまり聞こえて来ません。それには、同時に抱き合わせで提案された、原発など低価格で提供される「ベースロード電源」市場の創設と、そこへの新電力のアクセスを容易にすることがあります。新電力の大手はこの低価格電源市場を歓迎、原発の電力に抵抗のある自然エネルギー指向の新電力だけが割をくう形です。政府は巧妙な行政手法で会計制度も都合の良い様に変えて、原発を電力自由化の競争から守り、手厚く保護しています。東京電力の営業利益は2015年度で3400億円を超えました。コスト転嫁して安くした原発の電力も新電力に与えるから、より一層の負担転嫁にも協力しろ、とは詐欺まがいとも言えるやり方では無いでしょうか?
 電力以外の他の製品であれば、かつて買った製品のコスト計算が違ったからといって購入者にその分の費用を負担してもらうために集金にまわるなどあり得ない話です。電力だけがなぜ、常識的にあり得ない議論が出て来るのでしょうか?総括原価方式ですでに託送料金に入れられている費用には、2005年までの使用済燃料の再処理費用や電源開発促進税もあります。電力小売り自由化といっても、見えにくい形で原発のコストを自然エネルギーからの電力を買おうとする消費者にも転嫁しているのです。

パワーシフト・キャンペーンが声明
 新電力が原発のコストも負担するようでは、消費者の選択の権利も、原発以外の電力を買うことでの脱原発への意思表明も損なわれてしまいます。原水禁も協力するパワーシフト・キャンペーンでは、声明「国民への8.3兆円負担転嫁ではなく原発政策の転換を」を発表、「電力システム改革貫徹のための政策小委員会」を注視しています。声明への賛同署名を以下のURLで募集していますので、ぜひご協力ください。
(金生(かのお)英道)
http://bit.ly/denki-b

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もんじゅ廃炉でも再処理
──再処理中毒の日本

 政府は9月21日、開発費も入れると総額2兆円以上も注ぎ込んだにもかかわらず20年間で250日しか運転されていない高速増殖原型炉もんじゅについて、年内に廃炉を含む抜本的な見直しをして方針を決定すると発表しました。事実上、廃炉を決断したということですが、それでも「核燃料サイクルを推進する」とのことです。民主党政権時代に策定された「原子力革新的エネルギー・環境戦略」(2012年9月)が、2030年代末までに原発ゼロの方針を謳いながら再処理政策は継続としたことを想起させます。国際的な懸念を呼んでいる核兵器利用可能なプルトニウムの蓄積政策だけは何があっても変えられない日本。日本の反核運動は政府にこの政策の見直しを迫ることができるのか、世界が注目しています。

存在しない問題の解決方法を求めた夢から覚めない日本
 再処理は、元々、ウランが近い将来枯渇するかもしれないとの想定に基づき、プルトニウムを燃やしながら使った以上のプルトニウムを生み出す夢の「高速増殖炉」に初期装荷燃料を提供するために構想されました。しかし、心配されたウラン枯渇は起きず、しかも増殖炉の技術は予想以上に難しく、いつまで経っても夢は実現しない。そこで計画されたのが、再処理でたまってしまったプルトニウムをウランと混ぜて「混合酸化物(MOX)燃料)」にし、これを無理矢理軽水炉で燃やすプルサーマル計画です。ところが、ウラン燃料を買ってくる場合の10倍ほどかかるこの「プルサーマル計画」も上手く行っていない。その結果、日本の保有するプルトニウムは、2015年末現在で約48トンに達しています。国際原子力機関(IAEA)の計算方法で核兵器約6000発分に相当します。2018年上半期に運転開始予定となっている六ヶ所再処理工場は年間8トンのプルトニウムを取り出す能力を持っています。プルサーマル計画でプルトニウムを「消費」することになっている原子炉で現在運転されているのは伊方3号機だけです。
 もんじゅについての方針を決めた9月21日の原子力関係閣僚会議で配布された資料によると、日本は「核燃料サイクルを推進するとともに、高速炉の研究開発に取り組むとの方針を堅持する」といいます。新設の「高速炉開発会議」が、高速炉開発方針を年内に策定し、原子力関係閣僚会議がこの方針ともんじゅの方針の両方について決定するという仕組みです。要するに、もんじゅを主人公とした旧夢物語を捨てるために、主人公を変えた新夢物語が必要ということです。この物語があれば核燃料サイクル政策自体は正しいと主張することができると考えているのでしょう。フランスが2030年ごろに運転開始をめざす高速炉ASTRIDを主人公に新夢物語を描こうという「高速炉開発会議」を構成するのは、経産相、もんじゅを所管する文部科学相、電気事業連合会会長、もんじゅを運転する資格がないと原子力規制委員会の宣告を受けた原子力研究開発機構の理事長、もんじゅの主要機器の製造会社である三菱重工業の社長の5人です。旧夢物語の延命に汲々としてきた――また、再処理「永続」機構の設立に関わった――面々が10月7日に初会合を開き、旧夢物語放棄に必要な新夢物語の密室での創出に取り掛かりました。だがASTRIDは19年に完了予定の基本設計までしか予算が確保されていません。当座の主眼は旧夢物語の放棄を正当化することであって、新しい夢の実現可能性はどうでもいいということでしょうか。

