2011年、トップランク、集会等の報告

2011年11月06日

2500人参加し「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を 憲法理念の実現をめざす第48回大会(護憲大会)」

 

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世界規模の不況と「格差と貧困」の広がりに加えて、3月11日の東日本大震災の未曾有の自然災害と東京電力福島第一原子力発電所事故という歴史的事態による深刻な被害を受けながら、その復興に向けて懸命にとりくんでいる東北は山形の地で、「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を 憲法理念の実現をめざす第48回大会」を正式名称に、山形県山形市のビッグウィング多目的展示場をメイン会場として11月4日から6日までの日程で第48回護憲大会が開催されました。全国47都道府県持ち回りで行われる護憲大会の、山形県での開催は初めてで、36番目の開催県となりました。
→ポスター

 

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通りすがりの街路樹も鮮やかな紅葉で映える好天に恵まれた11月4日、初日の開会総会は、会場の山形ビッグウィング多目的展示場に全国から約2,500人の参加者を得て行われました。前段のオープニングは地元の百姓シンガー・須貝智郎さんの震災救援コンサートで始まりました。百姓としての目で見た震災と未来への希望を込めた歌を披露しました。
開会総会は、総合司会の禧久章蔵・全水道書記次長と山形県実行委員会の中村理子さんが最初に東日本大震災の犠牲者への追悼を訴えて黙とう。つづいて、江橋崇・実行委員長の主催者あいさつ、立松潔・山形県実行委員長の地元あいさつ、 高橋睦子・連合副事務局長、福島みずほ・社会民主党党首の連帯あいさつ、 吉村美栄子・山形県知事、市川昭男・山形市長の来賓あいさつが行われました。また出席して連帯のあいさつを行う予定だった民主党の今野東・参議院議員のメッセージを読み上げられるとともに、大会への連帯メッセージが衆議院議員26人と参議院議員18人の総計44人からよせられていることが報告されました。さらに、出席された吉泉秀男・衆議院議員(社民党山形県連代表)、服部良一・衆議院議員、佐藤敏春・民主党山形県連合副幹事長、大泉敏男・連合山形会長、加藤孝・山形市議会議長のみなさんが紹介されました。
このうち、江橋実行委員長は、「東日本大震災で平和フォーラムが今後何をなすべきか考えさせられた。今まで憲法理念の実現のため政権交代をめざし、市民参加の政治実現に努めてきた。2009年の政権交代後、いわば与党系平和運動として世の中を変えていくチャンスとしてきた。紆余曲折はあるが、今は正念場」と参加者に語りかけました。立松県実行委員長は「県内にも約13,000人の避難者がいる。そのほとんどが福島県の方。憲法25条の生存権が原発事故によって脅かされている事態だ。原発を『潜在的な核抑止力』言う政治家もおり、いま憲法の平和理念が重要になっている」とあいさつしました。高橋副事務局長は「連合はのべ35,000人のボランティア派遣と7億円を超えるカンパを被災地に届けてきた。今後も復興再生に全力を尽くしたい」。福島党首は「社民党は脱原発を訴えてきた。今年の冬、来年の夏ともに原発を止めても大丈夫、電力は間に合っていると社民党は試算している。私たちはこれほどまでの被害を体験した。各地でどんなことがあっても原発を再稼働させないたたかいを、護憲大会に参加した人たちと実現していきたい。また、新自由主義に反対し格差社会の是正を求めていく」。吉村知事は「卒原発」を訴え、市川市長は「避難者が安心できるように支援していく」とあいさつしましした。
これらを受けて、藤本泰成実行委員会事務局長の基調提案が行われました。「憲法理念のもと『生命の尊厳』を最重視し『人間の安全保障』の確立をめざすとともに、脱原発のとりくみをすすめてきた。今エネルギー政策の転換を求めなければならない。生活の基盤を失い、雇用を失い、放射能汚染で故郷を失う現実がある。『生存権』という憲法理念の課題と向き合うことが求められている。また、原子力政策と同様に、市民の意見を反映することなく推し進められてきたのが日米安保体制と米軍の駐留政策だ。米軍基地の約75%が沖縄に集中している。少女暴行事件や国際大学へのヘリ墜落など、県民生活が常に脅かされてきた。普天間基地の県外移設は確たる県民世論だ。『生命の尊厳』を重視し、地方が主体となった政治へ変わっていかなければならない」と提起しました。
なお、総会中に「福島に線量計を送ろう」とのカンパが司会者から呼びかけられ、シンポジウム終了までに後、53万2,990円集約されました。
→藤本事務局長の大会基調提案 →大会基調全文

