イラク情勢Watch vol.75 09年7月31日

         発行:フォーラム平和・人権・環境  編集:志葉 玲


Topics
1)イラク報道ピックアップ
2)【コラム】自衛隊イラク派遣政府報告書を批判する
3)オバマ政権の“Change”は本物か?続く人権侵害、「米軍の都市部からの撤収」後も
4)緊迫を増すイラン情勢



1)イラク報道ピックアップ

劣化ウラン弾で白血病児10倍に 米軍使用、イラク南部で

英でイラク戦調査委が始動 一部公開、報告書作成へ

イラク 第1次国際入札失敗 油田開発 迫られる条件見直し

イラク・バビロン遺跡、米軍が損壊と ユネスコが報告

イラク部隊がイラン反体制組織拠点を襲撃、11人死亡の情報も


2)【コラム】自衛隊イラク派遣政府報告書を批判する

 この7月3日、自衛隊イラク派遣を総括した報告書「イラク特措法に基づく対応措置の結果について」が国会に提出された。報告書は、大きく分けて「経緯」、「陸自の活動内容」、「海自の活動」「空自の活動内容」、「成果」の5つで構成されている。中でも、「経緯」と「空自の活動内容」 については、看過できない点があり、改めて自衛隊イラク派遣やイラク戦争への政府のスタンスが問われるべきである。


○米国ですら誤りを認めたイラク戦争を正当化

 今回の報告書は、イラク戦争における、これまでの日本政府の姿勢を改めて踏襲。イラクが攻撃を受けたのは、「イラクが大量破壊兵器の査察などの国連安保理決議に継続的に違反」「最後の機会である国連安保理決議1441号を無視した」ためだとしている。その一方で、「イラクが保有する」とされた大量破壊兵器や、アルカイダと旧サダム政権との関係といった情報が、 米国の意図的な操作・誇張によるものだったことは、一切触れられていない。

 イラクの大量破壊兵器については、2004年10月、米調査団が「イラクに軍事的に意味のある大量破壊兵器は存在しない」「91年に未申告の化学兵器を廃棄した」との最終報告を提出してる。さらに戦争を始めたブッシュ前大統領本人すらも、退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と述べている。

 それにも関わらず、今回の報告書にも、米国の歪曲された情報を日本政府が鵜呑みにして、イラク戦争を支持した問題についても、全く反省が見られない。おそらく、こんな国は世界でも日本だけであろう。


○空自の戦争支援が改めて明らかに

 今回の報告書で特筆すべきは、空自のイラクでの活動の全容が初めて明らかにされたことだ。輸送人員の割合を見ると、米軍などの多国籍軍関係者が圧倒的に多く65%(3万235人)。ついで、陸自関係が23%(1万895人)。輸送物資では、陸自関係が最も多く37%(25万1943トン)、ついで多国籍軍関係が30%(20万662トン)。これに対し、国連関係は人員ではわずか6% (2799人)、物資も17%(11万2241トン)にとどまった。つまり、空自でのイラク派遣の主目的は、米軍及び陸自のサポートであり、政府が説明していた「国連・人道支援関係の人員・物資の運搬」が嘘だったのである。

 こうした空自の活動内容については、これまでは断片的にしか明かされず、国会議員ですら その全容を掴むことができなかった。政府及び防衛省は、「他国の軍事機密にかかわる」として 説明を渋ってきたが(そもそも国連・人道支援関係ならば軍事機密になるわけないのだが)、実 際には米軍などへの支援、つまり「集団的自衛権の行使」という憲法違反の行為*を国民の目から覆い隠すためであったのである。

*国際的な常識として、軍隊への後方支援(兵站)は軍事活動の一環としてみられる。 

 以前、本コーナー編集人が、防衛省幕僚監部にただしたところ、空自が輸送した米軍兵士が戦闘に参加したことを暗に認めた。米兵達はどこへ運ばれ、どの作戦に従事したのか。重大な憲法違反が行われていた疑いがますます濃厚となった以上、政府には、より詳細な空自の活動内容を明らかにする義務があるだろう。この間の首相や防衛大臣のポストにあった者は国会で証人喚問され、国民を欺いたことを問いただされるべきである。


