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施行64周年憲法記念日集会/江橋崇代表の主催者あいさつと問題提起

2011年5月 3日

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 本日は連休の真っ最中、ご多忙のところお集まりいただきましてありがとうございます。あらためて東日本大災害の犠牲者の方々に対する慰霊と残されたご家族の方々への慰藉の誠を捧げたいと思います。
 さて、今日は憲法記念日です。どういうふうに今日の記念日が展開されるのかなということを思ってって、NHKの朝の番組を見てからここへまいりましたけど、たいへん驚きました。憲法記念日の憲法に関するシンポジウムで鳥越俊太郎さんとか精神科医の香山リカさんとか、人権活動家の土井香苗さんとかも含めて、6人の方がご登場なさいました。
 ここで日本国憲法について一言も話されないというのも、すごいことだなと思いました。
 もう一つ、日本の持っている国際社会への責任、あるいは国際社会のなかでこれから日本がどうあるべきか、ほとんど語られていない。これも特徴的でした。
 そして3つ目に、日本について今後生きる道についてということで、個々人の生き方に関するいろんな思いや主張はなされましたけど。日本社会がどうあるべきかというとき、もう一つ考えなければならない、日本の企業はどうあるべきか。それに付随して日本の労働運動はどうあるべきかという観点もまったく話されていませんでした。そういう意味でなるほどなと思いました。

 新聞を見ても、一面はビンラディン殺害の報道だらけでして、憲法記念日で憲法に関する記事というのも、小さくなっていました。私はそのことは、マイナス面はたしかにありますけれど、必ずしもマイナスだけではないと思っております。むしろ、これまでのような改憲か護憲かというような議論はなくて、私たちが生きていく上で憲法のようなものはどこが最大の問題であり、どこにわれわれがそれを使う利用価値があるのか。あるいは、社会的にそういうものが存在している意味があるのかということを真剣に考えてみなくてはならない、いうならば、ふりだしに戻ったところで憲法問題を考えなくてはならないということになったのではないかと思っているからです。そして、そのように考えた場合、私は、いちばん大きな問題はたぶん人々の安全に生きる権利がこれだけ不安にさらされていることだというふうに思っております。

 災害からの安全。原発の事故からの安全。そして、食の安全の不安が著しく、そういう安全の確保ということが社会の緊急の課題になっていると思います。これまでも、安全への権利ということはいくつかの生活の局面で強調されてきました。障がい者が安全に生きる権利、女性が安全に生きる権利、子どもが安全に生きる権利など。あるいは消費者の安全への権利などがこの運動によって発現されてきたと思います。その一例として、ここでは今回の大災害で亡くなった多くの子どもたちへの哀悼と、ついにその権利を守れなかった私たちへの慙愧の気持ちを込めて、「石巻市子どもの権利に関する条例」というものをご紹介したいと思います。その第4条には、安全に安心に生きる権利としてこう書かれています。
 「第4条、子どもは安全に安心して生きるために、次に掲げる権利が保障されます。
 1.命が守られ、大切にされること」。 2以下は省略します。

 憲法はかつて、国家による市民の安全への信頼を押さえるために自由権というものを保障しました。自由な表現を行っても安全であるように、自由な信仰を持っても安全であるように、さまざま々な自由権というものが保障されて、国家の侵害が妨げられるようになっていました。しかし、今日では、とくに20世紀後半から市民の生活への安全の脅威は社会のなかにもあるのだと。そこで弱い立場にあるものの安全がとくに危険にさらされるのだと。だから、国家だけではなく、社会からも安全で自由に生きることができるようにという願いを込めて、安全への権利という言葉が語られるようになり、いくつかの条約などにも盛られ、国際社会ではごく普通に成立しているかと思います。
 また、環境問題や平和の問題は、市民の安全への権利というのは個々人において成立するだけではなくて、社会全体において成立しなくてはならないということが明らかになったと思います。安全への権利というのは、安全な社会への権利でもあるわけです。そして、いま、私たちが未曾有の大災害で直面しているのは、こうした安全な社会への権利への大きな脅威ではないかと思います。したがって、今日は、この場に原発の問題、環境の問題、食の安全の問題についてこれまで鋭い問題提起を続けてこられた3人の方をお招きして、「安全への権利」というくくりで日頃からお考えになっていることをおおいに発言していただき、その次には話したことをもとに、少し議論を深めて、社会に向けて「安全への権利」というものについて、発信したいと思っています。

