平和軍縮時評

2011年06月30日

平和軍縮時評6月号 福島事態からグローバルな放射能汚染をふりかえる  湯浅一郎

1. 放射能事故の脅威を身近に見せる福島事態

福島原発の事故から2カ月余りたった5月12日、東京電力は、1号機で、地震直後から燃料棒が全て溶解し、原子炉の下部に落下していたこと、つまりメルトダウンを認めた。2,3号機も同様な事態であったと言う。これは、当時、3つの原子炉で、炉内での再臨界や水素爆発、水蒸気爆発が、いつ起きていてもおかしくなかったことを意味する。
しかも、事故当時の炉内にある放射性核分裂生成物(大気中に出ればいわゆる「死の灰」となるもの)の存在量は不明のままである。このほか、使用済み燃料プールに保管されていた約4500本の燃料集合体(1体、約60本とすると計27万本になる)も多量の「死の灰」を含んでいる。これらの一部が環境中に放出されたわけであるが、大気、水道水、土壌、海水、そして野菜や牛肉、海洋生物からも放射性ヨウ素やセシウムなどの核種が検出された。放射性物質は、生命体はもとより、自然環境を構成するあらゆるものに浸透し、改めて目に見えない脅威をもたらしている。
この出来事は、原発事故としてだけでなく、開けてしまったパンドラの箱を前に、「核エネルギー」全体について、立ち止まり、熟慮すべきときであることを示唆し、兵器への利用を頂点とした核エネルギーに依存する社会の脆弱性を見せつけている。福島原発事故の徹底解明はこれからであるが、約70年にわたる核エネルギー開発の歴史的文脈の中で、位置付け、課題とすることが求められる。その意味で、原発事故でなく、福島事態と呼びたい。
福島原発事態を契機として、私たちは身近に核エネルギーのもつ放射能の危険性と向き合わざるをえないこととなった。そこで、本稿では、改めて広島・長崎を含む大気圏核爆発、チェルノブイリ原発事故、そして平時における再処理・原発から出る放射性物質の地球規模汚染をマクロに把握することを試みる。

2. 大気圏核兵器爆発による放射能放出

人類が核エネルギーを使い始めて初期の段階で、放射性物質の地球環境への放出が、最も大規模、かつ深刻に行われたのは、1945年から四半世紀にわたって続いた大気圏核爆発によるものである。まず大気圏核爆発により、いつ、どこから、誰により、どのくらいの量の放射性物質が放出されてきたのかをふりかえる。

  1. 核実験の歴史
    米国は、1945年7月のトリニティ・サイト核実験、広島、長崎への原爆投下によって大気圏核爆発の端緒を切った。その後は米ソ冷戦構造の中で、とめどない核軍拡競争が続き、大気圏内の核爆発がエスカレートしていった。
    「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(以下、UNSCEAR)の「2000年報告書 放射線の線源と影響 第Ⅰ巻」1、付録Cに基づき大気圏核爆発の各年ごとの回数、及び爆発威力を図1に示した。広島・長崎での戦時使用を含めて1945年は3回であったが、1980年までに543回の核爆発が、米国、旧ソ連、英国、フランス、中国の5か国によって行われた。1951年から1958年、1961年から1962年に多くの実験が行われている。1963年に、米英ソにより大気圏、宇宙、及び海中での核実験を禁止する部分的核実験禁止条約(PTBT)が発効した後は大きく減った。その後の実験は、フランス、中国によるものである。
    図1における爆発威力とは、核兵器が爆発の際に放出するエネルギーと同じ爆発エネルギーを発するTNT(トリニトロトルエン)火薬の質量で表される。同報告書では、ある仮説の下で、大気圏核爆発の爆発威力は、核分裂によるものが189メガトン、核融合が251メガトン、合計440メガトンであるとしている。1メガトンは100万トンである。
    核実験場は、北半球中緯度の砂漠地帯(セミパラチンスク、ネバダ、ロプノール)、太平洋の赤道を囲む島嶼地帯(マーシャル諸島、クリスマス島、ムルロア環礁など)、そして北極地帯(ノバヤゼムリア)、オーストラリア、サハラ砂漠など、緯度においても気候風土においても多岐にわたる。実験で放出された放射性物質は、対流圏での偏西風や貿易風、成層圏での大気の大循環にのり、グローバルに拡散したはずである。爆発威力では、ノバヤゼムリア、マーシャル諸島が圧倒的に大きい(3月号で述べたビキニ水爆は、爆発威力が最大規模の例である)。
  2. 放射性物質の放出量
    これらの核実験による放射性物質の放出量を、UNSCEAR「2000年報告書 放射線の線源と影響 第Ⅰ巻」付録Cをもとに推算した。それによると1945年から1980年までの25年間にわたって続いた大気圏核爆発は、総量約300万ペタベクレルという天文学的量の放射性物質を地球上に放出した。ここで、ベクレルは、放射能の強さの単位で、毎秒あたりに崩壊する原子核数である。ペタベクレル(PBq)は1000テラベクレル、あるいは1000兆ベクレルである。平均して1回の爆発実験で5500ペタベクレルの放射能を放出したことになる。放出された中で半減期の長いストロンチウム、セシウム、プルトニウムなどは半減期に応じて残存し、今も放射能のバックグラウンド値を高めている。これらの環境汚染や人間を始めとした生物への影響の度合についての議論は今も激しい論争の的になっている。また、これまでの議論では誘導放射能が評価されていない。例えば、第5福竜丸の被災で大きな問題になったビキニ環礁実験では、核融合に伴い発生した高速中性子が、周囲にあったサンゴや海水中の硫酸基に衝突して放射化した放射性カルシウム45、イオウ35が大量に作られた。
    また原爆も水爆も、臨界量よりもはるかに多量のウラン235やプルトニウム239を使うのみならず、タンパー(反応促進体)や反射体として多量のウラン238を使用していると考えられている。したがって、これらが爆発に伴い微粒子となって飛散し、主として局所的、地域的な範囲に落下していると見られる。

