2019年、トップランク、ニュースペーパー

2019年09月01日

ニュースペーパー2019年9月



被爆74周年原水爆禁止世界大会
 7月27日に福島から始まった「被爆74周年原水爆禁止世界大会」は、8月9日の長崎大会閉会総会の後、爆心地公園への平和行進、原爆中心碑前での黙祷(写真下)で全日程を終えました。
 福島市の福島県教育会館で開催された福島大会では、シンポジウム・特別分科会を開催、全体会では「フクシマの悲劇を二度と繰り返してはなりません。私たちは全国、全世界の反核・脱原発運動と連帯します。」とするアピールを確認し、その後、県庁前までデモ行進しました。
 8月4日から3日間の日程で開催した広島大会では、折り鶴平和行進(写真上)、全国から1900人が参加した開会総会、分科会、ひろば、国際会議を経て開かれた、まとめ集会では「中距離核戦力(INF)全廃条約失効は許されない」特別決議と「被爆地ヒロシマを体験し、憲法を守り、一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え、行動しよう」とする「ヒロシマ・アピール」を採択しました。
 8月7日には、長崎大会の開会総会が開かれ、長崎県内や九州各県をはじめ全国から1300人が参加しました。主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長は、74年前の原爆被害の悲惨な実情を語り、核兵器禁止条約に対する日本政府の姿勢を批判。分科会など開催後の8月9日の閉会総会では、大会宣言を拍手で確認しました。(宣言、決議、まとめの報告などは原水禁ウェブサイトに掲載)

インタビュー・シリーズ:148
それぞれの居場所でつくられた文化や平和を大切にすること
丸木美術館 学芸員・専務理事 岡村 幸宣さんに聞く

おかむら ゆきのりさんプロフィール
 1974年東京都生まれ。2001年より原爆の図丸木美術館に学芸員として勤務し、丸木位里・丸木俊夫妻を中心にした社会と芸術表現の関わりについての研究、展覧会の企画などを行っている。
 著書に『非核芸術案内―核はどう描かれてきたか』(岩波書店、2013年)、『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』(新宿書房、2015年)、『《原爆の図》のある美術館―丸木位里、丸木俊の世界を伝える』(岩波書店、2017年)。主な共著に『「はだしのゲン」を読む』(河出書房新社、2014年)、『3.11を心に刻んで2014』(岩波書店、2014年)、『山本作兵衛と炭鉱の記録』(平凡社、2014年)、『〈原爆〉を読む文化事典』(青弓社、2017年)など。

─はじめに丸木美術館についてお聞かせください。
 「原爆の図丸木美術館」は丸木位里・丸木俊夫妻が共同制作した「原爆の図」を所蔵・公開する美術館です。夫妻の暮らす埼玉県東松山市に開館して、今年で52年目になります。丸木夫妻が作品のために建てたこの美術館は、行政や企業に頼らず、「原爆の図」を大切に思う市民からの寄付などで支えられています。
 第1作を発表したのが1950年で、原爆被害の報道も禁じられていた占領下でした。絵の制作と並行して、全国巡回展を開きました。私が当時のことを調査したところ、スタートから4年間に全国170箇所以上で開催され、170万人以上が来場した計算になります。先日閉店になった函館の棒二森屋というデパートがありますが、そこでも1951年に原爆の図展が開催されました。その前に札幌で北海道大学の学生たちが展覧会をやって、会場責任者が逮捕されています。それが新聞沙汰になって、函館では断られると思っていたら、百貨店の社長が「話題になるのはおおいに結構」ということで予定通り開催され、大盛況だったそうです。新巻鮭が送られてきたとか、大入り袋が配られたとか、そんなことを丸木夫妻は回想しています。当時は見てはいけないという上からの圧力に対して、だったらなおのこと見せなきゃいけない、見せたいという人たちのエネルギーがすごかったのです。それが全国に巡回展が広がっていく原動力になりました。「原爆の図」は、1950年に描かれた第1部の「幽霊」から1982年に発表された「長崎」まで15部あります。「長崎」は長崎原爆資料館に常設展示されています。
 第1部のころは絵具を買うお金もなく、当時どこの家にもあった墨を使い、畳一畳分の和紙を8枚つないで大画面を作っています。第2部になると赤い絵具が入り、色をなるべく抑えながら効果的に描いています。1952年4月に「原爆の図」の画集が出版され、翌年から世界巡回展がはじまると、カラー作品も出てきます。国際社会の中で反核運動をどう牽引していくか、より大衆に影響を与える描き方を意識していたと思います。

