インタビュー・シリーズ:163
企画・運営した高校生に聞く
─簡単な自己紹介として、オンライン修学旅行 の中でどのような役割を担われたか、企画を立てたときの話などをお願いします。
反町梨里佳 (そりまちりりか、田園調布雙葉高校2年) 中学3年の時長崎に修学旅行に行く経験があって、被爆者に話をうかがい「伝えていってほしい」と聞いて、自分も何かアクションを起こしたいと思った時にこの活動を見つけて、署名活動に参加しました。
オンライン修学旅行では、主に広報を担当し、ツイッター 、インスタグラム などSNSで広報しています。
西山喬紘 (にしやまかたひろ、都立大江戸高校3年) この活動に加入したきっかけは、高校2年の広島修学旅行です。事前や当日の学習を通して、自分の無知さに気づいて、何か行動に移したいと考え、参加させていただきました。オンライン修学旅行では、他の方々の頑張りに助けられてばかりで、議事録をとったりだとか、裏方の仕事を主にしてきました。
滝沢佳奈 (たきざわかな、東京学芸大学付属高校2年) 中学の頃から原爆などに興味があって、広島や長崎に行って自由研究でいろいろ調べている中で、自分からなにか行動したいと思って核廃絶に向けたこの活動に参加することを決めました。オンライン修学旅行では、主に3日目の長崎大学の教授の方に話をしていただくことの調整などをしました。
小泉花音 (こいずみかのん、桜蔭高等学校2年) 私がこの活動に関わり始めたきっかけは、中学2年生の国語の授業で読んだ、黒い雨という井伏鱒二さんの小説です。広島で原爆が落とされたときのことを日記調で語っているのですが、読んだときに本当にショックを受け、自分の無知さに気づかされました。高校1年からこの活動に参加しています。オンライン修学旅行では、反町さんと同じで、広報を担当することが多くて、ポスターをデザインする作業やサイト を開設する作業を担当しました。
─オンライン修学旅行は反町さんの発案だったと聞いていますが、どういう発案で、まわりの受け止めはどうだったのでしょうか
反町 去年の7月に高校生平和大使の選考会があり、その際に集まった四人とその高校生平和大使に選ばれなかった人たちも一緒に活動していきましょうという形になって、新しく何か企画を立ち上げようとなったんです。いつも行っていた街頭での署名活動がコロナウイルスの影響でなくなってしまっていて、街頭署名はまず出来ない、外での活動ができないのでオンラインを使って何か活動したいというのがまずありました。私たち四人とか他の子の活動のきっかけを聞いていても、修学旅行がきっかけだという子が結構周りにも多くて、修学旅行で長崎とか広島を訪れて、そこで平和への意識をもつという人が私たち以外にも結構多いと思うんです。去年はコロナウイルスの影響で修学旅行が中止になってしまう学校がとても多くて、そういう平和について知ることができる機会をコロナウイルスによって奪われてしまうというのが、すごいもったいないことだなと思ったので、オンラインを使って皆にその学習の機会を提供したい、私達みたいにアクションを起こすきっかけにしてほしい、ということでオンライン修学旅行を提案しました。その時、西山くんとあと一人、高松さんという子がいたんです。結構他の団体とかもオンラインでイベントとかを開催していて、その中でできれば私たちにしかできないこと、オンライン修学旅行を高校生が開催することに意義があるんじゃないかっていうことで決定しました。
西山 すごい壮大で、できるのか?と最初思ったのがありました。実際にはその骨組みが決まってから進行が早く進んで、大変有意義で楽しいイベントを企画できました。
小泉 後からこの企画をやることになったよっていう風に伝えられた側だったんです。前代未聞の企画だなっていう風に感じました。でも、アイデアを膨らませていくにつれて可能性もたくさん見えてきて、こういうこともできそうだなっていう風に、だんだん現実味も増してきて、そこから皆で協力し合ってイベント開催までたどり着けたという感じです。
滝沢 私もいつもこの署名活動でオンライン修学旅行っていうのをしたことがなかったので、うまくいくかなっていうのがまず最初にあったんですけど、だんだんみんなで進めていくうちに、なんかいい感じに。
─そういう苦労ばなし的なことをそれぞれお願いします。
反町 私たちが対面で集まれないというのが障害になっていて、顔を合わせて会ったことがない子達もいる中で、まず仲良くならないと話が進まない。夏休みから始めたので休み中はみんな時間があってかなりズームでも集まれて、企画をした後に話していく中で仲良くなって話し合いもポンポン進んでいったかなっていう感じです。
─ポスターもどういう感じで作ったのか話もしてもらえますか
小泉 ポスターのデザインは反町さんと一緒に行ないました。この可愛い素敵な絵は反町さんが書いてくれたものです。私はその下の部分の編集をしました。以前からポスターやビラづくりを担当することが多かったんですが、毎回試行錯誤という感じでした。コロナで時間が増えたことをきっかけに本格的にデザインについて勉強してみるような時間ができて、今回は最終的にキャンバと言うアプリケーションを使ってデザインしたんです。作業を進めていく途中で色々な発見もあったりして、自分自身にとっても大きな学びになったかなと感じています。
─苦労ばなし的なことがあれば聞かせてもらえますか
西山 僕はみんなより一個年上の高校三年生だったので夏休み忙しいところもありました。その分、みんなすごい優秀な方々なんで、全然カバーしてくれて本当に成功することができたので僕はもうみんなに感謝しかないです。
滝沢 広瀬先生との連絡はその中学校の頃の研究で1回お話を聞いたことがあったので、スムーズに行けたんですが、他のコンテンツを企画する時に、みんなの定期考査とか部活とかが重なってしまって忙しくて、夏休みぐらいから始めたんですがどんどんスケジュールがあの遅れて最後ぎりぎりになってしまったっていうのが一番大変だったかと、でも仕事空いてる人で分けたりしてカバーできたと思っています。
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─色んな感想や振り返りとして、まず事前学習のビブリオバトルについて
西山 自分が提案させて頂いたものですが形になるか不安だったんですけが結構好評をいただいて、動画を使って本を紹介するのが面白い発想だったのではないかと思っています。
─山川さんの被爆体験の話はどう決まっていきましたか
反町 被爆者講話は、まず木村さんという女性の方にお話を8月ぐらいに伺っていて、それをコンテンツとして流すか、改めて被爆者の方にお話を聞くかと話し合い、ズームではありますが直接お話を聞いて、質疑応答ができるのが一番良い形だと思いました。山川さんにお話を伺って質疑応答も高校生に参加してもらえるようになりました。
