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空母母港34周年・キティホーク横須賀基地母港化9周年抗議・原子力空母配備撤回を求める全国集会(横須賀ヴェルニー公園)

  原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会など4団体は、8月10日、 在日米海軍横須賀基地近くにある横須賀市汐入町のヴェルニー公園で、 「空母母港化34周年・空母キティホーク横須賀基地母港化9周年抗議!原子力空母配備撤回を求める8・10全国集会」 を開催し、全国各地から2600人が参加しました。 集会では最初に世界平和を願う長崎の声を国連に届けている「高校生平和大使」に神奈川から選出された高村千紗さんが特別アピール。 原水禁長崎大会に参加して長崎県の高校生と一緒に1万人署名活動を行なったことを報告。 長崎ではすぐに署名が集まるのに神奈川ではなかなか集まらないことから原爆に対する「

空母母港化34周年・空母キティホーク横須賀基地母港化9周年抗議!原子力空母配備撤回を求める8・10全国集会アピール

 去る7月24日、ジェームズ・ケリー在日米海軍司令官は、空母キティホークの後継艦となる原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀基地への配備が来年8月下旬となるとの見通しを明らかにしました。 原子力空母母港化反対・配備計画撤回を求める闘いは正念場の1年をむかえます。 昨年6月、原子力空母配備容認に転じた蒲谷横須賀市長は市民生活の安全確保の役割を放棄し、米海軍の一方的な「安全性キャンペーン」の担い手と化しています。こうした市長の姿勢への批判は、昨秋、横須賀現地ですすめられた『原子力空母母港化の是非を問う住民投票条例』制定を求める直接請求への4万を超える市民の賛同として示されています。 横須賀の運動を

被爆62周年原水爆禁止世界大会・長崎大会(08月07日~09日 長崎)

  被爆62周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月7日、ヒロシマ大会につづいて 原水禁・連合・核禁会議の共同主催とした「核兵器廃絶2007平和ナガサキ大会」を行い、 長崎県立総合体育館に3,700人の参加者を得て開催しました。 大会は開会あいさつ、黙とうにつづいて 主催者を代表し、連合の高木剛会長は「世界に向け、核兵器廃絶運動を進めてきた中心の長崎市で、伊藤前市長が暗殺される言語道断の出来事があった。 心から哀悼の意を表したい」と伊藤氏の冥福を祈りました。 また久間発言について「前防衛相が核兵器使用を容認するかのような発言をし、被爆者、核兵器廃絶に取り組む多くの人たち

被爆62周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

被爆62周年原水爆禁止世界大会 原子爆弾が投下されてから62年。ヒロシマで14万人、ナガサキで7万人もの尊い命が原子雲の下で即死、あるいは数日後に失われました。放射能による被害は、いまなお多くの人々を苦しめ、二世や三世も健康に不安をかかえて生活しています。生きとし生けるものに未曾有の惨害をもたらした8月6日と8月9日は、人類にとってけっして忘れてはならない日です。 しかし、この1年、「原爆投下は、しょうがない」という長崎県出身の久間防衛大臣による発言をはじめ、安倍内閣のもとで、閣僚や自民党首脳による核兵器保有を容認する発言が相次ぎました。その一方で、核兵器廃絶を訴えてきた伊藤長崎市長が、凶弾に

原水禁・連合・核禁会議/核兵器廃絶2007平和ナガサキ大会・ナガサキからの平和アピール

核兵器廃絶2007平和ナガサキ大会 被爆から62年目を迎えた今、ここ長崎では怒りと憤りの渦が巻いている。 1945年8月9日、午前11時2分、長崎に投下された1個の原子爆弾は、7000度に及ぶ熱線と爆風、恐るべき放射線により7万人余の尊い命を奪った。その後も多くの被爆者が放射線障害に苦しめられ、被爆2世、3世にも影響を及ぼしている。 世界に向けて核兵器廃絶の運動を進めているさなか、本年4月、この長崎において、長年、核兵器廃絶に力を注いだ伊藤前長崎市長が銃撃されたことを忘れることはできない。伊藤前市長の平和行政を讃え哀悼の意を捧げるとともに、民主主義を破壊する蛮行に強く抗議する。さらに、長崎出身

東京電力柏崎刈羽原発の廃炉を求める特別決議

被爆62周年原水爆禁止広島大会参加者一同 7月16日午前10時13分頃、震度6強・マグニチュード6.8の地震が柏崎刈羽原発を襲った。 その結果、放射能漏れ、火災・油漏れ、設備のずれ・亀裂や使用済み核燃料プールのあふれ、消防施設の損傷から原子炉建屋への大量の浸水に電力会社は、為す術を全て失った。特に、7号機の原子炉隔離時冷却系電動ポンプ室の密閉度が低下したが、幸いにも、部屋の外で配管の水漏れがなくポンプ故障がなかったことで冷却機能がかろうじて維持されていた。場合によれば炉心溶融・暴走事故による原発震災の恐れがあった。 柏崎刈羽原発は、建設計画当初から異例ずくめであった。建設計画段階~漁業補償~電

被爆62周年原水爆禁止世界大会・広島大会(08月04日~06日 広島)

原水爆禁止世界大会は、被爆60周年の2005年以来、開会総会にあたる部分を 原水禁・連合・核禁会議の共同開催としていますが、被爆62周年の本年も8月4日、「核兵器廃絶2007平和ヒロシマ大会」として行い、 広島県立体育館大アリーナに海外7カ国の14人を含む6,500人の参加者を得て開催しました。 原水禁の市川定夫議長が「世界中で核兵器が作られ、劣化ウラン弾が使われている。問題がより深刻になっている今年こそ充実した議論を願う」と開会あいさつ。 来賓の秋葉忠利・広島市長は「日本にも核兵器使用容認の議論が一部にあるが、いかなる国家も正当化はできない」などとあいさつ。 被団協の坪井直代表委員は

日豪FTA、WTO交渉に対する集会・行動(衆院議員会館)

フォーラム平和・人権・環境は、全国農民組織連絡会議、日本消費者連盟などとともに、8月6日、オーストラリアとの自由貿易協定(FTA)の交渉等に対する生産者・消費者緊急行動を行いました。 当日から、オーストラリアとのFTAの政府間交渉が行われたことに対して、農産物輸入自由化に反対して行ったもので、全国から約100人が参加しました。 衆議院議員会館で意思統一のための集会が開かれ、平和フォーラムの小林照明副代表などがあいさつ、 また、食品関連労組で構成するフード連合の代表も、「輸入で国内農業が壊滅すると、食品産業にも大きな打撃がある」と訴えました。 活動の経過として、600近くの自治体議会の意

被爆62周年原水爆禁止世界大会ヒロシマアピール

被爆62周年原水爆禁止世界大会・広島大会 1945年8月6日午前8時15分。広島の上空600mで爆発した原子爆弾「リトル・ボーイ」は、ピカッと光り、ドーンという衝撃とともに、原子雲の下は地獄図と化しました。爆心地付近にいた人は、熱線によりほとんどの人が即死あるいは、数日後に尊い命を失い、広島の死没者は14万人に及びました。また、黒い雨の中、助けを求めて広島の街をさまよい歩いた人々、肉親、友人を捜し、広島の街に入った人も放射能の後遺症により、いまも多くの人が苦しんでいます。二世や三世も健康に不安を持ちながら生活しています。 現在、全国で原爆症認定を求める訴訟が行われています。2006年5月の大阪