─被爆者たちが声を挙げ始めたのが1954年以降です。そういう意味では丸木位里さん、俊さんは早くから社会の動きに着眼していますね。
 占領政策が逆コースをたどることが関係しています。丸木夫妻は1945年の8月に広島にかけつけて惨状を目の当たりにしたけれど、すぐに「原爆の図」を描き始めたわけではありません。戦後は解放されて新しい社会を建設するということが絵のテーマとして非常に大きかったわけです。ところが占領政策が1948年頃から変わってきて、軍国主義、朝鮮戦争、反共の防波堤という形になってきたときに、アメリカの都合でいくらでも変わっていく解放であると丸木夫妻は気づきます。朝鮮戦争が始まろうという緊迫感の中で、もう一度あの戦争の記憶をきちんと描き留めておかなければいけないと考えたのです。水爆実験も始まり、国際的な冷戦構造の中で核に関する問題が東西でせめぎあいを始めた時期と、「原爆の図」の誕生は呼応しています。また、大田洋子さんや峠三吉さんと交流があって、峠さんも占領下の1951年に『原爆詩集』を自費出版していますが、お互いに行き来をして、励まし合っていたようです。数は少ないけれども、原爆をなんとか伝えていかなければならないという意識を共有する人たちはいたのです。

─作品の中には捕虜も描かれていますね。原爆というのは日本人もアメリカ人も区別なく殺されるんだと。第13部「米兵捕虜の死」では捕虜も日本人に殺されたということも書いてある。どちらの側に立つでもなく、現実を直視している感じを受けますが、原爆を落としたアメリカに対してどうお考えだったのでしょうか。
 やはりアメリカの戦争犯罪を糾弾するという動機が強かったと思います。ただ1970年から1971年にかけて初めてアメリカで巡回展をやったときに、いままでの展覧会を開催した国とアメリカの反応が違うことを知ります。パールハーバーとか南京のことを言われる。それに対してきちんとリアクションをしていくには、日本の戦争責任の問題をうやむやにしていてはいけないと転換していくわけです。最終的には国や人種を越えてあらゆる戦争の、社会の中でのあらゆる暴力に対して、傷つく人を見つめ、その痛みを請け負って、共感していくようになったのだと思います。