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滝沢 広瀬さんと事前に打ち合わせて話していただきたいのは、若い人へのメッセージ特にオンライン修学旅行は高校生に向けたものなので、高校生が一歩を踏み出すような言葉をいただけたらと思い、お願いました。
─企画の中で何が一番心に残りましたか
小泉 長崎バーチャルツアーかな、動画編集を私たち全員が分担して高校生一人一人が少しずつ分担して行ないましたが、最終的に動画が一堂に会し、繋げたときに本当に長崎を旅行しているかのような感じの動画に完成させることができて、たくさんの方のご協力があってこそ完成したものですし、学びのコンテンツとしても、ためになるようなものが作れたかなと思って、それを実際動画という形に残すことで一回限りのものでなく今後 YouTube で誰にでも見ていただけるような形に出来たという意味でも、バーチャルツアーは印象深いと感じています。もう一つ夜に消灯前自由時間という時間を設けていてズームでみんなでUNOをしたり、人狼ゲームを行ったりしたんですけれどそれがすごく楽しくて本当に修学旅行の夜みたいな和気あいあいという修学旅行みたいな感じになったので印象に残っています
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反町 小泉さんとちょっと被ってしまうんですけれど、長崎のバーチャルツアーで、私もその動画を作って全体繋げて流れているのを見た時に、本当に長崎に修学旅行に来た感じがして、動画だし実際に行ってるわけじゃないから、長崎感を感じられることはないだろうと思ってたんですけど、動画を流しながらチャット機能を使って他の高校生とかと感想を話しながらも進めていって、私たち東京の子達が驚きの言葉をチャットに打つと、長崎の高校生の子がこれはこうなんだよって教えてくれたり、チャットで会話してるのとか、オンライン修学旅行ならではだと感じることができました。
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滝沢 バーチャルツアーが印象に残っている理由は、準備が大変だったのは、編集が大変で、それがなんとか繋がって流せたことの達成感、その時のチャットでみんなであのま交流している感じがすごい印象に残りました。あと三日目の講義の時も高校生にむけた修学旅行なので、被爆者講話とプラスしてもうちょっと知識的な側面も多分新しく知った高校生が多いと思うので、コンテンツとして含められて良かったなと感じました。
西山 オンライン修学旅行に自ら参加してくれた子が、この活動に興味を持って最終的に東京の署名活動に入ってくることが、誰かを巻き込んだという点で最も印象に残っています。まだちょっと皆と結構距離あるなって感じてたんですけど、オンライン修学旅行の後に打ち上げとかして色々話すことを通してだいぶみんなの距離が少し縮まってきたと思うような、意外な側面とかを見れたりして良い経験でした。
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─事後ディスカッションSESSION 一週間後にやりました。ここで平和、学校での平和教育の在り方、核兵器禁止条約の話とかをそれぞれ話をしてもらいたいと思います
反町 ディスカッションの時に、一つのチームに入ら入らないで色々なところを回ってたんですが、話し合いの様子を見ていて、主に参加してくれていたのが、長崎の高校生、長崎支部の子達が参加してくれていて、それに加えて私たち東京支部の子っていう感じだったんです。私の学校でこういう話をする機会があんまりなくて、こういう機会を作ることで、聞いてる私でも考える、高校生がそういう話し合いをしてる事に何か可能性を感じました。
西山 学校でそういう話をしたかったんですけど、なかなかみんなあんまりそっちに興味を抱いてくれなくて。オンラインを通して、いろんな地域の高校生同士が話をしてるって本当に素晴らしいことになったと感じたし僕自身もちょっと参加したかったなという感じです。
滝沢 グループディスカッションに参加してみて、自分のグループは東京と長崎の違いみたいなのが結構浮き彫りになって、例えば平和教育でも長崎はちゃんと小学校から8月にそういう学習の機会があるとか、核兵器禁止条約でも支持する立場が違ったり、そういうのが分かって、小さい頃からどういう環境を作るかで、持つ意見が変わるのかなと感じました。
小泉 これまでのバックグラウンドや受けてきた教育に影響されて、抱いてる思想や考えに違いがあるのは、ディスカッションを通して一人一人の考え方の違いが浮き彫りになったことで改めて実感しました。同時にオンラインだからこそこんなに遠く離れた場所にこんなに違った人々が簡単に集えて、話し合ってお互いの意見を比べられること自体がすごく有意義なものだと感じます。参加していて本当に楽しかったし、決して意見が違うから敵対するみたいなことはなく、皆、そういう考え方もあるんだ、みたいなスタンスで、すごく勉強になったと思っています。
運営側の反省点のひとつですが、ディスカッションを運営する経験が初めてだったこともあって、今思えば時間管理のやり方などあまりうまく行かなかったところもあり、今後もっと改善していけたらと思っています。
─意外だったこととか改善点、それぞれ話をしてください
反町 これまでオンライン修学旅行に限らず東京支部でワークショップなどを行ってきたんですが、そこでも出た反省点で同じような感じなんですけが、広報を担当している立場として修学旅行を企画した意図にもあるんですが、平和とか戦争について考えたことがない人に参加して欲しい。新しい人たちに参加して欲しいというのが一番あって、広報を通してできればもっとたくさんの人を集めたかったなと思っています。
ディスカッションの時も結構長崎の支部の子が参加してくれていて、他は私たちの誘った友達が結構多くて、SNSを通じてもっと世界中に発信できたはずで、やり方を変えれば多くの人に広まったはずなのに、そこが狭かったなと思っていて広報の仕方を勉強して変えていく必要があると思っています。
西山 まず宣伝という部分で本当にそこは痛感した部分で、自分たちで良いものを作れたと自負しているのですが、それに比べたら参加人数が少々寂しい感じでした。それと僕も含めてちょっと、締め切りだとかが結構僕ら高校生もなかなか忙しいこともあって期限を守れないとうまくいかないのでそこをもう少し自分の中でも徹底して行きたいと思います。
滝沢 経験として今回気づいた事ではまず、オンライン修学旅行で司会をした経験がみんななくて、1日目の時にあまり詰めて準備をしなかった、その時は想定して準備を前にやらなかったので、途中にトラブルが起きたりとかして、ちゃんと注意を払わないといけないというのが学びでした。
