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ニュースペーパー2017年5月

2017年5月 1日

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「共謀罪」法案の廃案を求める4.6大集会
 「話し合うことが罪になる」─「共謀罪」法案(組織犯罪処罰法改正案)が衆議院で審議入りした4月6日、東京・日比谷野外音楽堂で、「共謀罪」法案の廃案を求める大集会が開かれ、3700人が参加しました。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と「共謀罪NO!実行委員会」が主催、参加者は「共謀罪NO」と書かれたプラカードを手に「テロ対策だとうそをつくな」「ぜったい廃案に」と声を上げました(写真)。
 開会挨拶で弁護士の海渡雄一さん(共謀罪NO!実行委員会)は、「今、戦争か平和の道かの岐路にある。今日の国会審議入りに強く抗議する。現代の治安維持法を許さず、廃案をめざして最後まで闘おう」と呼びかけました。各野党代表も「市民と野党が力を合わせて必ず廃案に追い込もう」と訴えました。
 各界からは、日本ペンクラブ専務理事でノンフィクション作家の吉岡忍さんが「市民を監視し、内心の自由や言論表現の自由を踏みにじり、立憲主義を揺るがすものだ」と批判、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの青木初子さんは「不当に長期勾留された山城博治さんは釈放されたが、沖縄基地反対運動への弾圧で共謀罪が先取りされている」と支援を要請しました。今後も国会審議のヤマ場で緊急行動が予定されています。

インタビュー・シリーズ:120
罪を償わせない限り、国は同じ過ちを繰り返す
横浜事件国家賠償訴訟 原告 木村まきさんに聞く


きむら まきさん プロフィール
 1949年岩手県生まれ。出版社などに勤務。92年、横浜事件元被告人の木村亨さん(当時76歳)と結婚。出会ってまもなくから横浜事件についての活動を始める。98年7月に木村さんが死去。横浜事件第三次再審請求の請求人となり同年8月14日に8名で横浜地裁に提訴。2010年まで裁判を続けた。12年に平館道子さんと二人で横浜事件国家賠償訴訟を提訴。東京高裁で第二回口頭弁論まで進んでいる。
 横浜事件1942~45年、中央公論や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。拷問による取り調べで4人が獄死したほか、約30人が有罪判決を受けた。

─木村亨さんとの出会いについて教えてください。
 私はもともと社会運動については疎かったんです。最初の就職先で丸三年働いた後、日本エディタースクールの昼間部に一年通ったんですが、そこでの授業で横浜事件についてはじめて知ったんです。だからといって本を読んでみようとまでは思わず、詳しく知るようになるのは木村亨との出会いがきっかけです。中野で幅広く市民活動をしていた庄幸司郎さんという方がいらっしゃいました。その人の主催する「望年会」があるというので行ってみると、「横浜事件を生きて」という映像の試写会を兼ねた催しだったんです。私は遅れていきましたから、その映像の終わりが近づいたころに着いたのですが、庄さんが「ここに木村亨さんがいらしているのでご挨拶をお願いします」といって木村が短く挨拶して、それをきっかけに知り合ったんです。

─横浜事件のことについて伺います。まず木村さんの経歴について。
 木村亨は和歌山県の新宮で生まれました。大逆事件の犠牲者が何人か出た町です。その中の一人に大石誠之助という人がいました。アメリカで医師免許を取得し、帰国してから新宮で開業医をしていて、木村の祖母もその患者の一人だったそうです。大石さんが処刑されたとき、まだ幼い木村に向かって祖母が「貧しい人からお金を取らないようないいお医者さんがどうして殺されなければならなかったんだろうね」と言うのを時々口にしていたと。また旧制中学に通っていたときは、校長がプールを造るために生徒から集めたお金を使い込んでいたことをいち早く察知し、校内新聞で告発しようとしたそうです。ところが校長に見つかってしまい「お前は退学だ、退学だけではすまない。祖国ロシアに帰れ!」といわれたと。このように少年期に強烈な体験をしていたみたいです。中央公論社には、早稲田大学の掲示板に「新進気鋭の編集者求む」という張り紙がしてあるのを見つけたそうです。もともとジャーナリストになりたいと思っていたので、飛びついて入社試験を受けたそうです。雑誌「中央公論」を担当したことはなく、ずっと書籍部員でした。

─横浜事件で逮捕されたとき、木村さんはおいくつでしたか?
 27歳でした。中央公論社に入ってから5年くらいでした。当時の特高警察は、日本の侵略戦争を批判しアジアの民族との友好を訴えていた社会評論家の細川嘉六さんに目をつけていました。そこで細川と仲間の編集者たちが写っている宴会の写真を利用して、木村ら写真に写っている人々が「共産党再建のための準備会議」を開いたとでっちあげ、治安維持法違反容疑で逮捕・拷問しました。さらに政治経済研究会、ソ連事情調査会、朝日新聞社・日本評論社などのジャーナリストらが一網打尽に逮捕されました。
 具体的に何かしていたわけではありません。木村自身、戦争反対の意思は持っていたと思いますけど、捕まった人全部がそうだったとは思えません。ただ、細川嘉六の周辺にいるジャーナリストらは、やはり侵略戦争をそのままにしてはおけないという気持ちを持っていた人たちが多かったのではないでしょうか。

─かなり厳しい拷問にあわれたのでしょうね
 当時、埼玉県の与野に住んでいて、1943年5月26日早朝、いきなり横浜の特高警察5~6人に寝込みを襲われたということです。そのとき木村は最初の結婚をしていて、両親と妻のいる前で引っ張られて行きました。最初は浦和の検事局に連れていかれ、その日のうちに横浜の代用監獄、留置場に入れられて1回目の取り調べを受けました。取り調べをするぞということは、イコール拷問を意味する時代でした。

─ところが、そうこうしているうちに日本は戦争に負けてしまいます。日本は8月14日にポツダム宣言を受け入れた。横浜事件の裁判は、人により7月25日から9月15日までの間に行われました。たった一日で公判と判決の言い渡しが行われます。
 木村の裁判は9月15日でした。木村が受けた判決は懲役2年、執行猶予3年。そういう判決が多いです。弁護団では、8月14日に日本がポツダム宣言を受諾したので、その時点でポツダム宣言の精神に違反する治安維持法は既に廃止されたはずだということを主張していました。
 そこで、戦後すぐに告発を開始します。横浜拘置所の地名をとって「笹下会」と名付け、33人で特高警察を共同告発しました。6年かかりました。最高裁まで闘って、かなり大勢いた特高警察のうち3人だけ有罪が確定したんですけれども、その4日後にサンフランシスコ講和条約の特赦があって、結局1日も獄に入らなかった。しかも木村たちがその事実を知ったのは78年9月のことです。木村は「苦労して裁判して、なんとか追いつめて、最高裁も特高の拷問を認めたはずなのに、まさか1日も獄に入っていなかったとは」ととても驚いたそうです。


