2019年、ニュースペーパー

2019年10月01日

ニュースペーパー2019年10月



 8月14日、韓国・旧日本大使館前で従軍慰安婦問題の解決を求めて毎週水曜日に開かれている「水曜集会」が、1400回目を迎えました。この日は、1991年8月14日に故・金学順(キム・ハクスン)さんが、日本軍の従軍慰安婦であったことを名乗り出た日に当たり、「世界慰安婦の日」となっています。韓国だけではなく、日本や英国、オーストラリアなど世界9カ国・地域の21都市で、慰安婦問題の解決に向けたとりくみが行われました。
 一方日本では、徴用工問題に端を発して、日韓関係が急速に悪化。事態を冷静に報道するマスメディアは皆無に等しく、むしろ韓国ヘイトを煽るような報道すら見受けられます。(本号5頁、12頁に関連詳細記事)
 また、3年ごとに開催されている国内最大規模の国際芸術展である「あいちトリエンナーレ2019」では、慰安婦問題や天皇問題などを扱った企画展「表現の不自由展・その後」が、猛烈な「非難」を浴びて中止に追い込まれています。驚くべきことに、自治体の長(名古屋市)が内容に口を出して中止を要求し、菅官房長官にいたっては、あたかも公金・補助金支出で内容に介入するかのごとき発言をしています。
 本来政治は、表現の自由を守るために動かなければならないのに。政権政党の意図に沿わないものは排除していく。あったことをなかったことにする歴史歪曲、そしてヘイト、レイシズムを煽る政治。
 日本社会は徐々に『茶色の朝』が進行しているのではないでしょうか。
(写真は2019年8月15日、韓国・旧日本大使館前の少女像。集会のさなか、参加者らが次々に写真を撮っていた。)

インタビュー・シリーズ:149
狭山事件 56年のたたかいが 再審の扉を必ず開く
石川一雄さん&早智子さんに聞く

いしかわ かずおさんプロフィール
1939年1月14日、埼玉県狭山市の被差別部落に生まれる。小学校入学後も農家の奉公などで働き、十分な教育を受けることができなかった。1963年5月23日、別件逮捕され、取調べを受け虚偽自白を強要される。狭山事件の犯人として有罪判決を受けて、32年の獄中生活を経て、1994年12月21日、仮出獄で千葉刑務所から出所し、狭山に戻る。1996年に早智子さんと結婚、2人で無実を訴え、再審請求の闘いを続ける。
さちこさんプロフィールプロフィール
1947年2月16日、徳島市内の被差別部落に生まれる。労働組合の部落解放研究会の活動と出会い、狭山闘争、部落解放運動に参加するようになる。1995年夏に石川一雄さんが集会で徳島を訪れた際にはじめて出会う。1996年12月に石川一雄さんと結婚。ともに再審無罪を求める闘いを続ける。

─ 一雄さんは差別や貧困のなかで育ち、たいへんな思いをされてきたと思いますが。
 とても貧しい生活で、小学生のころから学校にはほとんど行かずに農家の手伝いをしていて、生きることに精一杯でした。境遇を恨んだこともありましたが、親父が貧しさに負けず、がんばっていた姿を見ていますし、両親には感謝しています。
 職を転々としましたが、18歳からは製菓工場に勤めはじめました。毎日残業をしてがんばったので、3年後くらいには現場責任者に抜擢されました。
 しかし、小学校にちゃんと通えず文字が読めなかったので日報が書けず、ある人に頼んで書いてもらっていたのですが、その人が休みをとっていて、かと言ってほかの人に頼めば自分が読み書きできないことがみんなにわかってしまうから、前日の日報をそのまま書き写してしまったのです。
 そのことを「今日は前日より菓子がたくさんできていると工場長から報告があったのに、伝票を見ると昨日と同じになっているがこれはどういうことだ」と人事課長に指摘され、みんなの前で、読み書きができず書き写したことを謝罪することになり、いたたまれず辞めてしまいました。それが事件に巻き込まれる1年前です。
(早智子さん)狭山市内で街頭宣伝をしていたとき、一人の男性が話しかけてきました。一雄さんと同じ小学校の一年年下の方でした。彼が3年生のとき、4年生のはずの一雄さんが、3年生の教室の席に座っていて、あれ?となったところ、一雄さんは彼の顔を見て教室を飛び出して行ったというんです。つまり、学校にちゃんと通えていなかった一雄さんは進級したこともよく知らなかったし、そういう生徒をサポートしようとする学校の仕組みもなかったんです。
 そのことを聞いて、まるでいないかのように、学校からほったらかしにされていた被差別部落の子どもたちの姿が浮かび上がってきました。こんなふうに、ちゃんと教育を受けることのできなかった石川一雄には、狭山事件の脅迫状など書けはしないという根本的なところに、裁判所は目を向けてほしいです。

─1963年5月23日、一雄さんは24歳で逮捕され、その後32年も獄中にありました。
 逮捕されたときは、まったく身に覚えのないことだったので、お袋にはすぐに帰ってくるからと言いました。取り調べは大変でした。殴られたりするのは我慢できますが、寝かせてくれなかったのがこたえました。そのなかで、容疑が一家の大黒柱の兄にかかっているかのように言われ、家族を守るために、ついには自分がやったと自白したのです。
 現場に残された足跡と兄の地下足袋が一致していると警察に吹き込まれ、「自白しなければ兄を逮捕する」という警察官の言葉を信じ込んでいました。死刑判決を受け、接見禁止が解けて兄と面会し、はじめて兄にはアリバイがあることを聞かされ、警察にだまされていたことを知りました。そこから無実の訴えを行っていくことになります。
 嘘の自白をしたからこうなったという自責の念に駆られていましたが、刑務所の中で勉強して、文字を取り戻し、いろいろなことを学びながら、拘禁生活を耐え抜いてがんばってきました。部落の兄弟姉妹や労働組合などからの面会や手紙も多く寄せられ、こうした全国各地からの支援の声にも支えられました。

─仮釈放になったとき、地元である狭山に住むという決断をされましたが、不安はなかったのでしょうか。
 いまから25年前、仮釈放になったとき、無実を訴えながら(再審請求をしながら)の仮出獄であったし、部落解放同盟を中心として幅広い支援が地元にありました。当時の狭山市長が「(仮出獄になれば)石川さんを一市民として受け入れる」とおっしゃっているということも聞きました。私は無実ですから、狭山に住むことに不安はありませんでした。出てきてすぐに同級生たちも会いに来てくれたりしましたしね。
 ほかの冤罪事件では、無罪を勝ち取ってもいやがらせをうけて地元に住めないようなこともありましたが、幸いなことに、生まれ育った被差別部落の人びとをはじめ無実を信じてくれているということがとても大きいです。これも支援のみなさんのおかげです。
 仮釈放になっても、当初は毎週のように、保護観察官や保護司に面会しなければなりませんでした。いまでも1週間以上の旅行には許可願を出さなくてはならないし、選挙権がないなどさまざまな権利の制限があり、「見えない手錠」につながれていることを実感します。