オバマ大統領の夢と悪夢
 「核兵器のない世界」という「夢」を語るオバマ政権は、核拡散・核テロ防止のために再処理を放棄するようにとのメッセージを日本に送り続けています。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で核兵器利用可能物質の保安体制を強化するために核セキュリティー・サミットを開くことを発表しました。このサミットの最後となる第4回会合のワシントンDC開催を控えた3月17日に上院外交委員会で核セキュリティーに関する公聴会が開かれました。この公聴会においてトーマス・カントリーマン米国務次官補(国際安全保障・不拡散担当)が日本に警告を発しています。次官補は、再処理には経済性も合理性もなく、核拡散防止の観点から「すべての国が再処理の事業から撤退してくれれば、非常に嬉しい……本質的な経済性という問題があり、米国とアジアのパートナー諸国が問題になっている経済面および核不拡散面の問題について共通の理解を持つことが重要だ──日本との原子力協力協定の更新について決定をする前に」と述べたのです。協定は2018年に満期を迎えます。
 しかし、日本は米国や国際社会の懸念をよそに、無意味なプルトニウムの蓄積を続けようとしています。電力自由化の中で原発所有電力会社が倒産しても再処理を続けるために考案された「使用済燃料再処理機構」が10月3日に発足しました。電力会社は発電時点で使用済み燃料の再処理・MOX燃料製造費用を同機構に拠出する。実際の再処理は機構の委託を受けた日本原燃が行う。原発がなくなってもプルトニウムをため込み、MOX燃料を作るという「悪夢」遂行の「不退転」の決意です。
 ここで「プー王国」のお話しを一つ。
 臣下:A国を侵略する計画ですが、なかなか手ごわいので、放棄したほうがよろしいかと。つきましては、これを放棄するために、B国を侵略する計画が必要になります。国民に侵略政策自体は悪くなかったと説明するためです。
 王様:本当にB国を侵略する計画を実行しようというのか?
 臣下:それはまた後で考えましょう。いずれにしても、我々年老いた臣下は計画の準備をあれこれして、いざ実行が必要というころにはみんなあの世に行っていますから。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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《投稿コーナー》
問題だらけの豊洲市場移転 築地を残せ
食の安全・監視市民委員会運営委員 明治大学法学部講師 山浦 康明


建設が進む豊洲新市場(9月5日撮影)

 小池百合子・東京都知事が、中央卸売市場・築地市場(中央区)の豊洲(江東区)への移転延期を決めて以降も、多くの問題が明らかになっています。豊洲市場に作られた青果棟、水産卸棟、水産仲卸棟の地下に盛り土がなく空洞になっていた問題の他、各棟の空洞の大気から発がん物質のベンゼンを検出、空洞にたまった地下水からも強い毒性を持つシアン化合物、ヒ素、六価クロムが見つかりました。各棟の土台を盛り土にせず空洞としたことについて、専門家会議の決定を覆して都と設計会社がどのように契約をしたのかが未だ不明です。都の組織的決定の仕組みも不備であったことが明らかになってきており、今後も予算の使い道や利権にからむ問題も出てきそうです。

43000倍もの発がん物質が検出された土地
 ここで改めて豊洲市場の移転の問題を振り返ってみましょう。
 移転先とされた豊洲の埋め立て地は、もともと東京ガスのものでした。ここでは石炭からガスを製造し、その過程で出た汚染物質を敷地内に流し込んでいた可能性があります。これまで見つかった汚染物質から、それ以上の値であってはならない環境基準値に対し、発がん性を有するベンゼンが43000倍、青酸カリ930倍、ヒソ化合物43倍、鉛22倍、水銀24倍、六価クロム3.6倍、カドミウム6.7倍などが検出されており、強い発がん性を有するベンゾピレンも見つかっています。
 東京都の購入計画を期に、1998年、東京ガスは汚染調査を行い、同時に都と市場移転用地の話し合いをしました。売却にあたり、東京ガスは100億円余りをかけて土壌汚染対策を行いましたが、不十分でした。本来しっかり対策をするのであれば1000億円以上かかります。しかし、東京都は汚染対策が完了したとして、東京ガスから土地を購入しました。ところが、次々に汚染の実態がわかり、都は多額の資金(1900億円あまり)を注入して対策をとってきましたが、肝心の重金属汚染は未解決なままです。しかも2005年に都は東京ガスと「土地の汚染が見つかっても東京ガスに汚染対策を求めない」との密約までしていたのです。
 この間、関係者による協議会もたびたび開かれて検討されていましたが、都の情報提供は不十分で、多くの問題があるにもかかわらず、オリンピックのための道路を開通させる目的なども絡んで、移転ありきの政策が進行してきたのです。