 

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開会総会に引き続いて開かれた「震災から考える、『人間の安全保障』で『生命の尊厳』を」を主題としたシンポジウムでは、福島から生協あいコープふくしま理事の橋本拓子さん、宮城から㈱○ト高橋徳治商店代表取締役の高橋英雄さん、沖縄から玉城義和・沖縄県議会副議長の3人のパネリストとコーディネータ役の江橋崇平和フォーラム代表(法政大学教授)が討論しました。橋本さんは「第一原発から約70キロの所に住んでおり、子どもの将来について不安でならない」、高橋さんは「県の屎尿処理場は回復しておらず、原発事故で放射能が海に拡散・沈降している」、玉城さんは「一部返還された土地にはいろんな廃棄物が放置されていて苦労している。基地に頼らない地域をつくることが大切だ。補助金をいくら出しても地域は良くならない。地域の人が知恵を出して地域興しを」と訴えました。最後にコーディネータの江橋さんは「平和フォーラムは辺野古の問題で譲ることはない。普天間での居座りも認めない。過疎地にカネで基地や原発を押しつけることが問題。潜在的核武装など絶対に許されない」と締めくくりました。

 

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第2日の11月5日は、午前から「地球環境-脱原発に向けて」、「地方の自立・市民政治-復興の礎を」、「人権確立-生命の尊厳と被災者の人権」、「教育と子どもの権利-被災・被曝問題を中心に」、「歴史認識と戦後補償」、「非核・平和・安全保障-東アジアの情勢とアメリカの安全保障戦略」、「憲法」の7分科会、「日本国憲法から見た東日本大震災」をテーマとして宮城と福島の2つのコースのフィールドワーク、午後には 「男女共同参画の広場-3.11東日本大震災と放射能=そのような中で人間の尊厳をまもる」、「東日本大震災復興支援・原発事故被災救援コンサート」、「ドキュメンタリー映画上映会」の3つの「ひろば」、 全国基地問題ネットワーク学習交流集会、 特別分科会「運動交流」が行われました。

このうち第1分科会「地球環境」は参加者424人。はじめに「脱原子力社会の可能性と意義」について長谷川公一さん(東北大学大学院)から話があり、「火力発電の稼働率を今の50%から70%にすれば、原発無しでも今の電力量は確保できる。問題は二酸化炭素が1990年比で約15%増えること」と提起されました。次に、桃井貴子さん(気候ネットワーク)が「脱原発と新しいエネルギー政策の実現に向けて」と題して、「25%節電、再生可能エネルギー25%、二酸化炭素排出25%削減」を2020年まで達成するのは可能だとしてデータを提示しました。質疑討論では、a.原発で二酸化炭素削減と推進側は言うが、地球温暖化の原因は二酸化炭素ではないとの意見(助言者は科学的でないと否定)、b.2000万人署名で戸別訪問する際、市民の「電力不足になるから署名できない」との声にどう対応するのかなどがだされ、熱心に討論しました。

第2分科会「地方の自立・市民政治-復興の礎を」には120人が参加して活発な討論が行なわれました。この分科会では、東日本大震災・原発事故からの復興・復旧を地方自治の立場から議論すること。地域の荒廃、生活の困窮(格差の拡大)が進み、それが広域行政によって加速されていたときに起きた大震災であること。過疎に苦しむ地方に膨大な資金が投入され建設された原発であるとともに致命的な事故を起こしたこと。ここからの復興のため、地域の自立と振興をめざし住民の命と暮らしを守る地方自治・政治のあり方について議論しました。最初に、柏崎市議の矢部忠夫さんから「原発問題は人ごとではない!」、つづいて山口県平和運動フォーラムの大久保弘史事務局長より上関原発建設計画と反対運動についての報告を受け、広島市大平和研究所の河上暁弘さんから「3.11以後の憲法と地方自治」と題して日本の原子力政策と自治・平和・デモクラシーがどう関係してるかの提起を受け、エネルギー問題など市民自治立場から政策提言の重要性がを行う時であることが強調されました。討議では、福島における放射能汚染をめぐる問題などを中心に討議、住民の自治の立場から脱原発のづくりの推進していくことを参加者で確認しました。