○政権交代実現の際には、是非とも検証を

 国民の5人に1人が避難生活を余儀なくされるなど、イラク戦争が世界最悪レベルの人道危機をもたらしたことは、誰の目にも明らかであり、劣化ウラン弾や白リン弾などの非人道的兵器の使用、ファルージャ市などへの攻撃での集団虐殺は、正に戦争犯罪そのものである。
 英国では、イラク戦争参戦の経緯などを調べる独立調査委員会が30日、正式に設置された。同委員会は、参戦に至るまでの指導者らの意思決定過程やイラク駐留政策などを検証、報告書を作成、その内容は「安全保障上問題がないケース」は公開される見通しだという。
 この夏の衆院選挙では、民主党を中心とした政権交代が行われると見られるが、新政権発足の暁には、日本のイラク戦争へのスタンスや自衛隊イラク派遣を根本から問われるべきだ。



3)オバマ政権の“Change”は本物か?続く人権侵害、「米軍の都市部からの撤収」後も
 
 今年6月末、イラク駐留米軍は都市部からの撤収を完了させた。だが、米軍によるイラク市民の殺害や、不当拘束などは現在も続いている。中東のニュースサイト「イスラムオンライン」がイラク軍関係者の話として伝えたところによると、7月21日、バグダッドで攻撃を受けた米軍が無差別に発砲、3人の一般市民が死亡、子どもを含む4人が負傷した。その場にいたイラク軍の指揮官は、無差別発砲を行った米兵を逮捕しようとしたが、米軍の指揮官に押しとどめられたという。米軍とイラク政府が交わした地位協定では、任務外の米軍の犯罪に関しては、イラク側が捜査権を持つものの、任務中の行為は免責される。今回の様に米兵が乱射したケースも「任務」 と片付けられてしまうのなら、米軍によるイラク市民の殺害は今後も繰り返されることだろう。特にバグダッドにおいては、都市部であっても米軍が活動を続けるため、イラク市民との接触も少なくないからだ。


○米軍撤退はまやかし?

 米軍の段階的撤退をめぐっても、「名ばかり」という見方もある。米シンクタンク「フォーリンポリシー・イン・フォーカス(FPIF)」のウェブ上に掲載された今年6月24日付けの論考によると、地位協定は穴だらけで、撤退期限後も5万人もの米軍兵士がイラクに残ることになるという。FPIFの論考は、「もはや都市部に宿営してはいない米軍が、依然としてイラク都市部での作戦活動に参加することになるのだ。米軍は、戦闘機能よりむしろ『支援』と『諮問』の役割を担うことになる。このように米軍を訓練官として『再分類』することによって、またぞろ米国は地位協定の取り決めを反故にしようとしている」と鋭く指摘している。


○刑務所での拷問・虐待

 米軍が(その多くは不当に)拘束しているイラク人の扱いも大きな問題だ。AP通信などによれば、米軍が拘束しているイラク人は1万429人で、彼らの多くはイラク側の刑務所に移送される見通しだという。しかし、イラクの刑務所では、棍棒や電気警棒での殴打やケーブルでの鞭打ち、電気ドリルで体を貫くなどの、激しい拷問や性的虐待、さらには虚偽の自白の強要といった深刻な人権侵害が続いている。米軍の収容所から、イラク側の刑務所へ移送されたイラク人には、日本のメディアやNGOに協力していたW氏も含まれているようだ。米軍の収容所で既にかなり衰弱していたというW氏が、移送されたバグダッド東部のルサファ刑務所では、拷問・虐待が頻発していることで悪名が高い。オバマ政権は米軍が拘束した被拘束者のその後の人権や生命にどう責任を持つのか、明らかにするべきだ。

 オバマ政権によりイラク政策がドラスティックに変わっているように見える中、日本のメディアのイラクへの関心はますます低下しているようだが、オバマ政権の“Change”は本物かどうか、注意深く見定める必要があるようである。 