─早智子さんは96年に一雄さんと結婚されて以来、一雄さんといつもいっしょにがんばっていらっしゃいますね。
(早智子さん)私も徳島の被差別部落出身です。とても差別が強いところで、就職しても差別がついて回り、当初、部落出身であることを隠していました。職場の上司が差別発言をしても、それを咎めることもできませんでした。でも、労働組合の仲間によって部落解放研究会が職場につくられ、私も役員に立候補し、そこから勉強を始め、一雄さんのことを知りました。
 「隠していても差別はなくならない。差別をなくすために立ち上がろう」。一雄さんの獄中からのメッセージに出会い、それまで殻に閉じこもっていた私もがんばろうと思いました。はじめて狭山の集会に参加したとき、たなびくたくさんの荊冠旗に、涙が止まりませんでした。自分は労働組合の仲間に支えてもらって集会にも参加できた。だから、私自身ががんばろうと決意しました。
 自分が殻を破って変われば、周りの人たちも変わるんです。差別発言をした上司にも何度も話をしました。差別したことを認めなかった彼もそのなかで変わっていき、勤務時間中に職場で同和研修の報告をさせてくれるようになりました。人は変われるんだ、人は信じられると思えるようになったんです。だから、こうして労働組合の人たちが、狭山のたたかいを支援してくれていることは、本当に希望だと思っています。
 実際に一雄さんに出会ってからしばらくして、徳島に呼びました。海で何十分も泳いで回って、上がったら唇まで真っ青(笑)。でも彼は子どものころから働いて、そのあと32年も刑務所にいて、楽しい人生の経験が少ないのです。だから、いちご狩りをするとか、きれいな景色をみるとかの経験を、彼といっしょにできたらいいな、と思ったんです。

─第三次再審請求も行われており忙しいところだと思いますが、最近はどのようにお過ごしでしょうか。
 いまも月に10日くらいは、いろんなところに行き、支援を呼びかけて回っています。また、全国からこの狭山に、現地調査に訪れる人たちがたくさんありますから、挨拶をしたりもしています。
 数年前まではよく走っていましたが、最近は目を悪くして、もっぱらウォーキングです。これは体を動かすのが好きというよりも、長生きするためです。冤罪は生きて晴らすということが目標です。
 狭山事件が起こってからすでに56年が経過しましたが、焦りはありません。この間、警察が隠してきた証拠を少しずつ開示させてきたことによって、私の無実が、多くの人びとに、よりわかりやすくなってきました。科学の力で、証拠とされた万年筆(写真は石川さん宅の鴨居から警察が「発見」した状況を再現したもの)が別物であることも証明されています。56年経ったからこそ、科学の進歩によってこうして事実が明らかになってきたことは、がんばってきた甲斐があったと思っています。多くの一般市民のみなさんにもこうした事実を知ってもらいたいと思っています。

─再審勝利に向けて、意気込みをお願いします。
 私は、近いうちに、再審開始は必ずあると思っています。第一次、第二次の再審請求は書面審理だけで終わってしまったのが、現在行われている第三次再審請求では、三者協議もおこなわれているので、書面だけで判断を下すことはできないと思います。これまでに有罪判決を覆すような、無実の証拠が出てきていますから、まずは証拠調べ、事実調べが行われることになると思っています。
 狭山事件以外にも、冤罪事件はたくさんあります。警察がさまざまな証拠を隠し持っている現状では、これからも冤罪はつくられていきますから、こうした証拠を開示させるような法律をつくっていかなければならないと思います。
 平和フォーラムのみなさんにも、ぜひ、要請行動などを行って裁判所に直接働きかけていただきたいなと思います。

─早智子さんからも、一言お願いします。
 (早智子さん)狭山事件は子どもから高齢者、労働組合、市民、宗教者等のみなさんから、幅広い応援をもらっていることが大きいです。
 一雄さんが冤罪に巻き込まれた根本には部落差別、そしてそのことによって教育を受けられなかったということがありますから、子どもたちには一所懸命勉強してもらいたいとの思いが私たちにはあります。
 いまも差別に苦しんでいる部落出身者が、みなさん方の職場にいるかもしれない、そうしたときに労働組合の存在というのはとても大きくて、反差別とか平和を訴える労働組合の運動があることが、どんなに力を与えてくれているかと考えると、とても意義があると思います。今後ともご支援よろしくお願いします。

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自衛隊の海外派兵を許すな!
米国主導の「有志連合」、日本政府はどうするのか?

 米国がイラン核合意から一方的な離脱をして以降、米国とイランの対立が再燃し、中東情勢が緊張しています。トランプ米政権は7月上旬、ホルムズ海峡やペルシャ湾などで、民間船舶の安全確保のため、同盟諸国と有志連合を結成し護衛活動を行うことを表明しました。米国務省と国防省は7月19日、欧州やアジア諸国から60か国以上を招待して、有志連合の「説明会」を実施。2回目以降の参加国は半減したものの、同月中に3回の説明会を開きました。このほか個別に各国への要請は続けており、日本でも8月7日、来日したエスパー米国防長官が、有志連合構想を説明したうえで、参加要請をしています。
 こうした米国の精力的な働きかけにもかかわらず、これまでに参加要請に応えた国は、イギリス、バーレーン、オーストラリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の5か国にとどまっています(9月19日現在)。当初は数週間以内に有志連合を結成すると息巻いていましたが、8月下旬には「海洋安全保障イニシアチブ」と軍事色をおさえた名称に変え、参加を募るようになっています。
 石油の安定確保で友好関係にあるイランと米国との間にはさまれた日本政府の対応はどうなっているのでしょう。当初は、イランを刺激しないように、ペルシャ湾の外のオマーン湾に、ソマリア沖で海賊対処活動をしている海上自衛隊を派遣することで有志連合参加とする案を検討していたようです。9月上旬の菅義偉官房長官の記者会見では、「緊張緩和と情勢の安定化に向けた外交努力を継続していくことを基本に」との姿勢を示しています。
 中東は緊張しているものの、湾岸戦争やイラク戦争の時のような、具体的な軍事力の行使を伴う方向に向かってはいないというのが世界の流れであり、日本もその流れにとどまっているという状況です。
 もう一つ、日本が米国の要請に対して明確な回答をしないのは、民間船舶を護衛する法的な根拠がないからです。

