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平和軍縮時評6月号 安保改定50年、日米関係の在り方を変えよう   湯浅一郎

2010年6月30日

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 5月28日、日米の防衛・外交両大臣で構成する日米安全保障協議委員会は、「2006年5月1日の『再編の実施のための日米ロードマップ』に記された再編案を着実に実施する決意を確認した」とし、米海兵隊普天間基地の辺野古崎周辺への移設計画を再確認したと発表した。
 普天間を巡る政府方針は、最低でも県外移設としていたが、結果的に元の計画に舞い戻った。鳩山由紀夫首相は、迷走の責任をとり、6月2日、内閣を降りた。そして新たに登場した菅直人首相は、6月28日の初の日米首脳会談で、それを追認した。新政権が、日米政府間の合意を覆すことを試みたことは多とするが、それには余りに力不足であった。「米軍再編」全体を見直す姿勢で中期的方針と暫定的な対処の二本立てで交渉を組み立てるスタンスが求められていたのではないだろうか。

1 安保と平和憲法のせめぎ合い

 2010年は、韓国併合100年、朝鮮戦争60年、そして日米安保改定50年である。日本は、安保条約により「日本及び極東の安全」を守ることと引き換えに、米国の世界戦略の重要な一環を担う基地を提供してきた。それから半世紀、米国発の金融破たんを契機とした米日の政権交代で、改めて安保のあり方を変更できる好機を迎えている。
 この半世紀の歴史は、安保・米軍基地と憲法・平和主義との相容れない要素のせめぎ合いの連続であった。そこには米国から求められるがままに基地、戦争を支えた歴史と、憲法9条の精神に基づき本格的な戦争には決して関わらなかった歴史の両方が見えている。前者は、在日米軍が、朝鮮・ベトナム・湾岸・アフガン・イラクと続いた戦争に関わることを黙認し、支持してきた歴史である。その中でも、冷戦終結時に重要な変節がなし崩し的に進んだ。冷戦を前提に存在が肯定されていた安保、自衛隊は、冷戦終結時に存在そのものが問われるべきであった。ところが当時、日本政府は問題をすり替えた。1990年8月、イラクのフセイン大統領(当時)のクウェート侵攻に対し米国が始めた湾岸戦争を利用し、米国への貢献を国際貢献と銘打って自衛隊を海外に出し始める。最初は遠慮気味で、湾岸戦争の後始末として、ペルシャ湾の機雷除去を名目に掃海艦隊を派遣する。2年後、PKO法をつくり、カンボジアに即座に部隊が出ていく。 2000年以降は、米国の一極支配構造の中でブッシュ政権が登場し、2001年の9・11をきっかけに対テロ戦争が始まる。ブッシュ政権は、国連を無視し、米国の側につくのか否かを「同盟国」に突きつけた。そのとき、真っ先に米国を支持したのが小泉純一郎政権である。すぐに対テロ特措法によるアフガン戦争への燃料供給作戦が始まる。2001年11月から2002年春にかけて、米英連合軍がアフガン空爆を続けていたときに、自衛隊は、空母などに燃料を供給していた。これは、米英連合軍の戦争の後方支援そのものである。その後、イラク特措法による陸海空3自衛隊のイラク派遣、2009年3月のソマリア海賊対策の派遣と続く。こうして1978年の旧ガイドライン、1997年の新ガイドラインを経て、日本政府は、安保の改定手続きもないまま、日米安保条約の枠組みを大きく踏み外し、「世界の日米同盟」へと拡張する政策をなし崩し的に進めた。
 しかし、他方では、沖縄を始め基地のある地域での反戦住民運動、法制度、たとえばPKO法やテロ特措法に反対する全国的な市民の動きも続いてきた。「憲法9条の精神」を基調にしながら自らの意思で戦争を起こさせない、あるいは戦争に加担しないという民衆の声が、政府の思うに任せない状況を生み出してきた。その中で、民主党を中心にした連立政権が成立した。こうした経過と現状を踏まえて、安保にかかわって、今、何をなすべきかが問われている。

