2017年、ニュースペーパー

2017年09月01日

ニュースペーパー2017年9月



被爆72周年原水爆禁止世界大会
 「核と人類は共存できない」―「被爆72周年原水爆禁止世界大会」が、7月29日の福島大会、8月4日~6日の広島大会、7日~9日の長崎大会と開かれました。大会で大きな課題となった、今年7月に国連で採択された核兵器の全面禁止を求める「核兵器禁止条約」について、高く評価するとともに、反対する日本政府に対して条約を批准し、核兵器保有国に対して参加を促すよう求めることを決議しました。
 また、福島原発事故から6年が過ぎる中で、深刻化する被災者の暮らしや健康、事故の収束など様々な課題が多く残されていることも明らかになり、福島大会などで論議が重ねられました。国際会議でも「なぜ日本で脱原発が進まないのか」をテーマに、民意を無視して推し進められる原発政策に対決していくことが訴えられました。
 被爆者の援護・連帯では、戦後72年を迎えてもなお多くの課題が残され、被爆者の高齢化とともに解決が急がれていることや、在外被爆者、被爆二世・三世の問題等の理解を広めていこうと確認されました。
 さらに、憲法改悪、戦争法制発動、共謀罪新設、沖縄・辺野古への新基地建設などを進める安倍政権との対決も論議されました。(写真左上は広島の折り鶴平和行進=8月4日、右上は福島大会=7月29日、左下は長崎大会開会総会=8月7日、右下は長崎爆心地公園での黙とう=8月9日)

インタビュー・シリーズ:124
朝鮮半島の平和のため国際的な市民ネットワークを
韓国・コリア国際平和フォーラム実行委員長 リュ・ギョンワンさんに聞く

リュ・ギョンワンさん プロフィール
 1963年慶尚北道生れ。82年にソウル大学入学、国際経済学を専攻。89年に卒業後、貿易会社で20年間働く。退職してから、民主化や統一運動、良心的囚人を救援する活動に加わる。南北朝鮮統一をめざす「615合唱団」の運営委員長として日本でも公演活動。「統一ニュース」の通信員を経て、インターネットニュースサイト「民プラス」の運営委員を務める。また、「朝鮮戦争戦後民間人犠牲者全国遺族会」の常任委員長としても活躍。現在、妻と息子(大学4年)とソウルで暮らす。

―リュさんが社会運動をされるきっかけは何ですか。
 ちょうど大学に入った頃が最も民主化闘争が盛んでした。当時のチョン・ドゥファン(全斗換)独裁政権に対し、学生が中心になって闘いました。私も闘争に加わり、2回投獄されました。いわゆる「386世代」(90年代に30代になり、民主化運動の真っ只中だった80年代に大学生活を送った、60年代生まれの世代のこと)です。また、私の祖父は、1950年、朝鮮戦争の最中に、イ・スンマン(李承晩)大統領(当時)が行った、民主化運動の政治犯など100万人以上の民間人が大量虐殺された多くの事件の犠牲者の一人なのです。その真相究明のための遺族会でも活動し、裁判で2000万円の賠償を勝ち取り、昨年、虐殺の現場で法要を営みました。

―韓国での昨年から今年にかけてのパク・クネ(朴槿恵)大統領の退陣に追い込むキャンドル集会はすばらしかったですね。
 87年の民主化闘争は大学生が中心でしたが、今度の運動は全国民が参加した闘いでした。家庭の主婦も子どもを連れて参加し、最も多い日は全国で230万人、ソウルだけで170万人が集まり、まさに身動きも出来ませんでした。半年間で延べ1700万人が参加したと言われていますが、逮捕者を一人も出さず、大きなトラブルもなく、集会後は掃除をして帰るなど、画期的な運動でした。これは、戦後、韓国で不正常な政治に対する抗争が長く続いてきたからだと思います。その基盤には2014年のセウォル号沈没事件があります。乗船していた高校生たちを救えなかった怒りが噴出したのだと思います。また、97年のアジア通貨危機後の格差の拡大、世界的にも高い自殺率や長い労働時間などの経済問題、さらに、イ・ミョンバク(李明博)、パク・クネと続く保守政権による反動的な政治体制など、多くの不満や怒りが爆発したのがキャンドル集会だったと思います。