安保法制(戦争法)でできるか?
 2015年に安倍政権が強行採決した安保法制(戦争法)の枠組みでは、船舶の護衛はできません。「重要影響事態」を名目にしても、米軍等他国の軍への後方支援、捜索救助、船舶検査が実施可能な活動です。「存立危機事態」を名目にして「集団的自衛権の行使」を利用することもできません。米国など日本と密接な関係にある国に対して武力攻撃が起きていないからです。仮に実際に起きたタンカー襲撃を「我が国に対する武力攻撃」あるいは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」として集団的自衛権の行使をするには、要件のハードルが高く困難です。蛇足ですが、国際平和協力法や国際平和支援法を援用することは、当然できません。国連決議もなければ、PKO参加5原則にも当てはまらない米国主導の有志連合ですから。

海上警備行動の発令か?
 政府が検討したと思われる一つは、先にも掲げた海賊対処法です。これにより、多国籍部隊に加わることもできますし、民間船舶の護衛をすることもできます。しかし、海賊に対処することが目的ですから、「民間船舶へのイランが関与していると思われる妨害活動」に対処することが目的の有志連合に加わることはできないでしょう。
 そしてもう一つ考えられるのが、自衛隊法に基づく海上警備行動です。そもそもソマリア沖での海賊対処で海上自衛隊を派遣する根拠とされたのが、自衛隊法82条に基づく海上警備行動でした。しかし、護衛の対象が日本船籍、日本人乗組員がいること、日本の企業が運航などと限定され、外国船の護衛はできませんでした。武器使用についても制限があったのです。そこで、海賊対処を目的として、護衛対象を拡大し、武器使用の基準も緩和したのが海賊対処法でした。
 つまり、自衛隊の海上警備行動での護衛対象は、制限されたままなのです。
 6月のタンカー襲撃事件では、日本の企業が運航する外国船籍の船舶でしたので、この襲撃事件を理由として、海上警備行動の発令は可能と思われます。
 しかし海上警備行動を発令はしたものの、自衛隊が中東で日本の民間船舶だけを護衛するわけにはいきません。また、日本の民間船が襲われた場合、どのように対処するか。武器使用基準は制限されています。警告射撃、正当防衛、緊急避難、武器防護のためと限られています。そしてもし、国、国に準ずる組織から攻撃を受けたらどうするのでしょうか?

特措法、新法制定を阻止しよう
 国際情勢並びに今の法律の枠組みでの有志連合参加はかなり難しいでしょう。しかし、アメリカの要請に従って、自衛隊の海外派遣を可能にし、集団的自衛権の行使ができるように、日本の国内法を整備してきたのがこれまでの日本政府です。あらゆる民間船舶の護衛を目的とした自衛隊の海外派遣を可能とするために、何らかの手を打ってくることはあり得ます。特別処置法などを許さず、国会の動きを、警戒を怠らずに見守っていく必要があります。
(近藤賢)

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日韓対立の危機─真摯な歴史認識に立て
フォーラム平和・人権・環境共同代表 藤本 泰成

 2018年10月30日、韓国の最高裁である大法院は、新日本製鉄(現日本製鉄)に対し、戦時中の韓国人元徴用工への損害賠償を命じました。安倍政権は、直ちに、「本件は日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決済み」との立場で、毅然とした態度で臨むと表明しました。大法院判決は、「反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」との立場を示しています。

歴史事実に真摯に向き合う姿勢が必要
 日本政府は、1965年の日韓請求権協定によって個人請求権は消滅しており、日本政府及び日本企業には賠償責任はないと判決を無視するよう企業に圧力をかけ、韓国政府からの問題解決の提案にも全く応じませんでした。しかし、日本政府は、サンフランシスコ講和条約などの請求権放棄の条項に関して、日本国民へは国家間の外交保護権は放棄されるが「個人請求権は含まれない」と説明してきましたが、2000年代になって企業側に不利な判決が出始めると前言を翻す行為に出ます。国連においては、1996年の人権委員会へのクマラスワミ報告が、「日韓請求権協定には個人請求権は含まれない」との立場を取っています。中国政府は、1972年の日中共同声明で「日中両国民の友好のために、日本に対する戦争賠償の請求権を放棄する」としました。しかし、中国人徴用工の訴えには、三菱マテリアル、鹿島建設や西松建設などが、和解によって解決しています。和解の基本は、謝罪と記憶の継承そして賠償です。そこには、歴史事実を事実として、そして自らの非は非として認める真摯な姿勢がなくてはなりません。
 韓国大法院判決は、現在の国際的な人権環境では説得力をもつものと考えます。日本政府および被告企業は、日本の戦争責任としての人権課題として、解決に向けて動き出さなくてはなりません。

対立をあおるマスコミ報道
 日本政府は、8月2日の閣議において、韓国をホワイト国から外すことを表明しました。安倍首相の発言からは、ホワイト国外しが徴用工問題の意趣返しであることは明らかです。その結果、韓国政府は、日本との「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)を破棄しました。ホワイト国は、「大量破壊兵器及び通常兵器の開発等に転用可能な物品の輸出や技術提供行為に、経産大臣への届け出・許可を義務付ける」としたキャッチオール規制を免除するもので、安全保障上問題のない国と位置づけられるものです。日本から安全保障上信用できないとホワイト国から外されて、なお軍事情報を日本と共有化することを問うことなく、韓国のみを批判することは極めて一方的です。
 この間のマスコミ報道は、ホワイト国とGSOMIAの関連性には触れず、一方的にGSOMIA破棄を非難するばかりです。また、政府見解をそのままに徴用工問題は解決済みと主張するだけで、問題解決をさまざまな視点で考えるものではありませんでした。また、早朝の5時にソウルの繁華街ホンデで発生した、韓国人男性による日本人女性への暴行事件をことさらに取り上げ、日韓対立をあおるような報道が目立ちました。政府の対立が激化する中にあって、マスコミの報道姿勢は、より冷静で客観的でなくてはならないと思います。
 安倍首相は、政権内部の多くの議員と同様に、2012年11月4日に米国のTheStar-Ledger紙に掲載された、日本軍慰安婦の歴史事実を否定する「Yes,werememberthefacts.」と題した全面広告に名を連ねています。安倍政権の対韓国外交姿勢は、戦前からのアジア蔑視を基本に、侵略戦争と植民地支配を正当化し、韓国は「気に入らない」という感情的対立とナショナリズムを煽るもので、東アジアの将来にとって全く益のないものです。国内に於いても朝鮮高校や幼稚園を無償化措置からはずしています。アジア蔑視、朝鮮民族差別から、アジアでの日本の将来は生まれてきません。


韓国の旧日本大使館前で慰安婦問題の解決を求めて
プラカードをかかげる学生ら(2019年8月14日)