小泉 広報の点での反省点も感じていますが、加えてもっと参加者の皆さんに、より参加型の企画にできたら、有意義な体験を提供できたのではないかと感じています。私たち自身もその点は意識して工夫し、バーチャルツアーの時にコメント欄を活用して感想をつぶやきあえるようにしたりはしたんですけれど、参加してくれる方もいる一方で、ちょっと引け目を感じちゃうのか、参加しづらい方もいるのかなとも感じました。参加しやすい空気づくり、コミュニケーション力?場を、雰囲気を作り上げるような能力も高めていかなければいけないと感じました。すごく難しいことだと思うんですけれど、経験がものを言って、場数を重ねるにつけて、学んでいける所かとは思うので、今後また更にイベントを企画したりする際に、これまでの反省点を漏らすことなく生かして毎回より良いイベントを参加者の皆さんに提供できるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
─大学進学とか受験生になったりとか、今後署名活動にどう関わっていくか、後輩にどう繋げていくかという観点で一言お願いします
反町 今年高校3年生になるんですけれど、去年修学旅行を企画している時も学業と一緒に進めていくのが結構大変だなと思っていて、今年さらに忙しくはなると思うんですが、その中でもこれから静岡との企画もありますし、他にもやりたい企画が自分の中では結構あるので、それを後輩につなげていけるように、引き継げる後輩を集めるところから始めるんですが、引き継ぎを一番のこれからの仕事にしたいなと思っています。
西山 僕が進学する大学は平和学を履修できるので、この活動を通して改めて社会問題に対して、自分の生きてきた人生から何かアプローチをかけたいなと考えているのでそういった基板を学習して将来的にも当然この活動は、卒業してもOBとしてしっかり携わっていけたらと考えております。
滝沢 オンライン修学旅行を通して、コロナが終わった後でもこういう企画は、新しい人とか、全国的に広げるのに有効だなと思ったので、後輩にオンライン修学旅行の反省点も含め伝えていきたいと思っています。来年はまだ高校3年生なのでサポートできる部分はサポートしていきたいと思っています。
小泉 私も引き継ぎは急務だなと感じています。これまでの引き継ぎは口頭で伝えてきたりしてきた部分が多かったのですが、今年度はGoogleドライブなどのオンラインツールを皆が使うようになってきたので、それも活かしつつ、自分たちがやったことをきちんと引き継ぎ資料とそして記録化して後輩に引き継いでいけたらなと思います。私自身も来年は高校3年生になるので本腰を入れて活動することはできなくなるかもしれませんが、少なかれ顔は出していきたいです。同時に、自分自身で本を読んだり講演会に参加したりして、核や平和について学びを深めていけたらなと思っています。
─ありがとうございました。これからも続けて活動してください。(司会:竹内広人)
(オンライン長崎修学旅行 アーカイブ映像公開中 )
2021高校生1万人署名活動チラシ(pdf, 14.4MB)
第2弾!オンライン静岡修学旅行
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282
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3月号もくじ
座談会:オンライン修学旅行
企画・運営した高校生に聞く
座談会:オンライン修学旅行について
インタビュー・シリーズ:163
企画・運営した高校生に聞く
─簡単な自己紹介として、オンライン修学旅行 の中でどのような役割を担われたか、企画を立てたときの話などをお願いします。
反町梨里佳 (そりまちりりか、田園調布雙葉高校2年) 中学3年の時長崎に修学旅行に行く経験があって、被爆者に話をうかがい「伝えていってほしい」と聞いて、自分も何かアクションを起こしたいと思った時にこの活動を見つけて、署名活動に参加しました。
オンライン修学旅行では、主に広報を担当し、
ツイッター 、
インスタグラム などSNSで広報しています。
西山喬紘 (にしやまかたひろ、都立大江戸高校3年) この活動に加入したきっかけは、高校2年の広島修学旅行です。事前や当日の学習を通して、自分の無知さに気づいて、何か行動に移したいと考え、参加させていただきました。オンライン修学旅行では、他の方々の頑張りに助けられてばかりで、議事録をとったりだとか、裏方の仕事を主にしてきました。
滝沢佳奈 (たきざわかな、東京学芸大学付属高校2年) 中学の頃から原爆などに興味があって、広島や長崎に行って自由研究でいろいろ調べている中で、自分からなにか行動したいと思って核廃絶に向けたこの活動に参加することを決めました。オンライン修学旅行では、主に3日目の長崎大学の教授の方に話をしていただくことの調整などをしました。
小泉花音 (こいずみかのん、桜蔭高等学校2年) 私がこの活動に関わり始めたきっかけは、中学2年生の国語の授業で読んだ、黒い雨という井伏鱒二さんの小説です。広島で原爆が落とされたときのことを日記調で語っているのですが、読んだときに本当にショックを受け、自分の無知さに気づかされました。高校1年からこの活動に参加しています。オンライン修学旅行では、反町さんと同じで、広報を担当することが多くて、ポスターをデザインする作業や
サイト を開設する作業を担当しました。
─オンライン修学旅行は反町さんの発案だったと聞いていますが、どういう発案で、まわりの受け止めはどうだったのでしょうか
反町 去年の7月に高校生平和大使の選考会があり、その際に集まった四人とその高校生平和大使に選ばれなかった人たちも一緒に活動していきましょうという形になって、新しく何か企画を立ち上げようとなったんです。いつも行っていた街頭での署名活動がコロナウイルスの影響でなくなってしまっていて、街頭署名はまず出来ない、外での活動ができないのでオンラインを使って何か活動したいというのがまずありました。私たち四人とか他の子の活動のきっかけを聞いていても、修学旅行がきっかけだという子が結構周りにも多くて、修学旅行で長崎とか広島を訪れて、そこで平和への意識をもつという人が私たち以外にも結構多いと思うんです。去年はコロナウイルスの影響で修学旅行が中止になってしまう学校がとても多くて、そういう平和について知ることができる機会をコロナウイルスによって奪われてしまうというのが、すごいもったいないことだなと思ったので、オンラインを使って皆にその学習の機会を提供したい、私達みたいにアクションを起こすきっかけにしてほしい、ということでオンライン修学旅行を提案しました。その時、西山くんとあと一人、高松さんという子がいたんです。結構他の団体とかもオンラインでイベントとかを開催していて、その中でできれば私たちにしかできないこと、オンライン修学旅行を高校生が開催することに意義があるんじゃないかっていうことで決定しました。