第3分科会「人権確立」には81人が参加して熱心な討論が行なわれました。助言者の伊藤和子さん(ヒューマンライツ・ナウ)は、震災後の支援活動を通して見てきた人権への配慮が欠けた被災者や避難者への援助とその生活実態、社会的弱者や女性に対する支援のあり方について、さらに原発事故への対応の現状から人権に関する多くの課題を指摘しました。西島藤彦さん(部落解放同盟)は、さまざまな形の差別・人権侵害によって個人の価値がゆがめられている現状と公正な「証拠開示」の法制化の必要性について話し、これらの問題から回復するシステムとしての「人権侵害救済法」制定に向け、世論を作り上げていくことが重要と訴えました。憲法で定める権利は、主張しなければ守れない。あきらめずに声を上げ、次世代へ引き継ぐために運動していこうと全体で確認しあいました。

第4分科会「教育と子どもの権利」では、はじめに角田政志さん(福島県教組)から、東京電力の原発事故による教育現場の状況が報告されました。県外避難者は夏休みを境にさらに増え、現在約21,000人。教職員の過員状況の問題点や職場の課題、学校や居住地の除染、子どもたちの心のケアを含めた健康被害について述べました。次に、日教組の原ひとみさんからは、子どもの権利に関する条例の必要性と現在の動向を中心に報告されました。最近の子どもは、受け身・指示待ち状態になっているので、子どもの主体性が発揮できる条例をつくっていくことが重要であること。また、国民の認知度が低いので、広報にも力を入れ全国的に運動を展開していく必要性があると訴えました。質疑・応答の時間では、15人を超える参加者から、各県各地域の状況を含めた報告が行われ、報告者と活発な討論が交わされました。

第5分科会「歴史認識と戦後補償」は、約150人の参加者で会場は熱気に溢れました。まず清水澄子I女性会議共同代表が「韓国の憲法裁判所の判決と日本軍の『慰安婦』問題」について語り、慰安婦の基本的人権と日韓の外交、憲法認識の差を取り上げ、問題は解決していないと断言しました。高嶋伸欣琉球大学名誉教授は4年ぶりの教科書全面改定と一部自治体での育鵬社教科書採択問題について報告しました。「つくる会」と自由社、育鵬社の関係、「日本会議」の存在などさまざまな事象の陰に起きた事件なども明らかにされました。統一地方選でトップが変わり、教育委員が変わり、その結果の育鵬社教科書採択の自治体もあったとのこと。朝鮮人強制連行真相調査団共同代表の原田彰弘さんは、菅直人前首相などの談話のなかから歴史認識を検証。司馬遼太郎がもてはやされるがその本質はなかなか問われない、などの問題がある点を指摘しました。

第6分科会「非核・平和・安全保障」は、問題提起として、石坂浩一さん(立教大学)から「2012年の東北アジアと日朝国交正常化」について、湯浅一郎さん(ピースデポ代表)からは「日米韓軍事態勢の強化、米車再編と米財政赤字」についての講演を受けた後、米軍基地問題や日朝関係の見通しなどについて質疑討論がありました。さらに、長崎県から大震災後の佐世保港での核艦艇寄港阻止闘争、神奈川県から51年目を迎えた厚木基地闘争および横須賀港への核空母寄港の問題、福島県から災害支援へのお礼と脱原発に向けた運動強化の要請、群馬県からは日朝国交回復に向けた市民運動についてなど発言・報告がありました。最後に、「軍事力ではなく、対話と協調で平和を。軍事基地撤去と日朝国交正常化を」との集約を200人の参加者全員で確認し、閉会しました。