2 極東条項に照らした在日米軍の検証

 日米安保の有り様を見直す上で、入り口であり、かつ核心に迫る問題として在日米軍基地を安保条約第6条に照らして、部隊、活動の両面から系統的に検証する問題がある。
 第6条(基地許与)は、在日米軍を以下のように位置づけている。

「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍、及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」

 いわゆる極東条項である。ここで極東の範囲が問題になるが、1960年2月、極東の範囲に関する「政府統一見解」が出され、「大体において、フイリッピン以北並びに日本及びその周辺の地域」として規定され、韓国や台湾も含まれる。この統一見解は変更されないまま今に至っている。常識的に判断しても、ベトナム戦争や湾岸戦争に在日米軍が関与することは条約6条に反しており政府は、「直接、日本列島から出撃していないので、在日米軍が、それらの戦争に関わっていたとは言えない」という苦しい答弁を繰り返してきた。政権が変わった今、改めて極東条項の維持を再確認し、その上で極東条項に照らして在日米軍の部隊や活動を検証するべきである。
 とりわけ、米ソ冷戦終結から20年の有り様を検証することは意義がある。近年の米軍の世界的再編の過程では、海外の米軍基地は、「蓮の葉戦略」にのっとり三つの次元で機能をふり分けられ、世界の隅々まで機動性を持って派遣できる態勢を整えている。在日米軍は、その「蓮の葉戦略」に置いてハブ基地として位置づけられる。最重視されるのは空母機動部隊であり、横須賀と厚木、そして、政府の方針通りに計画が進めば岩国が、米国にとって最重要基地である。地球上のどこかで戦闘を起こすとき、空母機動部隊は、真っ先に派遣され、トマホークを発射し、艦載機が空爆を始める。湾岸戦争からイラク戦争に至る戦争は皆、この形である。これらの行為は、日本を守るために、抑止力を保持するものとして行われたものではない。しかし、いつどこで発生するか予測不能な地域紛争に対処するべく日本に配備することは、安保条約の極東条項とは相容れないことである。結果として、日本政府は、暗黙のうちに、極東条項に照らして在日米軍を検証する作業を放棄したのではないか。核密約と同じような日米双方の関係が成立していたのではないか。「移設」という観点から大問題になっている普天間基地も、「極東条項による検証」という視点を入れることで、別の文脈において米国との交渉が可能になるのではないか。

3 安全保障ジレンマから抜け出す道

 このような構図を産みだす背景は北東アジアの軍事情勢にある。朝鮮戦争は、冷戦が終結した今も休戦状態で、北東アジアは未だ冷戦構造の残る唯一の場である。
 世界最強の軍隊である約8万人の米軍兵力が日韓両国に常駐し、軍事緊張の圧力は、北朝鮮に大きくのしかかってきた。1980年代後半、米軍の約500発のトマホークが、横須賀の米海軍基地に配備されてきた。いざとなれば、米軍は戦略原潜や爆撃機を動かすかもしれない。そう考えたとき、北朝鮮が背に腹はかえられぬとして、軍拡に進まざるをえない事情はある。1999年のテポドン・ミサイルの発射実験、2006年、2009年と続いた核実験などは、北朝鮮の圧力に屈しないという精一杯の意思表示である。
 一連の北朝鮮の行動により、「怖い国」というイメージが増幅され、韓米日の軍事協力が強化される。北朝鮮の弾道ミサイルへの対抗措置として、日米はイージス艦の配備などを通じてミサイル防衛を増強してきた。これは、米国本土をねらった弾道ミサイルへの共同対処という形で、集団的自衛権の行使を正当化する流れにも利用されている。実際は、これに中国、ロシアの軍の近代化も加わって複雑な様相を呈している。その結果、東アジアには「安全保障ジレンマ」とも言うべき悪循環が保持され、軍事緊張が継続したままである。2010年3月26日、韓国海軍の哨戒艦「天安」が原因不明で沈没した事件は、5月20日になり韓国などの軍民合同調査団が北朝鮮の魚雷攻撃によるという報告書を出し、にわかに軍事緊張が高まっている。天安の航跡や交信記録など基本情報が未公開のまま結論を出したことに、多くの疑念が残っている。事の真相を追究することがここでの論旨ではないが、この背景は、まさに朝鮮戦争が終わっておらず、軍事境界線を挟んだ対峙が継続していることに起因している。このシナリオの先には、終わりのない軍事的対立構造の継続しか見えていない。
 今、必要なことは、「安全保障ジレンマ」の悪循環から抜け出す包括的な方向性を打ち出すことである。そのために、軍縮が相互に安全を向上しあう正の循環をもたらす、多国間の対話と協調による共通の安全保障の枠組み形成が求められる。その糸口として、検証制度を持った北東アジア非核兵器地帯の形成を提唱したい。
 非核兵器地帯とは、一定の地理的範囲内において核兵器が排除された状態を作り出すことを目的とした国際法の制度である。要件の第1は、地帯内国家が、核兵器の開発・製造・配備を禁止することである。この点について北東アジアの3国は既に公約している政策に立脚できる。日本には、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則がある。また、韓国、北朝鮮による92年の「朝鮮半島非核化共同宣言」は、「核兵器の実験、製作、製造、受領、所有、配備、及び使用をしない」ことを約束している。この宣言が、現在も有効であることは、近年の6ヵ国協議でも確認されている。これらを基本に第1の要件は満たされる。第2は、周辺の核兵器保有国が、地帯内国家に核兵器による攻撃や威嚇をしない誓約をすることで、消極的安全保障といわれる。具体的には、中国、ロシア、そして米国による消極的安全保障が不可欠である。この2つがそろえば、非核地帯の市民には、<核の傘>ならぬ<非核の傘>が保障される。非核兵器地帯の提唱により、北東アジア地域の非軍事的な安全保障態勢の構築に大きな糸口ができる。