西山 すごい壮大で、できるのか?と最初思ったのがありました。実際にはその骨組みが決まってから進行が早く進んで、大変有意義で楽しいイベントを企画できました。
小泉 後からこの企画をやることになったよっていう風に伝えられた側だったんです。前代未聞の企画だなっていう風に感じました。でも、アイデアを膨らませていくにつれて可能性もたくさん見えてきて、こういうこともできそうだなっていう風に、だんだん現実味も増してきて、そこから皆で協力し合ってイベント開催までたどり着けたという感じです。
滝沢 私もいつもこの署名活動でオンライン修学旅行っていうのをしたことがなかったので、うまくいくかなっていうのがまず最初にあったんですけど、だんだんみんなで進めていくうちに、なんかいい感じに。
─そういう苦労ばなし的なことをそれぞれお願いします。
反町 私たちが対面で集まれないというのが障害になっていて、顔を合わせて会ったことがない子達もいる中で、まず仲良くならないと話が進まない。夏休みから始めたので休み中はみんな時間があってかなりズームでも集まれて、企画をした後に話していく中で仲良くなって話し合いもポンポン進んでいったかなっていう感じです。
─ポスターもどういう感じで作ったのか話もしてもらえますか
小泉 ポスターのデザインは反町さんと一緒に行ないました。この可愛い素敵な絵は反町さんが書いてくれたものです。私はその下の部分の編集をしました。以前からポスターやビラづくりを担当することが多かったんですが、毎回試行錯誤という感じでした。コロナで時間が増えたことをきっかけに本格的にデザインについて勉強してみるような時間ができて、今回は最終的にキャンバと言うアプリケーションを使ってデザインしたんです。作業を進めていく途中で色々な発見もあったりして、自分自身にとっても大きな学びになったかなと感じています。
─苦労ばなし的なことがあれば聞かせてもらえますか
西山 僕はみんなより一個年上の高校三年生だったので夏休み忙しいところもありました。その分、みんなすごい優秀な方々なんで、全然カバーしてくれて本当に成功することができたので僕はもうみんなに感謝しかないです。
滝沢 広瀬先生との連絡はその中学校の頃の研究で1回お話を聞いたことがあったので、スムーズに行けたんですが、他のコンテンツを企画する時に、みんなの定期考査とか部活とかが重なってしまって忙しくて、夏休みぐらいから始めたんですがどんどんスケジュールがあの遅れて最後ぎりぎりになってしまったっていうのが一番大変だったかと、でも仕事空いてる人で分けたりしてカバーできたと思っています。
VIDEO
─色んな感想や振り返りとして、まず事前学習のビブリオバトルについて
西山 自分が提案させて頂いたものですが形になるか不安だったんですけが結構好評をいただいて、動画を使って本を紹介するのが面白い発想だったのではないかと思っています。
─山川さんの被爆体験の話はどう決まっていきましたか
反町 被爆者講話は、まず木村さんという女性の方にお話を8月ぐらいに伺っていて、それをコンテンツとして流すか、改めて被爆者の方にお話を聞くかと話し合い、ズームではありますが直接お話を聞いて、質疑応答ができるのが一番良い形だと思いました。山川さんにお話を伺って質疑応答も高校生に参加してもらえるようになりました。
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滝沢 広瀬さんと事前に打ち合わせて話していただきたいのは、若い人へのメッセージ特にオンライン修学旅行は高校生に向けたものなので、高校生が一歩を踏み出すような言葉をいただけたらと思い、お願いました。
─企画の中で何が一番心に残りましたか
小泉 長崎バーチャルツアーかな、動画編集を私たち全員が分担して高校生一人一人が少しずつ分担して行ないましたが、最終的に動画が一堂に会し、繋げたときに本当に長崎を旅行しているかのような感じの動画に完成させることができて、たくさんの方のご協力があってこそ完成したものですし、学びのコンテンツとしても、ためになるようなものが作れたかなと思って、それを実際動画という形に残すことで一回限りのものでなく今後 YouTube で誰にでも見ていただけるような形に出来たという意味でも、バーチャルツアーは印象深いと感じています。もう一つ夜に消灯前自由時間という時間を設けていてズームでみんなでUNOをしたり、人狼ゲームを行ったりしたんですけれどそれがすごく楽しくて本当に修学旅行の夜みたいな和気あいあいという修学旅行みたいな感じになったので印象に残っています
VIDEO
反町 小泉さんとちょっと被ってしまうんですけれど、長崎のバーチャルツアーで、私もその動画を作って全体繋げて流れているのを見た時に、本当に長崎に修学旅行に来た感じがして、動画だし実際に行ってるわけじゃないから、長崎感を感じられることはないだろうと思ってたんですけど、動画を流しながらチャット機能を使って他の高校生とかと感想を話しながらも進めていって、私たち東京の子達が驚きの言葉をチャットに打つと、長崎の高校生の子がこれはこうなんだよって教えてくれたり、チャットで会話してるのとか、オンライン修学旅行ならではだと感じることができました。
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滝沢 バーチャルツアーが印象に残っている理由は、準備が大変だったのは、編集が大変で、それがなんとか繋がって流せたことの達成感、その時のチャットでみんなであのま交流している感じがすごい印象に残りました。あと三日目の講義の時も高校生にむけた修学旅行なので、被爆者講話とプラスしてもうちょっと知識的な側面も多分新しく知った高校生が多いと思うので、コンテンツとして含められて良かったなと感じました。
西山 オンライン修学旅行に自ら参加してくれた子が、この活動に興味を持って最終的に東京の署名活動に入ってくることが、誰かを巻き込んだという点で最も印象に残っています。まだちょっと皆と結構距離あるなって感じてたんですけど、オンライン修学旅行の後に打ち上げとかして色々話すことを通してだいぶみんなの距離が少し縮まってきたと思うような、意外な側面とかを見れたりして良い経験でした。
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─事後ディスカッションSESSION 一週間後にやりました。ここで平和、学校での平和教育の在り方、核兵器禁止条約の話とかをそれぞれ話をしてもらいたいと思います
反町 ディスカッションの時に、一つのチームに入ら入らないで色々なところを回ってたんですが、話し合いの様子を見ていて、主に参加してくれていたのが、長崎の高校生、長崎支部の子達が参加してくれていて、それに加えて私たち東京支部の子っていう感じだったんです。私の学校でこういう話をする機会があんまりなくて、こういう機会を作ることで、聞いてる私でも考える、高校生がそういう話し合いをしてる事に何か可能性を感じました。
