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施行64周年憲法記念日集会/平和フォーラムのとりくみについての藤本泰成事務局長提起

2011年5月 3日

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 3月11日、日本の観測史上最大、マグニチュード9.0の地震が、岩手県三陸沖で発生しました。
 未曾有の大地震は、東日本を震撼とさせるとともに、その振動は太平洋の底から、高いところでは30mを超える津波となって、青森県から茨城県までの海岸線を襲いました。

 海岸線に広がる町を、私たちの科学と英知をあざ笑うかのように、地震と津波は人間の生活のすべてを破壊し尽くしました。明治三陸地震、昭和三陸地震、その歴史からつくられた、世界に冠たる堤防も、人間を守るその役割を果たすことはできませんでした。
 自然の力を制するかのように、積み上げられてきた文明と科学の力が、しかし、自然の前にいかに無力かと言うことを思い知らされたと言っても過言ではないでしょう。

 私たちは、この未曾有の災害の中で、文明とは何か、科学とは何か、ということを問わずには居られないと思います。人間の存在の基本が「命」にあるとして、そのことを省みない文明・科学であってはなりません。
 私たちが置かれた状況の本質的問題、私たちといいますか、私たちの歴史が、これまで何を求めてきたか、しかし何をなすことができないで来たのか。震災という極限の状況が、私たちに語りかけているものは大きいと思います。

 日本国憲法25条は、国民の「生存する権利」を規定しています。生きていくこと、つまり「命」が保障されていくことは、人間存在の基本であり、そのことが人間として、「人間らしく」、「人間らしく」とは単に生きて行くだけではないと言っているわけですが、そういう風に権利として確立されることを日本国憲法は規定しているわけです。

 今日の憲法集会のテーマは、3月11日の震災を経て、急遽「安全の権利」というシンポジウムを含めてコンセプトに変更を加えさせていただきました。それは、この震災によって、私たちが「安全に生きる」と言うことの、「人間らしい生存」ということの意味が大きく問われているからです。

 平和フォーラムは、「人間の安全保障」を、平和・人権・環境をテーマにした運動の根本に据えてきました。「人間らしい生存」を保障していくことのために、私たちは多くの分野でとりくみをすすめてきました。

 私たちが全力をあげて取り組んできた、日米安全保障条約と米軍基地問題、特にその7割が集中する沖縄の問題は、軍事的安全保障と日常の沖縄県民の安全がぶつかる問題として、重要な意味があります。

 私たちは、全体の議論の中で「個」を犠牲にすることに与しません。憲法が規定するのは、漠然とした国民というようなものの意味ではなく「個」として存在するひとり一人の話だからです。
 「個」の権利を奪いながら全体の権利を保障することなどあってはなりません。それは、結局のところ全体の権利を失っていくことにつながるからなのです。

 普天間基地の危険性は誰しもが認めるところです。周辺住民の安全をないがしろにして国の安全保障が成立すると言うことなどを認めてはならないのです。
 多くの議論が、日米安全保障条約と在日米軍基地によって、国民全体の安全が保たれている、そのための犠牲は仕方がない、容認の範囲、我慢の範囲にあると言うこと、そのような理屈に収れんされています。

 一つにこの沖縄県民の我慢の論理は、今回の震災で避難している方々の我慢と共通する部分があると思うのです。
 そしてもう一つ、沖縄県民の負担の上に日本の安全保障が保たれている、否、保たれているという幻想の構図が、今、原発震災で苦しむ福島県民と写し絵のように符合するのです。

 平和フォーラムは、この二つの課題に対して、個人への犠牲を強いない方策を提言してきました。
 安保問題では、東アジア諸国との友好・協調の関係の構築とその上にたっての共通の安全保障を構築するように、その努力を展開すべきとしてきましたし、対等な日米関係への改善という言葉の中に、沖縄の負担軽減、在日米軍の縮小・撤去を掲げてきました。

 東西冷戦構造の崩壊に伴って変化する米軍の前方展開に対しては、その意味や財政的な問題から米国議会内部にも、疑問の声が上がっています。

 沖縄県民の犠牲を考えるならば、その生活の安全・爆音や基地被害におびえることのない「人間らしい生存」の保障について真剣に考えるならば、私たちの主張に声を傾けなくてはなりません。 政治には、その責任があるのです。

 原発問題についても同様です。
 平和フォーラムは、原発の危険性を訴えつつ原発によらない社会を、自然エネルギーを中心に作り上げていくことを主張してきました。

 福島第一原発のような老朽原発を徐々に廃炉にしつつ、再生可能な自然エネルギーを代替として、エネルギー政策の転換を迫ってきました。
 しかし、自民党を中心とした歴代政府は、耳を貸そうとはしませんでした。
 不安定な地方経済の弱みにつけ込んで、原発立地の交付金をえさに原子力立国を追求してきました。政権交代を成し遂げた民主党も、原子力をエネルギー政策の中心にすえ、原発輸出を成長戦略の中心位置づけるなど、原発政策を推進してきました。

