| 第46回護憲大会 フィールドワーク「松代大本営地下壕見学と真田城下町の歴史散策ツアー」報告 2009年11月02日 |
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| フィールドワーク「松代大本営地下壕見学と真田城下町の歴史散策ツアー」には44名が参加し、「追悼碑を守る会」の塩入隆会長(長野県短期大学名誉教授)と原山茂夫事務局長(歴史研究家)に案内していただきました。 | |||
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松代大本営地下壕は、太平洋戦争末期、「国体護持」を目的に、大本営など国家の中枢機能を移転するため、長野市松代地区の山中に掘られた地下施設です。1944年11月11日午前11時に最初の発破がかけられ、敗戦までの約9カ月間で、予定の約75%が完成、象山・舞鶴山・皆神山の3カ所地下壕の総延長は約13kmにおよびました。日本の敗戦により、実際に大本営としては使用されませんでしたが、まさに「戦争の狂気」が生み出した地下壕です。工事を請け負った鹿島組・西松組は、工事の主な労働力として推定約6000人の朝鮮人を動員し、昼夜2交代の過酷な労働に従事させました。「松代大本営追悼碑を守る会」は、工事で犠牲となった朝鮮人の霊を弔い、戦前の加害・侵略を反省、恒久平和祈念する追悼碑を戦後50年の1995年8月に建立しました。
一部(約500m)が一般開放されている「象山地下壕」では、原山事務局長より、朝鮮人労働者が死と隣り合わせに働かされた残酷で悲惨な労働など熱のこもった話がされ、隣にある歴史館では、モッコの実物体験とトロッコ・掘削機の展示物などの説明がされました。 |
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| 舞鶴山地下壕付近地上には、天皇・皇后御座所に予定されていた建物が東洋一の「地震観測所」として使用されています。 壕のなかに豪華な部屋が造られ、地主が強制的に移転させられ南西の方向への「賢所」の建設の話などがされました。 | |||
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昼食後、松代公民館で学習会が開かれ、「大本営」が松代に造られた過程や天皇制を利用した遺跡だということが強調され、参加者からは、「日本人と家族・子どもたちの交流はあったのか。亡くなった人たちの氏名が分かったのか」などの質問がだされました。
敗戦1年前に出された大本営移転計画は、すでに戦況をよく知る人たちが早くから勝てない戦争と気付いていたこと。敗戦までに、どれほど多くの犠牲者を生んだか? 松代での犠牲者はもとより、東京をはじめとした各都市の大空襲、沖縄戦、広島と長崎の被爆…。参加者は戦争とそれを継続させて、多くの命を奪ったことへの憤りを改めて体感しました。 |
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| 松代藩は、徳川幕府が開かれて以降、4氏が藩を治めてきましたが、1622年、真田信之公が上田藩から入封して以後、廃藩置県が行われるまで真田氏が藩主を務めました。そのため、真田氏に関する貴重な史跡が多く残されています。雨と突風のなかとはなりましたが、ボランティア・ガイドの熱心な説明で城下町松代の歴史も学ぶことができました。 | |||
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