―日本でも同じような状態なのに、なかなかそうした運動ができていません。
 いいえ、2015年8月30日に安保法制反対で国会前に12万人、全国では100万人が集まったと聞いて驚きました。それに刺激を受けて、同じ年の11月14日に韓国で「民衆総決起集会」を開き、農民の方が警察の放水銃に撃たれて死亡する事件が起きた時は10万人くらいでした。1年後の集会を開くときにパク大統領の不正もあって、予想を超えて参加者が集まったわけです。もちろん、韓国では戦後72年間の間に、不条理な政治に対する抗争が周期的に起こってきました。60年の「4.19革命」でイ・スンマン大統領が下野し、80年にはチョン・ドゥファン政権に対する光州事件が起きました。87年6月の民主化闘争で軍治政権を打倒し、そして今回の「キャンドル革命」でパク大統領を追い込むことができました。

―そうして新たに誕生したムン・ジェイン(文在寅)大統領は、民衆の期待を受けとめることができるでしょうか。
 ムン大統領は人権弁護士出身で、政治的な哲学もしっかりしている素晴らしい人物です。また、ノ・ムヒョン(盧武鉉)元大統領の側近でしたので、進歩的政権の良い面だけでなく弱い面もわかっており、そうしたところから多くの支持を集めています。しかし、政権の基盤となっている「ともに民主党」は穏健で保守的な体質もあり、北朝鮮やアメリカに対する政策については一定の限界があるのではないかともみられています。ですから、政権としての存続基盤が不透明であり、国民は「期待半分、心配半分」で見守っています。

 

―7月6日にムン・ジェイン大統領はベルリンで、北朝鮮に対し、核やミサイル開発による挑発をやめ、対話の場に戻るよう呼びかける演説を行いましたが、なかなか北朝鮮側が応じていません。
 冷戦体制を解体し、朝鮮半島に平和をもたらす決意の現れだと思います。しかし、同じベルリンで2000年3月にキム・デジュン(金大中)大統領(当時)が北朝鮮に対する政府レベルでの経済支援などを提案した当時と情勢が変わっており、制裁措置と対話の両面を持つということで、現実性が乏しいのではないかと思います。米軍の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD=サード)」の配備についても、最初は配備の中断を主張していましたが、韓米首脳会談後には配備を受け入れるようになり、北朝鮮は不信を抱くようになるでしょう。ムン大統領は、キャンドル行動で示された民衆の力を信じて、主権国家としてアメリカに対して対処すべきです。また同時に北朝鮮に対しても果敢に話をしてほしいと思います。

―アメリカとともに、日本の存在がアジアの平和や朝鮮半島の南北問題に大きな影響を与えてきました。
 1910年(明治43年)に日本が韓国を併合して、45年の敗戦まで完全支配する時代が36年間続きました。そしてその後、アメリカの支配がこれまで72年間も続いているのです。日本の支配の後に朝鮮半島の分断があり、冷戦構造を作るきっかけになった日本の責任は相当に重いものがあります。それにも関わらず、きちんと謝罪したことがない。逆に日本の軍事大国化が進んでいます。日本の活動家の皆さんは、世界の平和運動家と交流して、アメリカや日本の政府に対して、平和に向けた圧力をかけてほしいと願っています。

―そうした中で、リュさんたちが設立した「コリア国際平和フォーラム」(KIPF)の意義が大きいと思いますが、設立の目的は何ですか。
 毎年8月15日を中心に、韓国、日本、アメリカ、カナダなどの平和活動家や学者などが交流・連帯する機会を20年間作ってきました。その中で、朝鮮半島の平和のためには国際社会の協力が必要であり、市民によるネットワークが求められているという共通認識を作ることができました。昨年の8月15日の会合で合意が図られ、今年の6月10日にソウルで開いた国際シンポジウムで正式に活動がスタートしました。KIPFは今後も、国際フォーラムを開き、共通認識を深めていきたいと思っています。