西山 学校でそういう話をしたかったんですけど、なかなかみんなあんまりそっちに興味を抱いてくれなくて。オンラインを通して、いろんな地域の高校生同士が話をしてるって本当に素晴らしいことになったと感じたし僕自身もちょっと参加したかったなという感じです。
滝沢 グループディスカッションに参加してみて、自分のグループは東京と長崎の違いみたいなのが結構浮き彫りになって、例えば平和教育でも長崎はちゃんと小学校から8月にそういう学習の機会があるとか、核兵器禁止条約でも支持する立場が違ったり、そういうのが分かって、小さい頃からどういう環境を作るかで、持つ意見が変わるのかなと感じました。
小泉 これまでのバックグラウンドや受けてきた教育に影響されて、抱いてる思想や考えに違いがあるのは、ディスカッションを通して一人一人の考え方の違いが浮き彫りになったことで改めて実感しました。同時にオンラインだからこそこんなに遠く離れた場所にこんなに違った人々が簡単に集えて、話し合ってお互いの意見を比べられること自体がすごく有意義なものだと感じます。参加していて本当に楽しかったし、決して意見が違うから敵対するみたいなことはなく、皆、そういう考え方もあるんだ、みたいなスタンスで、すごく勉強になったと思っています。
運営側の反省点のひとつですが、ディスカッションを運営する経験が初めてだったこともあって、今思えば時間管理のやり方などあまりうまく行かなかったところもあり、今後もっと改善していけたらと思っています。
─意外だったこととか改善点、それぞれ話をしてください
反町 これまでオンライン修学旅行に限らず東京支部でワークショップなどを行ってきたんですが、そこでも出た反省点で同じような感じなんですけが、広報を担当している立場として修学旅行を企画した意図にもあるんですが、平和とか戦争について考えたことがない人に参加して欲しい。新しい人たちに参加して欲しいというのが一番あって、広報を通してできればもっとたくさんの人を集めたかったなと思っています。
ディスカッションの時も結構長崎の支部の子が参加してくれていて、他は私たちの誘った友達が結構多くて、SNSを通じてもっと世界中に発信できたはずで、やり方を変えれば多くの人に広まったはずなのに、そこが狭かったなと思っていて広報の仕方を勉強して変えていく必要があると思っています。
西山 まず宣伝という部分で本当にそこは痛感した部分で、自分たちで良いものを作れたと自負しているのですが、それに比べたら参加人数が少々寂しい感じでした。それと僕も含めてちょっと、締め切りだとかが結構僕ら高校生もなかなか忙しいこともあって期限を守れないとうまくいかないのでそこをもう少し自分の中でも徹底して行きたいと思います。
滝沢 経験として今回気づいた事ではまず、オンライン修学旅行で司会をした経験がみんななくて、1日目の時にあまり詰めて準備をしなかった、その時は想定して準備を前にやらなかったので、途中にトラブルが起きたりとかして、ちゃんと注意を払わないといけないというのが学びでした。
小泉 広報の点での反省点も感じていますが、加えてもっと参加者の皆さんに、より参加型の企画にできたら、有意義な体験を提供できたのではないかと感じています。私たち自身もその点は意識して工夫し、バーチャルツアーの時にコメント欄を活用して感想をつぶやきあえるようにしたりはしたんですけれど、参加してくれる方もいる一方で、ちょっと引け目を感じちゃうのか、参加しづらい方もいるのかなとも感じました。参加しやすい空気づくり、コミュニケーション力?場を、雰囲気を作り上げるような能力も高めていかなければいけないと感じました。すごく難しいことだと思うんですけれど、経験がものを言って、場数を重ねるにつけて、学んでいける所かとは思うので、今後また更にイベントを企画したりする際に、これまでの反省点を漏らすことなく生かして毎回より良いイベントを参加者の皆さんに提供できるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
─大学進学とか受験生になったりとか、今後署名活動にどう関わっていくか、後輩にどう繋げていくかという観点で一言お願いします
反町 今年高校3年生になるんですけれど、去年修学旅行を企画している時も学業と一緒に進めていくのが結構大変だなと思っていて、今年さらに忙しくはなると思うんですが、その中でもこれから静岡との企画もありますし、他にもやりたい企画が自分の中では結構あるので、それを後輩につなげていけるように、引き継げる後輩を集めるところから始めるんですが、引き継ぎを一番のこれからの仕事にしたいなと思っています。
西山 僕が進学する大学は平和学を履修できるので、この活動を通して改めて社会問題に対して、自分の生きてきた人生から何かアプローチをかけたいなと考えているのでそういった基板を学習して将来的にも当然この活動は、卒業してもOBとしてしっかり携わっていけたらと考えております。
滝沢 オンライン修学旅行を通して、コロナが終わった後でもこういう企画は、新しい人とか、全国的に広げるのに有効だなと思ったので、後輩にオンライン修学旅行の反省点も含め伝えていきたいと思っています。来年はまだ高校3年生なのでサポートできる部分はサポートしていきたいと思っています。
小泉 私も引き継ぎは急務だなと感じています。これまでの引き継ぎは口頭で伝えてきたりしてきた部分が多かったのですが、今年度はGoogleドライブなどのオンラインツールを皆が使うようになってきたので、それも活かしつつ、自分たちがやったことをきちんと引き継ぎ資料とそして記録化して後輩に引き継いでいけたらなと思います。私自身も来年は高校3年生になるので本腰を入れて活動することはできなくなるかもしれませんが、少なかれ顔は出していきたいです。同時に、自分自身で本を読んだり講演会に参加したりして、核や平和について学びを深めていけたらなと思っています。
─ありがとうございました。これからも続けて活動してください。(司会:竹内広人)
(
オンライン長崎修学旅行 アーカイブ映像公開中 )
2021高校生1万人署名活動チラシ(pdf, 14.4MB)
第2弾!オンライン静岡修学旅行
原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう
原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう
原子力資料情報室 共同代表 西尾 獏
原発は、核技術がはらむ秘密主義とそれに伴う人権抑圧が常に根底に存在するものでした。日本でも原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力ずくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動への露骨な嫌がらせなどが行われてきました。原水禁の副議長で原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんから原発と人権に関して書いていただきました。なお、文章の全文は原水禁ホームページに掲載 していますので、そちらの特別寄稿「環境と人権」 をご覧ください。
