声明・申し入れ、2015年

2015年11月14日

護憲大会地元歓迎あいさつ/「戦争しない国」を取り戻そう!!

第52回護憲大会青森県実行委員会 実行委員長  金 澤  茂(弁護士)

   ご参加の皆さん、遠路青森の地においでいただき、感謝申し上げます。
   私の本業は弁護士(高齢で事実上引退)ですが、現在、青森県の社民党・平和労組・市民で構成する「憲法を守る青森県民の会(守る会)」の共同代表をつとめています。その理由で地元実行委員長を仰せつかりました。
   青森県の特徴は、軍事基地と核施設の集中です。沖縄県議会の8月31日可決の戦争法案廃案を求める意見書には、法案が成立すれば、「自衛隊を米国と一体となって戦争に参加させること」になり米軍基地集中の沖縄も「出撃拠点になるだけでなく、武力攻撃の対象となる」と書かれていました。当県も同様です。米空軍三沢基地のほか、自衛隊3隊すべての施設が存在しています。加えて有事のさい真っ先に攻撃の対象となり得る六ヶ所核燃、東通り原発、それに建設中の大間原発など核施設が集中しています。
   当県に危険施設が集中したのは辺境の地であるだけでなく全国一の貧困県だからです。農林漁業しか頼るもののない当県の歴史は国策に翻弄され続けてきた歴史でした。軍事施設と核施設の集中はその結果です。
   そんな県でありながら、残念なことに青森県は社民党の力が弱小です。2期続けて県議会の社民党議席ゼロという状況です。
   「守る会」は、憲法施行50年目の1997年10月に発足しました。労働事件の処理を通じて社会党・平和労組の皆さんと緑があった私は、一市民の立場で設立に参加し、以来、代表(共同)をつとめてきました。
   2004年の九条の会発足に伴い同年秋、青森では「守る会」と県労連系の憲法ネットあおもり両組織の、憲法を守る一点共闘の場との位置づけで青森県九条の会が結成されました。共闘実現は、当県の護憲運動では画期的なことでした。県九条の会は、県内初の九条の会となり、私は発足以来、現在まで代表(共同)をつとめています。事務局は私の事務所に置いています。
   4年ほど前にJR総連系の青森県9条連が参加し、現在、県九条の会は事実上、この三者と市民(青森ペンクラブなど)が支えています。
   今回の戦争法案阻止の闘いでは、県九条の会はじめ県内各九条の会がリードする形で、県内各地で集会、パレード、街頭宣伝、学習会・講演会、署名活動、スタンデイングアピールなどさまざまな形の運動が行なわれました。
   このように、当県では、共闘組織としての県九条の会を中心とする運動が定着し、「守る会」は県九条の会の運営・活動に主体的に参加してきました。
   いまだ当県内に「戦争をさせない1000人委員会」の正式組織が作られていないのは、そういう事情によるものです。
   私は長い間、「戦争しない国日本」が私の祖国だと言ってきました。その国民であることが名誉であり誇りでした。戦争法成立により、私は齢80にして亡国の民となりました。当県出身の寺山修司(中・高同期)は、20歳のころ「マッチ擦るつかのま海に霧探し身捨つるほどの祖国はありや」と歌い、「祖国」との決別を宣言しましたが、私は60年遅れて無理やり祖国喪失を押し付けられました。
   憲法違反で無効の戦争法に基づく「戦争する国」は文字通り偽物の国です。何としても一日も早く本物の私たちの国「戦争しない国」をこの手に取り戻さなければなりません。
   憲法を大切に思う人々が、全国で繰り広げた今回の戦争法案阻止の闘いの総括と、戦争法廃止に向けてのこれからの闘いの展望を切り開くことがこの大会の使命だと思います。まことに歴史的な大会です。
   私たちは今、厳しい逆境の中にありますが、参加された皆さんが、勇気と希望を得られて帰途につかれることを心から祈念いたします。

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