―朝鮮半島の平和に対する阻害要因は何だとお考えですか。
 やはり、アメリカの一方主義が問題だと思います。昨年からのTHAAD配備問題、不平等な韓米関係、北朝鮮に対する制裁と圧迫、そして軍事演習で危機感を作り上げています。私たちは、年に数十回も行われている米韓合同演習反対や、THAAD配備の撤回を要求しています。また、制裁により北朝鮮に対する緊張関係を作り出すやり方にも反対していきたい。同盟強化の過程で、日韓の「従軍慰安婦」問題でも強引に「日韓合意」を結ばせたことに対しても反対していきたいと考えています。

―日本と韓国との間で大きな問題となっているのが「従軍慰安婦」問題です。これをどう解決すべきでしょうか。
 2015年12月28日の「従軍慰安婦」問題についての「日韓合意」は、当事者の意見をまったく聞かずに決められたもので、韓国の世論としても受け入れられないものです。岸田文雄外相(当時)は「最終的かつ不可逆的」な解決合意を導き出すことができたとしていますが、不可逆的な解決などはありえない。20万人もの「性奴隷」と言うべき「慰安婦」に対して、「これで終わった」などと言うことは決して許されないことです。日本では「政府や軍隊と関係のないこと」とか「自発的に行った私的なことだ」としていることは許せないことです。
 この合意はアメリカの主導で、日米韓同盟を完成させるためにあわてて繕ったものです。それをわずか10億円で無理やり「不可逆的」という言葉を使ってまとめたものであり、韓国では大多数の国民は反対しています。被害者の女性は高齢で亡くなっていく方も多い。彼女たちの無念を晴らし、日本が許しを請えるのは今しかないことをお伝えしたいと思います。
 パク・クネ政権は4年間、非常識的な政治をやってきましたが、その代表が「密室の慰安婦合意」でした。公式な文書も発表されていません。実際に何が合意されたのか解明していくことが大事であり、一緒に運動していただきたい。

―日韓連帯の今後や、両国の政権に対する期待などをお聞きしたいと思います。
 KIPFとして本格的に出発したのが今年からで、アメリカやヨーロッパの運動も含めての活動は初めてのことで、足りない部分が多いと思いますが、引き続き取り組みを進めていきます。
 韓国のムン政権には、キャンドルデモの中から生まれた政権ですので、その力を使って自主的に動いて歴史的な業績を残してくれることを期待しています。日本に対しては、国際秩序が新しい局面に入っていくときに、日本政府も新しい創造力をもって国際社会に向き合ってほしいと思います。そして日韓連帯の平和運動も新しい局面に入っていると思いますので、しっかりと新しいステージに向かってほしいと思います。(8月3日・広島市内でインタビュー)

インタビューを終えて
 1980年の光州事件で市民を弾圧した全斗煥政権、大学生だったリュさんは民主化闘争に関わって2度の投獄を経験した。祖父も、李承晩政権の犠牲者だった。李承晩・朴正煕・全斗煥と、韓国では長く保守・独裁政権が続いた。60年の4.19革命、79年のソウルの春、87年の6月民主化抗争と、韓国市民社会は闘い続けてきた。その延長に、キャンドルデモがあった。リュさんの顔は自信に溢れていた。韓国ガンバレと思いつつ、日本はどうすると頭に浮かんだ。
(藤本泰成)

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危険な「ご都合」改憲──安倍晋三の個人的野心を許すな!
フォーラム平和・人権・環境 共同代表  藤本 泰成