埼玉にある丸木美術館前での木村夫妻(1995年頃)
─その後、長い年月をかけて再審請求を闘いますね。
 第一次再審請求は86年7月に提訴したのですが、91年3月に最高裁から棄却されました。その理由が、当時の判決文が残っていないからだと言う。GHQが来るからと慌てて、国自らが保管義務のある証拠書類を焼いたのに、それがないことを理由に棄却され続けました。
 そこで、今度は国際的にアピールしようと、91~93年に続けて国連欧州本部の人権委員会に行きました。目的は委員会の本会議で発言することだったのですが、簡単にできることではない。どうしても3年目は発言しなければと、木村は1か月間ホテルの一部屋を借りてチャンスを待ち続けました。そしてお世話になっている牧師さんを通じて、国連NGOの資格を認められた「世界教会協議会」の発言枠を借りることが出来て、英語で10分間スピーチができました。国連人権委員会差別防止と少数者保護小委員会第45会期第10号議題「司法行政と被拘禁者の人権」においてです。ところが日本政府からの回答には、「日本は法治国家で人権は守られている」と、決まりきった文句が書いてあるだけでした。
 第3次再審請求は木村が亡くなって1ヵ月後の98年8月14日に8人で提訴しました。そのうち3人は被害者本人でしたが、2人は間もなく亡くなり、最後の方が亡くなったのが2003年4月で、横浜地裁がついに再審開始を決定する直前でした。再審の扉をあけるのは「ラクダが針の穴を通るほど難しい」と言われます。それを通ったんですから、裁判が始まったら必ず勝つだろうと多くの人が考えていたんです。ところが、横浜地裁も免訴、高裁も免訴...。そして最高裁で免訴が確定したんです。
 でもこれで終わりにしたくないので、わたしと遺族の平館道子さん(金沢大学名誉教授)の二人で新たに横浜事件国賠弁護団を結成して頂き、現在、国家賠償訴訟をたたかっています。

─国賠訴訟ということは、国の責任をはっきりと認めさせるということです。ただ、戦前の政治弾圧が断罪されたことはなかったと思いますが、裁判の進展はどうなっていますか。
 小林多喜二のことについては広く知られていますけど、知られていない事件もいっぱいあると思うんです。ところが犯罪者であるはずの内務省の官僚は逆に出世する。例えば内務官僚だった鈴木俊一も、都知事をやったりした。きちんと罪を償わせないと、こういうことをいくらでも繰り返すと思うんです。
 東京地裁で2013年2月に第1回口頭弁論があって、第18回まで進めました。けれど去年の6月30日に棄却され、すぐに東京高裁に控訴しました。第2回口頭弁論が2月20日に行われ、3回目が5月22日にあります。

─このように横浜事件の真実をハッキリさせるために闘い続けている木村さんですが、共謀罪のことを「平成の治安維持法です」と批判されていますね。
 共謀罪も突然出てきたわけじゃなく、その前にも破防法や特定秘密保護法等がありました。木村亨もそれについては本当に危険だと発言していましたね。もしいま木村が生きていてもやはり黙ってはいないと思います。
 もし共謀罪が新設されてしまったら、また横浜事件のようなえん罪が繰り返されてしまう。確かに、抵抗精神、行動は当時よりも広がってきていると思います。インターネットなどですぐ情報交換ができます。でも、特定秘密保護法であったり戦争法であったり、わたしたちは負け続けて来ました。負けたことは悔しいですけど、悪法が成立してしまってもそれで終わりではないので、ひとつひとつの事例に対してしっかり、どこまでも抵抗していくことが大事だと思っています。

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武器輸出反対運動から見えること─「死の商人国家」は止められる
武器輸出反対ネットワーク(NAJAT) 代表  杉原 浩司

難航する武器輸出、進展する共同開発
 2014年4月1日の政府の武器輸出三原則の撤廃から、丸3年が経った。川崎重工製の対潜哨戒機P1の英国輸出での敗北、豪州への潜水艦商戦での落選に加えて、楽観視されていたインドへの軍用救難飛行艇US2の輸出も、思いの外難航している。森本敏・元防衛大臣は昨年6月、潜水艦商戦に落選した原因に関して、「いわゆる『レピュテーションリスク』という、『武器商人になるのか』と言われるという気持ちも企業の中にまだ残っている」と述べた。「レピュテーションリスク」とは「企業への否定的な評価や評判が広がることで信用やブランド価値が低下し、損失を被るリスク」のこと。彼は、昨年10月の「国際航空宇宙展」でも、「アジアにそっくり装備品を移転するのは難しいのではないか」「日仏、日米などで共同開発した装備品の供与を考えるべき」と発言した。新たに浮上したニュージーランドへの川崎重工製のP1哨戒機、C2輸送機の輸出案件も、欧米軍需企業との一騎打ちが予想され、簡単ではない。
 一方で、武器の共同研究・開発は着実に進展している。武器輸出の「先駆け」となった日米「ミサイル防衛」共同開発は、「SM3ブロック2A」の海上迎撃試験の「成功」(17年2月)を受けて、生産段階に移行しつつある。日本は21年度から調達する見込みで、欧州や中東にも輸出されようとしている。また、三菱電機が参画している日英の空対空ミサイル共同研究は、17年度中に共同研究が終了すると見られ、開発に向かうことは必至だ。さらに、1月5日の日仏防衛相会談では、機雷探知技術の共同研究が合意された。
 加えて、いったん沈静化したと見られるが、昨年6月にはイスラエルとの無人偵察機の共同研究という信じ難い動きさえ発覚した。また3月には、防衛装備庁と英国防省がステルス戦闘機開発に関して、機密を含む情報交換を可能とする覚書を結んだ。今国会には、中古武器を無償または安価で輸出するための防衛省設置法改悪案も提出されている。