─岡村さんは2001年からお勤めと伺いましたが、ここで働くきっかけになったことは何ですか。
 私はもともと美術系の大学で学芸員の資格をとるために現代美術の勉強をしていました。実習先は好きなところを選べますので、なるべく時代の流行と真逆のところを見ておきたいと思いました。東京近郊で、いちばん真逆だと感じたのがこの美術館だったんです。「原爆の図」は中学の教科書で知っていました。1980年代に1度検定に引っかかったことがきっかけになって、現在は教科書からはほぼ姿を消していますが。実習では、授業で学んだことと全然ちがうことをやるのだろうなと覚悟してきましたが、最初に頼まれた仕事が裏の竹林でのたけのこ掘りでした。朝早くたけのこを掘っていたら、霧のむこうからおばあちゃんが歩いてきて、それが俊さんでした。まるで昔話の中に入り込んだような場所だと思いました。実習のあとボランティアで手伝いにくるようになって「ここで働かないか」と誘われましたが、そのときは断ってヨーロッパに行きました。たくさんの美術館、博物館を見ていく中で、それぞれの土地で、その土地から立ち上がってくる文化をしっかり守っていることを感じました。日本にいると有名な美術館の話題しか聞こえてきませんが、ヨーロッパにはもっと小さい、その土地にしかないものを守っているところがたくさんあると知りました。観光案内所にいくと鍵を貸してくれて、自分で開けて入れというような場所もあったりして、うっかりすると鍵を閉められて出られなくなっちゃうような(笑)。それでも大事なものは自分たちで守っているんです。景気がよくて予算がついたら、まず箱モノを作って、それから何を入れるかを考えるという日本のやり方とは違いますね。ほんとうに大切なのは初めに自分たちとつながっている守るべき財産があって、それをどう守るかと考えて箱を作る。丸木美術館がまさにそれだと気がつきました。初めに作品があって、それを大事だと思う人たちがみんなでお金を出し合って、美術館ができていく。そうして50年の歴史をつないできたというのは、とても大事じゃないかと思っています。平和もきっと同じだと思います。平和も文化も、どこか中央のえらい人たちがつくったものをみんなで受け止めるんじゃなくて、それぞれの居場所で立ち上がってくるもの、中央と違うものをちゃんと大事にして、そこでなければ生まれないものをみんなで作っていくということが日本には必要だと、若気のいたりで(笑)思ってしまいました。そして改めて、この美術館で働かせてくださいとお願いに来ました。そのときはもう丸木夫妻は亡くなっていましたが、最初の学芸員となって、この美術館における学芸員とはなにかということをずっと考えながら、気がつけば19年働いています。
 最近はいろいろなことが変わってきました。海外の展覧会に絵を運んで行く機会も増えました。いまは、命や社会について考えている若い表現者たちに、この場所を使っていろいろなことをやってもらおうと考えています。時代がちがうので、彼らの表現は丸木夫妻とまったくちがいます。それでも、この場所で作品を発表すると、いやおうなしに「原爆の図」と向き合うことになります。そういう経験をした若者を、世の中にどんどん送り出していこうというのがいまの作戦です。あの人も、この人も、重要な仕事をやっている人はみんな丸木美術館を経由しているよと、そういうふうになったらいいなと考えています。いままでと同じことをやっているだけではエネルギーが失われていきます。新しい人たちが刺激的だと感じるような回路を開いて、「原爆の図」のエッセンスがいつのまにか多くの人の心に染み込んでいる、というのが理想です。ここ10年くらい、そういう新しい試みを続けていて、それがけっこうおもしろいですね。
 日本人は、有名な展覧会には行くけれど、自分たちで文化を創り出そうとか、自分たちの地域の文化を支えていくとか、そういう感覚が弱いと感じます。美術展も東京一極集中で、東京でやったものを巡回して、受け止めるだけになってしまっています。東京ではできないものを、ここでやろうじゃないかという気持ちが大事。丸木美術館は最初からそういう場所なんですね。こういう場所で自然に生まれてくるのが文化じゃないかなと思っています。それを学びたくて、この美術館に来たという気持ちはありますね。丸木美術館のそういうところがとても好きなので、大切に受け継いでいきたいです。

原爆の図保存基金
 いま、丸木美術館では「原爆の図保存基金」を立ち上げ、将来に向けてふたつの計画を実現するために広く寄付を呼びかけています。ひとつは温湿度管理や虫害対策のできる展示室と収蔵庫を備えた新館建設、もうひとつはデジタルアーカイブの整備で、丸木夫妻の千点を超える絵画作品に加え、著作や書簡、発行物などの資料を公開できる状態に整理して、インターネットなどで発信することをめざします。大切な記憶を、時代を超えて受け継いでいくためにも、みなさまのご協力をお願いいたします。
郵便振替口座00260-6-138290
加入者名原爆の図保存基金 

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立ち塞がる日米地位協定─水道水の汚染物質は米軍基地から?
全日本水道労働組合 書記次長 菖蒲谷 眞一