原発を巡る問題と人権
原発を巡る問題としては、核燃料サイクルと呼ばれる関連施設も含めて、事故の危険性、労働者や周辺住民の被曝、放射性廃棄物という負の遺産、核拡散、コスト負担など、あるいは原発があることで、再生可能エネルギーの利用にブレーキをかけたり、省エネルギーに逆行して気候危機の対応を誤らせたりといったことが挙げられます。
事故が起これば、身体の安全、健康、好ましい環境を享受する権利、居住、移転、職業選択の権利、財産権、あるいは思想及び良心の自由等の人権が侵害されます。いわゆる「風評被害」という形をとって現われることもあります。具体的には、次節に詳しく述べていますが、それらは大きな事故がなくても、事故を心配することによっても起こりうることです。
核燃料サイクル政策の破綻により蓄積される使用済み核燃料や放射性廃棄物は、事故への恐怖、廃炉になってもまだ廃棄物が残りつづけることによる閉塞感、ふるさとを汚されることへの忌避感、後世代に負担を残している罪悪感などで住民を苦しめます。平穏な生活という基本的人権の損害であることは明らかです。
核拡散の防止や核セキュリティは、人権を守ることと真っ向から矛盾します。核兵器やダーティ・ボム(放射性物質散布装置)につながる放射性物質や技術についての情報は、安全を脅かすものとして秘匿されます(現実には、公開拒否の言い訳に使われることの方が多いのですが)。その情報が施設の安全性=危険性とも密接に関わるものであっても、公開されることはなく、情報を受け取る権利・情報を求める権利は、当然のように無視されます。
さらに、特定の原子力施設に立ち入る者については下請け労働者も含め、2016年9月21日に原子力規制委員会が定めた「原子力施設における個人の信頼性確認の実施に係る運用ガイド」の対象者とされ、「対象者の履歴、外国との関係及びテロリズムその他の犯罪行為を行うおそれがある団体(暴力団を含む)との関係、事理を弁識する能力並びに特定核燃料物質の防護に関連する犯罪及び懲戒の経歴を調査し、確認」されることになります。それ以上の調査・確認が行われていることは想像に難くなく、思想及び良心の自由が侵されることもあるでしょう。
その点では、もちろん、原子力に批判的な表現者、反原発・脱原発の運動の参加者に対してより顕著です。発言や行動を監視し、身辺を調査し、圧力をかけます。一例を、斉間満著『原発の来た町』から、愛媛県伊方町の町見漁協の組合員を調査した四国電力のマル秘文書についての記述を引用します。「漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意思はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、プライバシーを細部にわたって調べ上げ、そして『どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得出来るか』まで結論付ける激しいものであった。この中に、10月の臨時総会で反対派の中心的な活躍を見せた、Bさんに関する記述を見つけた。『▽△の弟、□◎といとこ、反対共闘委との結び付きが強く最後まで反対すると思われる。自分の存在を認めてもらいたい性格で、簡単には後には引かない。最終的には金と考えられる』。摘要欄の小さなエンピツ文字は、そう書かれていた。」
圧力は、本人にではなく姻戚関係、影響力のある知人や友人に、表現者なら意見を発表したメディアに、あるいは所属する大学や会社などにかけられます。その方が効果的だからです。
事故は地域社会を破壊し、被害者を分断したりしますが、そうした人権侵害は、原発立地の話が持ち上がったときから起こっています。「普通、人を見る時は男だとか女だとか、子どもだとか年配の人というように見るのが一般的だが、上関では原発に反対か推進かという区分けしかできなくなった。これまで、豊かな自然の中で、助け合い支え合うという友好的な人間関係が、原発問題で一変した」と、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治は、山口県上関町の状況について『原発スキャンダル』(七つ森書館、2010年)で書いています。事情はどこでも変わりません。
札束に蹂躙された歴史が、その一面を露わにしています。土地を電力会社に騙し取られ、あるいは土地を売ったことで自責の念に駆られ、自死した人も一人ではないのです。
さらに、そうした分断を進めるためにさまざまな嫌がらせが行われてきました。注文をしてもいないベッドや金塊を代金引き換えで送りつけたり、誹謗中傷の文書を実在の人の名前を騙って郵送したり。近年では、SNSを使った人格攻撃なども起きています。海外ではカレン・シルクウッドの怪死のような事件もあり、日本でも、著名な脱原発論者が、生命の危険を感じたことがあると語っていました。
原発立地に見る地域差別、何層にもなる下請け構造、ウラン採掘を始めとする海外への犠牲の押しつけにも、人権にかかわる問題が顔をのぞかせています。
脱原発社会へ向けて
脱原発とは、その名の通り原発のある社会から脱け出すことです。原発が抱えるさまざまな問題に向き合って、人の権利が生かされる社会を築きあげようというのが脱原発です。『はんげんぱつ新聞』1990年11月号で、原子力発電に反対する福井県民会議の故・小木曽美和子事務局長(当時)は「脱原発とは、核のゴミを生み出す私たちの生き方を問い直すこと」と言っています。同じ1990年に刊行された『原発をとめる女たち』に収められた、「九電消費者株主の会」代表などで活躍する木村京子さんの一文は、端的に「脱原発とは人権と自由の総和」と題されていました。「『原発』こそは私たちの『生き方』が映し出される鏡のようなものであり、『脱原発』とは、一人ひとりのかけがえのない命と人権と自由について、ラディカルに行動していくことの総和である」と。
さらに1年前の1989年に刊行された『わいわいがやがや女たちの反原発』(三輪妙子編著、労働教育センター)で、町田ヒューマンネットワーク理事長の堤愛子さんが書いている「『ありのままの生命』を否定する原発に反対」の結びの言葉は、原発を止めるだけが脱原発ではないことを明確に示していました。「『放射能の影響で障害児が生まれる』という不安」の声から考察を進めた堤さんは言います。「『ありのままの生命を認め合い、多様な人々が共に生き合える社会を』という、私たち多くの障害者の願いと、『生命がだいじ』という反原発運動の思いとは、ほんらい根は同じであり、矛盾するはずがないと信じている。」