フィリピンに「輸出」されたTC-90
(写真は防衛省サイトから)
日米「軍産学複合体」の融合へ
 現在進行中の武器輸出戦略の再構築の柱は、日本が得意とする民生技術を、米軍など他国の武器開発に積極的に提供するものだ。それは、昨年8月末に防衛装備庁が公表した3文書に明確に示されている。20年先を見すえた武器開発の青写真とされる「防衛技術戦略」は、日米による武器開発の一体化を狙っている。
 その付属文書である「中長期技術見積もり」は、今後優先すべき分野に、無人化(ロボット化)、スマート化(人工知能)、高出力エネルギー技術(レールガン)を挙げている。これらは「第3の相殺(オフセット)戦略」(民間技術の取り込みによる武器の革新で軍事的優位を確保)を掲げる米軍が重視している分野に重なる。同時に公表された「将来無人装備に関する研究開発ビジョン」では、初めて「戦闘型無人機」の開発に踏み込み、アフリカ等の紛争地域での運用すら構想している。
 昨年11月下旬には、経産省の仲介で米国防総省関係者が日本の民間企業を集めて、米軍の武器に応用するための民生技術の秘密調査を行った。さらに、大学や研究機関に軍事研究をさせる防衛省の「安全保障技術研究推進制度」の予算は、2015年度が3億、昨年度6億から、今年度は18倍の110億円に激増した。

日本学術会議が軍事研究禁止声明を「継承」
 これに対して、日本学術会議は検討委員会での審議を経て、3月24日の幹事会で「軍事的安全保障に関する声明」を決定。過去の軍事研究禁止声明を「継承」し、防衛省の制度を「問題が多い」と批判した。制度への応募を強く抑止する内容で、何とか踏みとどまった。
 一方で、検討委員会委員も務めた大西隆・学術会議会長が学長を務める豊橋技術科学大学が、声明を骨抜きにするガイドラインを策定し、大西会長も「声明は応募がだめだとは書いてない」と公言している。大学に厳格なガイドラインを作らせ、制度に応募させない取り組みが重要になっている。
 さらに、科学技術政策の「司令塔」とされる「総合科学技術・イノベーション会議」のもとに、軍民両用技術の開発を推進する研究会が設置されようとしている。ただし、その動きが事前に大きく報道されたことで、委員を打診されていた研究者らが動揺し、研究会の設置は延期を余儀なくされている。ここでも「レピュテーションリスク」が効果を発揮している。日本を、戦争を欲する「死の商人国家」にさせないための正念場はここ1~2年だろう。政府が前のめりでも企業が躊躇すれば、武器輸出は進展しない。軍需企業に「死の商人にならないで」の声を届けよう。
(すぎはらこうじ)

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軍事偏重と自国ファーストの全面開花
トランプ米大統領の安全保障政策を考える


トランプに抗議するデモ(Peace Actionサイトより)
 1947年冷戦開始期のアメリカで「国家安全保障法」(NationalSecurityAct)が制定され、「国防総省」、「中央情報局(CIA)」、「国家安全保障会議」が創設された。NationalSecurityでは戦争等の言葉を避け、ニューデール政策で生まれ、年金などを規定して人気のあった「社会保障法」(SocialSecurityAct、Security)という同じ言葉が使われている。軍事的文脈を持つ安全保障という言葉自体が、いま流行の「ポスト真実」の精神から生まれたといえようか。

政権100日間で明らかになった軍事力依存
 トランプ米大統領は「核戦力は米国が一番でなければならない」、「ロシアと核軍拡競争をやる」など、レトリックを先行させてきたが、現実でもシリア空爆、また北朝鮮への対抗策として空母派遣を行うなど、軍事偏重が加速している。選挙キャンペーンでのロシアとの関係改善などの主張は後退しているように見える。
 2017年度予算と18年度予算案には、極端な変化がある。生活関連や外交などの予算は削減され、安全保障関係の予算は増額している。防衛費(523億ドル、10%増)、退役軍人局(44億ドル、5.9%増)、国土安全保障局(28億ドル、6.8%増)である。もともと巨額の防衛費が大幅増額である。一方、環境保護(26億ドル、31.4%減)、外交(109億ドル、28.7%減)、エネルギー(17億ドル、5.6%減)等の予算を大幅削減している。ただしエネルギーに入っている核安全保障庁の予算は、核兵器の近代化のために大幅増加である(14億ドル、11.3%増)。
 移民問題、難民問題も人道的観点ではなく、国境での壁建設など安全保障の観点からのアプローチが如実になっている。中東では、「イスラム国(IS)」に対する攻撃を最優先にするとし、空爆、地上戦介入を強化している。イラクでは第二の都市モスールをイスラム国から奪還する作戦が行われている。陥落は確実とされているが、大きな犠牲が特にイラク軍で出ている。
 シリアでは「IS」の首都ラッカに向けての攻勢が行われる一方、化学兵器使用を理由に、アサド政権への空爆が行われた。それが国際法違反という批判があり、化学兵器使用した勢力についても異論が出されている。内戦自体はロシア、イラン、レバノンの民兵組織ヒズボラの支援を受けたアサド政権が優勢である。
 アフガニスタンではアルカイダに対し超大型爆弾を使用し、米軍の力での政策を誇示した。イエメンでは、トランプ政権最初の海外での攻撃が、イランの支援を受けているとしてシーア派民兵に対して行われた。米軍の戦死者を出し批判が高まったが、介入を続けている。