事業者にとっても使い勝手が非常に悪い
 豊洲移転については構造的、制度的な問題点もあります。
 中央卸売市場は公共市場としての役割があり、築地はその中心的な位置を占めています。せり取引によって適正な価格形成がなされ、生産者(産地)と商店街(消費者)、そして地域経済を守ることができます。近年、大手スーパーなどによる相対取引のウエイトが高まり、また、国も「せりを原則とする」ことから転換しています。豊洲新市場では、大手食品事業者が卸売事業者から直接買い取る「相対取引」のウエイトが今まで以上に高まり、加工・パッケージの作業をしやすくする仕組みが重視されています。輸入された冷凍ものの取引もさらに増え、大手食品事業者の流通センター化する可能性もあります。
 新市場は交通の便も悪く、観光客もガラス越しに一部を見学するだけになり、集客力はみこめません。仲卸などの事業者からの使用料収入と市場運営のコストを考えるとすぐに財政面でも破綻しそうです。
 また、新市場は構造的な欠陥もあります。これまで市場内に商品を大型トラックで運び込んできましたが、駐車場は限定され、市場内での商品の運搬には不都合です。築地で事業者が使っていた「ターレー」と呼ぶ電動カーやパワーリフトなどは重量が重く、また建物が多層ビルとなるため、これまでのように自由に敷地内を走れなくなります。建物の床の加重耐久性も疑問視されています。
 床の洗浄に使う水は、これまでのように海水を使うことはできなくなり、水道料金を払って使うことになります。活魚用の水槽に入れる海水を取り入れる取水施設は仲卸の建物のすぐ脇の晴海運河に設けられており、この水が重金属汚染されているため鮮魚類の汚染が心配されます。さらに、水産物と青果物の市場が道路で分断されており、買い出し人の商売に支障が出るなど、関係事業者にとっては使い勝手が非常に悪いものなのです。
 今後、小池都知事が豊洲への移転を容認する可能性がないとはいえません。しかし豊洲の問題点を考えれば、オリンピックのための道路を確保するために築地市場を解体するなど浅薄な途を選ぶより、食の安全を第一に考え、現在の築地市場を改修して使うことが求められます。
(やまうらやすあき)

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各地の1000人委員会の活動から
「安保法制反対!」のテレビCMを放映
宮崎県・平和・人権環境労働組合会議 事務局長 津久江清一

 宮崎県は、「戦争をさせない1000人委員会」の組織を新たに立ち上げず、従来からある「くらしと平和を守る宮崎県実行委員会」(県労組会議、9条を守り憲法をいかす県民会議等で構成)で「1000人委員会」が提起する運動を取り組んでいます。
 「安保法制」廃案にむけ、数多くの集会を開催してきました。宮崎県全体の運動にするために、各地区(9地区労組会議)での取り組みを提起し、集団的自衛権行使の閣議決定から「安保法案」が国会で審議された期間に、集会・デモ・リレースピーチ・チラシ配布等、創意工夫した運動が計27ヵ所で行われ、延べ10000人の政党・労働団体・市民など広範な人たちが結集しました。
 県央主催の集会では、講談師の神田香織さん、「戦争をさせない1000人委員会」事務局長の内田雅敏弁護士などに参加してもらいました。(写真。2015年9月5日)また、社民党、民進党、共産党、市民連合で構成する「安保法制に反対する!オールひむかネット」が主催する集会や、「安保法制に反対する県弁護士有志の会」が主催する集会にも参加しています。
 2つ目はテレビCM放映・新聞意見広告の取り組みです。「安保法制反対!」の声をより大きく拡げようと企画し、特にテレビCMは、県労連系、市民団体にも呼びかけて実行委員会を結成し、CMの中身、放映日程、資金面を検討し、2015年8月20日から9月14日まで放映しました。
 3つ目は、講演会・学習会で、宮崎では1981年に学者・文化人、労組、社会党(現社民党)、民主団体、市民らによって「平和と民主主義のための県民連合」(平民連合)が結成され、歴史的な節目の日に講演会やシンポジウム、上映会等を長年取り組んでいます。2015年は、安保法制、自民党の「改憲草案」などを主なテーマにし開催してきました。
 4つ目が、街宣・アピール行動の取り組みです。県央では毎月19日の行動として、12時15分~45分まで、宮崎市の中心街でアピールを行ない、その後、市内を辻立ちしながら街宣を行なっています。各地区においても同様の取りくみを行なっている地区もあります。宮崎でも全国の仲間とともに「戦争法廃止」「安倍政権打倒」をめざしてがんばり抜く決意です。
(つくえせいいち)

