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平和軍縮時評2016年10月号 今、生物多様性に注目したい―生物多様性国家戦略と安保・防衛、エネルギー政策との矛盾を問う  湯浅一郎

2016年10月30日

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1)   辺野古新基地建設埋め立て認可をめぐる攻防

   2016年9月16日、福岡高裁那覇支部の多見谷裁判長は、辺野古埋立て承認取り消し違法訴訟において国側の主張を全面的に認め、沖縄県知事による埋め立て承認取り消しを違法とする判決を下した。仮に逆の結果を出せば安倍政権は崩壊していたはずである。それだけ大きな判断を、一裁判官ができるわけがないという事情はあるかもしれない。それにしても判決の論理は、「防衛、外交は国の仕事である。だから国が決めたことに従え」としているだけで、沖縄県知事が苦悩の末、判断した埋め立て承認取り消しの主旨を全く勘案していない不当判決である。とにかく、判決は中身に入っていないのである。沖縄県が主張した、「本件埋立は、「生物多様性国家戦略2012-2020」及び「生物多様性おきなわ戦略」という重要な環境保全計画の達成を妨げる点において、法第4条第1項第3号の「法律ニ基ク計画」に「違背」する可能性が極めて高い」※1として、公有水面埋立法に違反する瑕疵が有るという論理に対しては、無視し、議論に入らない道を選んだ。そこに入りこむと、生物多様性国家戦略という、扱いにくい領域に入ってしまうからであろう。しかし、客観的な立場で判決を下すのであれば、沖縄県が提起した問題につき真摯に議論し、公正な判断をしようと努力するのが司法の役割のはずである。
   ほぼ同時進行の高江ヘリパッド移設事業についても、全く同じ構図が見える。いや、辺野古以上に、ノグチゲラやヤンバルクイナを初めとした多くの希少生物が生息し、生物多様性の世界的な豊庫のただなかで、「やんばるの森」を破壊する行為が、政府の手によって強行されているのである。
   しかし、ここで困っているのは、当の安倍政権である。安倍政権といえども生物多様性国家戦略という建前は崩すことができない。一方で、米国との約束を果たすべく新基地建設をあきらめるわけにはいかない。安保・防衛政策と環境政策が相矛盾している状況の中で、どちらを優先させるのかと苦悩しているのである。この点を突いたのが、今回の沖縄県の取組みである。自治体がこぞって、それを意識的に実行した例は、多分、かつてないのではないか。異なる社会領域における政策が、相互に矛盾したまま、国政が並行してすすめられている。この矛盾を突き、どちらに正当性があるのかを具体的に問うていく運動が必要である。それは、社会を変えていく上で戦略的な意義を持っている。

2)   現代文明のもろさについて

   少し飛躍するかもしれないが、今、改めて福島原発事故の体験を想い起こしたい。私は、震源からは相当離れているが、横浜で地震を体感し、福島原発事故の推移を不安を持ちながら東京で見守ると言う経験をした。この体験を通じて、ずっと念頭にありながら、必ずしも必死で追及してこなかった一つの問題意識が別の角度から浮かび上がっていることに気が付いた。
   私は、1975年から2009年まで広島にいて瀬戸内海の環境研究に従事してきた。その中で、シルクロードの命名で知られるドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンが、米国から中国への船旅の途中、瀬戸内海を通り、次のようにその風景と人の営みを絶賛していたことを知った。1868年(明治元年)9月1日、鞆の浦(福山市)をでて下関に行く途中の風景を見ながら、書いた日記※2の中に、以下のようなくだりが出てくる。
   「これから内海の最も美しい区域になる。(中略)。傾斜のあまり急でない山腹では耕作が高いところまで及んでいる。平らな山頂まで耕かされている場合もしばしば見受けられる。広い区域に亙る優美な景色で、これ以上のものは世界の何処にもないであらう。(中略)。かくも長い間保たれて来たこの状態が今後も長く続かんことを私は祈る。その最大の敵は、文明と以前知らなかった欲望の出現とである。ここは、勤勉と秩序の国であって、海賊的行為は存在しない。住民はその生活に満足している。土地と海とが、彼らの必要とするすべての物を与えてくれるからだ」。
   それから一世紀弱が経った1960年代、瀬戸内海では臨海コンビナート造成で広大な藻場・干潟を埋め立て、赤潮や貧酸素水塊が発生し、松が枯れ、大気汚染公害が慢性化していた。ある意味で、リヒトホーフェンが懸念した事態が起きていた。この時は、あくまでも個別瀬戸内海のありように対する先見の明とも言える話として捉えてきた。しかし、福島事態を目の当たりにして、リヒトホーフェンの言葉は、もっと広がりのある意味合いを持って迫ってきた。彼は、産業革命以降の世界について、人類のありように懸念を持っていたのではないか。リヒトホーフェンの懸念から40年後にアインシュタインガが相対性理論を産み出し、約70年後の1938年、核分裂が発見され、すぐに核兵器と核発電(原発)が登場した。更にその約70年後、福島第1原発事故は起きた。生物の世界でも、遺伝子なるものが見つかり、それを操作することで新たな機能を生物に付与できるとか、あらゆる領域で、まさに以前は想像だにできなかった問題が続出してきた。これらは、リヒトホーフェンが将来の最大の敵とした「以前知らなかった欲望の出現」とそれがもたらす弊害を象徴する一つの出来事ではないのか。福島第1原発の事故は、リヒトホーフェンの懸念を再度、思い起こし、それを契機に文明のありようを根本的に見直し、進むべき方向を大きく転換すべきことを促している。とすれば、現代文明のもろさを見直す作業を、人と自然との関わりの中で見つめ直していくことが必要である。そうした意味で、今、生物多様性に注目したい。

