2015年、平和軍縮時評

2015年10月30日

平和軍縮時評2015年10月号 国連総会「核軍縮決議案」を通して考える、安倍政権「積極的平和主義」の正体  田巻一彦

   9月30日に公布された「安保関連法案」で、政府・与党が振りかざしたのが「積極的平和主義」だった。もう一度思い返してみよう。昨年7月の「閣議決定」 から。

「特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。」

   要するに、1) 日米同盟の抑止力を向上させることが第1で、「その上で」2)「積極的平和主義」の下で、国際平和と安定に貢献する。3)そのためには安保法制が必要である。という論理だ。2)と3)の間には大いなる飛躍があることはいうまでもない。
   ところで、この「積極的平和主義」、閣議決定の英語版では次のように表現されている。「the policy of "Proactive Contribution to Peace"」、直訳すれば「平和のための積極的貢献」政策。日本語では「主義」という「考え方」、一方英語では「積極的貢献」という「行為」。つまり「安保法」を手にした日本が国際社会に対して「何を発信し、何を行う」ことで世界の平和に貢献してゆくのか、そのことがこれまでになく問われてゆく、市民の視点からはそう読むべきだろう。
   その試金石となるべき季節がやってきた。10月第2週に本格的議論が始まった「国連総会第1委員会(軍縮・国際安全保障)だ。そこに提出された決議案のいくつかを読みながら、日本がやっていること、やるべきなのにやっていないことを、考えたい。

国連第1委員会に提案された注目決議

   最初に、春の「2015NPT再検討会議」が生み出した手掛かりを再確認しておきたい。合意には至らなかったが、同会議の最終文書案には次の勧告が残された(要旨):

「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道上の結末をもたらすとの懸念が、核軍縮分野における諸努力を下支えし続けるべきだ。(154-1.)
「国連総会第70会期で核兵器のない世界の実現と維持に貢献する法的諸条項を含む、効果的措置を検討する公開作業部会を設立する。作業部会は、『全会一致原則』で運営されるのが望ましい。ただし、下部機関の作業方法を決定する専権は国連総会にある」(154-19)

   すなわち、「再検討会議」では核兵器は非人道的であるがゆえに核軍縮のための効果的措置の探求が必要であるとの論理が残され、その議論を行う「公開作業部会」の設立が勧告された。これには米国なども事実上同意した。作業部会は「全会一致」原則が望ましいが、ルールを定めるのは総会の専権事項である、と但し書きされている。
   今回の総会第1委員会には、この「NPT最終文書案」を手掛かりに、核軍縮の前進を目指す決議案が複数提案された。ここで取り上げたいのは「非人道性の認識」と「効果的措置の探求」を直接的に結びつけた、次の3つの決議案である。

  1. アイルランド、メキシコなどによる「多国間核軍縮交渉を前進させる」(A/C.1/70/L.13)
  2. 南アフリカなどによる「核兵器のない世界のための倫理的至上命題」(A/C.1/70/L.40)
  3. 新アジェンダ連合(NAC。ブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アの6つの非核兵器国で構成)による「核兵器のない世界へ:核軍縮に関する誓約の履行を加速する」(A/C.1/70/L.41)

   特に注目されるのが「公開作業部会」設立と運営方法を示した1.の決議案である。(以下「メキシコ決議案」と呼ぶ。)

1. 「多国間核軍縮交渉」決議案(メキシコ決議案)

   メキシコ決議案の核心は、「核兵器のない世界の達成と維持のための新たな法的条項や規範について合意に至ることをめざした交渉を行う公開作業部会を開催する」ことである。作業部会は、2016年にジュネーブで、「国連総会の下部機関としてその手続き規則に則り開催」される(同5)。つまりそこでは投票による採決が行われる可能性がある。
   ピースデポは9月に、日本決議案に盛り込むべき内容に関する要請書を提出した。そこで、NPT2015最終文書案の「公開作業部会」を手掛かりに、すべての国と市民社会に開かれた協議の場を設立する決議案を提案するよう求めた。また作業部会は少数が拒否権を行使することを避けるような運営ルールをとるべきであると申し入れた。メキシコ決議案はまさにそれに応えてくれた。日本がそれにどのような態度をとるかに注目したい。
   「一般討論」における演説において、メキシコとともにこの決議案を主導したアイルランドのヘレナ・ノーラン外務貿易省・軍縮不可拡散局長は、次のように述べた:

