10年目の福島

2021年04月01日

復興・創成期10年で終わらせるわけにはいかない!原発の過酷事故

「10年目の福島で、いま」第4回

福島県平和フォーラム共同代表 角田 政志

10年の節目に、原発事故の原点を見直す

原発事故で最も恐怖と不安を感じたのは、広範囲に及ぶ放射能汚染と放射能被ばくの問題であった。あの時から10年が経過した今、市民は放射能汚染と被ばくにどれほどの恐怖と不安を感じているだろうか。私たちの住む生活圏では除染が行われ、半減期が約2年のセシウム134も10年の間に低減化した。確かに、空間線量は下がり、現在はほとんどのところで0.23μSv/h(年間1mSv)を下回っている。しかし、事故前の環境には戻っておらず、森林除染はいまだに行われていない。林業従事者は、「山の生活、文化を守れない」と訴えている。その声は、どれほど伝わっているだろうか。 放射能汚染と被ばくの恐怖と不安は、時間の経過の中で薄らぎ口に出しにくくなっていることも現実である。一方で国は、一層の原発事故の意図的風化を進めようとしている。除染なしでの帰還困難区域の指定解除の方針を出し、除染で集められた汚染土を減容化し、低濃度の汚染土を公共事業に使う実証実験を進めている。わざわざ汚染土を使う必要などない。中間貯蔵施設は、除染廃棄物を30年間保管し県外での最終処分を行うとなっており、少なくして県外で受け入れしてもらおうとの意図があるのだ。さらに、「トリチウム汚染の海洋放出」についても「全国、全世界の原発からトリチウム水は放出されている。第一原発でも薄めて流せば大丈夫」というのが国と東電の主張である。すべて、国の理屈を優先させ、人々には、原発事故の犠牲の上にさらに事故処理上の犠牲を強いている。

原発事故直後から、「直ちに健康には影響がない」とか放射線被ばくの影響を小さく感じさせようとする動きはあったが、その動きは徐々に強くなっている。それが「リスクコミュニケーション戦略」の強化だ。廃炉作業を最新技術の導入で進めていることをアピールする施設や、復興と未来の展望をテーマとした展示施設などがオープンしている。そして、東京オリンピックの聖火リレーを被災地から始めるのもその戦略の一つだ。安倍前首相の東京オリンピック誘致演説での大嘘、「(福島原発事故の影響については)アンダーコントロール」を今、さまざまな戦略で本当にしようとしている。まさに、新たな「安全神話」が作られてきている。一方では、第一原発の廃炉作業は難題を抱えて進まず、工程表との乖離が鮮明となっている。2021年1月下旬には、2号機・3号機の建屋上部が高濃度に汚染されていることが分かり、今後の作業に大幅な遅れがでる可能性が高まった。常にリスクを負った生活が続くことを忘れてはならない。

2021原発のない福島を!県民大集会

原発事故をどう次世代に伝えていくのか

原発事故から10年が過ぎ、福島原発の過酷事故を直接知らない世代が成長している。原発事故によって故郷を奪われたこと、生業の維持継続になみなみならない努力があったこと。放射能汚染と被ばくの問題は今も続いていること。そういったことを伝えていかなければならない。

2018年にロシアとベラルーシのチェルノブイリ原発事故による汚染地域を訪問したとき、それぞれの町で取り組まれている放射線教育を見聞してきた。原発事故や放射能汚染を知らない子どもたちには、歴史的側面からの学びが、学年が進むにつれて主体的な活動として行われていた。学習資料も充実していた。子どもたちが学んだことを家庭で話し、家族みんなが被ばくを避けようと意識を持つことが大切だと教えられた。事故から30年たっても、放射線教育はしっかりと行われている。私たちは、他国の実践に学び、活かしていかなければならない。

日本では、「放射線の安全性」に力点が置かれた2018年改訂版文科省「放射線副読本」が子どもたちに配られている。原発事故を子どもたちに伝え、子どもたちが相互に学びあう放射線教育の資料としては適していない。福島県教職員組合では、副読本の批判検討を進めつつ「資料」としての扱い方を工夫し、教職員の自主編成による放射線教育の推進をめざしている。

私たちが次世代に繋げていかなければならないことはたくさんある。福島での原発事故による被ばくの事実は消せない。これから福島でも「健康手帳」の発行を求める運動を進めていかなければならないと考えている。広島では「黒い雨訴訟」を通して、被爆者手帳の対象範囲拡大を目指している。被爆2世の会は、いつ自分にも原爆症が現れるかわからないと、被爆者手帳の発行を求めて立ち上がっている。私たちも、そういった人たちと連帯し、福島の未来に繋げていきたい。(つのだ まさし)