3)   生物多様性に注目したい

   現代文明の脆弱性を克服していくときのキーワードとして、生物多様性、循環、宇宙が作る豊かさという認識の3つの概念で見直しをしていくことを考えたい。
   生物多様性については、1992年6月、ブラジル・リオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開かれ、生物多様性の保全などを目的として生物多様性条約が作られる。同条約は1993年に発効した。日本もそれに加盟し、2008年に生物多様性基本法ができている。その前文には、「人類は、生物の多様性のもたらす恵沢を享受することにより生存しており、生物の多様性は人類の存続の基盤となっている」という格調の高い文章が出てくる。その上で2012年9月には、基本法第4条に基づき生物多様性国家戦略が閣議決定されている。これは、生物多様性が国の政策の基本方針として位置付けられたことを意味する。
   その間にも2010年、名古屋で生物多様性条約締約国会議が開かれた。日本はその議長国として20項目で構成される愛知目標の合意をとりまとめた。その中で海に関しては、「2020年までに各国は、少なくとも海域の10%を海洋保護区として保全する」としている。これを実現すべく環境省は、2011年度から3年にわたり、生態学的及び生物学的観点から科学的に検討した結果、「生物多様性の観点から重要度の高い海域」として沿岸域270か所、沖合表層域20か所、沖合海底域31か所を抽出した。当初は2014年にも公表するとされていたが、16年4月22日になってようやく、環境省は公表した※3。これは、海洋保護区設定の基礎資料となると位置づけられている。
   重要海域270海域を一つ一つ見ていくと非常に興味深い。まず辺野古の海や大浦湾を含め沖縄本島周辺の沿岸海域のほとんどが含まれる。更には辺野古埋め立て用土砂供給の小豆島(香川県)、黒髪島(山口県)、五島、天草、奄美、徳之島など土砂供給予定地の約6割強が含まれている。即ち辺野古新基地建設に関わっては、埋立予定地だけでなく、埋め立て用土砂の供給地もともに「生物多様性の観点から重要度の高い海域」なのである。
   さらに原発立地点に関しても、泊、東通、女川、浜岡、志賀、敦賀、美浜、大飯、高浜、島根原発は、それぞれ重要海域に面している。柏崎、玄海原発は重要海域にごく隣接している。原発は、事故時でなくとも、再稼働すれば平常時において復水器冷却水、俗に言う温排水を大量に放出し続ける。重要海域に向けてトリチウムなど放射能入りの温排水を放出し続けるのである。そしてもし事故が起これば、膨大な放射能が海に放出されるのである。
   日本周辺の海は、太平洋側の黒潮と親潮が接する場が世界三大漁場となっている。しかし日本海にも同じような構図がある。黒潮は、奄美大島の西側で分流し、対馬海流として日本海に入っていき、ロシアの海岸にそって南下するリマン寒流との間で大規模な潮境が常に存在している。日本周辺の海は、どこも生物多様性に富む豊かさを備えている※4。その海に面して、原子力施設を並べ立てているのである。