第7分科会「憲法」は、はじめに江橋崇さん(法政大学)より、過去の災害や阪神大震災・東日本大震災から考える「人間の安全保障」について、憲法には不備があり、市民の安全を確保するモノがないことや、1990年代の国連のヒューマンセキュリティーの論議などの説明があり、今後被災者を持続して支援し、自立できるように法整備や環境作りができるかなどの問題提起がなされました。また、現在の憲法改正の情勢に関して、江橋さんから憲法調査会の報告があり、憲法の理念・価値は各党とも今のままで理解されていると考えていると述べました。最後に、今後も憲法理念を守り「人間の安全保障」など、多くの問題を解決するべく、今以上に各方面への情報発信をする必要があるとのまとめを、満場の拍手で確認しました。

フイールドワーク「日本国憲法から見た東日本大震災~宮城」は、石巻市議の千葉眞良さんの案内で港や日和山公園を視察しました。そこには破壊された工場や倉庫、めちゃくちゃになりながらかろうじて立っている家屋、沈下した桟橋があり、参加者は巨大地震と津波の破壊力をまざまざと思い知らされました。中心部の瓦礫はだいぶ処理されていましたが、進んでいるのは片付けだけ。生活基盤や社会資本の復興にはまだまだ途方もない時間と資金と労力がかかると、参加者に暗澹たる気持ちを起こさせるものでした。午後からの現地交流会では、宮城県護憲平和センターの清藤恭雄さんから「震災と憲法」との題で、被害状況と憲法の視点からの被災者支援についての講演があり、とくに社会的弱者である高齢者や子どもたちへの配慮のある憲法理念に則った立法措置が必要との話がありました。続いて千葉さんからは国・県・自治体が連携した行政のあり方、石巻市職労の畑山實さんからは震災後の市職員の20時間勤務の実態、石巻護憲センターの木村正幸さんからは危機一髪だった女川原発の被災状況について報告が行われました。討論では原発をかかえる県の参加者から、今こそ脱原発のチャンス、女川原発の「安全性」を喧伝する原発推進派の巻き返しに対抗して、脱原発に向けて全国連帯を強めようという発言がありました。

フィールドワーク「日本国憲法から見た東日本大震災~福島」は、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の影響で現地がどういう実態にあるのかを実際に目で見て、現地の方の話をきき思いを共有して行動につなげることを目的に実施しました。目的地の飯館村は、紅葉が美しく豊かな田園風景が拡がる地域です。そこが目に見えない高い放射線量のため計画的避難区域に全域が指定され、住民のほとんどが避難を余儀なくされていることに参加者は心の痛みを感じ、事故の収束と被害の救済など国の責任ある対応と脱原発依存への政策転換を強く求めていかなければならないと感じました。現地交流では、5人の方々からそれぞれの立場で現状と課題についての報告が行われました。苦しくつらいなかでもさまざまな課題に前向きにとりくんでいることに、参加者に逆に勇気を与えるものでした。子どもたちの未来を守るため、憲法で保障された基本的人権を守るため、現地で頑張っている人たちと少しでも思いを共有し、職場や地域で運動をいっそう前進させることを全体で確認し合い、帰路につきました。

「男女共同参画」のひろばには150人が参加しました。清水澄子I女性会議代表による「ひろば」の意義説明のあと、長岡壽一弁護士をコーディネータに「震災」をテーマにパネルディスカッションが行われました。宮城県気仙沼市の保育園園長だった樋川つや子さんは「地震直後、園児は全員無事だったが、水も食料もなく、誰も自分たちがここにいることを知らないという思いが、辛かった」と話しました。福島県から子ども2人と米沢市に避難した西片嘉奈子さんは「原発に監禁されたような生活」で怒りも悲しみも通り越した。ただ日本や世界が大きく変わるきっかっけになったと思う。しかし「不勉強だから子どもに放射能を浴びせてしまった」と自分を責めていました。生活クラブやまがた(米沢市)でボランティアの最前線にいる井上肇さんは直後、もたついている行政を見てボランティアの指揮を執った。その結果見えた自治体長の差は大きく首長を選ぶときは慎重に」と警告しました。会場からの質問に西片さんは「避難した人を非難するのはたくさんある。後ろ指さされるのが嫌でとどまっている人もいる」と打ち明けました。