いま改めて脱原発社会の姿を多様な人々と共に考え、実現に向けて歩を進めていきたいと思います。
エネルギーの本当の意味での安定供給、気候危機の回避のために、エネルギー産業にとっても利益のあるエネルギー消費の縮減、再生可能エネルギーへの転換が求められていますが、再生可能エネルギーにしても、もちろん自然破壊があり、地域破壊がありえます。健康被害や倒壊などの事故、景観や農漁業への悪影響をもたらす可能性がありえます。
『はんげんぱつ新聞』2008年10月号で「原発を拒否した町 和歌山県日高町はいま」と題して、一松輝夫さん(日高町議会議長)と浜一巳さん(比井崎漁協理事)にお話を伺った時、一松さんが言われました。「いま問題になっているのは風力発電所です。20基くらいの計画があって、2、3日前にも愛媛の伊方町へ行って健康被害の状況を聞いてきたんですよ。伊方町では人が住んでいるすぐ近くに建っていて、こんなことがよく許可されたと不思議な気がしましたね。うちの場合はだいぶ離れているからだいじょうぶとは思うけれど、原発を拒否した町だからこそ、十分に検討をして間違いのないようにしたい」。
そうした考えこそが、原発を止めることにとどまらない脱原発の意味だと言えるでしょう。(にしお ばく)
「原発のない福島」を求めて~10年間の運動
「原発のない福島」を求めて~10年間の大衆運動の歩み
「10年目の福島で、いま」第3回
福島県平和フォーラム共同代表 角田 政志
2011年3月11日、大地震と大津波で多くの人々が命と財産を失った。さらに「安全」と言われてきた原子力発電所が大事故を起こし、その結果拡散した放射性物質により、私たちは不安と苦しみの中での生活が始まった。
原発の過酷事故によって犠牲となり、苦しい状況の中で暮らしている福島県の人々の思いと、その現状を多くの人と共有し、原発のない社会をめざす決意を新たにするために、福島県平和フォーラムなどが中心となり、「福島県民大集会実行委員会」が結成された。そして、多くの市民団体や生産者団体にも参加を呼びかけ、2012年3月11日に「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開催された。集会には、県内外から1万6千人が集まり、「福島の犠牲を無駄にしないために、ともに『原発はいらない!』の声を大きく上げましょう。」と全国に呼びかけた。
この運動は、「福島県内のすべての原発の廃炉を求める」ことを最大の目的とし、思想信条・政党政派・宗教の相違にこだわることなく、県内原発の廃炉で一致できる幅広い団結を目指し、継続した大衆運動としてこの10年間行ってきた。
地道な県民運動で福島のすべての原発を廃炉に 当時の福島県の原発の状況は、2012年4月に、事故を起こした第一原発1~4号機が廃炉となったものの、5、6号機と第二原発の4基について国及び東電は、廃炉を明言せず、再稼働の可能性も否定していなかった。2011年夏に福島県では、「原発に依存しない福島を」という県のビジョンが策定され、原発のない福島を求める方向で一つになっていた。こういった大衆運動と自治体の動きによって、東電が新設計画を進めていた「浪江・小高原発」については、2013年3月にやっと断念し、第一原発5、6号機は2014年1月にやっと廃炉となった。
残された第二原発について、東電は「国の方針による」といい、国は「事業者が決めること」といい、どちらも態度をあいまいにしていた。
実行委員会は、2016年から、県民の総意として「東電福島第二原発の即時廃炉を求める署名」にとりくんだ。署名運動を行ったことは、大衆運動を大きく発展させた。避難生活を強いられている被災者や生産者団体とも交流を進め、生活再建の問題、風評被害と闘いながら放射性物質の軽減対策に努力している生産者から、福島の農水産物の安全・安心、失われた信頼の回復に向けた取り組みを聞き取り、この運動を通して発信してきた。
集まった署名452,310筆は、3年間にわたり国と東京電力に提出し、即時廃炉を幾度も強く求めてきた。こうした取り組みによって、東電は、2019年7月にやっと第二原発全基廃炉を表明した。これによって、福島県の原発はすべて廃炉が決まった。
これは、私たちの継続した県民運動の大きな成果と言える。
県民の生活を大切にすることを優先として運動の継承を
しかし、すべての原発の廃炉が決まっても、原発事故前の生活を取り戻すことはできない。逆に、困難な課題が残され、様々な選択が迫られることで県民の分断が起こっていた。私たちの大衆運動も、意見が対立する場面も増えてきた。しかし、廃炉完了までには、まだまだ長い年月を要し、幾多の困難も想定される。廃炉作業と向き合い、常にリスクを負った生活が続くことを忘れてはならない。引き続き、安全かつ着実な廃炉を求め、放射能によって奪われた安全と安心の回復、県民の健康の補償、被災者の生活再建を求めていくことを確認し、大衆運動を進めている。
「2020原発のない福島を!県民大集会」は、コロナウイルス感染拡大によって中止せざるを得なくなった。しかし、国は、第一原発にたまり続けるトリチウム汚染水の海洋放出をしようと動き出した。
この問題も、海洋放出は許さないという意見と、処分しなければならない状況なので海洋放出は選択肢の一つだという意見が出ていた。県知事も明確な判断をしない。私たちは、県漁連をはじめ漁業関係者、JA福島をはじめ農業関係者、林業関係者、旅館ホテルなど観光業関係者と何度も意見交換をし、生産者の思いを受け止めて「トリチウム汚染水の海洋放出に反対する署名」に取り組んだ。署名は、現在約45万筆に上っている。これまでに2回、42万筆余の署名を経産省に提出し、海洋放出を行わないよう求めてきたが、国は、私たちの要請には答えていない。国や企業の都合ではなく、ここに暮らす人々の生活を何より優先した対応を求める運動を今後も続けていく。
「2021原発のない福島を!県民大集会」は、今回もコロナ禍で規模を縮小せざるを得ない。しかし、私たちは運動を止めず、オンラインで全国に発信していく。10年間の運動の継続は、簡単なものではなかった。この10年の運動が果たしてきた役割を土台として、さらなる運動の継承を図っていきたい。(つのだ まさし)
大阪地裁の大飯原発設置許可取り消しから考える
大阪地裁の大飯原発設置許可取り消しから考える
原発に「安全」という言葉は存在しない
フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本泰成
安全審査には看過しがたい欠落がある