改憲は自民党の党是
 1955年11月15日に、当時の自由・民主の両党は立党宣言を発表し、保守合同して自由民主党を結成しました。結党の政治綱領には「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、…」として自主憲法の制定をあげ、「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」と、米軍駐留終了後の自衛軍備の整備に言及しています。
 保守合同に先立つ55年7月には「自主憲法期成議員同盟」(現「新憲法制定議員同盟」)が、日本民主党・自由党・緑風会の有志によって立ち上げられます。その後、69年には、安倍晋三首相の祖父岸信介を会長として「自主憲法制定国民会議」(現「新しい憲法をつくる国民会議」)が、国民運動の組織として立ち上がります。
 新しい憲法をつくる会は「改憲で日本を改革・発展させよう!」として、(1)19世紀憲法から21世紀憲法へ、(2)占領下憲法から真の独立国憲法へ、(3)閉鎖的平和から世界貢献的平和へ、などを主張しています。

自主憲法、自衛権行使、国家主義の復活
 「改憲」への基本方針は「日本国憲法は占領下の憲法で、自ら憲法を制定する必要がある」「軍備による世界貢献を基本に、日本の再軍備と集団的自衛権行使を可能にする」「封建的家父長制度を基本にした家族制度の再生と国家主義の導入めざす」ことです。自民党の憲法改正への動きの中核は、その三点にあると思います。
 2012年の4月に示された自民党「改憲」草案は、前文で「国防の義務」を国民に課し、1条で「天皇は元首」とし、9条では「自衛権発動を容認」「国防軍を創設」、国防軍に「審判所」(軍法会議)を置くとしました。
 12条で「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」として、個人よりも公益と公の秩序の優先を規定しています。13条では「個人として尊重される」との規定を、あえて「人として尊重される」と貶め、近代憲法の基本理念である個人主義を否定しています。
 このように見ていくと、自民党の「改憲」思想そのものが、前述した3点に集約されることが分かります。しかし、この「改憲」草案はあまりにも意図的であり、かつ近代憲法の基本を外しています。そのため、多くの憲法研究者から批判を浴び、結局、安倍政権はこの憲法草案を棚上げにしました。しかし、安倍政権や現在の自民党の基本姿勢がそこにあることを忘れてはなりません。

重大な9条への自衛隊の存在明記
 安倍がもくろむ「憲法9条の1・2項は残し、3項に自衛隊の存在を明記する」という「改憲」案は、本質的な目的ではない「災害出動」などによって、自衛隊の国民的信頼感が醸成されてきたことを考えれば、きわめて危険な主張だと思います。戦争法(安保法制)の成立以降、自衛隊は過去の自衛隊と本質的に変貌しています。米国の軍事活動を補完する部隊として、国連の平和維持活動に参加する部隊として、戦闘行為そのものを「専守防衛」の範囲を超えて実行しうる可能性を保持しました。この自衛隊の存在を9条3項で位置づけるとしたならば、1・2項でどう規定しようが、「後法優先の原則」から言えば、戦争法成立以降の自衛隊そのものが憲法で追認されることになるでしょう。
 各メディアの世論調査を見ると、憲法改正が必要であるとする意見は、必要でないとする意見に勝るようです。しかし、日本の平和に憲法9条が貢献したかと問えば、多くの市民が貢献したと答えています。であるからこそ、日本の市民社会は、憲法改正を容認してこなかったのではないでしょうか。これまでの内閣法制局の見解や、それを受けた歴代内閣の「9条は集団的自衛権行使を認めない」とする憲法解釈は、まさに日本の市民社会の意向を受けたものであったのです。その意味で、閣議決定という憲法軽視の中で、9条の解釈を覆した安倍内閣は許せません。戦争法成立以降の自衛隊の存在を3項に追加することは、きわめて重大な意味を持っています。