 2016年1月、沖縄県本島の水道水を供給している沖縄県企業局(以下:企業局)は、沖縄本島中部に位置する北谷(ちゃたん)浄水場の水源である大工廻川や比謝川で有機フッ素化合物のPFOS(ピーホス)が高濃度で検出されたことを発表した。また、2018年度には、企業局が米軍嘉手納基地周辺の水質調査を実施し、比謝川取水ポンプ場周辺の湧き水から、有機フッ素化合物PFOS、PFOA(ピーフォア)が高濃度で検出されている。この有機フッ素化合物は、環境中では分解されにくく、蓄積性もあり、発がん性リスクが指摘されている物質である。

基地周辺で検出される汚染物質
 日本の水道法で定められている水質検査項目は51項目が義務づけられており、世界的に厳しい水準である。しかし、検出されているPFOSは、51ある検査項目にはなく日本国内では原則的に使用・製造が禁止されている物質である。
 さらに、普天間基地周辺の水質調査でもPFOSが検出されている。このことからも、汚染物質は米軍基地から流入してきたのではないかと想定されることから、企業局は、これまで基地内への立ち入り調査を要請してきているが未だ実施されていない。
 このPFOSが検出されている比謝川の水は水資源の乏しい沖縄県において貴重な水源となっている。特に、水の消費地に近い沖縄県中部3河川(比謝川・長田川・天願川)の水源において40%を占めていることから長期間の取水停止を行うことは容易ではない。北谷浄水場にはPFOSなどを除去出来る活性炭設備を有していることから可能な限り除去をしながら、生活に欠かせない水の供給を行っており、北谷浄水場の水質目標として、PFOSとPFOAの合計で1リットルあたり70ナノグラム(米国の飲料水中の生涯健康勧告値)以下と設定し、現状は、平均で30ナノグラム程度と目標値を下回っている。
 しかし、除去に使用するための活性炭などの費用が2億円超の負担増となっており、この費用負担は当然受益者負担となることから、企業局は、料金への転嫁をすることなく自助努力で費用捻出を行ってきた。もちろん、県民・利用者の「生命」を守るため「水道水」の安全・安心は最優先・最重要課題である。一方で、2億円超の費用は施設更新費用など県民・利用者へ還元されるべき費用だったものであり、県民・利用者にとっては迷惑な事と言える。


北谷浄水場

発生源特定に立ち塞がる日米地位協定
 さて、現場での対応でPFOS・PFOAは数値目標を低減できているが、このことも限界もある。また、費用的には2019年5月に、防衛省が国で費用負担を行うと発表したが、結局は国税である。このことでは何の問題解決にはならない。この汚染物質の水源流入を防ぐための検討は発生源の特定が不可欠である。
 しかし、そこに立ち塞がるのが「日米地位協定」である。この協定の第3条に「合衆国は、施設及び区域において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」とし、米軍に排他的管理権を認めて日本側による施設・区域内への立ち入り権は明記されていない。また、日米地位協定の環境補足協定及び合同委員会合意で「1997年合意に基づき、米軍基地内で環境事故が発生した際、米国側から日本側への環境事故発生の通報があった場合、日本の当局は、米国に対し漏出への対処にあたる米軍の措置について、現地視察を申請することができる。米国側は、申請を認めることが米軍の運用、施設・区域の運営を妨げるか、部隊防護を危うくするかについて考慮し、実行可能な限り速やかに回答する。申請が認められる場合、日本側による現地視察・サンプル採取は米軍の措置及び運用を妨げない方法によってのみ行うことができる。」(抜粋)とした。ただし、立ち入り申請に関しては、米国側に申請を受け入れる義務が課されていない。

