イラク情勢Watch vol.74 09年6月30日

         発行:フォーラム平和・人権・環境  編集:志葉 玲


  現地写真リポート 在ヨルダン・イラク難民の苦境

 イラク戦争での米軍の攻撃や宗派間衝突など、治安悪化の影響で、中東・イラク隣国のヨルダンには、イラク難民が押し寄せ、その数は50万人とも100万人とも言われている。その多くは、一家の働き手である夫や父親を殺され、或いはいてもヨルダンでは、イラク難民の男性は一部の例外を除いて就業が許されていない。そのため、ヨルダンのイラク難民の多くの家族が、経済的に極めて困窮しているのだが、国際社会のイラクへの関心の低下とともにUNHCR(国連難民高等弁務官室)も資金難に陥っており、難民達に充分な支援を行えていない。そこで、本コーナー編集人は、ヨルダン首都アンマンを訪れ、イラク難民の生活実態の視察を行った。

  

  写真(上)の家族は、8畳間の一部屋以外はトイレや台所しかない小さな家に女性や子どもばかりの11人で暮らしている。父親はイラクで殺され、12歳の長男が、学校に行かないで市場で働いて稼ぐ一日300〜400円が唯一の収入。ヨルダンは物価が高いので生活は大変厳しいのだという。ヨルダンにいるイラク避難民達は、UNHCR(国連難民高等弁務官室)に難民として登録すれば、一定の給付を受けることができるはずだが、母親のブシェラ(39)は「給付をもらったのは登録に行った最初の時だけ。その後はいくら待っても、給付はもらえていない」とため息をつく。三女のシェイマ(写真下)は心臓に障害を抱え、薬代も馬鹿にならない。

  

 だが、どんなに貧しくとも、一家はイラクには帰る気はないという。子ども達の父親は彼女達が見ている目の前で襲撃してきた武装集団に殺害された。サダム政権崩壊後の混乱のよそに、米軍は治安を守ろうとしなかった。ギャング化した民兵集団が血で血を洗う抗争を続け、一般市民に対する殺人・誘拐も横行。一時、治安は改善したが、最近、民兵集団が再び暴れているという。

          

 写真(上)の少女は、当時わずか9歳だった妹を、何者かに誘拐され、殺された。身代金目当ての犯行だったが、少女の家は貧しく、身代金を払うことが出来なかった。その後、頭に4発の銃弾を打ち込まれ、変わり果てた姿となった妹の遺体が発見されたのだという。少女はショックでヨルダンに逃げて来てからも、しばらく外出もできなかった。最近になり、ようやく家の外にも出られるようになったという。現在、少女は家族3人と共に、アンマン市内に住んでいるが、他のイラク難民家族がそうであるように父親は仕事につけておらず、NGOによる支援に頼っている。


          

 この少年(写真上)は、先天性の溶血性貧血の一種で、サラセミアという血液系の難病を抱えており、毎月、ゴミ袋いっぱいの薬を必要とする。彼の姉も同じ病気をわずらっているため、治療費は月に約30万円という非常に大きな負担。地元メディアに何度も紹介されたことにより寄付金も一時的に集まったものの、継続的な薬の服用には苦労しているのだという。根本的な治療のための骨髄移植のためには数百万の医療費が必要とされ、一家は途方にくれている。


        

 上の写真右の男性は、イラク戦争以前は裕福だったが、戦時の混乱の中で財産を失い、そのストレスから脳卒中を起こし、半身不随になってしまった。現在は妻(写真左)の介護を受けながら、NGOの支援に頼り生活している。一緒に避難してきた息子たちは最近は夫婦を訪ねてくることもなく、二人だけの孤立した日々を送っている。


  

 イラク難民の子ども達には、PTSDのような戦争によるショックから精神的な問題を抱えていることが多い。突然、泣き出したり精神的に不安定で、いつもふさぎ込んでいるなどは、典型的なケースだと言える。写真の少年も、イラク開戦時の空爆のショックから、部屋に引き篭もるようになり、社交性が著しく失われ、家族との会話もほとんどないのだという。彼の父親もサダム政権崩壊時に財産を失ったことから、精神に変調をきたすようになり、挙句には部屋中にサダムの名を書き続けるなど、日常生活を送ることが極めて困難となってしまった。そのため、少年の母親は離婚し、少年とその兄妹と共に、ヨルダンへと来たものの、このことも少年が引き篭もる大きな原因になったと思われる。イラク難民の子どもたちには、精神的なケアが必要だが、生活そのものが困窮を極めている中で、精神的な問題にまでは、なかなか支援の手がまわらない。子ども達だけでなく、大人、特に成人男性も就業が認められず、ただただ何もすることがないという閉塞感に対する苛立ちを家族ににぶつけるなど、家庭内暴力の問題も深刻になっている。

  

 困窮するイラク難民の生活を辛うじて支えているのは、イラク難民自身によるNGO “The Collateral Repair Project”(CRP)だ。ヨルダンの富裕層や外国から募金を集め、イラク難民達の生活費や医療費にあてている。上写真左がCRP代表のマハ女史。彼女自身、治安が悪化したバグダッドから逃れてきたイラク難民だ。CRPは1000を越える在ヨルダン・イラク難民家族の支援窓口として、食料や衣料、医療などの支援や、寡婦の自立支援などのため、各難民家族へと寄付金を分配している。イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんもCRPのプロジェクトを資金面からサポートしており、既に300万円近い額を投じている。

 高遠さんのイラク支援への募金振込み先は以下の通り。
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郵便振替口座番号:02750-3-62668
加入者名:イラク支援ボランティア 高遠菜穂子
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視察まとめ

 今回、いくつもイラク難民を訪問したが、CRPの健闘にも関わらず、まだまだ支援を必要とするイラク難民はあまりに多く、資金は全く足りていない。やはり、米国や英国、日本など、イラク戦争を始めた国、それを支援した国からの「補償」として、公的支援を行うべきなのではないか。また、イラク難民が困窮する最大の理由は、難民の就労を原則禁じているヨルダン当局の方針だが、既にイラク難民の数がヨルダン全人口の1割を越していると見られる中、ヨルダン側としても、ヨルダン人の雇用を守る上で仕方ない面もある。したがって、米国等のイラク戦争に責任を負う国が難民を受け入れるか、第3国移住への積極的な支援、或いはヨルダンへの経済支援を行い、難民の状況を改善するべきであろう。



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