草の根の交流を進めて相互理解を深めていこう
 自民党の石破茂衆議院議員は、「わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にある」として、「(ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」と指摘しています。橋下徹元維新の会代表も「日本は韓国を併合した側、韓国は日本に併合された側」と指摘しつつ、「日本統治の象徴朝鮮総督府は、李氏朝鮮の王宮景福宮に置かれた。それは韓国の人たちは怒るよね。日本で言えば皇居だ」と述べています。様ざまな立場の人々が、日韓対立を危惧しています。
 今の危機的な日韓対立の解決には、真摯な歴史認識に立って、戦争責任に対する謝罪と記憶の継承そして賠償を、被害者の気持ちに添って考えていくことが大切です。安倍政権の責任はそこにあります。そして、私たち市民は、草の根の交流を絶やすことなく、両国民の相互理解を進めていかなくてはなりません。アジア蔑視の歴史観を、私たちが自ら克服していくこと。そこにアジアにおける日本の未来が開けるに違いありません。
(ふじもとやすなり)

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日米貿易交渉で大枠合意 9月下旬に署名
内容公開されず一方的な譲歩で決着
全日本農民組合連合会 書記長 市村 忠文

牛・豚肉はTPP並みに引き下げ
 安倍晋三首相とトランプ米大統領は8月25日、フランスで開かれた先進国首脳会議(G7サミット)の場で、日米2国間の貿易協定に大枠で合意し、9月下旬の署名を目指すことで一致しました。日本政府は10月からの臨時国会での協定承認を予定しており、年内にも協定が発効する可能性があります。
 今回の日米交渉は、2017年2月にトランプ大統領が環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を表明したことで、特に農畜産物の関税水準がTPP参加国より米国が不利になることから、2018年9月の日米首脳会談で交渉入りを合意。それからわずか1年足らずで決着となりました。これは、2020年の米国大統領選挙を前に、トランプ大統領の成果を示す必要から行われたものと言えます。
 焦点の米国産牛肉と豚肉の関税は、オーストラリアなどTPP参加国と対等となるように、発効時から一気に同じ税率まで関税を削減します。一方、米国産牛肉の輸入が急増した場合は、一時的に関税を引き上げるセーフガード(SG)が設けられます。発動基準数量は最近の輸入実績などを勘案して設定するとしています。しかし、現在のTPP協定でも、牛肉のSGの発動基準数量は米国の参加を見込んだ水準のままになっています。この発動基準を見直さないで日米協定が発効すると、全体の総量が基準を超えてもSGが発動されず、国内により大きな影響が出ることになります。早急にTPP協定の見直しが必要です。


市民が集まったストップ!日米FTA集会
(6月11日・参院議員会館)

米国の輸出1.5倍に 疑惑のトウモロコシ輸入
 2018年12月末のTPP、2019年2月からの欧州連合(EU)との通商協定に続く日米協定により、日本の農業は甚大な影響を受けることは明白です。米国の通商代表部(USTR)のライトハイザー代表は農産物について「70億ドル(約7400億円)超の市場を開くことにつながる」との見通しを示しました。特に成果として牛肉、豚肉、乳製品、小麦、ワインを挙げています。現在、米国からは農畜産物で1兆5千億円も輸入していますが、これがさらに1.5倍に拡大することになります。
 しかし、日本政府は「どういう根拠での数字か判断できない」として内容に触れることを避けています。そればかりか、交渉結果の全容も明らかにしていません(9月10日現在)。政府は「協定文のすべてが確定していない」ことを理由に公表しないとしていますが、過去の貿易協定では「大枠合意」の段階でも内容の公表が行われていました。野党側は「早く国会を開いて問題点を議論すべきだ」と求めていますが、政府は応じる姿勢を示しません。農産物を犠牲にしても自動車では米国側の関税を撤廃させることが目標とされていたにも関わらず、これが見送られるなど、一方的に日本が譲歩したことが明らかにされるのを避けているとみなければなりません。
 さらなる譲歩として浮上したのが275万トンもの米国産飼料用トウモロコシの追加輸入問題です。米国と中国との貿易摩擦により米国産のトウモロコシが輸出できずにだぶついています。そこで、日本政府は、国内で飼料用トウモロコシの害虫被害が広がっていることを理由に、民間企業がトウモロコシを前倒しで輸入する際の保管費用を補助するとしています。昨年度の飼料用トウモロコシの輸入量は約1100万トンで、米国産が9割を占めており、実質的に米国からの輸入を見込んでいます。
 しかし、なぜ追加輸入が必要なのか、民間企業が輸入するものになぜ税金を使うのか疑問です。全日本農民組合連合会は、9月9日に農林水産省交渉を行い、こうした点を質しました。しかし農水省は「貿易協定とは別で、飼料不足に備えて前倒しで輸入するものに保管経費を補助する」としていますが、実際に不足するかどうかの見通しも「これから検討する」と、根拠はあいまいです。トランプ大統領の強引な売り込みに安倍首相が応えたことは明白です。

さらに続く交渉で市民の生活にも影響
 今回の譲歩は、さらに米国の要求を強めることにつながります。日米交渉はこれですべて終わったわけではなく、米国は日米交渉の項目として、食の安全に関わる規制や医療・医薬品、サービス貿易、特許などアメリカが得意とする「知的財産権」等、TPP以上に挙げています。トランプ大統領が再選されれば、こうした市民生活につながる分野にも交渉が広がっていきます。それに対し、秘密交渉を許さず、内容の公開と民主的討議を求めていく必要があります。
 平和フォーラムも参加する「TPPプラスを許さない!全国共同行動」は、10月10日16時から衆院第1議員会館で、各党・議員に対して、日米交渉に対する姿勢を問う集会を開きます。
(いちむらただふみ)

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福島第二原発の廃止と福島第一原発の事故処理
原子力資料情報室 上澤 千尋


