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平和軍縮時評2月号 今、議論から行動に移るべき時が来た―第2回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(メキシコ・ナヤリット、2014年2月13~14日)  金マリア

2014年2月28日

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   2014年2月13日から14日まで、メキシコ北西部の太平洋沿岸に面したナヤリットで第2回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(以下、メキシコ会議)が開催された。昨年3月4-5日に開かれたオスロ会議のフォローアップとして、メキシコ政府主催で、146か国政府、国連、世界保健機構、国際赤十字委員会など国際機関、そしてICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)を中心とした約120人の市民社会代表が参加した。5核兵器国、イスラエル、そして北朝鮮はオスロ会議と同じく今回も参加しなかった。しかし、他の核保有国であるインドとパキスタンは参加した。

   オスロ会議は、27か国の政府が集まって、核兵器の人道的影響に関する最初の国際会議として、歴史的な意味がある。そこでは「核爆発が起こった場合、世界のどの政府や国際機関も適切に対処できない」という認識が共有され、核爆発が人間と社会に及ぼす短・中期的影響が、主に医学的及び環境的な観点から議論された。一方、メキシコ会議では、オスロ会議と同じ認識を強調しながら、核爆発についてより多様な観点から、また長期的な影響までも検討される場と時間になった。

   筆者は、オスロ会議に続いてBANg(核兵器全面禁止世代)の一員であり、ピースデポを代表して今回の会議に参加した。このような筆者の経験を背景に、メキシコ会議の詳細と現場の雰囲気を伝えたい。

1)   開幕セッション

   開幕1時間前の13日朝8時、青い空の下、赤いバラを一抱え持った13人の若い活動家がパラダイス・ビリッジ・ホテルのカンファレンス・ルーム前に集まった。BANgが企画した「Game Changers」というプロジェクトのメンバーたちが、メキシコ会議に参加する政府代表にバラとカードを渡すために集まったのである。和紙のカードには「参加してくれて嬉しい、」「あなたの選択は正しかった、」「あなたは大切な人」など歓迎のメッセージが手書きされていた。バラとカードをもらった多くの政府代表はそれの意味を聞いた。それは、次の日がバレンタインデーであることに着目し、参加を決めた政府と代表への愛を伝え、会議の開催を祝うという意味であった。

   会場に入ると、舞台の白い背景に大きく描かれている会議のロゴが最初に目に入った。丸いピースマークの中に立っている少年の後ろ姿。緑があり鳥が飛ぶ明るい右の世界、少年の手には縫いぐるみが持たれている。一方、キノコ雲が上がり戦闘機が飛ぶ暗い左の世界、少年の髪の毛と服は焦げている。核兵器が人間と地球にもたらす影響、また会議で議論される予定の全ての内容を語っているようだった。

   開幕セッションでは、ナヤリット州政府と国際赤十字委員会、そしてメキシコ政府代表が挨拶の言葉を伝えた。メキシコのホセ・アントニオ外相は、今会議をオスロ会議の収穫だと評価し、「今日の議論を通して参加者の希望を明日に繋げよう」と力強く呼びかけ、会議の幕を開けた。

2)   被爆証言セッション

   その後の「被爆証言セッション」は、オスロ会議にはなかったプログラムで、しかも2時間も与えられたことは画期的な変化であった。実は、このような変化には、オスロ会議の時、被団協の田中煕巳(たなかてるみ)さんが、政府代表団として参席したにも関わらず、被爆証言を公式的な政府発言として発表することが許されなかったため、客席からの発言という形で5分にもならない時間で発言せざるを得なかったという背景がある。その時の経験に踏まえ、日本核兵器NGOネットワークは、約1年間メキシコ大使館と外務省の間でロビー活動に積極的に取り組んだ結果、今会議の公式セッションが被爆者の証言で始まることを成功させたのである。

   日本の被爆者5人のなかで最初に、長崎で被爆した後メキシコに移住した山下(やました)泰明(やすあき)さんが証言をした。彼は、「自分の過去を隠したかった。私の心は血を流していた。それで、メキシコに逃げてきた。しかし、ある日、メキシコで戦車パレードが行われる姿を見た瞬間、過去の日本での記憶が蘇った。自分の心は完全に脱出してなかったことが分かった。」と打ち明けた。その後、「人々に私みたいに終わることのない苦しみを味あわせる必要はない。核戦争において私たちは全員敗者であるだろう。」と結んだ。