国際組織を弱体化させ紛争の激化を進める
 サウジアラビア、イラン、トルコ、イスラエルなどの"覇権争い"や、ISなどイスラム主義勢力の拡大という状況で、トランプ政権は政治解決の展望を持たず、軍事介入が地域を安定させることができず、逆に内戦を深刻化させて地域内での国家間の対立を招いているといえる。特にイラク、シリアではISに対し、ロシア、イランとの協力が必要である。また、イスラエル─パレスチナ問題も、解決への努力がなされるどころか、パレスチナ独立国家がイスラエルと共存する2国解決策に反対し、エルサレムへの大使館移転を支持する在イスラエル米国大使の任命など、紛争を悪化させる動きをしている。
 東アジアでは、北朝鮮の核実験やミサイル発射に対し、軍事演習を拡大し、軍事行動を示唆するなど、緊張を高める政策を取っている。しかし地域的に強い影響力を持つ中国は、経済通商関係のパートナーとして重要であり、南シナ海の領土紛争を含めて、その意向は無視できない。ロシアとは大統領選介入問題もあり、トランプの親ロシア政策は抑制されている。核軍縮、ウクライナ等、厳しい交渉課題が続くであろう。
 さらに、大幅な国連関係予算の削減と、アメリカの国益に反する政策には反対することを国連大使が明言するなど、国連敵視姿勢を示している。核兵器禁止条約の交渉と締結は、この対立を進行させるであろう。
 イラク化学兵器疑惑での特別査察を指揮したブリックス元スウェーデン外相は、シリアでのアサド政権による化学兵器使用の可能性は否定しないが、国連による調査が必要であり、トランプ政権の国連無視の軍事行動は国際法違反であると批判する。重要なのは、トランプの決断がシリアなど国際情勢ではなく、自国での支持を強化するために行われていることを厳しく指摘していることである。この指摘は自国ファーストの核心をついている。
 軍事偏重の国際政策は、国連などの国際組織を弱体化させ、紛争の激化を進める可能性は高い。ヨーロッパ諸国も、難民問題などで混乱している。日本は追随だけである。トランプの自国ファーストの安全保障政策は、世界の危機を深めているといえよう。
(菊地敬嗣)

参考: AMERICAN FOREIGN POLICY AND ITS THINKERS Perry Anderson VERSO 2015 "Blix: Send investigators to Syria not cruise missiles" Utrikes Magasinet 2017

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全ての加工食品に原料原産地の表示
求められる監視体制の強化と市民の意識
食の安全・監視市民委員会代表/弁護士 神山 美智子

多くの例外やあいまいな表記も認められる
 消費者庁は、すべての加工食品(輸入食品を除く)の原料の原産地を、国別重量順に表示させることとし、3月27日に表示基準(内閣府令)の改正案を公示しました。
 これまでは22食品群(乾燥きのこ類など)の原材料のうち、重量割合が50%以上の原材料と、4食品(農産物漬物など)の表示対象原材料についてだけ原産地を表示することになっていました。それが、今回の改正案は表示対象を全加工食品に広げることになりました。ただし、原材料の重量割合が1位の原材料に限ります。たとえばポークソーセージ(ウインナー)の場合、原材料名「豚肉(アメリカ)」などと表示します。豚肉の原産地が2つ以上ある場合は、(アメリカ・カナダ・その他)などと表示します。
 ただし以下のような例外を認めるとしています。
(1)可能性表示過去一定期間の使用実績または計画から、国別重量順表示が困難な場合、「原材料名豚肉(アメリカ又はカナダ又はその他)」などと表示しても良いとしています。ただし、消費者の誤認防止のため、実績や計画に基づくものであることも表示し、証拠書類の保管が義務づけられます。
(2)大括り表示過去一定期間の使用実績や計画から、国別重量順表示が困難な場合、「原材料名豚肉(輸入)」と表示しても良い。この場合も消費者の誤認防止のための表示と書類保管が義務づけられます。
(3)可能性及び大括り表示過去一定期間の使用実績や計画から国別重量順表示が困難な場合、「原材料名豚肉(輸入又は国産)」などと表示して良いことになります。消費者の誤認防止の措置は同じです。
(4)製造地表示対象原材料が中間加工品である場合、その製造地を表示しても良いとされています。たとえば食パンなら、「原材料小麦粉(国内製造)」でも良いのです。小麦の原産国は表示されません。また製造地が外国でも原材料が国産なら(国産)と表示できるので、都合の良い方を選んで表示することも可能です。韓国では、中間加工品の製造地表示をする場合、国内製造のときは、生鮮原材料の原産国も併せて表示する制度になっています。
(5)エビピラフのようないわゆる「冠食品」の場合、エビが重量順1位でなくても表示させる方向ですが、冠食品の定義が定まっていないので、表示基準には入れず、将来ガイドラインの設定を検討するそうです。定義の例として、メロンパンを上げていますが、メロンパンにメロンが入っているなどと思っている人はいないでしょう。冠表示がルール化されれば、「ニシンの昆布巻き」の場合、ニシンが重量順1位とすればその原産地を書き、昆布が50%を超えていなくても昆布の原産地も表示することになります。


食品表示問題の学習会で話す神山さん
(4月16日・連合会館)
生産・流通の過程追跡ができる制度が必要
 これまで消費者が20年以上にわたって求め続けた原産国表示が、原則すべての食品を対象とすることになり、ようやく新たな1歩を踏み出したと言えましょう。
 しかし、いまだに多くの事業者団体が、実行不可能と反対しています。加工食品の原材料を買う食品製造業者が、その原材料の納品記録もないとは考えられません。また、もし調達先が頻繁に変わるとしても、その都度、包材を作り直す必要もないはずです。なぜなら、消費期限や製造所固有記号のように、枠内には「別途容器下面に記載」などと表示して、容器の下面など枠外に書くことが可能だからです。もし表示面積が小さくて書けない場合は、二次元バーコードなどを活用することも可能です。スマホや携帯電話を持っていない人のためには、店頭に読み取り装置を置いて、誰でもアクセスできるような工夫も有効です。
 それでも、「ポークソーセージ(ウインナー)原材料名豚肉(輸入また国産)」などと表示する製品があったら、そのような商品は買うべきではありません。どこで調達した原材料で製造したか分からないのでは、原産地で事故があった場合、何の対応策もとれないからです。また、この基準改正は、容器包装入り加工食品に限られ、外食やインストア加工(加工した場所で販売する場合)や、ばら売り食品は対象ではありません。このことは食品表示全体の問題です。
 正しい表示をするためには、牛や米だけでなく、全食品について、生産・流通の過程追跡が可能なトレーサビリティ制度を作ることが必要です。まず、食品衛生法3条2項の記録作成及び保存の努力義務を法的義務にすることが求められます。
 また、監視体制の強化がなくては、原産国表示が正しく行われているかどうか確認することはできません。そして、消費者もしっかり表示を見ることが必要になります。
(かみやまみちこ)

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核のごみ処分場の「適地」マップ提示に備えよう
自治労脱原発ネットワークアドバイザー 末田 一秀