4)   生物多様性国家戦略から安保・防衛、エネルギー政策をチェックする

   1)でも述べたように、例えば米軍再編の一環である辺野古での新基地建設を生物多様性国家戦略に照らしてみた時、そこには根本的な矛盾が見えてくる。政府の政策が、領域ごとに矛盾した状態のまま並行して進められているのである。その際、中長期的に見れば、どちらに重点を置くべきかは、わかりきったことである。この150年間にわたり科学技術の発展に伴って、人間活動の質と量が飛躍的に拡大した結果、生物多様性は飛躍的に低減してきた。生物多様性条約はできたものの、それは、生物多様性の低減するスピードを少し遅らせる程度のことにしかならないかもしれない。今は、その他の政策をできる限り制限してでも、生物多様性の保全と回復を最大限尊重していかなければならない。そのために、生物多様性という観点から、安保防衛政策やエネルギー政策を見つめ直し、そこに見える具体的な矛盾を解き明かしていく作業をし、それをもって政府を追求していく戦略とすべきである。
   おそらく政府にとって生物多様性の保全・回復という思想の実現は、極めて困難な問題を含んでいるのであろう。自然を利益を産み出す対象とみなし、それを利用しつくす資本主義と生物多様性の保全・回復、循環は真っ向から対立する。その両立にはそもそも無理があるとも言える。そこで、政府は、生物多様性国家戦略と防衛・外交政策、経済政策などが根本的に矛盾・対立することを承知の上で、前者を置き去りにしようとしているのではないか。沖縄での米軍新基地建設のための辺野古埋め立て、辺野古埋立用土砂の供給、原発の再稼働、福島事態からの「復興」優先などはその典型である。
   生物多様性国家戦略に照らした時、辺野古の埋立て、西日本各地での埋立用岩ズリの採取は、どう見ても同法に違反する。埋立は、海の一部をつぶし、生物多様性の豊庫である辺野古の海をコンクリートの塊にしてしまう。採石は山肌をはく奪し、水の挙動を変更し、ひいては周辺の海に土砂を流出させ、海底付近の生物の生きる場を破壊する。自然は縫い目のない織物(シームレス)である。埋立や採石によりどこかが傷つくと、予想もつかない別のところに傷ができ、その連鎖が生態系のバランスを崩していく。辺野古の海を埋め立てるとは、ジュゴンは絶滅してもかまわない、生物多様性の宝庫などどうでもいいという選択を、政府が率先して悪い範を示すことを意味する。しかし、そこに生きる、膨大な生物を無差別に殺戮する権利など人間にあるはずがない。
   ここには、国策の刹那性と利己主義がにじみ出ており、展望もなく、ひたすら欲望を追及する愚策ばかりを積み重ねている。子孫から見れば有害でさへある。本来は、地域の自立・自治、生物多様性を最優先させ、社会のありようを変えていくことこそ求められる。
   辺野古新基地建設及び埋め立て用土砂の採取、更には原発再稼働を巡る攻防をそうした文脈において捉え、反対運動を強めていくことが重要であろう。それは、産業革命以降の文明そのものを問う社会変革の一環でもある。福島事態を経た今、人類は、「海を毒壺にするな」という生命の母・海からの警告に真摯に向き合い、現代文明の脆弱な社会構造を見直すべきである。そして生命の基盤であり、多様な生命が生きる場である海の恵みを活かす道をこそ歩まねばならない。約150年前の明治維新の年に、リヒトホーフェンが、瀬戸内海の風景を絶賛しながら、その状態が長く続かんことを祈るとした上で、「その最大の敵は、文明と以前知らなかった欲望の出現とである」としたことを念頭に、その作業を進めたい。
   なお、辺野古、高江、原発再稼働など個別問題については、今後、折に触れて問題提起していきたい。

注(※)

  1. 普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立承認手続きに関する第三者委員会;「検証結果報告書」、2015年7月16日。ここで、「法」とは、公有水面埋立法のこと。
  2. フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン著、海老原正雄訳;「支那旅行日記」、慶応出版社刊、1943年。
  3. 環境省ホームページ「生物多様性の観点から重要度の高い海域」。
    www.env.go.jp/nature/biodic/kaiyo-hozen/kaiiki/index.html
  4. 湯浅一郎;「原発再稼働と海」、緑風出版、2016年。

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