ひろば「東日本大震災復興支援・原発被災救援コンサート」は、「未来の子どもたちのために、汚すことなく壊すことなくバトンタッチするのが我々の努め」をテーマとする百姓シンガー須貝智郎さんのコンサート。約100人が参加し、会場は大いに盛り上がりました。開会総会オープニングで披露された「べごこは山へ」をはじめ、新曲の「つばめ」やNHKテレビ「お母さんといっしょ」で歌われている「ごっつぉさま」(ごちそうさま)を披露し、参加者と一体となったステージとなりました。また、全校生徒で8人の双葉小学校の子どもたちと復興支援にかけつけた全国の須貝さんの仲間たちと一緒に、参加者全員で熱唱しました。

ひろば「ドキュメンタリー映画上映会」は、この秋、山形国際ドキュメンタリー映画祭で発表された「相馬看花-第一部江井部落」を上映しました。映画祭実行委員の高橋さんは「原発被災地の状況を、全国に広めてほしい」とあいさつし上映開始。集まった250人の来場者は、食い入るようにスクリーンを見つめていました。

関連企画「全国基地問題ネットワーク学習交流集会」は、講師のピースデポ代表湯浅一郎さんが「日米韓の一体化を米は意識的につくろうとしている」と情勢分析。さらに「パニックを起こすのであれば、国内の核施設に通常兵器で集中攻撃すればいい」と述べ、「東北アジアの軍事的緊張は意図的につくられたものである」と語りました。その後、米軍基地を抱える神奈川・長崎・沖縄の3県から現地報告がなされました。その中で沖縄からは、「普天間基地問題と教科書押しつけ撤回運動を中心に反対運動を続けていく」との決意が示されました。最後に、東京平和運動センターの長谷川信康さんは「アメリカは財政的に厳しいので自衛隊を戦える組織にしようとしている」とし、「これからもいっそう運動を進めていかなければならない」と参加者に呼びかけました。

特別分科会「運動交流」は、9.19以後のさようなら原発1000万人アクションについて討議。冒頭、「民主党はもともと原発推進派。日本の流れが再び原発推進とならないように1000万人署名を実現させなければならない」という呼びかけから始まりました。続いて、平和フォーラム・原水禁の藤本泰成事務局長が『原発事故の追及』などの今後のとりくみのための6つの柱建てを提起し、さらに、3月24日(日比谷)の1000万人署名集約集会までに3回の集会(12月10日(日比谷)、2月11日(代々木)、3月11日(福島))を行う予定であることを報告しました。その後、各地区から署名のとりくみ状況の報告がありました。何としても集約日までに1000万人の署名を集めることを確認し、交流会を終了しました。

→分科会報告

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最終日の閉会総会は、会場を山形市民会館大ホールに移して約1,000人の参加者のもと行われました。最初に、「大震災被災地・岩手からの訴え」について釜石市議会議員の菅原規夫さん、「大震災・原発事故被災地からの訴え」について福島県平和フォーラム代表の竹中柳一さん、「上関原発建設阻止のとりくみ」について山口県平和運動フォーラム議長の岡本博之さん、「『さようなら原発1000万人アクション』の今後のとりくみ」について藤岡一昭・原水禁副事務局長の4人の特別提起を受けました。
次に、「大会のまとめ」を藤本事務局長が提案。大会議論の詳細に触れるとともに、「脱原発が社会を変えることを確信して、運動を進めていこう。福島の子どもたちが、七夕の短冊に託した願い『放射能がなくなりますように』を胸に、子どもたちの将来のために、本当に、脱原発を実現しよう。脱基地を実現しよう。憲法理念を実現しよう。そして、『一人ひとりの命に寄り添う社会』を実現しよう。山口で開催する第49回大会はに向けて、また1年間、全国各地でがんばることを皆で確認しあおう」と締めくくりました。
→藤本事務局長の大会のまとめ
大会は、「遠藤三郎賞」を、川口玉留・茨城平和擁護県民会議会長、三島静夫・ABC企画委員会事務局長、青森地区・戦争への道を許さない女たちの会。「平和運動賞」をフォーラム平和・三重で表彰。その後、大会アピールを参加者全体の拍手で採択し、山形県実行委員会の岡田新一さんの閉会あいさつで3日間の日程を終了しました。
東日本大震災・東京電力福島第一原発事故という歴史的規模の困難にもかかわらず、初めての大会の準備と参加のとりくみをした山形県実行委員会の尽力によって、参加者の心に強く残る大会となりました。
→大会アピール

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