 核のごみ、高レベル放射性廃棄物処分場の「適地」が近く国から公表される予定です。これは、原発の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残る高レベル放射性廃棄物をガラスで固め、地下300m以深に埋設する計画です。1カ所の処分場にはガラス固化体約4万本を埋めるとされていますが、日本にある高レベル廃棄物(ガラス固化体約2万7千本相当)のうち、ガラス固化体は約1割、残りは使用済み核燃料です。再処理が本格稼働する条件は満たされておらず、ガラス固化体にして地層処分するという計画は絵に描いた餅に過ぎません。
 また、ガラスに固められているから安全とPRされていますが、六ヶ所再処理工場の試験操業では、廃液をガラスに固めきれない不良品が多数発生。海外の再処理工場から返還されたガラス固化体は、不良品の有無を監視するビデオ記録がありません。また、ガラス固化体と一緒に埋められる超ウラン(TRU)廃棄物から漏れ出す放射能は、地中の岩石に吸着することがないため、わずか10年で地表にまで漏れ出してくると、電気事業連合会などが論文で明らかにしています。


六ヶ所再処理工場に搬入される
高レベル放射性廃棄物
(2011年9月・六ヶ所村)
公募方式の行き詰まりから申し入れ方式へ
 処分場の立地に向けた最初の調査(文献調査)地点を2002年から原子力発電環境整備機構(略称NUMO)が公募していますが、まったくめどがついていません。調査開始時から出る交付金が増額された2007年には、高知県東洋町長が独断で応募しましたが、反対の声の高まりに辞任、出直し町長選で惨敗して応募が撤回されるという騒動もありました。この後、自治体の長にリスクを負わせる公募方式では無理だとされて、国が調査実施の申し入れを行うことも可能とする方針変更が行われました。
 さらに、福島事故後に発信力の大きい小泉純一郎・元首相が「日本の場合は捨て場所がない。原発ゼロしかない」と主張しだしたことから、原発再稼動をもくろむ自公政権は、内閣官房長官を議長とする最終処分関係閣僚会議を2013年に新たに設置し、「国が科学的有望地を提示したのち、国が前面に立って重点的な理解活動を行った上で、複数地域に申し入れを実施する」との新たなプロセスを打ち出しました。科学的有望地をどのような基準で選定するかは、経済産業相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の地層処分技術WGで議論が行われ、火山の近傍、活断層の近傍、隆起・侵食が大きい範囲、地温が高い範囲、完新世火砕流等の分布範囲、軟弱な地盤である範囲、油田・ガス田、炭田などの条件が一つも当てはまらない地域を適地とする考え方が取りまとめられました。
 さらに船舶で輸送することを想定して、港湾からの距離が短い沿岸から20kmの範囲はより適性の高い地域とされました。また、人口密集地域の取り扱いなど社会科学的観点からの条件も本来ならば考慮せざるを得ないのですが、今回の有望地の提示では無視して示されることも決められました。

「適地」提示は申し入れにつながるか
 2015年12月に開かれた第5回最終処分関係閣僚会議では、2016年中に有望地の提示をめざすとされていて、条件がまとまったことから、日本列島を「適性が低い」「ある」「より適性がある」の3色に塗り分けた200万分の1のマップの提示へ一気に進むかと思われました。ところが、解散総選挙のうわさが流れ、原発問題の争点化が嫌われたのか、「表現を適切に見直す」として、昨年中の提示は見送られました。
 再検討の結果、「適性がある」は「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」に、「より適性が高い」は「輸送面でも好ましい」という分かりにくい表現に変更されることになりました。反発を抑えるためのごまかしの表現と言えるでしょう。遅くとも今年の夏ごろまでにはマップが提示される見込みです。
 国は「『有望地』に『選定』されれば、調査や処分施設が押し付けられてしまうのではないか」というのは典型的な誤解に基づく懸念で、マップの提示は調査の受け入れについて自治体に何らかの判断をお願いするものではない」としています。しかし、NUMOはマップが示されたら「より適性が高い地域」で重点的な対話活動を展開していくとしています。適地提示後は「地域住民の方々のご理解やご協力を得た上で、できれば複数の自治体で同時期に、文献調査を行っていくことをめざします」としているのです。
 うかうかしていて地層処分受入れ派が多数になったと見なされれば、国の申し入れが待っているのです。適地とされたところではしっかりと反対する声を上げることが必要です。
(すえだかずひで)

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被爆二世が援護法適用を求め集団提訴
真の「核廃絶」に繋がることを求めて
全国被爆二世団体連絡協議会・特別顧問 平野 伸人

健康不安や社会的差別の中で
 1945年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下により20万人以上の人々が虐殺されたばかりか、生き残った被爆者にも放射線による後遺症という苦しみを背負わされることになりました。原爆の恐怖はそれに止まらず、それらの被爆者を父や母として生まれた「被爆者の子ども」すなわち「被爆者二世」の問題として引き継がれていきました。
 全国被爆二世団体連絡協議会(全国二世協)は、このような被爆二世の問題の解決のために、1988年に結成されました。被爆二世は、全国に30万人とも50万人ともいわれています。全国二世協は、被爆二世に被爆者援護法の適用を求める運動や、79年度から被爆二世に対する唯一の施策として行われている健診の法制化や内容の充実を中心に働きかけを行ってきました。また、健康管理表の発行や相談窓口の開設などをおこなってきました。
 被爆者が放射線障害に苦しんだように、被爆二世も同様の苦しみや、健康に対する不安を持ち続けています。原爆被爆者の受けた放射線は、被爆二世に何らかの遺伝的影響を与えるのではないかと考えられます。さらに、親の被爆者の健康状態や社会的に厳しい状況に置かれ、差別と貧困の中で、社会生活上、十分な環境を与えられなかったといえるのです。
 このような深刻な事態があるにもかかわらず、政府・厚生労働省はほとんど被爆二世に対する対策を行って来ませんでした。今日では、被爆二世から三世、さらにそれ以後の世代の遺伝的影響の問題と健康不安も存在しています。また、そうした「不安」を背景にした社会的差別や偏見も根強いものがあります。