国は県民・市民の生命を軽視するな!
 この日米地位協定・補足協定の問題点について、6月18日の安全保障委員会で、社民党の照屋寛徳衆議院議員が指摘した。河野太郎外相は、環境補足協定の基地立入手続きについて「現に漏れているということが発生し、米側からの情報提供を端緒として実施されるもの」「沖縄の事案が補足協定で想定しているような環境に影響を及ぼす事項に該当するかどうかは今後得られる知見を踏まえて検討する必要がある」と答弁し、立入調査実施は米国側の「考慮」次第であることを認めている。
 すでに、「京大の調査に応じた宜野湾市民からは、全国平均値の4倍にあたるPFOSと53倍のPFHxS(ピーエフへクスエス)が検出されている。」(琉球新報HP)
 県民・国民の命の問題は、何よりも最優先されるべきである。今回の沖縄の水源汚染の問題は、基本的人権の生存権と県民・市民を守るための地方自治の問題である。国は、沖縄県民に負担を強い続け、水処理費用の一部負担のみで押さえつけるつもりなのか。国民の「生命」の問題を軽視していると言わざるを得ない。
 国は、米国側に強く要請し、一刻も早い立ち入り調査、サンプルの採取を行うべく行動するべきである。
(しょうぶだにしんいち)

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被爆74周年原水爆禁止世界大会が開催される
民意を無視した安倍政権の核政策と対決

東北アジア平和と非核化に背を向ける安倍政権
 被爆74周年原水爆禁止世界大会は、7月27日の福島大会(参加者650人)に始まり、8月4日~6日の広島大会(同1900人/開会総会)、7日~9日の長崎大会(同1800人/閉会総会)と開催されました。
 今大会では、直前の参議院選挙で、野党共闘を中心に、自民・公明・維新の改憲勢力に対して3分の2を割らせ、流れを止めることができました。議会での多数を背景に暴走し民意を無視する安倍政権の様々な施策に対して、原水禁世界大会を通じて平和や民主主義、核政策、原子力政策の矛盾を明らかにし、今後の闘いへの確信を深めようとしました。
 特に、核兵器課題では、国際シンポジウムで、大会直前の8月2日に中距離核戦力全廃(INF)条約が米ロ間で失効し、イランの核合意からアメリカの離脱、東北アジアの平和と核問題をめぐる緊張の激化が進む中で、安倍政権は、米国の核戦略に深くコミットすることによって、東北アジアで「孤立化への道」を進もうとしている」と指摘されました。さらに、唯一の戦争被爆国日本が「核兵器禁止条約」に背を向ける中で、2020年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を控え、「日本が核保有国と非核保有国の橋渡しになる」と喧伝するが、その具体策が一向に見えないことなど指摘され、日本の後ろ向きな核軍縮政策が批判されました。
 分科会でも核兵器課題だけでなく、沖縄辺野古新基地建設とそれに抗する沖縄の闘いと私たちの連帯のあり方が議論されました(広島・長崎の第1分科会)。東北アジアの平和と非核化のために、朝鮮半島情勢と沖縄の問題は、密接な関係にあり、現在進行している安倍政権による南北朝鮮に対する敵対的な動きの危険性を指摘しました(広島・長崎第2分科会)。


被爆74周年原水爆禁止世界大会・広島開会総会

被災から8年半―福島原発事故以降の原子力政策の破綻の現実
 東日本大震災・福島原発事故から8年半が過ぎ、復興や賠償、事故の収束など多岐に渡る課題が山積する中で、いまだ4万人を超える被災者が厳しい避難生活を余儀なくされています。その被災者の切り捨てが始まり、被災者は「棄民化」されようとしている現実がある中で、安倍政権の下で原発再稼働など原発推進政策が強引に押し進められ、一方で政策そのものが破綻している現状を訴えました。
 原水禁世界大会福島大会では、福島県平和フォーラム代表の角田政志さんから「県民の強い願いであった福島第二原発の廃炉を実現したが、福島第一原発の廃炉や被災者の生活再建はいまだ大きな課題で、国や県は責任を持って取り組むことが必要」と訴えました。また、今後汚染水の放出問題、健康被害・健康不安の問題など様々な問題が控えていることが合わせて訴えられました。また特別分科会として「福島原発事故と再稼働」と題して、福島・宮城・茨城・新潟の各地の原発再稼働の動きと廃炉の問題の報告がありました。
 広島・長崎大会での脱原発課題では、高速増殖炉もんじゅの廃炉以降、矛盾を来す核燃料サイクル、原発再稼働は想定通り進まず、「テロ対策施設建設の遅れで稼働原発が停止に追い込まれている」(鹿児島からの報告)ことなど、原子力政策全体の破綻が現実化していることを明らかにしました(広島大会第5分科会、長崎大会第3分科会)。脱原発の分科会を通じて、安倍政権が進めるエネルギー基本計画(原子力推進施策)の破綻と政策の転換の必要性を明らかにしてきました。