東京電力刑事裁判の判決日9月19日、
東京地方裁判所前

福島第二原発の廃止発表
 7月31日、東京電力が福島第二原発すべての原子炉(1~4号炉)の廃止の決定をようやく発表した。解体にあたっては1基30年程度の期間を見込んでおり,全基の解体・撤去を終えるには40年以上の期間が必要という。
 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生以降はまったく稼働していない福島第二原発ではあるが、24~29年間の運転で蓄積された放射能のため、原子炉内や主要系統の配管や機器類の汚染は激しく、すぐに解体作業をはじめることはできない。化学薬品をつかって原子炉内壁や配管内壁に付着した放射能をおびた”サビや水垢”を除去する除染作業が最初におこなわれるが、除去できる放射能は一部だけで、とりのぞけない放射能は減衰してくれるのを待つ必要がある。
 福島第二原発のような沸騰水型炉では、放射能を含んだ蒸気がタービンにまで行くので、除染の作業や放射能の減衰を待つ工程は原子炉建屋内だけでなく、タービン建屋にもおよぶことになる。例えば、原子炉圧力容器の鋼材に含まれる不純物に中性子があたってたくさんの放射能ができる。コバルト60はそういう放射能のひとつであり、非常に強いガンマ線を出す。コバルト60の半減期は約5年なので、運転終了から5年たてばもとの放射能の半分、10年で4分の1、15年で8分の1という減衰の経過をたどる。
 5年前に訪ねたドイツ北部のグライフスバルト原発では解体作業が進められており、撤去された原子炉圧力容器や蒸気発生器が何基も大型体育館のような貯蔵庫に横たえられていた。とくに放射化の度合の激しい原子炉圧力容器の胴部には遮蔽のための部材が巻き付けられており、撤去されてから10年ほどたっていたにもかかわらず、容器から2m離れた位置でも50μSv/h以上を示すものばかりであった。ドイツでの説明では、解体撤去された原子炉圧力容器など汚染の強いものは、50年間は貯蔵庫の中に保管されるということであった。グライフスバルト原発はロシア型の加圧水型炉なので、タービン建屋の汚染がほぼなかったこともあり、建屋をいかして海上風力発電所のシャフト製作工場に転換利用していたが、福島第二原発の場合はそうはいかない。せいぜい、福島第一原発の事故処理作業の後方基地としての機能を充実させるぐらいであろう。
 福島第二原発のそれぞれの原子炉の使用済み燃料プールのなかには、放射化した容器類とは比べものにならないくらい強烈な放射能のかたまりである使用済み燃料が大量にたまっている。1号炉には2534体(約438トン)、2号炉には2482体(約429トン)、3号炉には2544体(約440トン)、4号炉には2516体(約435トン)、合計で10076体(約1742トン)がそれぞれの原子炉建屋内に保管されている。
 東京電力はこれらの使用済み燃料のとり扱いについて、「廃炉終了までに全量を県外に搬出する方針ですが、できるだけ早期の搬出に努めてまいります」と福島県知事向けのリップサービスをしているが、使用済み燃料の受け入れ先などそう簡単に見つかるはずがない。

福島第一原発の事故処理・原因究明
 福島第一原発をみると、汚染水の処理と貯蔵のための作業をメインに、3号炉の使用済み燃料の撤去作業をおこなうかたわら、1・2号炉の格納容器にアクセスすることが試みられている。
 核燃料の熔融物(デブリ)を冷却するために循環している水(汚染水)は、集中廃棄物建屋以降の工程で物理的・化学的な処理を何重かに施されるが、汚染水であることには変わりがない。まったく除去できないトリチウムだけでなく、ストロンチウム90やヨウ素129なども、環境中への放出基準を何倍、何十倍も超えて残留しており,どんなに増えても汚染水は溜めておくしかない。貯蔵の場所や方法には工夫の余地が十分ある。
 汚染水を漉すのに使ったフィルター類や化学処理にともなう沈殿物は非常に高いレベルの放射能を含んでいる。部分的には、デブリを間接的にとりだしているようなものだからそれは当然である。フィルター類は非常に発熱量が高く、数百度にもなることがあるという。これらの貯蔵や処理も深刻な問題である。
 2019年2月28日に公表された東京電力による2号炉の格納容器内部調査によると、これまでの傾向と同様に、原子炉圧力容器の台座(ペデスタル)の内部が6.4Gy/hであるのに対し、その外側が13~43Gy/hとずっと高くなっており、原子炉圧力容器の底よりも、胴部の方が大きく壊れている可能性を示唆している。
 9月4日、原子力規制委員会は、福島第一原発事故の調査を「再開」すると発表した。事故後8年が経過し線量も大分下がってきたので、それまで近づけなかった場所でも調査できる場所がでてきたとして、国会事故調査報告書で未解明問題とされている課題に取り組むとしている。規制委員会の調査には、東京電力と日本原子力開発機構が全面的に協力するとなっているが、国会事故調関係者には声がかかっていないようである。この調査で、東京電力が柏崎刈羽原発の再稼働に有利な流れをつくろうとすることに注意が必要だ。
(かみさわちひろ)

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高校生平和大使の国連訪問
核兵器の廃絶は、決して夢物語ではない
第22代高校生平和大使・東京  小泉 花音

 2019年8月18日から23日まで、第22代高校生平和大使としてスイスを訪問しました。全国の高校生が集めた215,547筆の署名を国連に届けるとともに、同じ志を持つ団体のみなさまや現地の高校生と交流しました。
 初日の訪問先は4か所です。最初に訪れた赤十字国際委員会では、武器ユニットのロヴォルト氏による講演がありました。実現不可能だとされていた核兵器禁止条約が2017年に122カ国の賛成を経て採択されたことをふまえ、「Impossibleispossible(不可能は可能だ)、そして不可能を可能にするのは人々の持続的な努力と強い意志、あの日の惨劇を想像する勇気だ」と、核兵器廃絶への希望を力強く語ってくれました。
 次に労働組合の世界組織UNIグローバルユニオンを訪問し、スピーチを行いました。スピーチの途中、原爆投下というあの日の惨劇を語る場面で、私は泣いてしまいました。これまで伺ってきた被爆者の方々の悲痛な声が、次々と脳裏をよぎりました。無我夢中でスピーチを終え、大失敗してしまった、と思い呆然としながら客席を見やると、そこには涙を流している方がいました。練習通りのスピーチはできませんでしたが、私の、そして何より被爆者の方々の想いは職員の方々に届いたのではないかと思っています。
 続いて女性の国際キリスト教団体、世界YWCAを訪問し、意見交換を行いました。ブラジル出身の方の「鍵は、止まらないこと」という言葉が強く印象に残っています。21年間先輩方が繋いできてくれた平和へのバトンを受け取り、私は平和大使になりました。このバトンを後世に受け継いでいくのは私の役目です。私の命の続く限り、核兵器廃絶と平和を願う声を上げ続けていこう、そう改めて決意しました。
 次に軍縮会議日本政府代表部を訪問しました。髙見澤將林軍縮大使からの核兵器に関する見解、世界情勢などについての説明の後、質疑応答を行いました。高見沢大使は「緊迫した世界情勢の中、日本の安全保障の面でアメリカの核の傘に入っていることは重要である」と核兵器禁止条約に否定的な意見でした。条約の発効は各国の分断につながりかねないという考えのようでした。