援護措置をとってこなかった国の責任
 こうしたことから、全国二世協は裁判を提起する方針を固め、今年2月17日広島地裁に22人が、同月20日長崎地裁に25人が集団提訴するに至りました。「被爆二世」を援護の対象としていないのは立法不作為であり違法だとして、国に慰謝料を求める裁判をおこしたのです。
 70年代から、被爆二世の白血病による死や健康不安が社会的問題となり、援護を求める声が高まりました。57年の原爆医療法,68年の原爆特別措置法,そしてそれらを引き継いだ94年の被爆者援護法の基本的な立法趣旨は,原爆の被害者を国家賠償的視点も含めて、特別に国が援護するというものです。そうであるならば、被爆二世がその援護の対象から外されてはなりません。
 被爆二世の中には,親が受けた放射線被害に起因した疾病により罹患したと思われる人たちも存在します。また、遺伝した放射線被害による影響がいつ表れるかも知れないという不安の中に被爆二世は置かれてきました。このような状況に置かれた被爆二世に対し,国が満足な援護措置をとってこなかったことの責任を、初めて訴訟という形で問うものです。


集団訴訟の記者会見(2月17日・広島)
放射線による遺伝的影響を明らかに
 私たちは今回の裁判の意義は2つあると考えています。
 第1に,国が法の趣旨に則った被爆者に対する援護措置を真摯に実施することを求めることです。これまで国は,原爆症認定訴訟や在外被爆者訴訟等において,原爆二法及び被爆者援護法の趣旨に反する措置をとってきたことに対し、司法からその責任を厳しく何度も指摘されてきました。
 これまでの国の基本的姿勢は,被爆者に対する法の趣旨に沿った援護措置を如何に実施するか、ではなく,如何に援護の範囲を狭めるかに汲々としてきたと言わざるを得ません。被爆二世も「被爆者」です。国は,改めて司法による指摘を待つまでもなく、本件訴訟提起を契機としてその基本的態度を改めるべきではないでしょうか。
 第2に「放射線による遺伝的影響」の問題は、核兵器が人類の将来にわたって深刻な被害を生むものであることを端的に示しているということです。これまで核兵器開発を進めてきた人たちだけでなく、「原子力の平和利用」と称して原子力発電を推進してきた人たちにも共通するのは、放射線による人体への深刻な影響をひたすら過少に評価し、さらにそれを隠蔽しようとしてきたことです。この点は福島原発事故に対する国や電力会社の姿勢と同様です。
 とりわけ「内部被曝による影響」や「放射線による遺伝的影響」等については、古くから多くの科学者により指摘されてきているにもかかわらず、意図的に隠蔽されてきた歴史があります。「被爆二世」問題を積極的に取り上げてこなかった事実はそのひとつの象徴です。私たちはこの重要な問題を可能な限り明らかにし、放射線被害の真実を追及していきたいと思います。そのことにより、多くの人が核兵器の反人類性を認識し、それが真の「核廃絶」に繋がることを確信しています。
(ひらののぶと)

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集団的自衛権と米国向けミサイル
絶対当たらないと言っていた外務省

 北朝鮮の「人工衛星」発射問題や集団的自衛権の関係で、米国に向けたミサイルを日本は撃ち落とすべきか否かという議論がされてきました。ここで想起すべきは、以前外務省は、法的解釈以前の問題として、日本のシステムでは将来にわたって米国向けのミサイルを撃ち落とせるようにはならないと説明していたという点です。以下、ミサイル防衛に関連する記事を見ることから、この問題について検討してみましょう。 

米新政権、改良型の標準ミサイル発射実験を計画?
 CNNが、4月19日、次のように報じました。「米国防総省は19日までに、北朝鮮のミサイル発射を想定した2度の迎撃実験を5月に実施すると発表した。......このうち改良型の標準ミサイル発射実験では、推進装置と弾頭を改良したミサイルを海軍艦から発射する。......同ミサイルは北朝鮮のミサイルを迎撃する目的で、日本と共同で開発したもので、発射実験は今回が2度目となる。......国防総省では米国家安全保障会議(NSC)による対北朝鮮政策の見直しの一環として、米政権が行動を決断をした場合に備え、1カ月以上前から軍事的な選択肢を検討していた。」「改良型標準ミサイル発射実験」って何だろうと思われた読者も多いのではないでしょうか。毎日新聞の次の記事(2月5日)と合わせると話が見えてきます。「防衛省は4日、日米両政府が......海上配備型迎撃ミサイル(SM3ブロック2A)の発射実験を米ハワイ沖の太平洋上で行ったと発表した。初めてイージス艦から発射し、標的(模擬弾)の迎撃に成功した。」
 要するに、「スタンダード・ミサイル(SM)」の新バージョンの初めての迎撃実験が2月4日に実施され、その2回目を5月実施という話です。5月の実験というのは、2016年2月の段階で2017年1-3月に実施予定となっていたもので、何か緊急に計画されたということではありません。SM3ブロック2Aは、2006年から日米で共同開発しているシステムです。米国は、これを陸に上げたバージョンを2018年末までにポーランドに配備する予定です。こちらは、イランのミサイルが対象ということです。現在の予定だと、うまくいってもそれまでに後2回しか迎撃実験はできないという状態です。

現在日本が保有するミサイルで撃ち落とせる?
 日経新聞は昨年3月28日、次のようなシナリオについて論じています。「『ミサイルを発射したぞ』。赤外線レーダーを搭載した米軍の早期警戒衛星が熱源を察知し、その1分後に航空総隊司令官に連絡があった。自衛隊のイージス艦のセンサーでも探知したとの報告が入ってきた。スクリーンに映し出された着弾予想地点は『グアム』。航空総隊司令官は『発射せよ』と命じた。海自イージス艦から新型迎撃ミサイル『SM3ブロック2A』が発射され、北朝鮮の弾道ミサイルを撃ち落とした。」現在配備されているブロック1Aではなく、共同開発版を使う内容です。北朝鮮が米国本土に届くミサイルを開発すれば、それも撃ち落とすということでしょう。
 ここで注意すべきポイントが二つあります。一つは、ブロック1Aでは米国に向けたミサイルの発射に気づいて撃ってもまず追いつけないということです。もう一つは、以前、日本政府は共同開発版でもそんなことはできないと主張していたということです。例えば2001年8月10日に開かれた「市民と外務省との対話集会」で外務省の担当者は、次のように述べています。「日本がアメリカとやっている研究というのは、あくまでも米本土防衛用ではない......技術的にぜんぜんちがうんですね。そこは、簡単に転用されちゃうんじゃないかというような心配はない」。共同開発版が米国沿岸に配備されて米国本土を守るために使われる可能性があるのではないかという質問に答えたものです。当時は、海上配備の米国本土防衛システムの開発は、米ロ間の弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約で禁止されていました。質問の趣旨は、日米協力の結果、SM3の能力が上がれば、日本が条約違反に巻き込まれることになるのではないかということです。ブロック1の速度は秒速約Km、ブロック2は4.5Kmあるいはそれ以上とされていました。