2021年02月01日

「くびき」からの解放をもとめて

「10年目の福島で、いま」第2回

脱原発福島県民会議 佐藤龍彦

ロシアの歴史にタタール人(蒙古)に蹂躙された時代があり、凡そ250年の世紀を超えたタタール人の支配を「タタールのくびき」と言うそうです。東日本大震災・原発事故からまもなく10年の節目を迎えようとしていますが、いまだ世界的大惨事となった未曽有の被害は消えることはありません。被害の爪痕は世代を超えて幾世紀にも及ぶ「フクシマのくびき」として残るのでしょうか。

原発重大事故を起こした責任は東京電力と国にあります。被害のすべては、重大原発事故から放出された大量の放射能に起因する実害であり、失われた故郷の「うつくしまふくしま」を取り戻すために、被害者は、苦渋を秘めた憤怒を胸に理不尽かつ苦難の努力を続いています。とかく福島の復興アピールが特化されて報道され、あたかも復興が着実に前進しているかのような錯覚に陥りがちですが、以下、特筆するべき事例を紹介しますので、ありのままのフクシマと併せて想像を膨らましていただければ幸いです。

ふるさとを返せ!いまも全住民が避難

原発事故に伴い、国の不作為により高密度の放射能被ばくをモロに受けたあとで期間困難地域に指定された浪江町津島地区、事故当時、同地区には約400世帯、1,400人が暮らしていましたが、今も全住民が避難、一部を除き帰還の見通しさえありません。除染計画なしの通称、「白地(しらじ)地区」が大半です。住民は、汚したところをきれいにしろ、ふるさとを返せという当たり前のことを求めて係争中(ふるさとを返せ 津島原発訴訟)、現在は、やっと結審し判決を待つばかりです。

原告団のひとり武藤茂氏(71歳)は筆者の親類にあたります。事故当時は南津島地区にある自宅に、妻(68歳)、長女(40歳)、義理の母(84歳)の4人で暮らしていました。オス犬のペット、ミニチュアダックスフンド「メル」も家族の一員でした。―括弧内は、各々が歳現在の年齢です。― 茂氏は事故当時からを振り返ります。長女の被ばくに心を痛めていることから始まり、多くの避難者を家に受け入れたこと。事故の情報が全くなかったこと。家族総出で避難が始まったこと。避難先へ辿りつく過程、避難中の身内の葬儀のこと。借り上げ住宅から現住居(福島市)に至るまで。見知らぬ街での生活。生活苦と不安の自給自足の生活喪失。家族の健康悪化。長女の雇用喪失。理不尽な特定復興再生拠点区域事業等など。

納得できない・・帰りたいよな!

「茂氏は旧姓、清信(きよのぶ)家の4男として生まれ、結婚と同時に養子縁組をして武藤家に入っています。武藤家は妻の生家であり、南津島に江戸時代中期以前から代々伝わる旧家です。津島地区には武藤姓がたくさんあり佐藤畑と呼ばれる本家筋にあたり、茂氏は武藤家15代目の当主です。

佐藤畑と呼ばれる武藤家の敷地にはヒバの巨木があります。樹齢数百年とも言われており武藤家のシンボルです。ヒバの巨木の根本には三つの池があり水神様を祀っています。また敷地内には母屋の他に納屋や牛小屋、外付けの風呂場等が立ち並び、前庭からそびえ立つ山林は武藤家の所有です。武藤家は主に農業を営み、田畑の耕作の他にも畜産や林業、養蚕で生計を建ててきました。近隣にある長安寺にはひときわ大きな墓があります。彼岸には焼香を欠かしたことがありません。仕事は大工、震災前に新築し自前で所有の山から木を伐りだし家族総出で建てました。」

以上は、茂氏の「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の原告として陳述した内容を抜粋した一部ですが、綿々と綴られる文面には、つつましくもある家族の幸せや、隣近所との濃密な付き合い、昔から伝わる行事や風習、文化、地域とのコミュニケーションが記されています。茂氏は、遠く離れた避難地から手塩に掛けた自宅をたびたび訪れ妻と共に隅々まで一心に清掃し線量を計ると言う。帰りたい想いがつのるばかりと、「納得できない。帰りたいよな!」の言葉を妻と一緒に繰り返すと言う。

被災した自宅で

故郷を返せ・人間を返せ・人生を返せ!