対話を重ねていくことが核廃絶の一歩
 その後、日本政府主催の夕食会兼レセプションに参加し、露、仏、印などの核保有国を含む30カ国40人程の外交官の方々に質問をしました。核保有国の方々は、やはり核抑止論に肯定的な意見をもっていましたが、外交官個人としては核兵器を非人道的兵器だと考え、廃絶を望んでいるという方もいました。「国」という抽象的な概念に囚われず、対等な「個人」として対話を重ねていくことこそが核兵器廃絶への一歩なのではないかと感じました。
 2日目は、国連訪問です。軍縮会議を傍聴し、国連内部を見学した後、いよいよ軍縮局を訪問しました。23名の大使全員によるスピーチの後、質疑応答、署名の提出を行いました。アニャ・カスペルセン軍縮局長は私たちの活動を高く評価し、質問にも真摯に答えてくれました。「互いに相手を認め合い、家族のように大切にできる平和な世界。誰にも脅されず、怯えることのない平和な世界。そんな世界に核兵器はいらない。」この言葉が強く心に残りました。
 3日目の訪問先はトローゲン州立高校で、現地の高校生と折り鶴作成や意見交換を行いました。平和大使の活動について紹介すると「署名したい」と言われ本当に嬉しかったです。それまでは核兵器問題を他人事として捉えていたという子も、「話をして考えが変わった、核兵器は廃絶させなければならない」と言ってもらい、活動の輪が確実に広がっていくのを実感できました。

核の平和利用は認められない
 最終日は、国際赤十字の創始者であるハイデンのアンリ・デュナン記念博物館を訪問しました。長崎選出の平和大使のスピーチの後、9年前に長崎大学より贈られた長崎の鐘のレプリカを鳴らし、博物館を見学しました。昼食を兼ね、国際赤十字やIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のメンバーと意見交換を行いました。
 博物館館長のジョン・ボール氏と原発について議論したことが印象に残っています。福島の事故以降、ヨーロッパでは原発の廃止が急速に進んでいるそうです。IPPNWの放射線科医の方も福島の放射線レベルは決して安全とは言えないとおっしゃっていました。日本は原発を「核の平和利用」として推進していますが、核を保持している以上、事故は必ず起こりえます。その時、核の強大な力によって傷つけられてしまうのは他でもない無実の市民です。原発を核の平和利用として認めることはできない、そう思うようになりました。
 この訪問を通し、国籍も年齢も異なるたくさんの方々と出会い、対話し、核兵器について多角的かつ現実的に見つめ直すとともに、新たな知識も得ることができました。今回学んだことを活かし、これからも活動を続けていきます。
 核兵器の廃絶は、決して夢物語ではない。そう信じます。
(こいずみかのん)

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「仏高速炉死んだ」報道─
日本の再処理・高速炉計画は?

 仏ルモンド紙が8月29日付電子版で、仏原子力庁(CEA)、第4世代原子炉の高速炉ASTRID(アストリッド)計画放棄と報じました。現行の予備計画完成作業は年内継続も、建設は短中期的に予定しておらず、25名編成の計画統括室もこの春閉鎖されたとのことです。日本政府は2016年12月に、プルトニウムを燃やしながら使った以上のプルトニウムを燃えないウラン(238U)から生み出すナトリウム冷却「高速増殖炉」の原型炉もんじゅの放棄を決定した際に、ASTRIDなどの「データ蓄積等により、今後もんじゅを再開した場合と同様の知見の獲得を図る」としていました。「要するに、ASTRIDは死んだ。もう資金もエネルギーも使わないということだ」(CEA関係者)となると、日本の計画は?
 増殖炉は急速な原子力利用の伸びでウラン枯渇との想定の下、1967年には昭和60年代初期の経済性達成が期待されました。普通の原発の使用済み燃料の再処理は、増殖炉の初期装荷燃料を提供するためのものでした。ところが、枯渇が起きず、増殖炉計画は技術的にも難しくて頓挫。他国が増殖炉計画から撤退する中、日本は、英仏への再処理委託や国内での再処理を続けた結果、2018年末現在で約46トンのプルトニウムを抱えています。国際原子力機関(IAEA)の数え方で核兵器5750発分。ウランと混ぜて「混合酸化物(MOX)燃料」にし、これを軽水炉で燃やす不経済な計画も遅れ続け、福島第一原発の事故後、再稼働された9基のうち、MOX利用許可を得ているのは4基だけで、その年間消費量は約2トン。20年初頭に運転開始予定の六ヶ所再処理工場は、本格運転では年間約7トンのプルトニウムを分離する計画です。
 もんじゅの廃炉が議論される中、推進派は廃棄物の減容・無毒化のためにもんじゅが使えると強調し始めました。同炉の高速中性子は、プルトニウムなどの長寿命の超ウラン元素を核変換する(核分裂させて短寿命の核種に変える)のに都合がいいとの主張です。2014年2月のエネルギー基本計画では増殖の文字が消え「高速炉」となります。2015年11月2日、原子力規制委員会の更田豊志委員長代理(当時)は、プルトニウム以外の超ウラン元素を燃やすのはペレット1個作るだけでも大変で、すぐできそうに言うのは「誇大広告と呼ぶべき」と批判しました。同月13日、原子力規制委は、運転主体の原子力研究開機構はもんじゅの安全運転に必要な資質を有せずと宣告します。
 政府は、再処理で生じる高レベル廃棄物の方が直接処分する使用済み燃料より体積が小さいと言いますが、処分場での必要な容積を規定するのは発熱量です。使用済みMOX燃料は発熱量が大きく、これを地下処分すると再処理路線に必要な容積は減りません。それで経産省は使用済みMOX燃料を第二再処理工場で再処理し、分離したプルトニウムは高速炉で燃やすと主張しています。再処理継続には高速炉計画続行という虚構が必要という構造です。
 ASTRID(工業的実証用改良型ナトリウム技術炉)の起源は、1991年の放射性廃棄物関連法にあります。同法は、長寿命放射性核種の「分離・核変換」について研究し、遅くとも2006年までに報告せよと定めています。これを受けた06年「放射性廃棄物等管理計画法」には、現在の軽水炉に変わる新[第4]世代の原子炉と廃棄物核変換専用「加速器駆動炉」の工業的展望について12年に評価し、20年末までにプロトタイプ(原型)施設の運転を開始とあります。10~12年にASTRIDの予備概念設計作業を進めたCEAは、期限の12年末、「工業用実証」用プロトタイプ(原型)として電気出力60万kWのASTRID建設を提唱しました(12年3月の計画では19年に建設可否を決定)。実用炉の一つ前の実証炉という触れ込みのスーパーフェニックス(電気出力120万kW)が技術的問題で1998年に運転終了となって以来巻き返しを狙っていたナトリウム冷却炉推進派が廃棄物対策への関心を利用した格好です。
 「死んだ」報道について、13~19年度に累積300億円以上の様々な協力名目の費用を計上してきた日本での反応はぱっとしません。記者諸氏によると、経済産業省は、報道に新しい情報はないと主張しているようです。確かに日経は、昨年11月に仏政府はASTRID凍結方針を日本に伝えたと報じていました。同12月に発表された「高速炉開発戦略ロードマップ」もASTRID凍結・死亡を前提にした内容です。しかし、日経報道の翌日、菅義偉菅官房長官は承知していないと報道内容を否定しました。今になってすべて知っていたとする経産省。そもそも19年までしかついていなかった仏予算、度重なる遅延・縮小など、以前から「ASTRID、お前はすでに死んでいる!」という状況でした。今さら死んだと言われても報道機関も、反核・反原発運動も、政治家も盛り上がらないということでしょうか。
(「核情報」主宰田窪雅文)