秋からの運動が大きな意義
 安倍政権は、日本維新の会を改憲に巻き込もうと「高等教育まで全ての教育の無償化」を打ち出しています。これは、これまでの国連勧告さえ無視して「高校の無償化」に手をつけず、旧民主党政権の無償化措置を「バラマキ」と批判し、政権獲得後は所得制限を導入した自民党の政策と全く矛盾するものです。国民世論にどのように訴えるかという点にしぼった、まさしく「ご都合『改憲』」です。私たちが「9条3項の導入」や「教育の無償化」などに、どのように反論していくかは、重要な課題となっています。
 2017年は、明治維新から150年の節目にあたります。政府は、内閣府に準備会を設置して、慶賀の行事や「明治の日」設置(11月3日の文化の日:明治節)などの検討に入っているとしています。安倍首相は、明治維新150年の祝賀と東京オリンピックの間に、父(安倍晋太郎)や祖父(岸信介)も成し得なかった憲法「改正」を挟んで、総裁任期を延ばしてまで自らの総理大臣としての有終の美を飾ろうとしています。このような個人的な名誉欲を満たそうとする政治的野心を許してはなりません。この秋からの私達の運動が大きな意義を持っています。
(ふじもとやすなり)

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被爆72周年原水爆禁止世界大会が開催される
民意を無視した安倍政権の核政策と対決

直ちに「核兵器禁止条約」の批准を
 「核と人類は共存できない」―被爆72周年原水爆禁止世界大会は、7月29日の福島大会(参加者720人)から始まり、8月4日~6日の広島大会(同2700人/開会総会)、7日~9日の長崎大会(同1600人/閉会総会)と続きました。
 今年の大会で最大の課題となったのは、今年7月7日、国連で122ヵ国の賛成で採択された核兵器の全面禁止を求める「核兵器禁止条約」です。この成立には被爆者の訴えが大きな影響を与えたとして高く評価されました。しかし、アメリカやロシアなど核保有国が条約に参加していないうえに、日本もアメリカの「核の傘」にあるため、この条約に反対してきました。安倍晋三首相に直接要請を行った川野浩一・大会実行委員長(原水禁国民会議議長)は、「あなたはどこの国の首相なのか」と迫りました。
 広島・長崎の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」を口にしながら、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。大会の中では「本来ならば唯一の戦争被爆国である日本が積極的にリーダーシップを発揮するべきだ」として、政府が「核兵器禁止条約」を直ちに批准し、核兵器保有国に対して参加を促していくことを求めるよう決議しました。
 さらに、米・トランプ政権の核・軍事戦略、安倍政権が進める憲法改悪、戦争法制発動、共謀罪新設、沖縄の辺野古・高江への新基地建設の推進など、このままでは「日本は本当に戦争をする国になってしまう」(軍事評論家の前田哲男さん)と、安倍政権との対決も論議されました。


「平和と核軍縮」分科会(8月5日・広島市内)

被災から6年―なぜ日本で脱原発が進まないのか
 東日本大震災・福島原発事故から6年が過ぎ、復興や賠償、事故の収束など多岐に渡る課題が山積する一方、8万人近くの被災者がいまだ避難生活を余儀なくされています。その被災者の切り捨てが始まり、さらに事故の反省もないまま原発の再稼働が押し進められています。福島大会で、福島県平和フォーラム代表の角田政志さんは「被災者の生活再建は大きな問題で、国や県は責任を持って被災者に向き合うべきだ」「福島第二原発の廃炉は県民の強い願いである」と訴えました。さらに双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎代表は、「今でも毎時1000万ベクレルの放射能が発生し、福島だけでなく近県にも大量の放射能が存在している。海の汚染も広がっている」と報告されました。
 福島大会では初めて分科会形式の討議が行われ、「甲状腺がんの問題」、「避難解除による帰還と生活再建の問題」、「放射性廃棄物の処理問題」をテーマに、現地の実態報告と専門家の助言をもとに議論が行われました。
 国際会議でも「なぜ日本で脱原発が進まないのか」をテーマに、アジアの中で脱原発政策を進める韓国や台湾からの参加者の報告を含めて、原発に反対する民意を無視して推し進められる原発政策に対決していくことが訴えられました。(国際会議の詳細についてはp.6に報告)
 さらに脱原発の課題では、高レベル放射性廃棄物問題、核燃料サイクル、エネルギー政策についても言及しました。特に高レベル放射性廃棄物については、大会直前に「適地マップ」が公表され、全国各地が「適地」ないし「適地としての可能性が高い」地域として指定されたことから、これらの問題点やそれを跳ね返す運動について提起がありました。また、もんじゅが廃炉となり、六ヶ所再処理工場などの核燃料サイクル政策の破たんが明らかになり、原子力政策の転換が求められていることも指摘されました。