ある日突然、すべてを破壊した東京電力と国の責任は償っても償いきれるものではありません。あの日から10年、なにひとつ解決されることはない。故郷を返せ、人間を返せ、人生を返せ!たとえ朽ち果てても忘れることができない苦渋を、『くびき』からの解放を求めて淡々と訴えつづけています。

茂氏の人生を一瞬にして奪った原発重大事故、事実に向き合うことをしない国と東京電力、寡黙な茂氏の炎に燃えた目の奥で、二度とフクシマの悲劇を繰り返さないと伝えています。(さとうたつひこ)

2021年01月01日

トリチウム汚染水で海を汚すな!国は加害を繰り返してはいけない

「10年目の福島で、いま」第1回
福島県平和フォーラム 共同代表 山内 覚

2019年7月、東電は福島第二原発の全基廃炉を正式決定しました。このことは私たちが継続してきた運動の成果であり、福島からの脱原発運動は、大きな一歩を踏み出すことができました。同時に、運動も新たな段階に入りました。第二原発廃炉の方針が出されても、被災県民の生活再建や被ばくした事実と健康への懸念を払しょくできるものではありません。過酷事故を起こした東電と国の責任が免除されたわけでもないし、罪が消えたわけでもありません。

そして今度は、「トリチウム汚染水」を海洋放出しようとしています。国も東電も、「福島の復興と廃炉の両立は大原則」と言っていますが、今やろうとしていることは「人々の犠牲の上に廃炉を進める」ということに他なりません。

排出基準値の2万倍も上回る汚染水

福島第一原発では、事故で壊れた原子炉建屋に流入した地下水が、高濃度の放射能汚染水となり、放射性物質の多くは、多核種除去設備(ALPS)で除去されタンクに保管されています。しかし、トリチウムは除去できません。現在約860兆ベクレルのトリチウムを含んだ汚染水が保管されています。しかも事故直後のALPSは性能も低く、大量の汚染水の処理を進めたことで、トリチウム以外にも除去しきれなかったストロンチウムなど62の放射性核種が大量に含まれており、現在タンクに貯められている水の約7割で排出基準を上回っており、最大で基準の2万倍となっています。

国は、新たにタンクを増設しても、2022年内にはタンクの容量も満杯になるとして処分を急いでいます。2019年11月に経産省は、トリチウム汚染水を、海洋放出または大気放出を行った場合の追加被ばく線量は、一般の人の年間被ばく線量よりも低く「影響は十分に小さい」とする見解を出し、2020年2月に小委員会は、「海洋や大気へ放出することが現実的であり、海洋放出の方が確実に実施できる」とする報告書をまとめました。まさに、処分方法は、海洋放出など環境放出ありきで、陸上保管の継続については否定しています。

脱原発福島県民会議は8月、原水爆禁止日本国民会議とともに、原水禁世界大会福島大会の一環として、「トリチウム汚染水の海洋放出学習会」を開催しました。漁師の生の訴えを聞き、海とともに生きてきた人たち、これから海とともに生きていく人たちの生業を切り捨てるものだということを改めて確認しました。また、長沢啓行大阪府立大学名誉教授の講演を受け、トリチウム汚染水の現状や様々な法令違反、国際条約違反の問題など、専門的な観点から「トリチウム汚染水海洋放出反対の根拠」について学びました。

県民の訴えに国は誠意のない説明

私たちは、福島としてのトリチウム汚染水の環境放出に反対する根拠を明確にしてきました。①事故を起こした国と東電が、自らの対応の不備から生じた「トリチウム汚染水」の蓄積に対し、自らの都合の解消のために、再び放射性物質を放出し汚染を拡大させることは、「故意による二次的加害行為」である。②海洋放出は、稼働中の原発でも行われていることから、「海洋放出は安全だ」と言っているが、健康への影響と自然体系への影響等についても、決して安全だとは言い切れない。私たちの求める「安全・安心」は、放射性物質は「外に出さない」ということ。③トリチウム汚染水の放出は生活再建、放射能の低減などによる信頼回復、風評被害の払しょく、故郷の復興など、これまで9年かけてとりくんできた、すべての被災者、農業、漁業、林業、観光業などの従事者、被災自治体などの努力を崩してしまう、実害をともなう大きな問題である。④国と東電は、漁業組合など関係者と「ALPS処理水は海に流さない」とした約束をしている。その約束を破り、国の施策と企業の生き残りを優先させようとしている。⑤国際条約、国内法等に違反する可能性が極めて高い。

「原発のない福島を!県民大集会」実行委員会で取り組んできた「トリチウム汚染水の海洋放出に反対する署名」には、福島県はもとより、全国、さらには海外からも多くの賛同を得て、実行委員会は、8月27日と10月2日に、合わせて42万8,000筆余の署名を経産省に提出し、トリチウム汚染水の環境放出しないよう強く求めてきました。その後届いた署名を合わせると11月末時点で約45万筆集約されています。

12月6日には、脱原発福島県民会議と原水爆禁止日本国民会議は、福島市で市民に対する政府説明会を開催しました。参加者からは、様々な問題の指摘や国のやり方に対する疑問、新たな提案などたくさん出されました。しかし政府の説明は、新たな判断は示さず、従来の説明に終始していました。

これからも、「トリチウム汚染水」を安易に環境放出せず、放射能の自然減衰を待つとともに分離技術の開発がされるまで、陸上保管を継続することを求めていきます。(やまうち さとる)

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