残された課題が山積するヒバクシャ援護
 被爆者の援護・連帯については、被爆74年を迎えてもいまなお多くの課題が残され、被爆者の平均年齢もすでに80歳を超え、課題の解決が急がれていることが訴えられました。課題の原因は、政府による原爆被害の過小評価と、被爆者の援護をいまだ国家補償としてとらえようとしていないところにあります。
 韓国の被爆二世や国内の被爆二世の現状と課題、被爆体験者の課題(長崎大会開会総会)といまだ援護の枠外に置かれている被爆者の課題を学びました。両課題とも現在集団訴訟が進められており、支援の強化が訴えられました。
 また今年は、ビキニ被災の現地マーシャル諸島から被災者を支援する二世の運動から2名の海外ゲストが参加し、高齢化するビキニの核実験被曝者の実相をどう継承し、次の世代へ受け継いでいくのかが訴えられました。ヒロシマ・ナガサキに通じる課題であり、大会では両者の経験交流の場ともなりました。さらに講師から世界に拡がる核被害者の置かれている厳しい実態と連帯のありかたについても提起されました。
 原水禁世界大会では、これら多岐にわたる課題について、多くの分科会、ひろばなどを通じて理解を深めていきました。(*なお、詳しい報告や大会決議などは原水禁のHPに掲載しますので、そちらをご覧ください)
(井上年弘)

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ピースアクションの5つのとりくみと日本
原水禁世界大会・海外ゲスト スージー・アリソンリットンさんに聞く

 ピースアクションは、1957年に創設され、10万人を超える会員を擁する全米最大の平和・軍縮団体。全国事務局をワシントンDCに構え、議会でのロビー活動を展開している。スージー・アリソンリットン(SusieAllisonLitton)さんは、ピースアクション理事会メンバーで、25年以上の活動歴を持つベテラン。現在、ピースアクションの政治基金PeaceActionEducationFundの共同議長も務める。

ピースアクションの5つのとりくみ
 ピースアクションの最大の目標は、米国政府に大規模な核兵器の増強計画を放棄させ、最終的に廃止させること、また、国際的な兵器取引を抑制し国際紛争の外交的な解決を促進させることです。そのために、ピースアクションは、現在5つのとりくみを進めています。
 一つ目は、核兵器のない世界のための活動で、米国が「先制不使用」の政策に合意することを私たちは提唱しています。また、マサチューセッツ州のエドワード・マーキー上院議員とカリフォルニア州のテッド・リュウ下院議員が発議した、核攻撃ができる大統領の一方的な権限を廃止する法案の実現に向けて努力しています。さらに米国が核兵器を発射するまでの時間を延長することを提唱しています。また、オバマ政権下で始まり、現大統領のもとでも継続されている新規の核兵器のための支出の増大を徐々に縮小させる活動をしています。最後に、私たちはイランとの核合意を熱心に支持しました。そして、同様の合意を北朝鮮と締結することを提唱しています。
 二つ目は、中東の様ざまな軍事紛争への米国による長年の関与を終わらせることを継続的に要求しています。「対テロ作戦」という目標は、もはや中東地域における米国の継続的な介入や破壊的な戦闘を正当化するものではなくなりました。実際、継続的な米軍の介入はテロの拡大を助長しています。現在、ピースアクションは、サウジアラビアへの武器輸出を阻止するための連邦議会のとりくみを進めています。
 三つ目は、「資金を移動せよ(MovetheMoney)」キャンペーンです。米国が戦闘、兵器、その他戦争関連の費用に費やす何兆ドルものお金を、米国内の人々が必要とするもののために使用することを要請しています。医療や教育など国民生活に必要な社会インフラへの投資を促しています。このキャンペーンは税金の使い道を完全にパラダイムシフトする(劇的に変化させる)よう呼び掛けています。
 四つ目は、イランの核合意を成功させ、核兵器保有国が増えるのを阻止するために活動しています。外交的な解決を支持するとともに、外交が効果的で、イラン国民を害する制裁は効果的でないという世間の認識を高める活動を行っていきます。
 五つ目は、朝鮮半島における外交と軍縮を促進する活動をしています。私たちは軍事的な敵対関係が、潜在的な核兵器の使用の可能性と何百万人もの人命の喪失をもたらす全面戦争につながりやすいことを理解しており、朝鮮半島における長年の懸案である敵対関係の正式な終止を支持しています。そして、韓国の文大統領と北朝鮮の金正恩書記長との外交を米国が支持するように促しています。

