声明・申し入れ

2017年08月04日

被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会基調提案

 

被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会基調提案

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成

 皆さん、被爆72周年、原水禁世界大会広島大会、開会総会に参加いただきましたこと、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、お手元の基調に目を通して下さい。

敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、国連加盟国193カ国中、122カ国の賛成をもって採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な条約であり、前文では被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。多くの被爆者が、痛む身体に鞭を振るい、慣れない国際的な場に立って、怒りに震えながら声を上げ続けた結果として、私たちは心から歓迎するものです。

しかし、この条約を検討する会議の場からも日本政府は出席を拒み、核兵器保有国米国におもねるように、「漸進的アプローチ」を主張し、この条約があたかも世界に対立を持ち込み、安全保障体制を覆すかのような、否定的態度に終始しました。
日米安全保障条約の下、米国の核の傘に依存し、核兵器の抑止力の幻想にしがみつく、旧態依然とした日本政府の態度は、被爆者の訴えとは相容れず、原水禁運動に関わってきた人々を失望させるものです。

「父は爆死、姉兄はそれぞれの職場で、他の家族は自宅で被爆した。姉は爆心地近くの兵器工場で被爆。その時のことを聞いても「忘れた」と言って死ぬまで話してくれなかった。2人の娘を産む育てたが、長女は13歳で白血病でなくなった。次女も50代でガンで亡くなった」、朝日新聞の投稿欄の一文です。この、福岡県に住む70代の被爆者は、「我が国が、被爆国で有りながらこの条約に加盟していないことが残念でならない」「加盟国が一カ国でも増えることを、私たち被爆者は望んでいる」と訴えています。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器開発、ICBMの打ち上げ実験などを通じて、日本政府は、平和への、安全保障への脅威をあおり、核兵器が抑止力であるとする議論がまかり通っています。しかし、第2次大戦後、核兵器保有国同士は別として、核兵器が絶え間ない戦争や紛争の抑止力として効果を上げた実態を、私は知りません。核保有国の核は、イスラエル、インド、パキスタン、そして北朝鮮へと、拡大を続けてきました。「米国の核兵器が、北朝鮮の核兵器を作りあげた」というならば、大きな批判を受けるでしょうか。賛同される方も多いと思います。

原水禁運動は、多くの皆さんと「東北アジア非核地帯」を構想し、そのために日本のプルトニウム利用政策、これは商業利用としての核燃料サイクル計画として行われていますが、その放棄を主張してきました。計画の一部、高速増殖炉もんじゅは、発電を本格化することなく廃炉に追い込まれました。青森県六ヶ所村の再処理工場建設計画と共に、計画全体の見直しが迫られています。しかし、日本政府は、フランスの高速炉計画に参画するとして、プルトニウム利用の延命を図っています。
元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したロバート・ガルーチジョージタウン大学教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重要な課題です。脱原発を確定することが、核抑止力幻想から抜け出す道であることを、私たちはしっかりと見極めなくてはなりません。

平和学の重鎮、ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥング博士の主張する「積極的平和」が、どこから始まるかを、考えなくてはなりません。

「核兵器禁止条約」は、9月20日以降に批准が始まり、50カ国の批准によって発効します。核兵器は非人道的として、長きにわたって積み上げてきた議論をここで終わらせてはなりません。日本政府が批准に向かうよう、核兵器保有国が批准に向かうよう、私たち自身の運動の強化が求められています。

東日本大震災・福島第一原発事故から、6年以上が経過しました。降り積もった、目に見えない大量の放射性物質は、被災者の生活再建の大きな妨げになっています。6月30日には、やっと原発事故の刑事責任を問う裁判の第1回公判が、東京地裁で開始されました。東電経営者の責任を明確にしていかなくてはなりません。

福島第一原発は、未だ高線量の中で収束に向けた努力が行われていますが、溶融した燃料の状況さえ確定できず、2040年代の取り出し完了を予定していますが明確ではありません。一方で、事故処理費用は、当初見込みの倍、21.5兆円にも上ることが明らかになっています。しかし、この中にはデブリの処理などが含まれず、今後の推移によっては更なる増大が見込まれます。
その多くを電力消費者に転嫁して回収しようとしており、過去分の徴収や、新電力にも負担を強いるなど、きわめて問題の多いものとなっています。「原発の電気は安い」との主張は今や「デタラメ」以外の何ものでもありません。

このような中で、除染によって年間被ばく量20mSvを下回ったとして、多くの地域で帰還が強要されています。被害者・避難者は、時間の経過の中で様々多用で多岐にわたる問題を抱え、元住民の帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍で有り、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
福島県は、自主避難者の住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、2重生活によって困窮を極めている方や故郷の住宅の荒廃によって帰還できない方など、様々な困難を抱えています。