残された課題が山積するヒバクシャ援護
 原水禁大会の原点である被爆者の援護・連帯については、戦後72年を迎えてもなお多くの課題が残され、被爆者の平均年齢も80歳を超えており、解決が急がれていることが強調されました。その原因は、安倍政権による原爆被害の過小評価と、被爆者の援護をいまだ国家補償として取り組んでいないところにあります。
 在外被爆者の課題では、韓国やメキシコから3名の在外被爆者を招き、戦後補償も含め実相を学びました。中国人の強制連行と被爆をテーマにしたフィールドワーク(広島)なども行われ、日本の加害の歴史も含め認識を深めました。被爆二世・三世の課題では、現在進められている集団訴訟の現状と課題を中心に討議されました。
 長崎の開会総会では、被爆体験者の実態の報告がありました。さらに、世界に拡がる核被害者の置かれている厳しい現実と連帯のありかたについても提起されました。これら多くの問題についての理解を広めていくことが、大会全体を通じて訴えられました。
(*詳細はこちらに→http://bit.ly/gensuikin72
(井上年弘)

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原水禁世界大会の国際会議
なぜ日本で脱原発が進まないのか

 被爆72周年原水爆禁止世界大会の国際会議は、「なぜ日本で脱原発が進まないのか」と題して8月5日午後に開催されました。川野浩一議長のあいさつ、藤本泰成事務局長のキーノートスピーチの後、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんの司会で、どうしたら日本でも脱原発が実現できるかを話し合いました。

原発再稼働を進める安倍内閣
 九州大学副学長の吉岡斉さんからは、2012年5月5日から7月5日まで稼働中の原発がゼロ、大飯3・4号機が特例的に再稼働したものの13年9月に定期検査で停止、その後2年ほど原発ゼロの状態が続いたこと、新規制基準による再稼働審査で川内原発などが合格したが、現在運転中の原子炉は5基に留まっている日本の原発の現状が話されました。今後、2020年頃に最大15~20基がピークとなり、老朽化と共にゼロに向かっていく見通しです。この事は、2006年にピークを迎えた世界の原発稼働の縮小傾向にも貢献しています。
 再稼働審査にこれほど時間がかかるようになったのは、3.11後もたいした見直しも無く再稼働させるつもりだった保安院のもくろみが、当時の民主党政権によって「裏切られ」た、つまり福島原発事故後に原発に対する態度が大きく変えられた事、国民世論も原発を将来廃止する事に合意が形成されて今も揺らいでいない事が大きな要因です。
 民主党政権のエネルギー・環境会議の決定した2030年代までの原発ゼロは、閣議決定もされましたが、2012年12月の衆議院選挙後の安倍内閣により「ゼロベースで見直し」されて原発再稼働を進めています。その中で進んだのは、原発固有の経済的コストを政府や国民に肩代わりさせる救済政策のみです。

2025年までの全原発廃炉を決めた台湾
 台湾大学教授のシュウ・グヮンロンさんからは、昨年、民進党の蔡英文(さいえいぶん)が総統になって、選挙前の公約通り、2025年までの全原発廃炉を決めたものの、多くの不確実性を残している台湾の状況が報告されました。今年1月、電気事業法改正案が立法院を通過しましたが、その95条に「全ての原子力発電施設は2025年までに運転を停止するものとする」と書かれています。一方、原発に固執する台湾電力の姿勢や、老朽化する原発、代替エネルギーの行き詰まりなど脱原発のロードマップが出来ていない事、溜まり続ける使用済み核燃料の問題も抱えていることが強調されました。