日本の役割について
 米国で出版されたイ・ミンジン(MinJinLee)著作の「パチンコ」という題名の小説が、ベストセラーになり、多くの文学賞候補に挙げられています。この小説は私を含め、多くのアメリカ人読者に在日韓国・朝鮮人の実情について新しい見方を示してくれました。
 東北アジアの緊張緩和と核戦争のリスク軽減のための日本の役割について、私は地域政策の専門家ではありませんが、ピースアクションはもちろん、日本と韓国・朝鮮の緊張緩和に資する、「朝鮮学園を支えるネットワーク」などの在日韓国・朝鮮人の状況改善のための日本のとりくみを支持するつもりです。米軍基地のある日本は、米国のこの地域における強力な同盟国ですから、日韓の相互理解と良好な関係の促進のために日本にできることのすべてが地域の安定化に役立つに違いありません。核攻撃が被爆者と子孫に及ぼす長期的健康被害について日本が行っている調査研究もまた不可欠です。核兵器の使用という過ちを再び犯さないために、全世界とその指導者たちは核兵器を使用することの影響がどんなものかを決して忘れてはなりません。
 人々や国家間には常に意見の対立があります。しかし、ピースアクションが、そして私が一貫して信じていることは、世界中の人々にできる最も重要なこと、それは非核化、外交、平和のために発言し続け、世界中の国家指導者に地球資源の賢明で公正な分配のために努力するよう要求し、人類共通の精神でお互いに助け合うことに希望がある、ということです。

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加盟団体の活動から(第19回)
社会保障の充実、平和・人権・環境を守り、 核兵器廃絶・脱原発の運動に積極的に取り組む
全日本水道退職者協議会 事務局長 芦沢 春樹


憲法集会で全水道部隊と共に
行進する全水退の仲間

 全日本水道退職者協議会(全水退)は、加盟数24単組退職者会(単会)、会員数6,567人という組織実態にあります。
 活動内容は、全日本水道労働組合(全水道)と連携し、退職者の生活向上と健康で安心できる老後をつくるための諸活動を全国的な規模で推進するとともに、会員相互の親睦をはかることを目的としています。
 フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)への関わりは、地方公務員退職者協議会の1構成組織として参加しています。組織人員は小さいのですが、全水道と同様に各単会の協力を得て、各種行動に積極的に参加しています。
 安倍内閣は戦後最悪の政権と言わざるを得ません。第1次安倍内閣における教育基本法の改悪を皮切りに、盗聴法、集団的自衛権の解釈改憲、戦争法、共謀罪法等々、戦争する国、できる国へまっしぐらであり、「モリ・カケ」問題や厚労省のデータ改ざん、偽装、隠ぺいに象徴されるように民主主義を否定する長反動的な政権です。
 極めつけは、沖縄県辺野古新基地建設問題です。沖縄県民は国政選挙、首長選挙で「辺野古新基地建設NO!」の確固たる意思表示をしているにもかかわらず、県民の深い意思を無視し続ける今の安倍政治を断じて許すことはできません。
 東日本大震災から8年が経過しましたが、被災地の復旧・復興は市民の期待と遠い現状であるばかりでなく、露骨な被災者切り捨てを進めています。また、福島原発過酷事故を収束できないまま、原発依存のエネルギー政策にしがみつき、各地で休止原発の再稼働を強行しています。
 また、私たち高齢者に対しても、高齢社会における自らの責任を放棄し、社会保障制度全般にわたり給付削減・負担増を強い、老後の生活に自己責任を強要しています。
 私たちは単会の運動を基礎に、安倍政権の改憲攻撃、国民生活破壊・平和と民主主義否定の政治に反対し、社会保障の充実、平和・人権・環境を守り、核兵器廃絶・脱原発の運動に積極的に取り組んでいきます。
(あしざわはるき)