大阪地方裁判所(森健一裁判長)は、2020年12月、関西電力大飯原子力発電所3・4号機が、2012年6月に福島第一原発事故の教訓を踏まえ改正された「実用発電用原子炉に係る新規制基準」に適合するとした原子力規制委員会(以下規制委員会)の判断を誤りであるとし、設置許可を取り消す判決を下しました。判決は、原告の「基準値振動(耐震設計の目安となる揺れ)の算出において、平均値を外れた数値を考慮せず、地震の規模や基準値振動が過小評価されている」とする判断を受け入れ、国の「数値のばらつきを考慮する必要はない」とする主張を退け、規制委員会の審査に「看過しがたい欠落がある」とし「審査すべき点を審査していないので違法」と断言しています。この判決に従い、より安全な算出方法をとるならば、日本に設置されている全ての原発の「基準値振動」は見直さざるを得ません。判決は、世界で一番きびしいと政府が主張する審査基準を否定するもので、規制委員会の安全審査の根本に関わり、きわめて重要な判決と言わざるを得ません。
基準値振動見直しを提言する島崎元規制委員会委員長代理
2016年4月の熊本地震の後、原子力規制委員会の元委員長代理の島崎邦彦(東京大学名誉教授[地震学])が、熊本地震の知見から「大地震の実際の揺れは、現在の基準値振動(原発の重要な施設[原子炉など]に大きな影響を与える恐れのある地震による加速度)を上回る可能性が高い」との見解を発表しました。現在の活断層の長さなどから地震の規模の平均値をとる計算では、震動の「ばらつき」が考慮されず基準値振動の過小評価につながるとし、「あくまでも私の試算」としながら、「ばらつき」を考慮するなら大飯原発では最大加速度が1550ガルになるとしました。現在の大飯原発の基準値振動は856ガル、関電が2011年に示したストレステスト(耐震余裕度テスト)での「クリフエッジ」(安全の限界)でも1260ガルとされていて、島崎さんの試算は、そのどちらも大きく超えるものでした。
熊本地震を詳細に調査した纐纈一起東大地震研究所教授も、「規制委員会の審査方法を熊本地震に適用すると、地震動は過小評価になる」と述べています。島崎さんは、そのような現実を踏まえ、政府・地震調査研究推進本部の「地震調査委員会」が示している計算式の使用を提言していました。
規制委員会、島崎提言を否定
しかし、規制委員会は、「一部の都合のいいデータだけを持ち出した指摘は、素直に受け入れられない」「島崎先生の主張は根拠がない」として、基準値振動の算定の見直しを求める島崎さんの要望を否定しました。脱原発市民グループ「若狭ネット」の長澤啓行大阪府立大学名誉教授は、「島崎提言を認めることが大飯原発の再稼働を困難にし、ひいては全国の原発の再稼働が困難になる可能性が高い。そのことが提言を拒んだ理由ではないか」と指摘しています。
政府・東電は、東日本大震災によって福島第一原発を襲った津波の規模を「想定外」としましたが、産業技術総合研究所や東北大学などの貞観地震(869年)の調査などから、大規模津波の襲来を予想していましたし、東電自身も2008年当時には津波規模の最大予測を15.7mとする独自調査を行っていました。しかし、十分な対策費は行われず福島原発事故を回避することはできませんでした。「基準値振動」への島崎提言の否定は、次の「想定外」を生むことにつながります。
推定できない最大加速度
2016年4月に起きた熊本地震は、マグニチュード(M)7.3(東日本大震災・東北地方太平洋沖地はM9.0)でしたが、深さ12kmという比較的浅い内陸部の活断層が動いたため大きな被害を受けました。この時、震源から7.5kmの熊本市西区春日での地震加速度(地震の揺れの速度が瞬間にどれだけ加速したかという数値)は855ガルでしたが、震源から90.1kmも離れた別府市鶴見では1155ガルを記録しました。地震のエネルギーがどのように伝わるかは、このようにまったく予想できません。地震学は「観察できない」「実験できない」「資料がない」の三重苦と言われます。活断層やプレート境界上で起きるであろう地震の規模を確定するのは、極めて困難なのです。
見直すべき、原発の基準値振動
原発の耐震設計上「どれだけの地震に耐えられ得るか」を表すのが「基準値震動」という数値です。
世界一きびしいとされる新規制基準の下で、それぞれの原発が再稼働を目途に決定している基準値振動は、浜岡原発3号機の2000ガル、柏崎刈羽原発の1209ガルを除くと、すべてが1000ガル以下で、福島原発事故以降いち早く再稼働した九州電力の玄海原発や川内原発は620ガルにとどまっています。
日本でこれまで記録した最大地震加速度(東日本大震災2765ガル、中越沖地震990.8ガル、宮城県沖地震1442ガル、阪神淡路大震災784.8ガルなど、最大は岩手・宮城内陸地震の4022ガル)を考えると、素人目にも620ガルは低すぎると映ります。岩手・宮城内陸地震は、それまで地表に現れていない未知の活断層が動いたもので、そのような活断層が動くことは全国どこでも、原発直下でも可能性のあることなのです。
揺れる判決、しかし事故リスクは否定できない
原発の運転差し止めを求める訴訟では、福島事故以前の勝訴判決は2件しかありませんでしたが、しかし、福島原発事故以降は6件を数えています。原告勝訴の判決は、巨大地震と津波、火山の巨大噴火などの可能性を考慮し、よりきびしい安全対策を求めるものです。一方、敗訴の判決は、原発事故のリスクは多少あるが、そのリスクは社会通念上容認できる範囲にあるというものです。判決は、事故のリスクへの評価の違いであって、そのリスクを否定するものではありません。今回の大阪地裁の勝訴判決は、予想しがたい地震の規模に関しては、想定しうる最大値を以て「安全の基準」とすべきとするもので、島崎提言を受け入れるものとなっています。
それでは原発は動かせない
大阪地裁判決は、島崎提言に従ってよりきびしい基準での審査を、規制委員会に求めました。この考え方は、大飯原発のみならず全国すべての原発に適用されなくてはなりません。結果として、安全対策へのさらなる出費を求め、原発の発電コストを大きくするもので、電力自由化の流れの中では市場での存在意義を失うものです。つまり、安全対策の実効性を高めるほど、原発の存在そのものを否定することにつながります。大阪地裁判決は、そのような意味で原発存在そのものを問うものだと考えます。
(ふじもと やすなり)
五輪憲章を理解しないIOC
ニュースペーパー News Paper 2021.3
3月号もくじ
新型コロナウイルス感染症のため、旅行にはいけない、街頭での活動もできない中、高校生が独自の発想で作り上げたオンライン修学旅行。長崎バーチャルツアーなど、東京や全国各地と長崎を結んでリアルタイムで遠くからも参加できるユニークな体験になりました。今月のインタビューは、企画・運営をした高校生に話を聞きました。(画像は、ポスターから。アーカイブ映像公開中 )
新型コロナウイルス感染症のため、旅行にはいけない、街頭での活動もできない中、高校生が独自の発想で作り上げたオンライン修学旅行。長崎バーチャルツアーなど、東京や全国各地と長崎を結んでリアルタイムで遠くからも参加できるユニークな体験になりました。今月のインタビューは、企画・運営をした高校生に話を聞きました。(画像は、ポスターから。アーカイブ映像公開中 )