ニュースペーパー

2020年09月01日

「朝鮮学校排除」という差別に見る日本社会

朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会 共同代表 森本孝子

高校無償化制度から朝鮮高級学校のみ排除

民主党政権は2010年4月、通称「高校無償化」制度を発足させた。これは子どもの教育保障のための制度であり、政治や外交にかかわらず、各種学校含めて学ぶ意欲のある子どもの高校進学を保障するものだったが、「拉致や核」問題により、朝鮮学校だけが審査会での審査対象になった。予算化もされていたので、役人たちも、年内には何とか間に合うようにしたいと回答していた。しかし、審査終了間際になって、民主党政権が自壊し、2012年第2次安倍政権が発足。政権が最初に行ったのが、朝鮮学校無償化不適用だった。審査会の結論が出る前に、不適用にする、そのためには朝鮮学校が該当している(ハ)という学校分類まで削除してしまおうという惨いやり方だった。

朝鮮学校だけ排除されるのではないかという危機感から、西東京の支援者中心に代々木公園で最初の集会とデモが行われたのは2010年3月27日。1週間の準備で69もの賛同団体が集まった。そして、そのあとを受ける形で6月に発足したのが「高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」だ。

連絡会には全国から団体賛同が集まり、335団体にもなった。ここに日本の希望を見る思いがした。その希望は平和フォーラムを窓口にする「朝鮮学園を支援する全国ネットワーク」に結実し、全国各地で朝鮮学校を支援してきた団体が年次総会をもち、相互協力する力となっていった。無償化連絡会主催で、大きな集会やデモを行い、署名を集め、文科省交渉を何回も行い、できることはやったつもりだが、戦前回帰を標榜する日本会議を背景にした安倍政権は、いまだ植民地支配の延長にあるごとく、国際社会からの朝鮮学校差別禁止勧告にも応じなかった。

無償化裁判開始と不当判決

2013年、愛知・大阪から始まった国を相手にした無償化裁判は、広島、福岡そして2014年の東京まで全国5か所で行われた。朝鮮高校生や朝鮮学園が原告となる国家賠償などを求める裁判は、各地で差別の不当性を追求する弁護団や支援者の活動によって、国側が敗訴するのは当然と思われたが、残念ながら大阪地裁の勝利以外は原告側敗訴になった。大阪地裁の判決は司法の役割を全うしたものであったが、各地の地裁も高裁も、政権忖度に基づく惨い判決だった。原告敗訴の理由として挙げられたのは、審査会の基準13条にある学校運営についての疑念を根拠にしたもので、言い換えれば、子どもに支給される支援金が学校一括受給になり、その金が授業料該当以外に使われる恐れありというものだ。そして教育基本法16条の教育への不当な支配として学校と朝鮮総連の関係が問題視された。大阪地裁判決ではこの点についても民族学校と支援団体の関係は当然のこととしている。東京と大阪は最高裁に上告したが、広島や愛知、福岡の高裁が残っている段階で、最高裁は早々と理由もなく上告棄却という判断を下した。


支援者による金曜行動 2020年6月12日

朝鮮学校支援の動きの広がり

2013年5月から朝鮮大学生による文科省前の金曜行動が開始された。学生が休みの時には支援者たちが行い、行動は2019年末には300回を超えた。さらに、海外からの支援も拡大している。韓国では2014年に「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」が発足し、以来、年2回の訪日は12次を数えている。また、2013年に安倍政権が「国連人権勧告に従う義務なし」と閣議決定したことに対して、無償化連絡会が発起人になり、「国連人勧勧告の実現を!」実行委員会を発足させ、人権学習会を積み重ね、12月の世界人権デー前後に大きな集会とデモを行ってきた。東京の裁判終結後は、2019年発足の幼保無償化からまたしても各種学校を排除していることを含めて運動を強化するために、「朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会」と改名して再発足し、東京にある各地域の朝鮮学校を支援するための運動も展開している。日本の人権感覚は安倍政権とともに劣化の一途をたどり、歴史の改ざんも進む。朝鮮学校を守ることは日本の歴史を振り返り、植民地支配や侵略の歴史を正面から見つめ、国際社会からの信用を得るためにも必須の課題だ。(もりもと たかこ)

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