3. チェルノブイリ、福島原発事故による放射能放出

次にUNSCEAR「2000年報告書 放射線の線源と影響 第Ⅱ巻」付録Jから、チェルノブイリ原発の事故における核種ごとのFP総放出量は、約7000~9000PBqと推定される。543回の大気圏核爆発による放射性物質の総量は、チェルノブイリ原発事故の放出量と比べて約370倍である。核実験1回の平均は、チェルノブイリ事故による放出量の0.68倍である。核実験による総量とチェルノブイリ事故について核種ごとに比率をみると、バリウム140、ルテニウム103、セリウム141、ストロンチウム89は1000倍以上、ジルコニウム95、ヨウ素131などは400~800倍、セリウム144、ルテニウム106、プルトニウム239などは200倍、そしてストロンチウム90は70倍、セシウム137は13~15倍となっている。
チェルノブイリ原発事故では、事故当時2回の爆発で原子炉上部の構造物が破壊されるなどして、多量の放射性物質が放出された。炉内存在量に対する放出割合は核種により異なるが、希ガス100%、ヨウ素131は3000ペタベクレル存在していた中の50~60%(約1500ペタベクレル)、セシウム137は約270ペタベクレル存在していた中の33%(約80ペタベクレル)、その他は、3.5%などの推定がある。その結果、地球規模の環境汚染をもたらし、日本でも雨や牛乳のヨウ素131汚染が大きな問題となった。セシウム137、ストロンチウム90など半減期の長い核種は、欧州を中心にいまだに残存している。
次に、福島原発の場合を考える。4月12日、原子力安全委員会は、当時までの大気中への放出量を試算し、ヨウ素131は150ペタベクレル、セシウム137は12ペタベクレルと発表した。一般的な100万キロワット(電気出力)軽水炉を3年運転したときの炉内に存在する核種の量を推算してみると、ヨウ素131は3100ペタベクレル、セシウム137は170ペタベクレルとなる。全くおおざっぱな推定になるが、1~4号機までが280万kwであることから、事故当時、この数倍のヨウ素131(約10000ペタベクレル)、セシウム137(約500ペタベクレル)が存在していたと仮定すると、それぞれ炉内存在量の2~3%の放出に留まっていると言える。しかし、福島の場合は、その後も、大量の放射能が汚染水となって海や土壌に放出されているので、このような比較をすることはまだできない段階である。

4. 平時における再処理・原発による放射能放出

核の商業利用施設からは、平常時においても一定の放射能放出がある。その最も大きなものは再処理工場である。欧州15カ国が加盟する北大西洋の放射能汚染防止に関するオスロ・パリ条約締約国会議(OSPAR)の年次報告書によると、2008年1年間の平時におけるトリチウムの液体放出量は、英仏再処理工場から9.0PBq、原発から2.2PBqとされている。ここでの再処理工場の値は、規模が大きく、長い歴史を持つラ・アーグ(仏)、セラフィールド(英)の合計である。 原発は、8か国、約100基の合計である。それにしても両者を合わせ11.2PBqのトリチウムが、平常時に15か国の核施設から放出されていることになる。これは、チェルノブイリ事故と比べると0.1%となり、数多くの核施設からの総量は、大事故と比べて3桁しか違わない量を日常的に放出していることになる。2010年1月現在、世界には432基、電気出力38900万kwもの原子炉が存在することを合わせ考えると、世界の原発が放出するトリチウムの量は、予想以上に大きいことが見えてくる。

福島事態を考えるとき、大気圏核爆発によって人類がいかに大量の放射能をまき散らしてきたかを認識することは、「核エネルギー」と人類との関係を総体として考えるときに極めて重要である。ビキニ被災は、こうした文脈の中で、再度、捉え返す必要がある。また、核兵器は放射能だけではなく、爆風と熱線による直接的な殺傷に多大なエネルギーを放射する。一方で、商業利用の名において再処理や原発から日常的、継続的に一定量の放射能が放出されていることも無視できない。
いずれにせよ、放射性物質の人類に対する脅威に軍事・平和利用の区別はない。とりわけ、その晩発性の被害を考えるとき、グローバルな放射能汚染が人類全体の長期的、遺伝的影響の危険性を確実に高めていることに注目しなければならない。そして核エネルギーに依存する社会のありようを歴史的文脈においてトータルに検討する作業が続けられねばならない。

*本稿の大気圏核爆発やチェルノブイリ事故に伴う核種ごとの放出量に関する表を含めた詳細は「核軍縮・平和2011」第2章、特別記事1の拙稿参照。

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