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【68大会・報告】広島第7分科会/見て、聞いて、学ぼうヒロシマ―入門編

2013年08月05日

 広島第7分科会.JPG 

 第7分科会では、被爆者の大隈勝登さんがご自身の被爆当時の体験と、戦後の歩みを語りました。

 小学校2年生だった大隅さんは爆心地から2.3キロメートルのところおり、「原爆が投下されたとき、自分に「焼夷爆弾」が落ちたと感じた」「家の前も逃げる人たちがたくさんいて、自分も母親や弟たちと山に逃げた」「死体はおばけのようになり、男か女かも分からん」「たくさんの死体が川を流れ、死体がモノのように土手に並べられて焼かれる光景やくさくてたまらない匂いに、子どもながらに恐ろしいと感じた」と当時の体験を語りました。また、被爆者が結婚などの際に受けた差別についても言及がありました。

 講演を受けて「被爆体験を証言するようになったきっかけ」「平和学習の切り口」「被爆後の子ども時代の苦労」など、教組の参加者から活発に質問が出されました。大隅さんは小学校4年から6年にかけて先生の影響がずっとあったことを挙げながら、教育の重要性について語りました。そして、その先生の言葉どおり、「一生現役」で現在も事業を続けていること、124歳まで生きるのが目標と話していました。

 北海道の参加者から「被爆者手帳をとらない被爆者の気持ち」について質問がありました。これに対して、司会を務めた被爆2世の角田さんは原爆でやけどを負った母親の被爆体験を紹介しながら、被爆者にも原爆で負った傷の程度や地域によって様々な思いがあることが出され、平均年齢が78歳を超えた被爆者の思いを引き継ぐ重要性が提起されました。同じく被爆2世でもある政平さんは「被爆者が一番恐れたのは自分への差別ではなく、子どもが差別されること。被爆者手帳を取らない人も少なくない。国が起こした戦争の責任は国に取らせることが重要であるのと同様に、被爆者に対する差別と偏見をただすことも国の責任。そして、福島の人々の思いをどこまで共有できるかが喫緊の課題」と分科会を締めくくりました。
 

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