4)緊迫を増すイラン情勢


 東京・国連大学前での在日イラン人達による訴え。

 2005年春の総選挙で、イラクの国会でシーア派政党が多数派になって以来、シーア派の総 本山であるイランは、イラクの政治や治安状況に大きな影響を与え続けてきた。つい先日7月28日も、イラク中部ディヤラ州にあるイラン反体制派ムジャヒディン・ハルクのキャンプを、イラク治安部隊・警官隊が強襲。双方で約420人が負傷したほか、イラク警官2人が死亡。ムジャヒディン・ハルク側の発表として、キャンプの住民7人が死亡したとの情報もある。

 この様に、イラン情勢はイラクや中東全体の情勢にも大きな影響を与えうる。そこで、今回は最近のイラン情勢についても触れてみたい。

 6月12日に行われたイラン大統領選挙以来、「選挙に不正があった」と抗議する市民を、イラン当局が激しく弾圧するなど混乱の続くイラン。デモ弾圧の過程で、「ネダ」と呼ばれる若い女性(写真)が治安当局に射殺される映像が世界中に流れ、一気に批判が高まった。イラン政府は再集計を行い、「大規模な不正はなかった」と発表したが、弾圧にも関わらず、市民のデモが度々行われ、政権側もアフマディネジャド大統領と、最高指導者ハメネイ師との間で確執が生まれ始めている。


○停滞する経済・社会に不満

 アフマディネジャド大統領の再選における、選挙不正疑惑で、不満が爆発したかたちだが、イラン国内には元より不安定要素があった。当コーナー管理人の取材に、あるイラン人活動家はこう解説してくれた。
 「とにかく、アフマディネジャドは嘘つきで厚顔。例えば、最近のイラン経済の低迷振りは深刻で、失業率は少なくとも2割。最近はインフレ率も30%近くにまで上昇し、食べ物やその他の生活必需品の値段もどんどん上がる。それなのに、アフマディネジャドは『経済は好調』などと嘘吹く。また、彼は最初の大統領選の際、若者の人気を得るため世俗的な政策をアピールしていましたが、結局女性はスカーフを強要され、大学の女性徒の入学数を制限した。民兵集団バシジ達の暴挙も放置している。例えば、結婚前のカップルが街にいたところ、『イスラム法に反する』と女性の方を連れ去り、性的暴行を加えた挙句、殺してしまうという事件があっても、誰も処罰されない。全くおかしいですよ」


○イラン国内に亀裂、排他的なアフマディネジャド

 日本エネルギー経済研究所・中東研究センター長でイラン事情に詳しい田中浩一郎氏は、「今回の騒動は、イラン社会におけるさまざまな対立軸が表面化したものだと言えるでしょう。都市対地方、世代間対立、格差、そして挑発的な外交の是非などです。地方の貧困層ではアフマディネジャド氏の再選を歓迎する動きもかなりあり、非常に根深い問題」と語る。「アフマディネジャド氏の問題点は、自分と異なる意見の持ち主を『ゴミ』と呼び、徹底的に排除しようとすることです。そうした姿勢がイランを混乱に陥れている」(田中氏)


○最悪の事態はイスラエルと米国によるイラン攻撃

 このまま、イラン情勢が混乱し続けると、どうなるのか。最悪のシナリオとしては、アフマディネジャド大統領が国際社会の反発を買い続け、対話路線を見せていたオバマ米政権の立場を悪くすることだ。それでなくとも、イスラエルや米国内の強硬派は、核開発を続けるイランに対して神経を尖らしている。さらに、この間のイラクでの宗派間衝突には、イランの諜報活動が関わっている疑いもある。それは、イラク人の間では「米国を忙しくさせ、関心をイランから逸らさせるため、イラクで混乱を引き起こしている」と信じられているが、確かに、イランの大統領選前後から、一時期収まりかけていたイラクでの宗派間対立が再燃し始めたというタイミングも奇妙だ。ただ、「イランのイラク情勢への介入」疑惑は、米国のイランへの攻撃材料にもなる。したがって、近い将来、イスラエル及び米国によるイラン攻撃が起きない保障もないとは言えないだろう。





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