もんじゅがなければASTRIDがあるさ略年表

2016年10月
CEA側、日本の会議でASTRID運転開始は30年代予定と説明12月日本政府、ASTRID頼みの論理でもんじゅ廃炉を決定
2018年1月
仏経済紙、CEAがASTRIDの電気出力縮小(60万kWから10~20万kWに)を仏政府に伝え、政府は2018年中に予定延期を含め決定すると報じる。
6月
日本の会議でCEA側が同様の縮小内容を伝え、詳細設計に進むか否かは24年に確認、と説明。前年のフランス電力(EDF)よる60年以前にはナトリウム冷却高速炉に投資しないとの決定が背景にあり、ウラン市場の状況から「それほど緊急ではない」とも。
11月28日
日経、仏政府が2020年以降計画凍結の方針を日本側に伝えた、仏政府は20年以降は予算を付けない意向、と報道
11月29日
菅官房長官、承知していないと日経報道内容を否定
12月20日
電事連12月4日付の現地紙によるとCEAが日経報道を否定との記事掲載
12月21日
日本政府「高速炉開発戦略ロードマップ」、もんじゅの後継炉はナトリム冷却炉以外も検討し、24年以降に選択肢を絞り込む方針示す。仏米との二国間協力言及もASTRIDは登場せず。
2019年2月
仏多年次エネルギー計画(EPP):「少なくとも21世紀後半まで、高速炉の実証炉及び実用化は有用ではない」
6月26日
日仏の高速炉協力に関する合意(2020~24年)、ASTRIDの建設に言及なし
8月29日
ルモンド紙の「ASTRIDは死んだ」報道
8月30日
CEA、ルモンドの記事内容を否定し「今年中に20年以降の第4世代原子炉の修正計画提示」と発表

9月
経産省来年度予算に日仏高速炉共同開発の概算要求なしとの報道

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《投稿コーナー》
「幼保無償化」からの各種学校幼児教育施設除外問題
外国人学校の子どもたちを仲間外れにしないで!
在日本朝鮮人人権協会・朝鮮幼稚園保護者 宋恵淑

 2019年10月から実施されることとなった「幼児教育・保育の無償化」。その基本理念のひとつに「全ての子どもが健やかに成長するように支援する」ことを掲げていながらも、(1)朝鮮学校幼稚部40校をはじめとする各種学校の認可を受けている外国人学校幼児教育施設88校、森のようちえん(注1)などの幼稚園類似施設は「幼保無償化」の適用対象外とされている。
 「幼保無償化」の全面実施を決めた2017年12月時点では、その適用対象はあくまでも認可施設に限るとしていた日本政府であるが、「財源は消費税増収分なのに適用除外になるとは不公平だ」「認可施設に入れたいが待機児童となったため認可外施設にいれている実態がある」などの切実な声をうけ、認可施設以外も対象とするかどうかの検討会を開催し、「保育の必要性のある世帯」への適用に限りながらも、適用対象施設を拡大した経緯がある。しかしながら、各種学校の幼児教育施設は計7回行われた検討会に呼ばれず、また施設への実態調査なども一切行われることなく、2018年12月の「幼児教育・高等教育無償化の制度の具体化に向けた方針」(関係閣僚合意)において、(1)学校教育法1条の学校とは異なり、個別の教育に関する基準はなく、多種多様な教育を行っているため、(2)児童福祉法上、認可外保育施設にも該当しないため、「幼保無償化」の対象とはならないとされてしまったのだ。 

露骨な朝鮮学園差別
 朝鮮幼稚園としては今ある形のままでの「幼保無償化」の適用を求めているが、今年に入って「幼保無償化」から完全に除外されないための次善策として、都内の朝鮮幼稚園の「認可外保育施設」としての届出を行った。ところが東京都の担当部署の対応は、いったんその届出を受理しながらも、後に「受理は誤りだったので取り消したい」というひどいものだった。不受理の根拠は、2019年4月に各都道府県知事に宛てた「児童福祉法施行規則の一部を改正する省令の公布について」という通達のなかで、(各種学校は)「児童福祉法上、認可外保育施設にも該当しないため、無償化の対象とならないとされている」からだとのことだが、これはあくまでも「技術的助言」にすぎないもので、各種学校の幼児教育施設が認可外保育施設を届出ることを禁じるような法的根拠や規定などは存在しない。実際に、東海地方のブラジル人学校のなかには各種学校認可を受けていながら認可外保育施設としての届出を行っている実例がある。それにも関わらず「幼保無償化」実施に際して「各種学校は認可外保育施設には該当しない」などとわざわざ入れ込んだのは、朝鮮学校幼稚部が「幼保無償化」の対象となるためのあらゆる道を閉ざして排除しようとする日本政府の悪意を感じざるを得ない。
 朝鮮幼稚部をはじめとする外国人学校は、多種多様なバックグラウンドをもつマイノリティの子どもたちにとって、自己のルーツや出身国や民族、言語や文化にふれながら自己の出自を肯定的に受け止め、アイデンティティを確立していくとても大切な学びの場であると感じている。なぜ、「多種多様な教育」が問題視されるのか。近年、スポーツや英語教育に特化した「多種多様な」幼児教育を行っている認可外保育施設が多数作られている。一方でそうした認可外施設を「幼保無償化」の対象に含めながら、他方で認可施設である各種学校の外国人学校幼児教育施設は「多種多様な教育」を行っているので適用対象外とするのは矛盾に満ちている。