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〔本の紹介〕
「奪われた村 避難5年目の飯舘村民」
豊田直巳監督 2016年/日本

 福島第一原発事故の収束作業が遅々として進まないにも関わらず、今年に入ってから安倍政権は川内や伊方原発を再稼働させました。さらなる再稼働と原発輸出を進めたい政府は、福島の事故をなかったことにしようと自主避難者への住宅提供を打ち切り、住民を強引に帰還させようとしています。あまりに姑息で醜悪な手口に、私たちは怒りを禁じえません。
 生業を失い、家族をバラバラにされ、未来さえも奪われた福島の人たちの苦しみ、悲しみ、憤り…。ドキュメンタリー映画「奪われた村避難5年目の飯舘村民」(著作・制作「奪われた村」実行委員会)を見ると、村を奪われた人々の憤りに胸が締め付けられます。
 「謝れ!償え!かえせふるさと飯舘村」─原発被害糾弾飯舘村民救済申立団と弁護団の協力のもとに製作された本作は、村民ひとり一人への丁寧なインタビューで構成されています。村民たちは特に声を荒げたりしませんが、その言葉には重みがありリアリティが込められています。野菜や炭の直売所を営んでいた人々。「豊かではなくても、みんなで分かち合って楽しい生活をしたい」という村民たちの素朴な夢を、原発事故は一瞬のうちに奪い去ってしまいました。村民が想いを込めて耕した土は、いまやフレコンパックの中です。
 100歳の誕生日を迎えたとき「長生きしてよかった」と語っていたはずの大久保文雄さんは、避難生活の苦しさの中で「ちと長生きしすぎたかな」と自ら命を絶ってしまいました。淡々と語る村民たちですが、その言葉からは原発事故を引き起こした者たちへの怒りが伝わってきます。畑を奪われ、家族を奪われ、文化も奪われ、にもかかわらず事故を引き起こした張本人たちは知らんぷりで原発を再稼働させている。そんな村民たちの想いを、自分はどれだけわかっていたのか。映画を見ながら、怒りと同時に「自分ももっとがんばらないといけない」という思いがこみ上げてきました。
 怒りを忘れることなく、避難者たちと共にたたかっていきたいという気持ちを持つこと。それこそが核なき世界の実現をめざす者に必要なはずです。そういう意味からも、本作の意義はとても大きいと思います。
(パク・スンハ)

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核のキーワード図鑑


結局、国民に負担を強いるつもりなの

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「沖縄県民の民意尊重と、基地の押し付け撤回を求める全国統一署名」にご協力を

 沖縄ではいま、貴重な生物のいのちの森「やんばる」を切り開くオスプレイ・パッドの建設が、「本土」から派遣された多数の機動隊や自衛隊まで投入して強行されています。これに対し、オスプレイが飛来すれば事故の危険や爆音で生活が壊される高江の住民をはじめ、沖縄県内や「本土」からかけつけた人びとの非暴力の抵抗が毎日つづいています。また、名護市辺野古に新たな米軍基地建設を強行しようとしています。
 このような政府・防衛省の暴挙をくいとめるため、沖縄の「基地の県内移設に反対する県民会議」と、辺野古埋め立てに反対してきた「『止めよう!辺野古埋立て』国会包囲実行委員会」、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、沖縄にこれ以上基地をつくらせないための全国統一署名を展開することになりました。署名は、2017年1月に開かれる通常国会に第一回集約分を提出する予定です。多くの方のご協力をお願いします。

名称「沖縄県民の民意尊重と、基地の押し付け撤回を求める全国統一署名」
署名用紙は以下からダウンロード出来ます。
http://www.anti-war.info/information/1610071/
集約日2017年1月10日
署名集約先 東京都千代田区神田淡路町1-15塚崎ビル3F「総がかり行動実行委員会」

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