 そして、結果として福島県民の「人間らしく生存」する権利は、大きく侵害されることとなったのです。このことは、福島だけでなく、全国の原発立地県の共通の問題と言わなくてはなりません。

 平和フォーラム・原水禁は、一貫して「核と人類は共存できない」を基本に、原子力の商業利用に反対し続けてきました。だからこそ、今震災での福島第一原発での事故には、忸怩たる重いがいたします。

 事故の原因は、第一に原発の経済効率からつくられた安全性のシナリオが、当然として破綻したことにあると思います。
 9世紀末の貞観地震の際の、地震の規模や津波の規模は、想像を遙かに超えており、原発の安全性について、そのことを基本にして考えるべきとする一部の指摘に対し、東電や安全行政の側は、そのことを無視しました。

 また、全電源喪失の事態想定に対しも、どこの原発も集中立地している現状の中でさえ、意図的に、そのような事態が起こることを想定しないと強弁してきました。

 東電は、電源喪失した時点で即座に海水の注入を行うべきでした。それも1号機から3号機までを即座に行うべきでした。スリーマイル島の事故を見るならば、電源喪失から燃料棒の溶融までは100分程度の時間的余裕しかないことは自明のことであったのです。しかし、1号機の海水注入まで約20時間、その後、2・3号機への注入までも時間的隔たりがありました。結局想像するに海水注入が原発の将来的な使用を不可能にすることから、即時の海水注入をためらう結果となったのではないでしょうか。

 「安全」へのスタンスがどこにあったのかを問われる事態であったのです。そのことによって引き起こされた放射線被害を誰が背負うのかと、それは何の責任もない福島県民以外の誰も、背負うことのできないものであったのです。
 東電や原発行政は、地震や津波の被害を低く見積もり、想定される最悪のシナリオに対しての備えを全く行ってきませんでした。
 そのことによって、極めて理不尽な状態が、福島県民を襲っています。

 避難過程における杜撰さも目を覆うばかりでした。病院に取り残された患者の方の中には、衰弱して搬送中になくなった方もいました。まず最初に搬送されなければいけない弱者が、交通手段を自ら持たない弱者が、取り残されることがあっていいものでしょうか。
 事故の収拾にあたる作業員の、放射線への被曝許容限度は、年間100mSVであったものが突然年間250mSVに引き上げられました。

 また、通常一般市民への許容量は年間1mSVとされていたにもかかわらず、子どもたちへの許容量も突然年間20mSV とされました。多くの専門家が、懸念を表明しています。健康被害を防ぎ安全のために定められた許容量が、事故が起き健康被害が予想される状況になって、なぜより低い基準に改められるのか、国民への納得いく説明はありません。

 これら、福島原発事故の対応のどこにも、「人間らしい生存」と言うことへの配慮や思いを感じることが出きないのは、私だけでしょうか。

 現在、なお放射性物質を放出している原発事故は、どのように収束していくか全く不明確な状況です。20km圏内の避難地域に、人の営みがいつ戻るのかも不明確となっています。文明が作り出した原発、それによって引き起こされた「人間らしい生存」への権利侵害、「安全の権利」の侵害であり人災であるこの事態への責任は重いと言えます。

 未だ声をあげつづけている原発推進の側は、この事態にどのように責任をとるというのでしょうか。平和フォーラムは、そのことの責任は非常に重いと考えます。

 憲法理念を実現する、このことは平和フォーラムの課題です。そして今、理念の基本的部分が問題とされています。生活の場から、「命」の問題として憲法を考える。そのことそのものが問われています。

 本日のシンポジウムでも、多角的に・多面的に「命」を捉えその「安全の権利」に議論いだきました。科学の進歩や経済活動の進展の中で、どのように自らの安全を守っていくのかが問われています。

 5月1日に、熊本県水俣市において、水俣病の公式確認から55年を迎え、犠牲者の慰霊式が行われたと聞きました。「公害の原点」とも言われる水俣病は、経済優先の考え方がが引き起こした「命」の軽視であり、「安全の権利」の侵害であったのです。
 水俣から55年、今また私たちは、その再来におびえることとなりました。原発事故が、水俣病など高度経済成長期の公害と何と似通ったものなのか、そのことは、原発もまた高度成長期が生んだ公害に他ならないからだと思います。

平和フォーラム・原水禁は、9月19日に明治公園で「持続可能で平和な社会を求めて」とする脱原発社会を求める集会を開催します。同時に全国署名を展開しながら、私たちのめざす新しい社会に向けて運動を展開していきます。
 新しい社会は、ひとり一人の「命 」から出発する社会でなくてはなりません。今日を出発点として「人間の安全保障」の確立に向けて立ち上がろうではありませんか。

 私たちは、みなさまと共に、新しい社会の舞台に、主役として立ちたいと思います。
 そのことをお誓いし、震災の犠牲者の皆さん、避難生活を強いられている皆さんへの、平和フォーラムの心からのメッセージといたします。

 本日は、平和フォーラムの憲法集会にお集まりいただき、本当にありがとうございました。

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