SM3ブロック2Aは核削減の障害?
 1972年発効(74年改訂)のABM制限条約は、全土防衛のために弾道弾迎撃ミサイルを配備することを禁止していました。ABMの下で配備が認められていたのは、首都又は大陸間弾道弾(ICBM)のサイロ(地下発射台)周辺のどちらか一ヶ所の半径150キロメートル以内のものだけです。これは、迎撃ミサイルを増やせば、相手国がそれを上回る数の攻撃ミサイルを増やそうとして、果てしない軍拡競争が続くことを恐れてのことです。同条約は2001年12月に米国が脱退を宣言し、2002年6月13日失効してしまいました。
 例えば、米国がロシア(または中国)に先制核攻撃をかけてロシアのミサイル基地壊滅を計画したとします。ロシアは、生き残ったミサイルで報復するぞという脅しによってこのような計画遂行を抑止するというのが現在の抑止の考え方です。しかし、大幅核削減が進んだ場合、生き残れる核の数が少なくなります。米国のミサイル防衛の専門家ジョージ・ルイスによると、米国は2030年代半ばにはミサイル防衛システムを持ったイージス艦を約80隻、ブロック2A(あるいはその改良版)を500~600発以上保有する計画です。SM3ブロック2Aが米国本土防衛に使われるとなると、生き残った核が全て撃ち落とされるかもしれないとロシアは心配します。ルイスはこれが核削減の障害になると警鐘を鳴らしています。
 これは、SM3ブロック2が実際にうまく機能するかどうかとは別の問題です。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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《投稿コーナー》
外国人労働者の「使い捨て」をやめ、多民族・多文化共生社会の実現を
移住者と連帯する全国ネットワーク 代表理事 鳥井 一平

 今、「外国人材」=外国人労働者「受入れ」拡大論議が政府主導のもと、財界を含めて広がっています。そして実際に「受入れ」は拡大しています。東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催が決まった2013年秋以降、新聞、テレビなどメディアによる、「人口減少社会」「人手不足」の大合唱が始まりました。紙面には「人手不足企業が悲鳴」、「担い手不足切実」、「建設業に外国人拡大」、「技能実習で穴埋め限界」などの見出しが躍り、今の受入れ拡大論議と続いています。しかし、人口減少はずっと前からわかっていたことです。

1980年代から続く「受入れ制度」論議
 1980年代からのバブル経済は、製造業を中心に「人手不足」が現出し、観光ビザ入国の外国人労働者受入れ拡大で凌いできました。「厳格な入管体制」を謳い、誇ってきた日本政府、法務省入管局ですが、オーバースティ(不法滞在)容認政策を実際には行ったのです。オーバースティ者は1993年にはおよそ30万人に上ります。そして、90年に「日系ビザ」を導入し、日系労働者の受入れ拡大を図ります。2007年のピーク時にブラジルとペルー出身者だけで37万人を超えました。
 バブル経済が終焉した後も「人手不足」が続いていたのです。これと平行して、政府は93年に技能実習制度を、法律改正も行わずスタートさせました。外国人研修生の受入れ拡大をすすめ、07年には研修生新規入国者が10万人を超え、技能実習生と併せた在留数は20万人(推計)に上りました。
 政府・財界では、「外国人労働者問題」としての「受入れ」論議がようやく2001年の経済産業省外郭団体の調査報告書から始まりましたが、遅々として進みませんでした。しかし労働者不足の逼迫感が煮詰まったのか、06年に一度目の「受入れ」論議が沸騰し、08年には自民党国家戦略本部から「人材開国!日本型移民国家への道世界の若者が移住したいと憧れる国の構築に向けて」「『外国人労働者短期就労制度』の創設の提言」と立て続けに出されます。ただ、リーマンショックと政権交代で「小休止」となり、今回の「受入れ」論議沸騰となっています。

なし崩し的「受入れ」拡大は本質的解決にならない
 政府は人口減少社会に対して正面から向き合った政策立案ではなく、労働力政策や産業政策の不備・怠慢を、一貫して使い捨て労働力で凌ごうとしています。その典型が外国人技能実習制度です。2010年の制度改定(「技能実習」在留資格新設)で「受入れ」拡大に大きく舵を切った政府は、本年11月施行の技能実習法で、外国人労働者受入れの中心として位置づけ、介護分野など様々な業種、職種への拡大を狙っています。また、経済特区と在留資格「特定活動」を使ったなし崩し的「受入れ」拡大もすすめています。「家事労働」、農業、建設業、製造業などで拡大してきています。
 しかし、いずれもこの社会の抱える問題の抜本的、本質的解決を避ける弥縫策です。開発途上国への技術移転による国際貢献を目的と明記される技能実習制度の活用は許されません。98年に露呈した千葉県銚子市での受入団体による莫大な強制貯金使い込み事件以来、前借金、暴力、セクハラ、強制帰国などの人権侵害や、残業代「時給300円」をはじめとする労働基準破壊が今なお続くのはなぜなのかを私たちはしっかりと考えなければなりません。その場しのぎの労働者使い捨ては労使対等原則、民主主義社会を壊します。


移住労働者の権利を求める
マーチインマーチのデモ行進
(3月12日・上野公園)
生活と権利への政策が喫緊の課題
 「スポーツすることは人権」と謳うオリンピック・パラリンピックを、どのような労働によってつくっていくのか厳しく問い直さなければなりません。また人口減少社会にどう向き合うのか真摯な論議が求められます。まやかしの「技能実習生」などではなく、名実ともに「労働者として」受け入れることこそが重要です。
 「技術移転」というごまかしは、著しい支配従属関係=奴隷労働構造を生み出しています。労使対等原則を使用者の肝に銘じさせ、市民社会にも、この社会がすでに外国人労働者の活躍で成り立っている事実を正面からとらえた「受入れ」論議が求められます。そして当然のことながら、今この社会の一員である外国人労働者とその家族への生活と権利への政策が喫緊の課題です。
 外国人労働者はダイナミズム・闘いのエネルギーを秘めています。ただ、言葉や在留資格などの壁に阻まれています。労働組合には、外国人労働者を働く仲間、職場の担い手、活動の担い手として、民主主義社会の深化へ肩を組んでいくことが求められます。
(とりいいっぺい)