4 軍事同盟から平和的な友好関係へ

 既に述べたように、安保・米軍基地と憲法・平和主義とが、相容れない要素を持ちつつ併存してきたのが、安保50年の歴史的実体である。安保条約は、米国の世界戦略における、軍事的な協力国としての役割を果たすべく機能してきた。他方で憲法9条の精神に基づき、民衆の力で戦争加担への道を阻止し続けてきたことも事実である。約60年にわたる、後者の実績は、国際的に見た日本の位置を高め、社会の隅々に憲法9条を基礎とした規範が浸透している。これは、憲法9条に依拠した外交を進めていく基盤となりうるものである。今こそ、その基盤を背景に安保を総合的に見直すときである。日本政府が、憲法9条の精神にのっとり、国際社会において国連などとも協力しながら、あらゆる分野で非軍事に立脚した外交政策をとることを宣言し、その具体化を進めることは可能である。そのために安保改定50年の今年、軍事的な意味での日米関係のあり方を一つ一つ問い直していく作業を日本政府として粘り腰で始めていくことが求められる。ここで系統的に、また総合的に議論できる用意はないが、考えるべき視点をいくつか指摘しておく。

・共通の安全保障をめざす第一歩として、北東アジア非核兵器地帯の実現をめざし、米国の核の傘に依存しない。
・極東条項による在日米軍基地の見直し、検証。
・自衛隊のあり方を変更し、非軍事的な形で、組織的な変更を目指す。
・集団的自衛権の行使に踏み込むことになるSM3ミサイル防衛を推進しない。
・生物多様性や気候変動などの環境問題、福祉・医療関連分野、教育など様々な分野において、日米の協力・友好関係を強化する。

 これらの総合的な検討を含めて、軍事同盟としての日米の関係性を変えていく粘り強い取り組みが必要である。その過程を通じて、日米の軍事的な同盟関係を総合的に薄めていき、同時にあらゆる領域において平和的な友好関係を構築していく道を模索する。そのために、日米安保条約を止めて「日米平和友好条約」に切り替えていくための包括的な交渉過程を想定したロードマップの構築も急がれる。
 普天間問題を見ているだけでも、一定の期間にわたって形成された国家間の関係性を変更するには、それ相当のエネルギーと時間を必要とすることを語っている。これには米国との包括的で、粘り強い交渉が必要となる。事実に基づく、誠実な訴えを継続することが不可欠である。

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