2017年4月4日の記者会見で、今村雅弘復興大臣が「福島原発事故の避難者が復帰を拒否するのは自己責任」「裁判でも何でもやればいいじゃないか」との暴言を吐いています。自らの立場も考えず、福島の事故後の実態も理解せず、避難者の思いを暴言をもって拒否する態度は、責任ある立場の発言とは考えられません。

この発言の背景には、フクシマを終わりにしよう、無かったものにしよう、そして、「四の五の言わずに早く帰還しろ」との、フクシマを切り捨てようとする政府の姿勢があることは確実です。

横浜市で、全国で、福島県から避難してきた生徒へのいじめが問題化しました。横浜で被害にあった生徒の「しんさいでいっぱい死んだからつらいけど ぼくは生きることにきめた」との言葉は、胸に刺さります。
日本政府が、支援をあたりまえのものとして考えていないことが、日本社会のゆがみとなって、フクシマに対する言われない差別がおこっています。

2017年3月17日、前橋地裁の原道子裁判長は、福島原発事故で福島県から群馬県に避難した住民など137人が国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟において、「東電は巨大津波実を予見しており、事故は防ぐことができた」として、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認める判決を行いました。

復興庁の発表では今年6月30日現在で、避難者は9万3001人、震災関連死は、10都府県で3591人、そのうち原発事故があった福島県は2147人で関連死全体の6割にも達します。この数字を見ても、福島第一原発事故が何であるのかが分かります。帰還の問題、生活の再建や生業の債権問題、甲状腺ガンなどの子どもの健康問題、教育の問題、様々な課題が残されています。

原発事故があり、被爆した事実があること、被害住民に何ら責任が無いこと、そしてそれぞれの立場の違いが大きいことなどを、しっかりと見つめ、それぞれへのきめ細かな支援が求められています。現行制度で対応が困難な部分は、きちんとしたフクシマへの支援・補償の制度設計を行うべきです。
原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の人間としての復興を求めて運動を続けます。

7月31日、米国の電力会社、スキャナ電力は、東芝傘下の原子炉メーカー「ウェスティング・ハウス」の破綻に伴い、採算がとれないとの判断からサウスカロライナ州のVCサマー原発2・3号機の建設を断念すると発表しました。
東芝のスキャナ社への債務保証は2432億円に達しています。原子炉メーカー「ウェスティング・ハウス社」の経営悪化に伴う、親会社東芝の経営破綻は、原子力エネルギーそのものが、市場経済で存続できなくなっていることを明らかにしています。

経産省は、「エネルギー基本計画」の見直し作業に着手すると発表しています。2014年に決定した2030年以降、原発への依存目標20~22%は、維持していくとしています。原子炉規制法に従い原発稼働期間40年とすると、目標達成は困難で一部原発は60年への延長を考えなくてはなりません。安全対策への費用の高騰は続いており、福島原発事故の処理も目処が立ちません。全国の6~7割が適地とされた最終処分場問題も解決を見ていません。困難を先送りした再稼働と、原発ありきの姿勢はきわめて問題です。
2015年円ルギー基本計画へのパブコメは、9割が原発依存の引き下げや脱原発であったことを、政府はもう一度見つめ直すべきです。

2014年5月、大飯原発運転差し止め訴訟の判決で、福井地裁の樋口英明裁判長は、「人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない」「豊かな国土とそこに国民が生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と述べ、「原発は、憲法上は人格権の中核部分よりは劣位にある」との判断を下しました。憲法の中に原発がどのように位置付くのか、フクシマにおける「今」を考えると、きわめて重要です。

安部首相は、憲法を変えるとして、今もなおその主張を放棄していません。これまでの自民党の方針を放り投げて、平和主義9条の1項2項をそのままに3項に自衛隊を位置づけるとか、正にご都合改憲としか言いようのない主張を繰り返しています。しかし、そこには、全く主権者の姿は見えてきません。

7月23日の朝日新聞は、憲法70年と題した社説で、「原発と人権」を問い直すとの主張を掲げました。南相馬の小高区出身の鈴木安蔵、静岡大学名誉教授が、多くの仲間と主に戦後すぐに作成した「憲法草案要綱」に「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」とあることを上げて、南相馬市が、全戸に憲法前文の冊子を配布したことを紹介しています。

何気ない日々、普通の人間の、普通の生活が、原発事故で失われる。憲法25条の生存権、22条の居住、職業選択の自由、29条の財産権、26条の教育権、様々な権利を原発が奪いました。

原水禁運動は、早くから「脱原発」を掲げ、「核と人類は共存できない」ことを主張してきました。原発が憲法違反の存在であることを、フクシマがそのことを証明していることを、明らかにしていきましょう。そして、「脱原発」から、「脱プルトニウム」そして「脱核兵器」へと、人間の命を繋いでいきましょう。

最後にはっきり申し上げます。原発を容認し、原発によるエネルギー政策を主張することは、憲法違反であると。
本日より、3日間の真摯な討議をお願いして、基調の提案にかえさせていただきます。

以  上

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