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〔本の紹介〕
武器としての世論調査 ─社会をとらえ、未来を変える
三春充希・著/ちくま新書

 現在、新聞・テレビなどマスコミ各社が毎月一回の定例世論調査を行っており、その数は11にも及びます。それ以外にも緊急の調査があるほか、様々な調査会社による大小の調査が行われています。
 私たちもこれらの結果をみて一喜一憂しているわけですが、なぜそれぞれの調査の数値が高かったり、低かったり、こんなにも開きがあるのか、疑問に思うことが、多くあります。とくに「インターネット調査」などは、信じがたい、極端な数字を示すことがありますよね。
 こうした事態がなぜ生まれるのか、わかりやすく解説したのが本書です。味噌汁を味見するときは、当然のことですが、鍋ごと飲み干す必要はなく、適切にかき混ぜ、適量掬い、取り出せば事足ります。そんな身近な経験から出発し、読みすすめていけば、世論調査のしくみについてすっかり得心できることでしょう。
 とは言え、人間の心なんてものを、どのようにかき混ぜ、掬い取るのが適切か、というのはなかなか難しいところで、例えば質問の文章や順番によっても結果が大きく左右されます。ですから、どれかひとつの調査だけではなく、複数の動向を、継続して検討することで、より事実に近づくことができるという点が重要です。
 筆者は市町村単位での数値をはじめとして、精緻にデータ分析を行っており、地域・所得・年代・信仰などによるそれぞれの傾向も可視化しています。また、選挙の情勢報道で使われた表現と実際の結果を引き合わせ、非常に説得的な「格付け」も行っています。「先行」と「優位」、どちらが有利でしょうか?
 なかなか思い通りにはならない結果も多く、世論操作の存在を疑ったりすることも、人情としては理解できなくもないですが、それはもっとも避けるべき傾向です。それぞれの数字が示すものに正面から向き合い、世論の現在位置をしっかり確認することなしには、すすむべき方向性を過つことになります。
 7月の参議院選挙では、なんとか改憲勢力が3分の2を割り込む結果を得ましたが、一方で野党勢力が人びとの心をしっかりとつかむところには、いまだ至っていません。来るべき衆議院選挙に向け、課題を洗い出すための一助として、本書をおすすめします。
(山本圭介)

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核のキーワード図鑑


地球のみんな平和が好き、だから9条を大切に

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9.16「さようなら原発 全国集会」

 福島原発事故から8年半が過ぎても、原発事故の収束の先行きが見通せない中、いまだ3万人近い被災者が苦しい避難生活を強いられています。
 このような状況を受けて、「さようなら原発」一千万署名市民の会の呼びかけで、今年も「さようなら原発全国集会」が9月16日に開かれます。多くの方々の参加を呼びかけています。

日時:9月16日(月・祝)11:00~15:10
会場:東京・代々木公園B地区、けやき並木、野外ステージ
内容:
 11:00~出店ブース開店
 12:30~コンサート
 13:30~開会・発言(呼びかけ人・鎌田慧、ほか)/福島などから各地の報告)
 15:10~デモ出発(渋谷コース、原宿コース)
主催:「さようなら原発」一千万署名市民の会
協力:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

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