急速に世論が盛りあがる韓国
 韓国からは、緑の党・脱核特別委員会委員長のイ・ユジンさんが報告、ムン・ジェイン政権になってから、原発の新設をせず、寿命の延長もしない事を決めた韓国の状況が報告されました。建設中の新古里原発の5、6号機も建設を続けるかどうかの公論化が始まり、安全性、補償費用、電力設備予備率などを考慮して3ヶ月ほど国民的議論が続けられ、10月頃に世論調査を通じて建設の是非を決定します。
 この世論の高まりは、キャンドルデモもあった大統領選の盛り上がりと、これまであまり大きな地震のなかった韓国で、原発の密集地帯である慶州で昨年M5.8の地震があり、原発の近くを走っているのが活断層か議論になった事が大きな影響を与えています。また、韓国最大の電力消費地であるソウルで「原発一つ減らし」運動という、原発分の電力を省エネや、太陽光パネルをつけるなど再生可能エネルギーを生み出す事で原発を減らしていく取り組みも紹介されました。緑の党の勧めた、集合住宅の窓にも取り付けられるミニ太陽光パネルも2017年に32000世帯に普及させる勢いで拡がっています。

影響を与え合う東アジア各国
 議論の中で特に印象的だったのは、東アジア各国で互いにエネルギー政策に影響を与え合っている事の一つの例として、2012年日本でエネルギー・環境会議によって行われた討論型世論調査を含めた国民的議論のなかでも使われた原発のコストが「コスト等検証委員会」などで明らかになったことが、韓国の脱原発ロードマップ作りに際して、日本で明らかになったのにどうして韓国でも資料提供が出来ないのか、と大きな影響を与えたという話しでした。民主党政権での国民的議論が、安倍政権で反古にされたとは言え、他国へも影響があったことは、今後の国際的取り組みに希望を与えるものです。
 使い道の無いプルトニウムを、使用済燃料再処理に固執して47トンも溜め込む日本が、東アジアに核拡散の大きな悪影響を与えているのと同時に、逆に良い方向への転換が起きれば、その影響も東アジア各国に拡がるのです。参加者は今後も市民運動の国際連携が大切だと認識を新たにしました。

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各地の脱原発の動きから
「志賀原発を廃炉に!」訴訟に取り組む
原水禁石川県民会議


訴訟の口頭弁論後の報告集会
(2017年7月8日・金沢弁護士会館)

 原水禁石川県民会議は、「二度とフクシマを繰り返さない」を合言葉に、志賀原発の再稼働阻止・廃炉を掲げ、多くの県民とともに「志賀原発を廃炉に!」訴訟を取り組んできました。
 2012年6月に提訴した訴訟の原告は、石川、富山両県の住民と、福島から石川に避難している5人を加えた総勢125人。さらに県内外のサポーター約3000人に支えられています。過去の1号機訴訟、2号機訴訟と比較しての大きな特徴は、石川、富山の両県平和運動センターが組織・財政の大黒柱を担った訴訟だということです。23回を重ねた口頭弁論でも毎回傍聴席の一角を埋め、法廷外でも街宣行動や志賀町での全戸チラシ配布行動、あるいは原子力防災訓練の監視行動など、原告団と平和運動センターは常に連携し廃炉に向けた取り組みを展開しています。
 訴訟の最大の争点は原発直下の断層の評価です。2012年7月、当時の原子力安全・保安院が1号機原子炉建屋直下の断層について、安全審査で見落とされた活断層の可能性を指摘。原子力規制委員会の下に設けられた有識者会合が再調査を行い、1号機原子炉建屋直下のS-1断層、2号機タービン建屋直下のS-2・S-6断層について、活断層の可能性が否定できずとの評価書を全会一致でまとめ規制委員会に提出しました。これで勝負あったと言えます。私たちは評価書を最大の証拠として裁判所に提出し、早期結審、判決を求めています。
 これに対して被告の北陸電力は一貫して引き延ばし戦術で対抗しています。安倍政権下、各地の原発の再稼働が既成事実化し、また国民の間でフクシマの記憶が風化することを期待していることは明らかで、私たちは法廷内外で北電の姿勢を厳しく批判しています。
 こうした中、昨年10月20日には2号機原子炉建屋への雨水大量流入事故が発生し、金井豊・北陸電力社長は原子力規制委員会から「フクシマの経験がまったく生かされていない」「認識が甘い」と厳しく叱責を受けました。停止期間が長引く中、現場のモチベーションが一段と低下し、新たな危機を招いています。一日も早く廃炉への道筋を確固たるものにしなければなりません。