   次に、広島で被爆しカナダに移った節子サーローさんが証言した。色々な病を抱えているため、彼女は椅子に座ったまま語らざるを得なかったが、彼女の声にはアピールする力が溢れていた。1945年8月6日、13歳の少女だった彼女は、爆心地から1.5km離れた地点で、学生動員で労働していた。原爆が投下された直後、約4000℃の熱気で体が溶けて皮膚がぶら下がった人々、水を求めて川に入る幽霊のような行列、やっと山まで逃げて来た後、振り返った時、燃えていた町の全景など、余りにも生々しくて悲惨な描写に、参加者は皆息をひそめて耳を傾けた。彼女の証言は、筆者がそれまで聞いてきた証言と比べ、異なる特徴があった。それは、ご自身の苦しみや悲しみを強調したり、受けた被害について悔しく思わないという点であった。むしろ、彼女は自分がクリスチャンだと紹介した後、「神様は、被爆経験を通して自分に人生の使命を教えて下さった。それに本当に感謝している。」と言った。発言の最後、彼女は「今すぐ核兵器を廃絶すべき理由は、次の世代のために私たちが持たなければならに道徳的責任があるからだ。」と力説した。
   最後に紹介したい被爆関係者は、高校生平和大使として登壇した小柳雅樹さんである。彼女は、自分が被爆3世であると淡々と紹介した後、「私は祖父母に感謝しています。彼らがいなかったら、今の私も存在しないはずだからです。」と笑顔で語った。その時、筆者の目から涙がぽつぽつと落ちた。被爆者5人の証言は、参加者にインスピレーションを与え、両日の議論を導く原動力となった。会議での多数の発言から証言の大事さへの認識と被爆者に対する感謝が表明された。

3)   4つのワーキングセッション

   その後、両日に渡って4つのワーキングセッションが行われた。「オスロからナヤリットへ」と題した第1セッションでは、核軍縮において「核兵器の人道的影響」が有する意味について真剣に議論が始まったオスロ会議および同議論に対する評価をした。それから、オスロ会議から約1年間、国連や市民社会で軍縮議論がどう変わって来たのかに関する報告を聞いた。その中で、ICANを代表して発言したベアトリス・フィーンは次のように力説した。「世界は、これから市民社会の力強い助けがもっと必要になるだろうが、今、私たち市民社会はますます強くなって来ている。安全保障だけに焦点を当てた議論はもう終了した。約140か国の政府、国際専門機関、そして市民社会がここに集まった理由は、まさにこのような責任を担うためだ。今こそ核兵器を全面禁止するための協議を開始すべき時である。」

   第2セッションでは、「核兵器爆発が国家、地域及び地球規模の経済成長及び持続的な発展に及ぼす影響」というタイトルで5人の専門家がプレゼンテーションを行った。内容は、核爆発や核実験が環境、気候、社会インフラ、開発、貧困、食糧安保、そして飢饉に及ぼす直接的また長期的な結果であった。

   IPPNW(核戦争防止国際医師会議)のアラン・ロボック教授は、「仮に局地的な核紛争が発生したとしても、全世界が核の冬の脅威に襲われる」との実験の結果を、特に気候と農業に与える災害に焦点を当てて発表した。NUPI(ノルウェー国際問題研究所)のロマン・バクルチュク博士は、旧ソ連が行った核実験がセミパラチンスク地域に起こした病気、奇形児などの致命的な身体に対する影響を紹介した。オスロ会議では、セミパラチンスクの核実験の被害者であり、カザフスタン政府の核実験反対署名運動「ATOMプロジェクト」の名誉大使のカリプベク・クユコフさんが個人の被爆証言をした反面、今会議では、同地域の多数の被害者の現状が紹介され、さらに医学的な観点から専門的な説明が加えられた。