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各地の脱原発の動きから
『重篤』な柏崎刈羽原発の"いま"
原水爆禁止新潟県協議会事務局長 中村 進

 東京電力は、柏崎刈羽原発について2013年9月27日に新潟県の条件(ベント操作で住民の被ばくが許容できないときは承認を無効とする)を受け入れ、『6・7号機の適合性審査申請書』を提出した。「BWRの審査方針・手順の"ヒナ型づくり"」といきこんだ規制委員会は、同年11月に審査を開始し、17年2月末まで134回の審査を積み上げたとされている。しかし、柏崎刈羽原発の現状は『重篤』といえる。それは、以下の顛末でも明らかであろう。
◆基準地震動最大1209ガルを規制委員会了承(16.01.29)
◆3号機直下から防潮堤底部に延びるとされるF5断層「活動性なし」と評価(16.02,12)
★メルトダウンを定義するマニュアルの存在を公表(16.02.24)
 ※その判断基準(原子力災害対策マニュアル)は事故発生のわずか11カ月前(2010年4月1日改訂版)に作成され「気づかなかった」はありえない。
 ※線量による判断基準(1時間に1000Sv/hを超えた場合及び1時間以降は5%希ガス放出曲線を超過した場合は"炉心溶融"と判断(シビアアクシデントマネジメント手引き:2010.12.20改訂)もあった。5年間も他人事だったのか。まさに「運転能力なし、不適格」そのものである。
★耐震解析に問題点ありと指摘、優先的な"ヒナ型づくり"やめたと更田委員(16.03.31)
 ※私たちは、知事選直前か直後に『政治的』な審査合格か?と情勢を分析。
★「緊急時対策所」3号機から5号機に「申請」訂正(16.10.13)
 ※13年6月に完成した荒浜側の"完璧な防潮堤(海抜15m)"の根っこが腐った。
 ※13万年以上『動かない』根拠に東電にしか通用しない"古安田層"の液状化問題が6月頃からヒアリングで議論。防潮堤底部を支える鉄パイプ等の補強にカネが掛かり過ぎると判断か?
★「重要免震等」が想定した地震動に耐えられない(17.02.23)
 ※2002年のトラブル隠し後「二度と隠しません・ウソはつきません」から何度嘘をついたことやら。
 ※「条件付き再稼働」を標榜していた柏崎市長も目が覚めたであろう。
 私たちは『敵失』にとどまることなく、「福島事故の調査報告が4つ(「政府事故調」「東電事故調」など)あるが、レビューできる体制をつくる。そのため、『健康被害のきちんとした検証』や『実効ある避難の検証』も従来(県技術委)と同様に進めていく」とした米山隆一・県知事と意見交換しながら推進派より一日長くたたかって再稼働を阻止する。
(なかむらすすむ)

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〔映画の紹介〕
「無言館の青春」
窪島誠一郎編・著/講談社刊

 「生きたいと願った戦没学生が遺した原風景」(帯封の言葉)を集めて、長野県上田市に「無言館」を設立した窪島誠一郎が著した本書は、同じく窪島が著した「無言館」「無言館を訪ねて」「無言館の詩」(ともに講談社刊)の3冊の画文集とともに読むのがいい。
 アジア・太平洋戦争で戦死や戦病死した画学生たち、絵を描くこと、そして表現すること、そのことに人生をかけようとした人々は、自らの人生を表現する前に命を絶たれた。窪島は、無言館収蔵の絵画を「祈りの絵」と表現している。「誰しもが抱いている『戦争』という消しゴムで消せない過去の歴史への無常観、そして、そんな時代下にありながらも、けっして最後まで絵筆を離そうとしなかった画学生たちの描くことへの無垢な情熱が、訪れる人の心の中にごく自然につくりあげた『祈りの美術館』がこの館であるといえるのではなかろうか」と窪島は言う。
 「誰もが『祈り』をささげる美術館だが/それは死者への『祈り』ではない」「『祈り』を捧げるとすれば/かれらの絵の前に生きている/私たち自身に捧げる『祈り』だからだ」。
 掲載された絵のキャプションは様々だが、戦死した画学生も、遺された家族の思いは同じだ。「父・一念は俊一のことを、一言も話そうとはしなかった。でも、九十歳をこえたあるとき、たった一度『くやしい』と、しぼり出すようにいったのを、妹の夕見はきいた」。
 青森出身の歌人、寺山修司は「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と謳った。寺山の父もまた、太平洋戦争の末期にインドネシアのセレベス島で死んだ。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教育勅語は教えた。そして、国策という名の侵略戦争によって、多くの若者が自らの人生を断たれた。教育勅語を賞賛する者が跋扈する今にあって、彼らの遺品である絵画の前に立って、私たちは何を祈るのだろうか。祈らなくてはならないのか。私たち自身に対して。
(藤本泰成)

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核のキーワード図鑑


無数のキノコにかこまれて地球は...

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副事務局長に就任して 北村 智之

  神奈川県横須賀市出身です。横須賀には、在日米海軍横須賀基地があります。私の自宅からは8Km、市の中心部からはわずか2Kmしか離れていない場所に危険な原子力空母が配備され、停泊していればすぐそばにその大きな姿を見ることができるほどの近さです。もしも福島原発のような事故が起きたら...、まさに危険と隣り合わせにいます。
 2014年10月、横須賀基地に「オスプレイ」が初飛来した時には、対岸から監視行動を行いました。すぐ近くの小学校からは運動会の歓声が聞こえる中、基地があることによる恐怖を直に感じ、平和を守るための運動の必要性を強く感じました。
 平和フォーラムで毎年開催されている「空母母港化抗議、原子力空母配備撤回を求める集会」には、神奈川県三浦半島地区教職員組合の組合員・役員として、毎年参加してきました。全国から多くの方が横須賀に結集してくれるのを心強く感じていました。これからは、平和フォーラム副事務局長として運動の中心を担う立場です。「アベ政治を許さない」はもちろん、「共謀罪」「沖縄」「原発」をはじめとする「平和・人権・環境」に関わる多くの課題解決に向け、全国のみなさんの声を聴き、思いを受け止めながら精一杯とりくんでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
(きたむらともゆき)

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