「2013年の公開作業部会における熟議の成功に続いて、我々は、同作業部会で積み残された課題をとりあげて、核軍縮に必要な効果的な法的措置を議論する2回目の公開作業部会を開くべき時だと感じている。この作業部会は、国連総会の下部機関として、総会の規則及び手続によって運用されるべきであり、コンセンサスに拘束されるべきではないことが妥当である。それでも、我々は成果達成に向けてすべての加盟国が力を合わせることは可能だと確信する。市民社会が積極的に参画し、議論に新鮮な思考と専門性を注入することを歓迎する。そして当然のことながら、我々は核兵器国が、NPTのもとで誠実に追求することが義務付けられている核軍縮プロセスのすべての段階に、他の国々とともに関与することを必要としているし、そのことを重視している。」

   ノーラン局長はさらに、一般討論においてなされた、発展途上諸国やアフリカ・グループからの提起に言及しながら、決議案を動機づける基本認識を強調した。

「私は、すでに脆弱な環境のうえに、いかなる核爆発もが与えるだろう影響に対する彼らの懸念と、8億5千万の人々が未だ飢餓に苦しみ、毎日8千人の子どもたちが栄養失調で死に、そして1日に800人の女性が妊娠と出産に関わる原因で命を失っているこの時に、いくつかの国が保有核兵器の近代化に巨額の富を注いでいることへの彼らの絶望感を共有する。我々はこう自問するべき時だ。核兵器の近代化と維持のために現在注がれている資金を使わないことにすれば、世界でどれだけ有益なことができるだろうか。」

   そして、ノーラン局長は演説を次のように締めくくっている。

「2015再検討会議の失望を受けて、だからこそ、他の国の核兵器開発を防止するだけでなく、核兵器がいかなる状況のもとでも再び使用されないこと、そして、すべての核兵器を永久に使うことができないようにするためのプロセスを開始する努力を倍加しようではないか。」

   どうだろう。この決議案と演説、「積極的平和主義」と呼ぶにふさわしいものではないだろうか。

2. 「倫理的至上命題」決議案

   一方、この決議案は、核兵器爆発がもたらす「壊滅的な人道上の結末およびその危険性を認めるよう」すべての国家に要求した上で、「核兵器のいかなる使用も、その大義名分が何であれ、国際人道法や国際法や道徳律とも、市民的良心の命ずるところ」にも合致せず(主文3h)、核兵器は本質的に不道徳であると宣言する。そしてすべての国家が、「切迫感と確固たる決意をもって行動」し、「核兵器を廃絶し禁止するため必要な、法的拘束力ある効果的な措置をとるべき倫理的責任を共有している」と強調する。また、効果的措置の検討プロセスで、女性が果たすべき役割が大きいことを強調しているのも、この決議案の特徴だ。
   この「宣言的決議案」(具体的・直接的に「何かをする」ことを求めてはいないのでこう呼ぶことにしよう)、これまで核兵器の非人道性に関してファクト・ベースで蓄積されてきた知見を、まず「倫理的義務」の問題として突きつけ、であるがゆえに「効果的措置」を議論することが不可避であるという論理を鮮明にするものだ。唯一の戦争被爆国である日本が提出してしかるべき、決議案だ。
   提案国の南アフリカは、新アジェンダ連合(NAC)を代表して行った一般演説で次のように述べている:

「核軍縮は国際的な法的義務であるのみならず、道徳的・倫理的至上命題である。核兵器の非正統性に対する国際的コンセンサスが拡大しているにもかかわらず、核兵器は、核兵器国と、核兵器国と地域的な同盟を結ぶ国々との安全保障ドクトリンの核心であり続けている。この状況は、国際の平和と安全を強化するものからはほど遠く、それを弱体化させ、国際的緊張と紛争を悪化させ、諸国と諸国民の集団的福祉を脅かしている。さらに、核兵器国が法的義務と誓約に逆らって核兵器を永続的に保有しようという野望を抱いているとの見方を生み出している。」

3. NAC決議案

   NACは昨年を基本的に継承・踏襲しつつ、NPT再検討会議の合意失敗という結果を踏まえた決議案を提案した。決議案は、核軍縮の「効果的措置」に関する選択肢を「特定し、熟議し、交渉する努力を支持する」ことを加盟国に要請(主文19)している。とりわけ、核兵器国と同盟関係にある「すべての国」に、「集団的安全保障ドクトリン上の核兵器の役割を低下させる」よう奨励していることが注目される。「すべての国」が、日本やNATO諸国など、米国の「核の傘」の下にいる国々を指しているのは当然である。この「核依存政策」がいかに非人道的なものであるかについては、本コラム8月30日号で書いたとおりだ。このような現実を打破しようという呼びかけは、本当は日本がなさねばならないことだったはずだ。

予想される曲折

   今後、メキシコ決議案は、その野心的内容と「作業部会」の運営ルールゆえに少なからぬ抵抗に直面することが予想される。
   例えば米国は、一般演説の中で「NPT最終文書案で想定されたような公開作業部会を支持する用意がある」としつつ、このような作業部会の目的に関する見解は「各国の核軍縮を前進させるための方法に対する考え方によって多岐にわたるであろう」とし、「この相違を今回の第1委員会で決着させることは不可能である」と述べた。米国が「支持する用意のある」作業部会が、「多国間核軍縮交渉」決議案が求めるものと同一ではないことに注意したい。
   一方、国連内で強い力を持つ非同盟運動(NAM、115か国が加盟)は「一般演説」において、昨年NAMが提案し採択された決議「核軍縮に関する2013国連総会ハイレベル協議のフォローアップ」(A69/58)を引用しながら、「ジュネーブ軍縮会議(CD)において、核兵器に関する包括的条約の妥結を目指す交渉を早期に開始することこそが、確実な措置である」と強調した。CDは全会一致で運営される。言いかえれば一国でも「ノー」といえば、何も決めることができない。つまり「拒否権」が許される。そのために、CDでの軍縮交渉は10年近く停滞したまままである。それでもNAMにはCDにこだわる理由があるのだろうが、ここではそれには立ちいらない。
   米国も「公海作業部会」は「全会一致」で運営されるべきだと考えている。
   これらの主張を考慮すれば、「多国間核軍縮交渉」決議案の採択のためには、少なからぬ妥協や調整(修正)が必要となる可能性がある。

そして「日本決議案」は?

   日本決議案がウェブ等で読めるようになったのは10月末も押し迫ってのことだった。首相や外相が「新しい決議案を出す」といっていたので、どんな決議案になるか期待した。条文の並び順等を見ると、それなりに「形」が代わっていることはわかる。だが、メキシコ決議案、倫理的至上命題決議案、そしてNAC決議案と比べると、如何にも内容は弱く、保守的なものに見えた。これでは、核兵器のない世界を「究極の目標」に遠ざけてしまう、これまでの決議と変わらないではないか。ピースデポでは、10月30日にこの決議案に対する感想と、メキシコ決議案等に賛成することを求める「所感と要請」を送った。

   これらの決議案の採決は11月2日から9日にかけて行われる。その結果を受けた報告は次の機会に書く。なお、ここで取り上げた3つの決議案に対して日本は「棄権する」公算が強いと伝えられている。「積極的平和主義」とは、一体何なのか・・・

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