 もう一つは、「人間の安全保障」という考え方です。わが平和フォーラムはこれまで一貫して、人間の安全保障が大事なのだということを言ってきました。そして、この人間の安全保障という考え方のなかには、さまざまな脅威からの安全が含まれている。そのなかに、今回のような大規模災害からの安全の保障ということも含まれていました。実際問題、21世紀というのは地球規模での大災害が続発した年でありました。ニューヨークのワールドトレードセンタービルの崩壊から始めても、2005年にはカトリーヌハリケーンによる、アメリカ南部の大洪水がありましたし、2004年スマトラ沖大地震と巨大津波があり、2008年中国四川省の大地震、同じ時期に起きたミャンマーのサイクロン・ナルギスによる大洪水。あるいは、リーマンショック。2009年の新型インフルエンザ・パンデミック2009、2010年のハイチ大地震など、地球規模での大災害が続いていて、人間の安全保障のなかでの災害からの安全の保障ということが強く求められていました。しかし、従来の人間の安全保障の論議のなかでは主として、国連や日本政府が直接に求めており、またそれゆえに、研究支援の体制も整っていた軍事的な紛争時における人間の安全保障の枠内に集中しているものが多く、災害と人間の安全保障という論点について、市民の立場から検討して発信することは十分ではなかったと思います。ここのは、人間の安全保障論を初発の瑞々しいヒューマンな感性に立ち戻って考え直してみる余地があると思います。そういう議論が起きるべきだと思います。そこで、今日は第二部として私たちがこれまで主張してきた人間の安全保障論をさらに深めて、災害と人間の安全保障という観点で議論を進めていきたいと思います。

 今日は主としてこの二つ。人間の安全保障について語っていきたいと思っています。それ以外に、まだ緊急時における憲法政治のあり方の問題であるとか、あるいは政治における官と民、あるいは企業、政治社会、企業社会、市民社会の連携の問題であるとか、あるいは財政問題の処理であるとか、そういう問題もあるかと思いますが、それについても追々議論をするとしても、今日そこまで議論が広がるかどうか。あまり広げると焦点がボケてしまいますのでまた別の機会とも思っています。

 最後に一言だけ申し上げておきますが、今起きている危機を私たちは日本の危機だと考え、日本国内でいかに体制を作り直していくのか、再建し復興していくのかということを考えています。簡単に言えば、きわめて内向きの論理にひたっているわけです。しかし、これまで日本が進めてきたような東アジアの経済を中心とした共同体づくりということを考えるならば、今回日本で起きた災害は東アジアの災害であります。実際、韓国にせよ中国にせよ、この震災の影響を強く受けているわけであります。逆に言うと、私たち日本社会がともに存在している東アジア社会、あるいは国際社会のなかでの自分たちの責任、自分たちの地位という問題についてもっと考え、この震災大災害からの回復も東アジア規模で問題にあたっていく必要があるだろうと思っています。幸いなことに中国にしても、韓国にしても、台湾にしても、今回の大災害に非常に深い同情の念と温かい支援を提供してくれています。翻って考えてみれば、これまで日本が例えば四川省の大地震の後で何をしたのか、台湾の大地震の後で何をしたのかと。いま、企業は数億円単位の社会貢献をしていますが、忘れもしませんが四川大地震の後、中国社会に対して日本企業が提供したものは数百万円の義援金というのが多かったと思っています。あらためて私たちは、東アジアの民衆の連帯と共同の生活というものを今後も大事に生かしていくことを考えなくてはいけないと思っています。今回の災害にもかかわらず、私たちはアジアの視点を忘れないということが大事だということを述べて私の冒頭のごあいさつと問題提起にさせていただきたいと思います。

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