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〔本の紹介〕
「これを知らずに働けますか?」
竹信 三恵子 著/筑摩書房/2017年7月刊

 ちくまプリマー新書として7月に発売され、副題は「学生と考える労働問題、ソボクな疑問30」。著者は、元朝日新聞記者で、労働問題に詳しい和光大学現代人間学部教授の竹信三恵子さんです。副題からも分かるように、学生がこれから社会に巣立つ時、最低限知っておくべき労働・賃金、労組などの基礎知識を解説した本です。同時に、働く人を貧困と低賃金に追い落とす現代社会への警告書とも言うべき本です。労働組合の若い役員にとっても入門書であり必読本です。
 全体は6章から成り立っており、働き手の側から社会と企業を問い直しています。第1章「仕事選びの常識が通じない」、第2章「『働きやすい』って」、第3章「賃金ってなに」、第4章「働き手にも味方はいる」、第5章「心と体を壊さないために」、第6章「仕事がなくなったら」という構成です。なかでも第4章では、「社会的労働運動の必要性」という形で、平和フォーラムが進める「憲法改悪反対」「反戦・平和」「人権擁護」など、「企業の枠を超えたものが労働組合にとってきわめて重要な取り組みです」と、俳優の菅原文太さん(故人)の「語り」を紹介する形で書かれているのです。
 それは、2014年11月、闘病中であった菅原さんが、沖縄県知事選挙の候補者であった翁長雄志さんを応援するために語った言葉です。曰く、「アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にも、韓国にも。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな、手を結び合おうよ」と。そして、「政治の役割は二つあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」と。
 この訴えを読んで私は感動しました。まさに「万国の労働者、団結せよ」を彷彿とさせるものだったからです。反戦・平和と放射能汚染のない食が大事と訴えられたからです。菅原さんはこの3週間後に亡くなられたので、まさに「命懸けの応援」だったのです。だからこそ”社会的労働運動”を推進する石川県平和運動センターのホームページのトップは「菅原文太」さんなのです。
(石川県平和運動センター事務局長中村照夫)

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核のキーワード図鑑


あぶないオスプレイは飛行中止に

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9.18「さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」

 福島原発事故から6年半が過ぎても、原発事故の収束の先行きが見通せない中、いまだ8万人近い被災者が苦しい避難生活を強いられています。政府は補償の打ち切りと帰還の強制を進め、被災者をさらに苦しい立場に追い込んでいます。また、安倍政権は、原発再稼働・核燃料サイクルの推進、原発輸出など原子力推進に大きく舵を切っています。このような状況を受けて、「さようなら原発」一千万署名市民の会の呼びかけで、「さようなら原発さようなら戦争全国集会」が9月18日に開かれます。多くの方々の参加を呼びかけています。

日時:9月18日(月・祝)11:30~15:00
会場:東京・代々木公園B地区、けやき並木、野外ステージ
内容:
11:30~出展ブース開店
12:30~13:30ミニステージ(リレートーク)・さようなら原発ライブ
13:30~集会発言(鎌田慧、落合恵子、澤地久枝ほか)/各地の報告(福島、玄海原発、沖縄から)/総がかり行動からの訴え
15:00~デモ行進(渋谷コース、原宿コース)
主催:「さようなら原発」一千万署名市民の会
協力:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

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