   その後、司会のメキシコ政府担当者は、参加者に向かって「これから、核兵器禁止条約(Nuclear Ban Treaty)について話し合ってみましょう。」と言って、自由な質問や意見交換を奨励した。最初に発言したベラルーシ政府代表は、「チェルノブイリ事故が起こった年、我が政府は200億ドルを使った」など被害状況について具体的に説明した。続いて、ノルウェー、エジプト、ニュージーランド、スイス、ウクライナ、アルジェリア、コートジボアール、モロッコなど多数の政府が核兵器の非人道性を告発し、核兵器を禁止させる条約の必要性を主張した。特に、コスタリカ政府代表は、「冷戦時代、中南米は核戦争の危機直前まで行ったが、むしろその危機をきっかけに非核兵器地帯を設立した。今こそ、世界が核兵器禁止条約(Nuclear Ban Treaty)について議論を始めるべき時である。」と発言した。
   会議2日目の14日午前、第4セッションでは去年にはなかった新しい内容を扱った。核拡散によるサイバー戦争やテロの危険、核爆発がもたらす人口の分散予測など、21世紀の国際社会において核の脅威が持つ意味について様々な側面から議論された。

4)   オーストリアで開かれる第3回会議へ

   4つのワーキングセッションが終わった後のお昼休みの時間、参加者たちは会場を出て5分位の距離にある海辺に向かい始めた。BANgが準備したアクションを見るためだった。海辺では、ケニアから来たニアンブラが「Ban Nukes」(核兵器禁止)と書いたバナーを持って空を約20分間飛んだ。青い空と海を背景に赤い文字が書かれた白い布の対照がとても綺麗だった。その光景を見た人々の記憶に、奇麗な風景と一緒に「核兵器禁止」というメッセージがまるで1枚の写真のように鮮明に残ることを願う。

   午後は、全ての参加者が自由に意見を表明する時間が作られた。予定では1時間15分間のプログラムであったが、実際には2時間ぐらい延長された。しかし、会場の中は、不満どころか、むしろゆったりとしたメキシコの時間観念のおかげでだれでも十分発言ができることについて喜ぶ雰囲気であった。ほとんどの政府と市民社会の発言者たちは、2日間の会議を通して「核兵器の非人道性が再確認できた」ことと「核兵器の非合法化が進められる必要性がある」ことを強調した。市民団体リーチング・クリティカル・ウィルの報告によると、この時の発言の中、20か国の政府が「国際法による核兵器の非合法化」を明確に主張した。しかし、ドイツやオランダなどのNATO国、そして日本やオーストラリアのような核依存国は、それについて消極的な態度を見せた。例えば、ドイツは、核兵器の人道的側面のみならず、安全保障の側面も重要であると強調し、冷戦時代に核兵器が武力紛争を防止することに有用に使われたとの認識を示した。

   BANgも次のような内容で声明を発表した。「私たちはなぜ未だに核兵器が禁止されていないのか全く理解できない。また、私たちは核兵器に対して「NO」と言える権利がある。なぜなら、私たちは上の世代が作った核兵器の被害者になりたくないし、私たちの子どもと孫の世代に核兵器の使用の恐れのない世界を引き継いであげたいからだ。」イランから来たマラルとコロンビアのソフィアが声明を読み終わった時、多くの拍手の音が会場に響いた。

   そとは既に暗くなった夜8時頃、ロブレド・メキシコ外務次官が議長要約を発表した。議長は、「核兵器の人道的影響に関する議論は、法的拘束力のある条約を結ぶことを通じて、新たな国際基準及び規範を実現するとの、政府及び市民社会の誓約に繋がって行かなければならない」という明確な意志を表明し、「行動に移るべき時が来た。広島、長崎への核攻撃から70年目を迎える今こそが、我々が目標に向かうに相応しい里程標である。ナヤリットは、もはや後ろ戻りできない地点なのだ。」と言って閉幕を宣言した。

   今年末には、核兵器の人道的影響に関する国際会議の3回目がオーストリアで開かれる。そして、来年春にはNPT再検討会議が予定されている。今後約1年間、ナヤリットの熱気が核軍縮に関する国際議論に対してどの程度、そしてどのような変化を起こせるのかに注目したい。

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