すべての子どもたちに無償化を
 そもそも「幼保無償化」は、逆進性の高い消費税の増税と同時に実施され、しかも応能負担で設定されていた認可保育施設の利用料を無償とするため高所得者ほど恩恵を得られるとして、また国費を投入するのであればまずは保育士の待遇改善などを行うべきだなどとして、野党から制度設計の議論が不十分であると批判を受けていた。その拙速な議論の中でマイノリティの子どもたちが有する教育を受ける権利を尊重しようという観点がすっぽり抜け落ち、排除ありきですべてがすすんでいったことに対し、この上ない憤りを感じている。
 日本に居住し、日本社会の一員として生きる外国人学校の子どもたちを差別することなく、平等に扱ってほしい。マイノリティの子どもたちを尊重し、仲間はずれにしないでほしい。そんな当たり前のことがこの日本では叶わないことは、「高校無償化」からの朝鮮高校の露骨なまでの排除、そしてその後の裁判闘争でも経験していることだが、今回の安倍政権による「幼保無償化」からの外国人学校幼児教育施設の除外が、外国人の子どもたちは幼少期から仲間はずれにしても良いなどというとんでもないメッセージとして日本社会に伝わってしまわないよう、保護者として国や地方自治体に対し、強く声をあげていく所存である。朝鮮幼稚園とともに対象外とされたブラジル人学校やインターナショナルスクールなど、他の外国人学校幼児教育施設との共闘とともに、これまで培ってきた地域での交流や親善の絆を土台に、心ある日本のみなさんとともに、国や地方自治体に対して、「幼保無償化」実施に際し朝鮮幼稚園保護者への支援策を講じるよう働きかけていきたい。
(ソン・ヘシュク)
(注1)「森のようちえん」については、http://morinoyouchien.org/を参照。

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加盟団体の活動から(第20回)
平和と民主主主義を守る行動を積み重ねる
新産別運転者労働組合書記長 太田 武二


2019年「連合平和行動in沖縄」辺野古

 新産別運転者労働組合(略称新運転)は、今年結成60周年を迎えた労供事業を行う労働組合です。当時、タクシー会社からはじき出されていた10数名の運転手仲間が、その名のとおり今は亡き「新産別」というナショナルセンターに加盟して職安法で禁止されている労供事業の許可を得て運転手の職業別労働組合として発足し、今も新産別の名前を冠して「連合・交運労協・労供労組協」などに加盟すると共に「平和フォーラム」の構成組織の一員として微力ながら活動しています。
 新産別は、戦前からの労働組合運動のリーダーの一人で、戦後の産別会議を創設しながら共産党と決別して産別民同を結成した細谷松太氏が創設したナショナルセンターで、「労働組合は、国家権力、政党、資本から独立し、その自主性を貫かなければならない」とする「労働組合主義」と「全面講和、中立堅持、軍事基地反対、再軍備反対」の「平和4原則」を統一した「戦闘的労働組合主義」を結集軸としていました。従って、私たちの先輩たちは「企業内労働組合」が殆どの日本労働組合の中では、ニッチな存在として「労供事業」と「平和と人権」を両軸として頑張ってきたのです。そこで2019年2月15日に結成60周年祝賀会を開催し、春闘真っ盛りの寒空にも拘わらず、連合、交運労協傘下の労働組合代表からタクシー、清掃、生コンなどの業界代表、立憲民主党の初鹿明博衆議院議員をはじめ都議会、区議会議員の方々、そして平和フォーラムから藤本共同代表など100名以上参集して頂きました。
 また、「平和と民主主義を守る」活動方針で、沖縄辺野古新基地建設反対を決定してきたことを受け、初めて10名の組合員で「連合平和行動in沖縄」に連動して現地行動に取り組みました。そして、広島、長崎の原水禁大会から根室の平和行動まで総勢13名がそれぞれに参加してきました。ということで結成60周年を期して、安倍政権が推し進めてきた対米隷属、戦争への道を平和の未来へと大きく舵を切り替えるために今後も平和フォーラムの一翼を担っていく決意です。
(おおたたけじ)

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〔本の紹介〕
『朝鮮学校を歩く―1100キロ/156万歩の旅』
長谷川和男・著/花伝社

 1100キロメートルを156万歩で旅をした。ざっと計算して、この人の一歩は約70センチ、60代の平均の歩幅としては大きい。さすがは山岳部出身、足腰は強い。でいったいなんで旅したのか、本の題名から一目瞭然「朝鮮学校を歩く」ということ。この人、全国の67校の朝鮮学校を訪問するため、北は北海道札幌から南は九州福岡まで、1100キロを歩き通した。本書は、その記録。そして、人と人の交流の記録。
 1945年8月15日、日本敗戦、そして、日本の植民地朝鮮半島は解放された。敗戦の当時、徴用であったり、騙されたり、強制的に連行されたりして約200万人とも言われる朝鮮半島出身者が、日本に存在した。その内約55万人は、日本に留まらざる得ない、また留まることを選択した。このことが、日本に生きる在日朝鮮人のルーツとなった。朝鮮学校は、混乱した戦後の日本社会の中で、母語の学びの場として開設された。しかし直後に、朝鮮戦争前の情勢を受けてGHQと日本政府から民族教育を否定され学校閉鎖を強制された。民族教育を、民族のアイデンティティーを守るため、命を張っての阪神教育闘争があり、そして16歳の金太一(キム・テイル)は警察官に銃殺された。命をかけた闘いの中で、朝鮮学校は守られた。民族教育は守られた。
 しかし、日本社会は朝鮮学校を差別し続けた。通学定期取得、大学受験資格、さまざまな権利は与えられたものではなく、奪い取ったもの、闘わずして権利は手に入らなかった。今、類い希な差別主義者、歴史修正主義者、安倍晋三は、当然の権利としての授業料無償化や補助金を、朝鮮学校から奪い取っている。そして、日本人の多くはそのことに目を向けない。
 この人、長谷川和男は、心の底からこの差別に憤り、1100キロの旅を考えた。ひとりの無力な人間の、できる限りの思いとしての156万歩。70才になる人間の「これではいけない」との思いに、圧倒される。本書のほとんどのページを飾る長谷川本人の写した写真には、差別にうなだれる姿はない。笑顔の向こうに、なにくそと負けない強い意志を感じさせる。民族の誇りを感じさせる。マイノリティーの人権の確立、それは私たちの人権の確立、そう信じて、長谷川は、そして私たちは、朝鮮学校支援に向かう。
(藤本泰成)

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核のキーワード図鑑


たまるたまる核のゴミ 原発をゼロにするしかない

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 今秋開会の臨時国会へ向けて安倍首相は憲法「改正」について、「国会においていよいよ本格的に議論を進めていくべき時を迎えている。」と述べています。日本国憲法の三大原則である国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を守り、絶対に「改正」させないたたかいが続きます。一刻も早く安倍政権を倒しましょう!10月以降の集会等のご案内です。

安倍内閣の退陣を要求する10.19行動
日時:10月19日(土)15:00~16:00
場所:衆議院第2議員会館前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

安保法制違憲訴訟「差し止め」結審裁判傍聴
日時:10月30日(水)14:00~
アピール行動13:00~
傍聴席抽選13:25~
場所:東京地裁103号法廷
主催:安保法制違憲訴訟の会

集会名称未定
日時:11月3日(日・祝)14:00~
場所:国会議事堂正門前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

安保法制違憲訴訟「国賠」結審裁判傍聴
日時:11月7日(金)15:00~
アピール行動14:00~
傍聴席抽選14:25~
場所:東京地裁103号法廷
主催:安保法制違憲訴訟の会

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